第7話 3日目/夜
「お疲れ様でした」
抑揚のない声で職場に挨拶をする。
それに答えて煙のように上がるいくつかの声を後ろに芳乃は事務所を出る。
時間も遅く、事務所のあるビルの通路は常夜灯のみがうっすらと照らしていた。
芳乃はいつもよりならばエレベーターを使うのだが、今日は珍しく階段で足早に降りていく。
務めている事務所のあるビルを出ると夜の帳が紫紺に空を彩っていた。
灯りといえば等間隔に並ぶ無愛想な街灯、冷たい月明かり、夜景を作る残務者達の照明。どれも温かみの薄いものばかりだった。
芳乃は背の高いビルに身を削られた月を眉間に皺を作りながら見上げる。
――昨日は良くも悪くも濃い一日だった。
いや、悪い意味のほうで濃密な日だった。
暴力の応酬、命の危険、冷たい少女……。そして、彼女の中の犬神という彼女以外のモノ。
そんな非日常のスパイスの残滓は晩餐を焦げつかせ、穏やかな就寝を許さなかった。
結果、寝不足のまま仕事をしなくてはならなくなった芳乃は、おぼろげな不安が的中しミスを犯してしまった。
それは、大した内容ではなかったが、相手が悪かった。無理難題を押し付けられ、嫌味を浴びせられ、電話口で怒鳴られる。
悪いことは続くもので半年ぐらいの仕事の厄を集めたかのようにトラブルが続き、同僚の手を借りることも出来ず、遅くまで残ることとなってしまった。
「……はぁ……」
芳乃は大きくため息をつくと、帰るべき方向とは異なる先に足先を向ける。
その先は彼女の務める事務所のから10分ほどにある小さな歓楽街だった。彼女は行きつけの居酒屋へと歩みを進めていく。
道中、彼女の鼻が疼いた。
夜の澄んだ空気に乗って不吉の匂いが漂う。
日常で感じていた不吉な臭い。いつもならば無視して帰路についていた。彼女にとってその臭いは近づかないほうが良いし、自身ではどうしようもないからだ。
しかし、今はどうか。
経験してしまった。そこで何が起こっているかを。
知ってしまった。自分はそれをどうにかする力があると。
この都市の暗部へと続く暗がりの奥を見つめていた彼女の脚は路地裏へ吸い込まれていく。
入ってしばらくするとポツリポツリと設置された照明が打ち捨てられた道を照らし始める。
臭いを頼りに進んでいくと、声と音が聞こえ始めた。
その断片的に聞こえる声を察するに、表と裏との薬物の売買のトラブルのようだ。
セコンウルクではマフィアやヤクザなどの社会の裏側に住む者達が、この裏路地に居座り始めてからそう言ったトラブルが発生していた。
代表的なものは薬物や金融などだが、暴力・殺人・誘拐・人身売買などのために関わる人間もいるとも噂されており、ゴシップ誌のネタとしてこの年若い都市に済む人間にとっては半場常識となっている。
真偽はどこまでかわからないが、少なくとも薬物というのは芳乃の前に現実をして姿を現した。
不吉な騒ぎの輪郭が明確になると、向こうもこちらに気がついたようで動きが変わる。
「オキロ、オ前、ソコノ女ツカマエロ、デキタラ、安ク売ッテヤル」
不器用な日本語で立っている若い男の一人――10代後半~20代前半の色の浅黒い男――が倒れこんでいる男に告げると、その男はゆらりと立ち上がりこちらを見つめる。
中肉中背、汚れた紺色のスーツ、髪は乱れているが整髪料により整えられていた形跡が見受けられる。彫りの浅い真面目そうな日系の顔つきをしている。
明らかにここにいるべき人間ではないように思えるが、彼の目はうつろで死人の瞳だった。
「ぐ……、ほ、本当か……?!嘘じゃないな!?」
知性を感じさせない、追い詰められた声で浅黒い肌の青年たちに問うた。
「嘘ハツカナイ。女モット高ク売レル。手伝ウナラ安クスル。」
それを聞いた男は芳乃を死んだ瞳にナイフのような光を灯して見据え、ジリジリと寄ってくる。
対する芳乃は睨み返しはするが、微動だにしない。
彼女は目の前ではなく、自分の内側に集中をしていた。
昨日の出来事で自分の中に別の何かが居るということを知ってから、自分の――思考・心・精神どういう表現か適切か不明だが――中に何かを感じられるようになっていた。
そして芳乃はそれが犬神の永綱であることを確信していた。
