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えらりい

プロローグ

7月16日土曜日AM1:00

K県琴浦町 ホテル琴遊館


車のドアが閉じられた音で俺は目をさました

どうやら寝ていたらしい。勢い良くドアを閉めた当人は、今まで俺の隣に座っていたのがよほど気に入らなかったらしく、ブツクサ文句を垂れながらトランクから荷物を引っ張り出していた。

シートベルトを外し、俺も外に身を乗り出した。無愛想なタクシーの運転手に運賃を支払い、荷物をトランクから取り出すと、ホテルの出入り口自動ドア前ででこちらをイライラしながら待っている背の低い女性の姿が目に入った。

「寝ぼけていないでさっさとしたまえ。私はもう一刻も早くお風呂に入りたいのだよ。」

汗をかいてむず痒くなった後頭部を掻きながら俺はホテルの自動ドアをくぐった。

薄暗いロビーでチェックインを済ませ、ふた部屋分のカギを受け取ると、俺の上司であり俺の勤める「空五倍子探偵事務所」のボス兼探偵である空五倍子うつふし もみじは俺に荷物と自室の鍵を押し付け、大浴場の案内板へと歩き始めた。

「荷物は全部部屋の玄関に置いておいてくれ。ちなみに私は4階で君は5階だから。ではお風呂に入ってくる!」

温泉が有名なこの旅館で、温泉好きとしては一刻も早く風呂に入りたかったのだろう、空五倍子はそれだけ言うと俺の視界から消えて行った。

さて、それからというもの。重い荷物を二人分担いでエレベータで4階に上がり、空五倍子の部屋で荷物を下ろし、やっとの思いで5階にある自室に着いた頃にはすでに着いてから15分も経過していた。

風呂でも入ろうかと思ったが。とりあえず手帳を見て明日の予定を確認する。


16日午前十時 琴浦署で松坂警部補に会う。


この一行だけが探偵助手であり半ば秘書のようなものでもあり、事務所唯一の従業員である俺の手帳の1ページ目に書かれていた。

ちなみに俺は新しい事件ごとに必ず手帳の中身の紙を変える。古い事件のものは全てシュレッダーにかけて消し去るのだ。

これはプライバシー保護の観点からというのもあるのだが、「どんなに小さな事件でも解決するまでその事件しか追わない。」という事務所の、空五倍子のポリシーに乗っ取るという意味合いでもある。この精神のおかげか、今まで空五倍子が捜査して来た事件で未解決事件というものは存在しない。彼女が現れたからにはどんな結末であれ事件は必ず解決するからだ。

まぁこの自信は、俺が彼女の元で奴隷または召使いとして働いてきた2年間に於いての統計的データに基づくものなのだが。


そんな凄腕探偵の元に電話がかかってきたのは 三日前、ちょうど一つのヤマを解決し終えた時のことだった。

飼い主に迷子犬を届けてやった帰りに事務所の黒電話がなり、疲れていたのにこの俺が愛想良く電話に出てやったというのに電話の主はえらく機嫌が悪かった。

「K県警の松坂というものだ。空五倍子に繋いでもらえるか?」

まさか警察からの操作依頼だなんてこの時は夢にも思わなかったので、ついに金に困ったうちのボスが何かやらかしたか、と思っていた。だが、K県警という聞きなれぬワードが耳に引っかかった。H県に住んでいるのになぜ、海を隔てたK県の警察から電話がかかって来るのか。不思議でならなかったがとりあえず俺は事務所の入り口で犬の糞を踏んでしまった靴をゴシゴシと鬼のように磨き続けているボスを呼ぶことにした。


そしてなにも聞かされぬまま俺はこうやって四国のど田舎、K県は琴浦の街までやってきたのだ。ちょっとした歓楽街があると聞いたのだが、この山々に囲まれた風光明媚など田舎にもそんなものが存在するのだなぐらいにしか思わなかった。そして俺の中ではずっと悪い予感が頭をよぎっていた。

リモコンのボタンを押し、全国区のニュース番組を流すと、やはりまだやっていた。

『5日前、K県の高校教師が変死体で発見された事件に着いて、今回は元警視庁幹部の杉山さんをゲストに迎え、お話を伺いたいと』

ここで電源を切った。あり得ない。

5日前にK県の県立高校、琴浦高校の男性教師がプールの女子更衣室で変死体(というかまぁ惨殺死体と言ったところだろう)で見つかったというこの事件。ニュース番組によると更衣室の引き戸は外鍵は空いたままの状態で内鍵だけがかけられており、事件現場は、第一発見者が引き戸のガラスを叩き割って変死体を見つけるまでは、完全な密室状態であったというのだ。

まさかとは思うが、警察がこの難事件に気が狂い、迷子犬探しと不倫調査で明日の飯代をギリギリ稼いでいる状態のわが探偵事務所に捜査協力を依頼したとなると、おれの悪い予感は全て的中することになる。

服をを脱ぎ、洗濯機に放り込んでスイッチを入れ、室内にある風呂場でシャワーを浴びることにした。

熱湯に近いぐらいの熱めのシャワーを浴びると、風呂に浸かるより体が急速に温められ、いいリフレッシュになるのだ。

寝巻きに着替え、冷たいビールでも飲もうかと冷蔵庫を漁っていると、チャイムが鳴り、ドアをドンドン叩く音がした。

「辻占君、開けろー。開けるんだ。」

棒読みに近い妙なイントネーションと妙な喋り方は間違いなく空五倍子のものだった。

一応ドアのチェーンをかけ。鍵を開けると案の定、チェーンが一瞬で伸びた。

「どうした空五倍子。何か用か?」

少し空いたドアの隙間から見える顔はかなり慌てた表情を浮かべていた。頭にはバスタオルを巻いているが巻かれたタオルの隙間から茶色いくせ毛が所々生えてきている。

「私の櫛を知らないか?荷物に入れておいたはずなのだがどこにも見当たらないのだ。君私のカバンを開けたりしてないよな?」

「すぐに人を疑う癖は探偵としては素晴らしい癖かもしれないがやはりお前の悪癖だぜ。なんで俺がお前のカバンを漁って、命よりも大事な櫛を盗まなきゃならんのだ。そんな悪趣味なことは俺じゃなくても誰もやろうとは思わんさ。」

