2.

「なんで、かえりのごあいさつがこんなのなのかわかる? ようちえんのときはわたし、せんせいに『さようなら』っていってたよ」

 難しい質問だった。まだ「女の子」の彼女にも分かるよう説明するには考える時間も頭も必要だった。首をひねって簡単に言える答えを出そうとして、結局何も言えずに黙り込んだ。彼女の長いまつげの奥にある、少し茶色がかった瞳に吸い込まれそうになるのが自分でもよく分かった。目が少し悪いのだと自己紹介で言っていたのを思い出す。

 確かに幼稚園のかばんをさげていたとき、帰りのあいさつは「さようなら」だった。

 それだけじゃない、「おはよう」も、「ありがとう」も、「いただきます」も、「ごめんなさい」も。あいさつだけじゃなくて、「いやだ」とか「ばか」とか、「だめ」とか。

 ニュースの中のえらい人たちが言う「負の言葉」はみんな一つの言葉にまとめられてしまった。

 昨日の夜見たニュースのお兄さんの話によると、最近他の国で大きなケンカがあったのが原因みたいだ。日本は巻き込まれなかったものの、えらい人たちがそのことで話し合いをしたらしい。その結果あいさつや「負の言葉」は全て平和の象徴である「あいしてる」になった。

 「キライ」とか「死んじゃえ」とか、そういう表現はやめなさいって。

 先生からも、お父さんやお母さんからもそう言われた。えっと、きょ、そうだ、強要、された。この言葉も本当は使ってはいけないらしいのだけれど。

 下を向き口をつぐんだままのぼくを見て、大川さんのまつげが一回、上下に動いた。

「わたしね」

 大川さんは無理矢理にでも人の目をのぞき込みながら話す。それもまた、彼女がよく思われない理由だった。深い茶色の瞳が鏡となって、小さな自分を映し出しているのを見ると、何だかすごく悪いことをしたような気分になるのだ。ぼくもまた、心臓が一回、どくんと跳ねた。大川さんはタンポポのような笑顔を浮かべる。

「もっと、おだくんとおしゃべりしたいな。だってあなた、ほかのひととはちがうかんじがするもの――」

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