芳乃は内側のそれに語りかける。
「ねぇ、力を貸してくれない?人助けのつ」『断る』
永綱は言葉が終わらないうちに告げる。
「え、ちょっ、どうしてよ!?貴方、私を守る役目があるんでしょ!?」
『やれやれ……、私はお主の中にいるのだぞ?お主の本心なんぞ簡単にわかる』
「私はただ人助けをっ!私は人を助ける力があるから!」
『違う。お主は鬱憤を晴らしたいだけだ。今日のこと、否、慢性的な鬱憤や怒りだ。今まで何処にもぶつけることの出来なかったものを、何処にでもぶつけられる力があると……、あると思って増長しているだけだ』
「……っ」
瞬間、体に衝撃が加わり、思考の外に追いやられる。
スーツの男に抱きつかれているようだ。血走った目をした顔がすぐ近くにあり、荒い吐息が吹きかかる。
不快。彼女の脳が強く吐き出したその感情が彼女に力を与える。芳乃はすぐそこにある男の額にに自分の額をぶつけ、更に相手の足を全力で踏みつける。
男は事前になぶられていたこともあってか、小さなうめき声を漏らしながらふらつき、拘束を解いてしまう。
もはや永綱の力があてにならない以上は逃げ出すしかないと思った芳乃は素早く転身し、表通りへ駆け出そうとするが何かに足を取られ顔を地面にぶつける。
足元を見ればさっきの男が理性を投げ捨てた空っぽの気味の悪い笑みを浮かべて顔で自分の足首を掴んでいる。
さらに少し奥から愉快そうな知らない言葉を発する浅黒い肌の二人組が近づいてくる。
「ぐぅっ!」
その一人は仰向けに倒れこんだ芳乃の背中に座り込んで逃げ出せないよう押さえつけた。その重みは彼女が感じたことの無いほどの圧迫感を与えた。
「ヤルナ、オ前!財布ノ中身全部デ売ッテヤル。今持ッテルノ全部ヤルカラ大事ニ使エ。ハハハッ」
もう一人の立っている青年はそう言って芳乃の脚を掴んだまま倒れこんでいる男の体を物色し、財布を見つけると中身の紙幣抜き取る。
そして自身のジーンズのポケットから錠剤が入った小さな透明な袋を財布と一緒に彼のポケットに押し込んだ。
「モウ、帰ッテイイ。俺達ハ、オ前ニ用ナイ」
「サッサト帰ッテ楽シメ。俺達ハコノ女デ楽シム」
目的の物を手に入れた男は狂気にも似た笑みを浮かべながら芳乃がきた道とは逆の方向へふらりふらりと消えていった。破滅が約束された恍惚を味わうために。
足首の拘束を解かれた芳乃は起き上がろうとするが、彼女自身の力ではびくともしない。彼らは聞き慣れない言葉で話をしているが、この後の展開ぐらいは予想がついた。
ヨルに出会ったあの日に、自身に起きるはずだったことが、時間をずらして今身に降りかかるのだろう。
何故こんなにも無力なのだろうか。何故私だけが無力なのだろうか。口惜しさが芳乃の心に広がる。
不意に芳乃は自身の背中にかかる男の重圧が解けるのを感じた。理由はわからなかったが彼女は咄嗟に駆け出そうとする。
しかし、彼女の体は動かない。
さらに視界までも変わる。まるで自分が起き上がったかのように。
背後では何かがぶつかった音と同時に男のうめき声が聞こえる。
芳乃は戸惑ったが、すぐに状況を理解した。この奇妙な感覚は一度、体験したことがあった。
体の主導権を自身の中にいる犬神に奪われているのだ。
彼女が背中に感じていた男の重みは、ただ永綱に身体を乗っ取られたせいで感じなくなっただけだったのだ。
『やれやれ、特別だ。今回だけは助けてやろう。次からは何かされてもすぐには助けん』
不機嫌そうでいて、諭すような静かで重みのある声が芳乃の意識に響いた。
視界が右に回り、男たちが視界に収まる。
さっきまでは感じていた恐怖や無力感を芳乃は感じなくなっていた。それは守られているという安心感だろうか。それとも人間と人間以上のモノの次元の違いがそれを拭ったのか。
目の前の二人は何か喚いているが何を言っているのか彼女たちには全くわからない。
しかし、その表情からは戸惑いと一抹の恐怖を見て取れた。
「どれ、少し脅かしてやるか」
永綱の低い声が柔らかな芳乃の唇から零れる。
ふくよかでいて弱々しい女の口から発せられた自身に満ち満ちた男の低い声を耳にした眼前の男たちの表情は、怪異を目の前にして硬直する。
