第1話 密室殺人性
7月16日AM11:00
県立琴浦高校 プール 女子更衣室
「女子更衣室」というのは我々紳士からすると、永遠に足を踏み入れる事のできない、しかし誰もが一度は足を踏み入れたいと願うであろうそんな場所だ、いわばsanctuaryなのだ。(この場合は本来の意味である『聖域』よりも、『保護区』の方が言葉のニュアンスとしては合っていると思う。)
そう、そのsanctuaryに今、25歳にして俺、
擦りガラスの割れたアルミ製の古い引き戸を開け、俺はついに聖域への記念すべき第一歩を踏み出した。
「・・・中は思ったより汚いんだな。」
「そんな事を言っている場合か。君もほら、これ持って。」
上司であり雇い主であり名探偵の空五倍子が俺にあてがったのは虫眼鏡だった。
いつだったか、彼氏にもらったピアスを、もらった日の晩に自分の部屋で紛失したアホ女の依頼を受けた時に、散らかったOLの部屋を2人で虫眼鏡片手に一晩中捜索した事があった。
結局見つからず、お手上げ状態で依頼主に詫びを入れようとしたところ、空五倍子が依頼主の服のポケットから、風呂に入る前に一旦入れておいてそのまま忘れ去られていたのであろうピアスを見つけ出し、事件は無事解決したのだった。
あの時、俺は仏の道に一歩近づいた気がした。
そんな思い出深い虫眼鏡を手渡されて俺は内心穏やかではなかったが、彼女が必死に更衣室の壁のシミを虫眼鏡で観察しているのを見て、なんとも言えない気持ちになってしまった。
正直なところ、俺は空五倍子に惚れているところがあった。
でなければ、恩があるのは確かだがタダ働き同然でこき使われたりはしないし、こうやって二人で一緒に絵本の真似事をしたりはしない。
性格面では問題点しか見当たらない彼女だが、謎にぶつかった時のあの嬉々とした、何か面白いものをみつけた少年のような表情と、どんなくだらない依頼にも真摯に、バカ真面目にとりくむ姿勢とその真剣な横顔に、俺は惚れてしまっていたのだ。
これ以上は本稿の趣旨から逸脱してしまうので避けるが、この儚い恋心がちっとも報われていないのは一目(一読?)瞭然だろう。
虫眼鏡を構え、俺は後ろにいる松坂警部補の鼻の穴を拡大して見た。
「ふざけないで真面目にやっていただきたいのだが。」
鼻の穴をヒクヒクさせながら、ダークスーツに身を包んだ長身の刑事がこちらを睨みつけてきた。
「うちの方針にケチをつけないというのが条件でしょう?」
「辻占、先輩で遊んでないでこれを見てくれ。」
空五倍子が何か発見したらしい。気づけば俺の真隣で、更衣室の引き戸を眺めていた。視線の先には、古いアルミ製の引き戸には似合わない、後から取り付けられたとみられる安っぽい内鍵があった。
「内鍵だな。」
「先輩。」
呼びつけられて松坂警部補も更衣室内に入った。
「どうした?」
「事件当初、確か第一発見者が、職員室の鍵庫にプールの鍵がないことに気がついて、プールに来てみると女子更衣室の引き戸の隙間から血が流れ出ていることに気づき、慌ててドアを開けようにも鍵がかかっていて開かなかったのでこの擦りガラスを割って、中を見たんですよね。」
「そうだ。」
「ふむ。」
何か考えているのか、ちっともサッパリわからないが、自分なりに納得がいく考えでもできたのか、空五倍子は更衣室の入り口入って左側の、ロッカー付近と出入り口付近を遮断するカビだらけのカーテンをつつきながらブツブツ何事かをつぶやいていた。
そして、
「よし、今の所はこれで充分です。」
元気よくこちらに振り返り、虫眼鏡をオーバーオールのポケットに入れた。その仕草がまた、、、いやこれ以上はよそう。
「何か収穫はあったのか?とりあえず現場から先に見たいというお前の要望通りに連れてきたが。」
松坂刑事が不安そうな表情でたずねた。ごもっともである。
今朝、警察署で俺たちを出迎えた松坂警部補に、空五倍子は開口一番「現場をこの目で見てみたいです」と言った。
俺自身は既にニュースや新聞で事件のある程度の概要は知ってはいたが、空五倍子は依頼を受けてからというもの、事件関連の報道を一切見聞きしようとせず松坂警部補にも「詳しい話は現場を見てから聞くのでとりあえず現場に。」と、依頼を受けるにもまず第一に現場を見てからだと主張し続けた。