彼女は生まれつき、とんでもない癖毛の持ち主で、風呂に入ったり水に濡らした後に、高級馬用ブラシ(櫛と呼んでいるが)で丁寧にとかないとそれはそれは酷いことになるらしい。まぁ普段からそのクルクル頭を隠すように帽子をかぶっているのだから、多少頭が爆発した程度で誰も気にはしないだろうが。

「いや、私にとってあの手櫛が命よりも大事なレベルであることを知っているのは少なくとも私の母親と君ぐらいなもんだ。つまりこの場合この悪行を働く可能性が十分にある君が犯人だとするのが妥当なのだ。」

「だからなんで櫛が盗まれたことになっているのさ?お前が事務所兼自宅に忘れてきた可能性や何かの弾みで落とした可能性は考慮しないのか?」

とても俺と同じ25歳には見えない、少女のような顔をした

探偵は、一瞬黙った。一瞬だけ。

「いや、それはない。まず第一に事務所に忘れてきた、というのはあり得ない。何故なら今日、君がタクシーの中で眠りこけてる間に一度髪を溶かしたからだ。朝少し雨が降っていたから濡れていたのでね。」

「タクシーの中で、髪をとかしたのか?じゃあお前さん。ポケットか何かに。」

「そうか!それだ!ありがとう辻占君!さすがは私の助手を務めているだけあるな!確かにトランクの中のカバンではなく、上着の内ポケットに入れていたのだった!」

それだけ言うと今度は勢い良くドアを閉め、パタパタとスリッパの音を立てて帰っていった。


我が上司にして雇い主の空五倍子椛(もちろん偽名である)はその奇怪な喋り方からもわかる通り、かなり変わった性格をしている。交渉などのコミュニケーション能力を必要とされる面においては俺が彼女の言い分を代弁することも多い。

しかし頭脳は明晰で、どんな謎にぶち当たってもいつも突然ズバリと答えを言い当ててしまう。いきなりなんの前触れもなく野菜泥棒の犯人を言い当てたりしたことも過去にあったので、俺自身超能力的なものを疑ったこともあるが、彼女なりに推理はしているらしく、最近では自分の考えを俺に言ってくれるようになった。

「婚約指輪泥棒の犯人が実は盗まれたとわめいている婦人本人で、旦那の気をひくために探偵まで雇って臨場感を出しているだけなのだ」とか、あてずっぽうで無ければ一体なんなのだ?というようなものもあったが(ちなみにこの推理?も勿論当たっていた)。

身長が低く、それをコンプレックスに感じており、身長差がかなりある俺の隣には立ちたがらない。

諸般の事情により、俺はそんな人間に雇われてしまったのだった。


冷蔵庫から取り出してからしばらく経って結露が発生しているビールの缶を開け、コップに注いで一気に飲み干した。

長旅の疲れか、その日はそのままベッドに倒れこんで眠ってしまった。



7月16日土曜日AM9:40

再びタクシーに揺られ、俺と探偵の2人は琴浦町中央にあるという琴浦警察署に向かっていた。

早朝から大雨で、隣に座っている探偵は必死に馬用ブラシで髪の毛を手入れしている。

「おい、空五倍子。それいつまでやってんだよ。どうせ帽子かぶるし関係ないんじゃないの?」

「女性が髪の毛を手入れするのにいちいち茶々を入れるものがあるか、そんなだから君はいつまでたっても独り身なのだ。」

「同い年の独り身の女に言われたくないね。まったく」

広げた新聞の見出しには未だデカデカと琴浦町での猟奇殺人について書かれてあった。

「なあ、やっぱり今回の依頼って、、、」

「松坂警部補は、私の大学時代のサークルの先輩なのだが。」

前髪を大きな洗濯バサミのようなものでとめ、モフモフした帽子の位置を調整しながらここで初めて空五倍子が依頼について話し始めた。

「先輩は、大学での成績は惨憺たるものだったらしいのだが、就職してからというもの、その活躍はめざましいものがあって、警察官になってわずか5年で警部補になったんだ。」

警部補、というワード自体は知っているが、『警察という組織の中でそこそこ偉い人ぐらいの階級だな』ぐらいの知識しかない俺には、県警の警部補が私立探偵に捜査協力を依頼するということがどれぐらいのスケールのことなのか理解できていなかった。

「そして先輩は今県警で主に強行犯の捜査についている。そして今回、先日起こった殺人事件について私に捜査協力を依頼してきたというわけだ。」

「じ、じゃあやっぱり。」

「うむ。7月11日に県立琴浦高校のプールで起こった猟奇殺人事件。その捜査協力依頼をね。」

俺の悪い予感は的中した。今まで不倫調査や野菜泥棒、迷子ペットの追跡ぐらいしか仕事のなかった探偵事務所に殺人事件の捜査協力を依頼するなんて、やはり昨今の猛暑に警察も頭をやられてしまったのだろう。

冷房の効いたタクシーの中で俺は、ひとり汗をかいた。

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