芳乃の体が膨らんでいく。それは各部の筋肉の膨張。特に上半身が顕著で逆三角形のようなフォルムへと変貌していく。
纏っていた服はその変異に耐え切れず派手な音を立てて破れていく。
『ちょっと!私の服っ!!』
叫ぶ芳乃の声は何処にも響くことはなく、変異は続く。
破れた服から覗く白い肌はすぐに深く青い体毛が体を覆われていく。胸部から腹部にかけてはゆるやかな十字を描いて白く染まっていた。
頭の形状もミシミシと骨の軋む音をたてながら、犬のような形に徐々に変わっていく。
そして数分も経たず女らしい体つきから、青く荒い毛皮をまとった筋骨隆々たる身体へと変貌した。その犬の後頭部から伸びる芳乃の赤銅色のふわふわとした長い髪が一層の異物感を演出していた。
永綱は立ちすくむ男たちをひと睨みすると、大きく息を吸い込み、高く、強く、響く声で遠吠えをした。それは物理的にも、心理的にも衝撃を与え広がる。
その声に弾かれるように男たちは何か喚きながら走り逃げていった。
『追って!!逃げられるっ』
「何故追わねばならん?」
永綱は腕を組み、重々しく問い返す。
『何故って、あいつら悪いやつよ!麻薬売ってたのよ!暴力振るってたのよ!私を襲おうとしたのよ!殺さないとっ!他の誰かがひどい目に合うわっ!』
芳乃の感情は炎の色になって、永綱にヒステリックに訴えかける。
「じゃあ、お主がやるといい。儂の役目はこの血筋を守ることだ。他のことは関係ない」
『か、関係ないっ!?関係ないで良いのっ!?』
「儂は人間ではないからな。そもそも儂は人間に干渉すべきではない。儂は人のルールの外におるからな。お主らのことは、お主らでどうにかせい」
『だからって、そんな!』
「それに、だ」
『ぐぅっ??!』
怒気を孕んだ永綱の声とともに、芳乃は強く締め付けられる感覚を覚える。まるで自身の存在そのものが押しつぶされるような。
「お主のくだらない八つ当たりに付き合わせるな」
『…っ』
「それに悪事を働いたものは皆殺して良いのか?悪事を働くのも理由合ってのことだろう。理由なく悪を取るものはおらぬ」
低く硬い声が小さく響く。
「もう、するなよ。儂の力は本当に危ない時以外は当てにするな」
『……わかった……』
「なら良い。では、帰るとしよう。……服も破いてしまったし、家にはこのままで行くとするか」
青い巨体の周りには細切れになった芳乃の服だったものが散乱している。
『目立つんじゃないの……?人の少ない裏通りなら気にしなくても良いかもしれないけど、遠回りになるわよ』
「屋上を渡って行く」
永綱はそう言うと、足元に落ちている芳乃のバッグを手にとり、コンクリートの大地を蹴って飛び上がった。その高さは3mほどだろうか。そしてそのままビルの壁面を蹴って、向かい側のビル側へ高く飛び上がる。
それを数度繰り返すと高さ20階ほどのビルの屋上へ躍り出た。
無機質の巨木を飛び越えた上には深い深い夜と、月と星が広がっていた。
『わぁっ……』
「夜空か。久しぶりに見るな。しかし、街全体が明るいせいか。星が少ないな」
永綱は感慨深く夜空を眺める。
「ふふ、昔は主の散歩に連れられてよく眺めたものだ」
『そうなんだ』
「だが、お主はあまり夜空を見たりはしないようだな。今まで守ってきた者達は主人と同じように夜空を見ながらの散歩を嗜むものも少なかったというのにな」
『夜景とか、夜空とか嫌いじゃないんだけどね。ほら、ここって高いビルに囲まれてる場所が多いから、上の方に住んでいる人ぐらいじゃないと夜空を眺めて楽しむなんて出来ないわ』
「確かにそうだな……。ふむ、お主が望むならたまに屋上に連れてきてやってもいいぞ。いい気晴らしになるだろう」
『……そうね。ストレス溜まってきたなーって、思ったらお願いしちゃおうかしら。……でも、この体っていうのはちょっと……』
「心配するな。建物の屋上へ上がる程度ならお前の身体の形のままでも大丈夫だ」
『それなら安心ね。何も考えずにぼーっとしたいから』
「……さて、与太話もこの辺りにして帰るか。明日も仕事だろうて」
青い獣はそう言うと2つ先の一回り高いビルへ移動し、まわりの景色を見渡し、目を凝らす。
視界はクローズアップされて、数区画先のビル壁面の薄く入ったひび割れまでも見て取れるほどの、望遠レンズのような視界へと移り変わった。