空五倍子曰く
「つまらないゴシップや、頭の固い警察の見解を聞いて、変な先入観を持ちたくないのだ。とりあえずまずは自分の目で現場の様子を見て、なにが起こったのか推察したい。」のだそうだ。
俺たち2人は学校を後にし、警察署に向かう車の後部座席で初めて松坂警部補から事件の概要を話してもらった。
「7月11日月曜日、午前6時頃、県立琴浦高校。プールの女子更衣室で男性の変死体が発見された。
発見当時、当番で学舎の鍵開けにやってきた第一発見者が、職員室の鍵庫からプール棟の鍵(プール入り口、更衣室、用具入れ兼機械室の三つの鍵をまとめたもの)がなくなっていることに気づき、不審に思いプールに向かったところ、出入り口は空いており、女子更衣室の入り口から大量の血と思われる液体が流れ出ているのをみた発見者は慌てて引き戸を開けようとしたが鍵がかかっていた。
念のため持ってきておいた合鍵で引き戸の外鍵を開けようとすると、鍵は開いており、引き戸には内側から鍵がかかっていた。
先ほど空五倍子がじろじろ見ていたあの内鍵だな。アレは後から取り付けられたもので、手でひねって開け閉めするタイプのやつだ。
で、発見者は用具入れから工具を持ち出してガラスを叩き割り手を内側に回して鍵を開け引き戸を開けた。そして被害者の惨殺死体を発見したということだ。
発見後パニックになりながら警察と救急車を呼び、すぐに緊急連絡先である教頭に電話を入れたそうだ。
ちなみになくなったと思われていたプールの鍵は女子更衣室ロッカー前に脱ぎ散らかされていた被害者のものと思われるズボンのポケットから発見されたんだそうだ。
死亡推定時刻は午前0時から2時の間とみられている。
被害者の名前は鈴木 秀俊《ひでとし)、年齢は35歳で独身。琴浦高校の数学教諭でクラス担任もしていた。
担当クラスは、2年B組。
上司曰くは少々ガサツなところがあるが仕事には真面目で後輩教師の面倒見もよく、数人の若い教師を引き連れて良く呑みに行ったりもしていたらしい。生徒からも概ね好かれており、、」
「まるで模範的な人間像ですね。だからこそ・・・いえ、続けてください。」
空五倍子が口を挟んだが何かを言いかけてやめた。
松坂警部補には空五倍子の言いたいことがわかったようで、空五倍子が言いかけた質問に答えた。
「だからこそ上司の『少々ガサツな所もあるが』という人物評価が気になる。か?そうだな、まあ恐らく『少々ガサツ』ではないのだろうな。他の同僚にも同様の聞き込みをした所、被害者の後輩に対する乱暴な素振り、特に酔った時の酒乱っぷりは酷いものだったという。学生時代は柔道をずっとやってきたらしい。後輩いびりの癖が抜けてないんだろうが、そんなもん縦社会では良くあることだ。殺人動機になり得ると言えるのかどうかも怪しい所だ。」
「タテシャカイですか。私には良くわかりません。辻占、君はどうだ?」
「俺か、まあ中学高校とボクシングやってたけど、やっぱり先輩の言うことは絶対みたいなのはあったかもしれないな。」
「・・ふむ。被害者についてはもういいです。引き続き事件についてお願いします。」
「ああ。・・で、最初に行ったが被害者は変死体、それもかなり酷い状態で発見されたんだが、まあ怨恨だろうと思われる。犯人はよっぽど被害者の事を恨んでいて、被害者の体を切り刻み。」
「どのような状態だったか、写真か何かは残ってますか?」
当然だが発覚後5日も立っている事件の現場に被害者の遺体が残されているはずもなく、俺たちが先程あの更衣室で見たのは床一面に広がった黒々とした結婚だけだった。
「あるよ。遺体は司法解剖されたが、犯人のものとみられる痕跡は何一つとして出てない。というかその、まあアレだ。見たらわかるさ。」
助手席に座った松坂警部補の表情があからさまに暗くなったのがバックミラー越しに見えた。
「うむ。しかしお腹が空いてしまった。先輩、せっかくなので名物のうどんが食べたいのですが、この町は美味しい店多そうですし。」
「飯は、、うむ。時間帯も12時まわってるし、連れて行ってもいいが食べすぎるなよ。」
「何ですか、我々の食事代も全部経費で出すからあまり金はかけられないと?」
「いや、うどんなんていくら食っても知れてるよ。俺が言いたいのはその後の話だ。」
警部補の言いたい事はわかる。
かなり酷い状態なのだろう、被害者は。そんなものをこれから見にいくのに、腹一杯食べていくべきではないという事なのだろう。
空五倍子はどうなのだろう?そういうのには耐性はあるのだろうか?俺は昔の仕事上酷い死体を目にする事も少なくなかったので耐性は一応持っているつもりだったが、とりあえず空五倍子のためにコンビニで買い物をし、レジ袋を用意しておくことにした。
7月16日PM1:00
K県 琴浦町 某所
「本当に・・お前は殺してないんだな?」
「私じゃない。お願い、信じて。」
「信じて?信じられるわけ・・・ないだろ。」
康介は目の前で涙を流しながら正座している恋人の顔から目をそらし、部屋の窓越しに空を見る。
雨は止み、雲も大分少なくはなっているが空は未だ黒に近い灰色で、外は昼間だというのに薄暗かった。
まるで今の自分の心の中のようだ。そう思いながら憎々しげに曇り空から再び眼下に視線を落とした。
何か言おうと口を開いても、言葉が出てこない。喉元まで上ってきている諸々の怒りや憎しみを全て目の前の少女にぶつけてやりたかったが、その気力すら湧かなかった。
「本当にごめんなさい。でも私、」
「もういいよ。」
弁明なんて聞きたくなかった。自分を裏切ったこの女は、涙を流しながら謝っていれば許してもらえると思っているのだ。
康介は押し上げてくる感情を抑え、必死に理性を働かせ、少ない語彙からより冷酷でより隙のない言葉を探したが、そんな言葉を人に向かって投げかけた事のない彼の口からは、相手を責める言葉すら碌に出てこない。
「もう、何もかもうんざりだよ。俺だって・・俺だって怒ればいいのか、泣けばいいのかすら訳わかんねえんだよ!」
涙とともに本音を流すしか彼にはできなかった。
「なんで、なんでこんな事になっちまったんだよ。俺が、俺がお前に何か悪い事したのか?俺が悪かったのか?」
「私にもわからないのよ!」
秋の語調が少し強くなった。正座は崩さず、涙を拭いながら下を向いて肩を震わせている。
「先生が、誰かに殺されるほど恨まれるような事してたなんて・・・そんなこと」
よくもまあここまで無神経なことが言えるものだ。康介はそう思い
ながらも理性で秋に語りかけた。
「少なくとも俺は恨んでるよ。」
「殺してやりたいぐらいにね。まぁもっとも、恨んだって当の本人は既に死んじまってんだ。」
言葉に詰まりながらではあるが、考えうる限り最大限残酷な言葉を選びながら喋った。あくまで冷酷に。この元恋人に隙を見せぬように。
「そ、そんな言い方」
「もういい、お前とはもう話もしたくないし顔も見たくない。だが」
理性を必死に保ち、湧き上がる感情を少しずつ相手にぶつけていく。
「だが、警察が犯人を捕まえるまでは変に怪しまれないように今まで通りすごすしかないだろうな。だからそれまでの間は仮面夫婦ならぬ仮面カップルでいよう。事件解決次第、お前とは縁を切る。
康介の幼馴染であり秋の親友でもある間宮
汚点は秋にある。だからこそ、秋に事の全てを話させる。これは康介からのささやかな復讐でもある。
「じゃあ、俺もう帰るよ。二度とここにも来る事はないだろうけどな。」
「本当にごめんなさい・・」
そうやって謝り続けて、許してもらうのを待っていればいい。そう思いながら康介は恋人の家を後にした。
真犯人は警察よりも先にこの手で突き止めてやる、自転車に乗って生ぬるい風を浴びながら、そう決心した。
そして、もし真犯人が秋だったなら、そのときはこの手で彼女を鈴木の待つ地獄へと落としてやる。
それこそが彼の思う最大にして最悪の復讐だった。
7月16日土曜日PM1:15
K県琴浦町 琴浦警察署署内小会議室
松坂警部補に見せてもらった写真の数々はまさにショッキングそのものだった。