『うわ、うわ、何これ!こんなに見えるの!視力どれだけなのっ?!』
「騒がしいぞ。人間の基準何ぞわからん」
その急激で通常であればありえないその視力に思わず芳乃が騒ぎ、永綱がそれを諌めた。
右往左往見回す永綱の望遠鏡の様に拡大された視界に、芳乃達が住まうマンションの頭が映った。
『あ、あっちの方ね』
「ふむ。では、帰るとするか」
永綱はそう呟くとその脚に力を込め、一飛で隣のビルへ飛び移った。その飛び移ったビルからも一呼吸程度の間を置き、1区画の外周の少し低いビルへと飛び降りる。
さらにその向こうへ飛びうつるためには区画を区切る4車線の車道と広めの歩道分の谷間を飛び越え無くてはならないが、青い獣は難なく飛び移る。
永綱と芳乃の二人の瞳には過ぎ去っていく街の灯りと、変わらずそこにある夜空のあかりたちが映る。
『こんな景色初めて……』
「だろうな。人間はこんな動き出来ないからな」
少し背の高いビルに飛び上がりながら永綱は答える。
ふと、永綱は周りから頭ひとつ抜きん出たビルの屋上で立ち止まる。
『どうしたの?』
「あれは、あの黒猫だが……」
永綱の視界に2~3km先のビルの屋上に見覚えのある雰囲気のシルエットが映る。こちら側に背を向けているが、あれは間違いなくヨルであろう。
『ねぇ、ヨルちゃんのところに行ってもらっていい?』
「……良いだろう」
永綱は異形の脚でコンクリートを強く蹴り、ヨルの元へ方向転換する。
近づくに連れ、ヨルの隣に何かが居るような気配、雰囲気が感じられた。
それは明らかな形のない霧や靄のような何か。しかしその何かは永綱たちが近づききるまでに雲散霧消してしまった。
「いい夜だな。黒猫」
ヨルのいる屋上へとたどり着いた永綱はその巨体を揺るがしてヨルに近寄っていく。
月明かりに照らされたヨルの顔が突然の青い訪問者を捉える。
「そうね。いい夜。……だから、今日は集会なのよ」
『集会?』
「そ、猫の集会。だから、犬の姿はやめてもらえる?他の子が怖がるわ」
「……どうする?ここでお主の姿に戻れば裸になってしまうぞ。このまま帰る事を勧めるが」
『ううん。しばらくここにいたい。まだ、そんなに寒くないし、ひと目なんて無いでしょ』
「そうか。……帰るときになったら呼ぶといい」
そう永綱が返すと、青い獣は人間の姿へと戻って行き、最後には裸の芳乃が残った。
ヨルはそれを見届けると立ち上がり、屋上の中心部分へと異常な跳躍で降り立つ。
「さぁて。始めましょう」
そう黒い少女がつぶやくと彼女を中心に冷たい床に淡く光る線が走り始める。
その光は青い白く冷たささえ感じさせる色合いだが、実際は暖かで身体の内側から力が湧いてくる、そんな気分にさえしてくれていた。
「わぁ、何、これ……。綺麗……」
「月の魔力を増幅してその範囲内に居る者の治癒と魔力の補充と増幅をする魔法陣。特に今日みたいな満月の夜はとても効果がある。」
ヨルはどこか得意げな顔で言った。
「神様のこのマホウジンのお陰でみんな助かってます」
どこからか聞き覚えのない声がする。そちらへ向くとそこにはちょこんと座った三毛の猫が一匹、ヨルの魔法陣に照らされていた。
「人間、どういう仲かしらないけれど、神様に無礼のないようにな」
更に声が聞こえる。その方向にも猫。いや、よく周りを見てみれば10匹を超える数の猫がこの屋上に集まり、魔法陣の中にいた。
「ね、猫が喋ってるっ?!」
「うるさい人間だわね。この陣の中にいる間、私達はひとつ上の存在になれるの。だから、その力で私達の言葉を使うことが出来るのよ」
「レイカクがあがる、というそうな」
「人間や他の動物でも同じらしいぞ。人間の場合はどんな風になるか知らんが」
「そもそも、あんたも普通の人間じゃないじゃないか」
周りに佇む猫達が思い思いに声を上げていく。
「そんな……こんなことが、本当に……」
「今更、ね」
狼狽する芳乃に月光と魔術の光を浴びてなお漆黒の少女が語りかける。
「人間の常識でもう物事を判断するのは辞めたほうが良いわ。貴女自身がそうであり、貴女はもうそれを知ってしまっているのだから」