被害者の死体は服を脱がされた状態で更衣室出入り口の引き戸に足を向けて、仰向けで大の字になって寝かされ、まず顔面がぐちゃぐちゃに切り刻まれていた。特に鼻から下はもはや人間の顔の形を捉えておらず、ミンチ状態といっても過言ではなかった。歯の一本一本は丁寧に抜き取られ、その全てが両目の眼球に差し込まれていた。
首には喉仏のあたりに深い切り傷があり、死因はこの切り傷とのことだった。即死であった事を祈りたい。
両手は手首から先が切り落とされ、これらも行方不明。
そして極め付けは股間で、男性器のあったであろう部分一帯が抉り取られていた。
さすがにこんなものは映画なんかでも見た事がなかった、俺は全ての写真を見ている間嫌な汗を大量にかいた。
「さすがに相当な恨みがなかったらこんな目には合わせんだろう。仏さん、いったい何をやったんだろうな。」
松坂警部補も、強行犯担当の刑事でさえもあまり見ていられないのだそうだ。
写真でよかったと思った。これは実物は見る気にはなれない。
と、ここで、先ほどから会議室の隅にうずくまってビニール袋に井の中の物質を吐き出し続けていた空五倍子が初めて嗚咽以外の声を発した。
「なるほど・・ほへなら、でゅ、充分。」
あまり食い過ぎるなと言われていたのに・・・
こちらに振り向いたその顔はもう大変なことになっていた。
充血した両目からは涙がどくどく流れ、鼻水が垂れ、口周りは吐瀉物で汚れていた。とてもじゃないが他人に見せられたものではない。
「何が充分なんだ?」
笑いをこらえながら俺が聞くと、探偵はティッシュで口周りを吹き、鼻をかんでから答えた。
「まず、被害者は身長180cmです。そして柔道有段者。体格もかなりいい方ですね。」
「そうだな。何が言いたいのかはわかる、犯人はどうやって死因となった刃物での首筋への一撃を加えたのか。だろう」
松坂警部補が机に広げられた写真をまとめながら言った。
「その通りです。しかし、私の立てた仮説ならこれは簡単に説明できる。
・・・まず、何故犯人は殺した後犯人の死体をこんな状態にしたのか。これについて、警察はどのようにお考えです?」
「おそらくはかなりの恨みがあってやったのか、それかこの事件はイカれた殺人鬼の犯行で、犯人からのメッセージか。」
「ふむ。ドラマチックですね。しかしこう考えたらどうでしょう。犯人は自分の意思で死体を傷つけたのではなく、そうせざるを得なかった、必要にかられて性器を切り取り、手を切り落とし、顔を潰した。」
必要にかられて?死体を切り刻む必要にかられることなんてあるのか?そう言いたかったところだが、またしても優秀な松坂警部補に先を越されてしまった。
「なるほどな、そういうことか。手に性器、口。ねぇ。」
ボソッとつぶやいた警部補の言葉で俺にも空五倍子の言いたいことがようやくわかった。
「そう、証拠隠滅。犯人は被害者の指や口、性器に自身の痕跡を残していた。まあそういうことです」
「そして、証拠隠滅のためにこれらの部位全てを犯人の体から切り取った。そして焼くなりトイレに流すなりでもしたんでしょうね。つまり犯人は女性、そして被害者をプールの更衣室に呼び出し、行為に及んで、その最中で隙を見せた被害者の首筋に隠し持っていた刃物で斬りかかった。その後、地獄のような死体解体ショーが行われたということです。」
死体解体ショーという空五倍子らしくもないジョークを使うあたり、やはり先ほどの写真でだいぶ参っているのだろう。それでも推理は冴えているのだから大したものだ。
「ふむ、確かに。言われてみれば。しかし犯人が女性、か。」
松坂警部補がうんうんと唸っていた。
「まだ考えが一つあってですね。これは先ほどの辻占の質問への答えにもなるのですが」
何が充分なのだ?という問いに対しての答えだろうか。
「なぜ犯人がしたいを切り刻む必要があったのか、それは証拠隠滅とともにもう一つ、重要な理由があった。これを説明するためにはまずあの犯行現場について詳しくお話ししなければなりません。」
「空五倍子」
ここで松坂警部補が口を挟む。
「俺はその名探偵特有の回りくどい話し方は嫌いなんだよ、何かわかったんならわかった事から先に行って、詳しい話はその後にゆっくりと」
「聞く気がないのなら聞いていただかなくて結構ですよ。私も話を聞く気のない人に協力するつもりは毛頭ありませんから。」
ウチの上司は、今回の依頼の報酬が後払いである事を忘れたのだろうか、いたずらに依頼主の神経を逆撫でして本当に帰る事になったら交通費及び旅費が全て無駄になるというのに。
「いや、すまん。続けてくれ。」
「結構。ではまず、この事件の“密室殺人性”について話して行きまし
ょうか。」
聞きなれないワードだった。
「“密室殺人性”?とは?」
「まぁ私が今適当に考えた造語みたいなもんだよ。読んで字のごとく、つまりあの女子更衣室がどれぐらい密室だったか、みたいなね。」
「密室にどれくらいもクソもないだろう。あるのは密室か、密室でないかじゃないのか?」
「そう。そしてあの惨殺死体が自殺ではない以上、あの女子更衣室は完全には密室ではなかったということになる。
しかし考えてみてくれたまえ。
発見当時、引き戸は外鍵が開いており、外鍵とは全く別物の、つまり外鍵と連動していない内鍵だけが閉まっていた。
そして女子更衣室にはあの引き戸以外には天井付近の壁に開けられた通気口以外、窓も扉もない。そして通気口はとても人間が通れるような大きさのものではなかった。つまりこれがどういうことか、わかるね?」
「密室殺人・・・か。それで、警察も捜査が難航してウチに依頼を?」
密室殺人というと大体本当は完全に密室ではないのだが、今回の件においては現在わかっている事実を述べる限り、部屋は完全に密室であったとしか言いようがない。それで警察も困り果てて最後の手段として民間の、こんな胡散臭い私立探偵に助けを求めたのか。
「しかし密室だったってのはあり得ないだろう。切り取られた犯人の性器や掌だって、凶器だって、犯人だってその場にはなかったんだ。」
「いや、完全に密室だったね。犯行当時はね。」
「どういう意味だ?犯行当時密室だったのが、密室じゃなくなったってのか?」
空五倍子が前髪をいじりながら答える
「そうだ。そして犯行当時密室だったものが密室でなくなった瞬間、犯人はその場を出て行ったのさ。そしてそのためにあの死体が創り上げられたのさ。
・・・先輩、第一発見者は若い男性教諭ではないですか?」
「うん?なんでそれを?言ったっけか?」
しばらく黙って空五倍子の話を聞いていた松坂警部補がぽかんとした表情で答えた。
「いえ、後は発見者の人柄が詳しくわかればいいのですが。」
「あ、ああ。えーと、第一発見者は・・佐野
「真面目で、パニックを起こしやすい青年。そんな人物があの現場を見たらそれはそれはびっくりするし、恐ろしくて近寄ることはおろか直視もできなかっただろうな。」
空五倍子が何を言いたいのかわかってきた気がした。密室殺人性というのは、どれぐらい密室なのかという曖昧なものではなく、どの時点までが密室であったのかということなのか。
「ガラスを叩き割り、内鍵を開けて引き戸を開けたらそこには変わり果てた姿の尊敬する先輩教師、おそらく悲鳴とも絶叫ともつかぬ声をあげて腰を抜かし、暫くの放心状態の後、自分は現場を荒らさないように急いで警察に電話をしようとしたのだ。しかし、仕事に真面目に取り組んでいる青年は、仕事上余り必要のない携帯電話は基本、自分のカバンの中に入れていた。従って通報するにも一旦職員室に戻る必要があった。」
「お見事だな。確かに通報の電話は琴浦高校からのものだった。」
「それこそが犯人の狙い通りだった。つまり、その時点まであの女子更衣室は“完全な密室”で、発見者が引き戸を開いたことによって密室状態は崩れた。」
「おい、、それってつまり・・・」
空五倍子が前髪を弄る手を止め、一回り大きな声で言った。
「そう、つまり犯人は深夜に被害者を女子更衣室に呼び寄せて斬り殺し、その後死体を最大限グロテスクになるまで切り刻み、朝、発見者がその場を訪れるまで一晩死体と共に過ごしたのだ。」
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