「そう、ね……。もう散々非常識は見てきたものね」
芳乃はため息混じりにそう言いながら、青白く光るコンクリートの床に腰を下ろした。石の冷たさを微塵も感じさせない不思議な感触だった。
「この猫達も魔法か何かで連れてきたの?」
近くで香箱座りをする灰色と薄い茶色の混ざった毛色の猫を撫でながら芳乃は問うた。
ここはビルの屋上。普通であれば屋上への扉の鍵はもちろん通常の出入口も施錠されているため不可能だ。また、隣のビルから猫が飛び移るには難しい距離が横たわっている。
「階段さ。神様が俺たちのために、俺達のためだけの階段を集会の日にだけ作ってくれてる」
やや太り気味のトラ猫が芳乃に近づきながら答える。
「は、はぁ……。ていうか、神様ってヨルちゃんのこと?」
「ヨルチャン?神様のことか?そこにおわす方が私達の神様だ。……本当は違うらしいのだが、遠い昔から在って神に近いところまでいったあの方は神様と呼ぶにふさわしい」
太り気味のトラ猫は器用に後ろ足で立ち、前足で方向を指し示て言った。
そこにはやはり月明かりと魔法陣の明かりを浴びて佇むヨルがいた。
「私をヨルと呼ぶのは、この世界で貴女だけよ。私には名前がないから、この子たちにも好きな様に呼ばせているの」
「そうなんだ……。ねぇ、ここで何をしているの」
「集会」
ヨルは目を閉じそっけなく返す。
「いや、集会で何をしているのかなって……」
「ただ集まるだけだよ、人間」
「やることなんて集まった顔で違うさ」
「人間も同じじゃないか?用がないけど集まるってさ」
「最近あったこととか、愚痴とか、うわさ話もね」
「怪我したり、体壊したときも来るね。魔法陣の中で休むとすぐ治るのさ。ありがてぇ」
「神様に頼まれた調べ事なんかも報告にくるね」
魔法陣の薄明かりに照らされた猫達が各々に芳乃の問に答えていく。
ふと伏せた一匹の猫が顔を上げてヨルに近づいていく。
「あー、神様、すんません。言われたこと全然手がかり無しっすわ。いないんじゃないっすかね。そんな人間」
「いないかもしれないし、いるかもしれない。隠れたり隠すのは得意な人種だから。無理しなくていいから地道に探して」
崇められる少女は毛深い信者の喉を撫でながら言った。
「うっす」と敬意があるのか無いのかよくわからない言葉遣いの猫は返事をすると、他の仲間達のところへ戻っていった。
「ヨルちゃん。誰か探しているの?良かったら手伝おうか?」
芳乃の申し出にヨルは満月のような金色の瞳でもみつめ、一呼吸して言った。
「……魔法使いを探している。死から人を呼び起こせる術が使える魔法使い」
「え、それって……。もしかして」
「そう、私のこの体の男の子、テオのこと」
まだ芳乃も一度しか見たことのない慈愛に満ちた顔でヨルは自身の体の胸に指を当てる。
「世界中を蘇生の魔法を探して旅したけど、どれも上手くいかなかった。近くにある浮遊霊の魂を無理やり入れるもの、死後1日以内に行わなくてはいけないもの、体を動かすだけのもの、術自体が発動しないものも多かったわ……お陰で色々と出来るようになったけど、欲しいものはまだ手に入ってない」
目を伏せて黒い少女は語る。その言葉は悲しげだったが、不思議と諦めの鱗片は見当たらない。むしろ強さすらを感じさせる。
「どれ位探しているの、その死者蘇生の魔法……」
「さぁ……。100年ぐらいかしら。昔の大きな戦争が終わってしばらくしてからだから」
「そんなに長い間……。そんなに、好き、なんだ……」
「ええ。好きよ」
即答。微塵の迷いを感じさせない言葉。そして人間ような―――まるで幸せのただ中にいるような新婦のような―――、表情で黒い少女は応える。
「大好き。そう気がついた時には手遅れだった。もっと話していたかった、笑顔を向けていて欲しかった、側に居たかった。でも、それに気付いたのは彼が冷たくなってからだった。……だから、私は蘇らせる。どれだけの時間がかかろうと、どんなことしても」
そう言って夜空を見上げる黒い少女の悲哀の篭った独白はブラックダイヤの様に深い色を湛えながら、強く輝いていた。
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