第三十二話 海の王者

 大海原を一隻の巨船が行く。普通の大船の十倍はあろうか。帆は五反ある。それがゆっくりと走る姿は小さな島が動いているようである。

 しばらく行くと、突然大船が五隻現れた。大船からは各十艘の小船が海に落とされた。計五十艘である。それが巨船を取り囲んだ。鍵縄が巨船に掛けられ、剣を持った水夫達が一斉に巨船の側面を上ろうとする。これは海賊の襲撃だ。巨船の乗組員は必死に鍵縄を切る。一本、また一本と切られ、水夫、いや海賊が海に転落する。しかし、海賊はめげたりしない。このお宝の詰まったような巨船を見逃すものではない、必死に鍵縄をかけて上ろうとするのである。巨船の命運は尽きたか。

 そこに、新たなる大船が二十隻近づいて来る。海賊の仲間だろうか。大船の船団は十隻ずつに別れた。一方の十隻は小船に向かって矢を射かける。仲間ではないようだ。もう一方の十隻は五隻の海賊船に近づき、これも射かける。海賊船からも矢が放たれ矢戦が始まる。

 小船に射かけた十隻は巨船に近づき、それにまとわりつく小船を押しつぶし始めた。小船が砕け、海賊達が海に投げ出される。大船同志の戦いは、矢戦から白兵戦に移っている。十隻と五隻、数的有利を生かして、後から来た大船の船団が有利に戦を進める。やがて海賊は淘汰され、後から来た船団の勝利となる。巨船は救われた。

 この巨船の主は、海賊から救ってくれた二十隻の艦船に非常に感謝した。そして、その頭領に「お礼が言いたい」として、使者を送った。しかし、頭領は「海賊から船舶を守るのが我らの仕事。礼など不要」として会見を断った。それでは収まりのつかない、巨船の主は、自らの素性を名乗った。「余は征夷大将軍、鎌倉の源経朝である」と。それを聞いた頭領は巨船に乗り込み、自らも名乗った。「私は平帆太郎明明である」と。驚いたのは源経朝である。かつて、父、源重朝が私淑し、後に袂を別ち攻め滅ぼした、平帆太郎明明が生きて、自分を助けるとは。目の前に立つ、この壮年の男がかつての征夷大将軍、戦の天才と呼ばれたお人か。偶然とは恐ろしいものだ。そう思った経朝は、帆太郎に語り始めた。


 我が父、源重朝は五年前、落馬が元で死んだ。公にはそうなっているが、実は愛妾、鶴の前の家で交接の際、腹上死した。恐妻である母、甘子の手前、本当の事が言えず、落馬による死であると執権、宝条良時が筋書きを立てた。その後、兄の実家が二代征夷大将軍になったが、実家は宝条氏を避け、乳母親の企比由和や、若く、自分の思い通りになる人材を登用し、古老の重臣達の不興を買って、結局、伊豆の修善寺に幽閉、そこで宝条氏の手の者に暗殺された。企比由和も、宝条氏のだまし討ちに遭い散った。それらをつぶさに見て来た経朝は一種、厭世的になり、ひたすら和歌や詩に没頭し、勅撰和歌集に九十二首が入集するほどであった。政治は宝条氏を中心にした合議制が引かれ、経朝の出る番は無かった。しかし彼はそれで良かった。自分が出しゃばり、専権を敷こうとすれば、兄実家のように宝条氏に殺されるであろう。その運命を経朝は呪った。

 転機は急にやって来た。東大寺再建の為にやって来た宋人の僧、珍剣民(ちん・けんみん)が鎌倉に参見し、経朝を見るなり「将軍は宋第一の名僧、散山の長老、周富(しゅうふ)の生まれ変わりである」と言って涙を流したのである。この話しを重く受け止めた経朝は散山を拝すために宋へ渡る事を思いつき、珍剣民に巨船の建造を命じた。七里ケ浜で建造は進められ、この春、進水式となった。千人の人夫に曳かれた巨船は海に浮かぶ事に成功。経朝は宝条良時らの反対を押し切り、宋への渡航を敢行した途中に海賊に襲われ、平帆太郎明明に窮地を救われたのであった。


 そこまで、話しを聞いていた、帆太郎は突然、激怒した。

「大樹。現実逃避も甚だしいですぞ」

「何を言う。余はただ、政治が煩わしいだけだ」

「ならば征夷大将軍の位を帝に返上し、一個人として、和歌を愛で、散山を拝すがよい。亡き、重朝殿は、民の為の政治を志し、鎌倉に政権を立てた。その意思を、息子である貴方が継がなくてどうする。宝条は自らが権力を握る、その為だけに政を行なっている。それを正せるのは経朝殿、貴方しかいない」

「……」

「さあ、舳先を変えて、鎌倉に戻るのです。警護は我々がします」

「しかし……」

「兵馬の大権を握るのは貴方です。民を守れるのは貴方だけなのです」

「余は恐れる。母、甘子。執権、宝条良時。二人の力は強大だ。余は二人に殺されるであろう」

 経朝は打震えた。

「ならば、護衛に我が息子、源太郎明光を差し上げましょう。文武ともに、私が育て上げました」

「源太郎殿は強いか」

「ええ、私の若い頃よりも強いです」

「賢いか」

「四書五経を諳んじます」

「源太郎殿をこれに」

 源太郎は船を何艘も飛んでやって来た。

「大樹。源太郎明光でございます」

「なんと、涼やかな鼻梁。なんと勇ましい眉。明明殿。明光殿を戴いてよいのか」

「ええ。いかようにもお使い下さい。そして、我が父、我が叔父、そして重朝殿が成せなかった、民の為の国作りを是非にも」

「おう」

 経朝はその気になった。

「明明殿も出府なされぬか」

「私は海の一族の誇りを持って、四海の平和を守ります」

「そうか」

 巨船は舳先を鎌倉に向けた。


 源経朝は鎌倉に戻ると、平明光を従え、『民の為の政』に没頭した。その変わりように、母、甘子、執権、宝条良時ら古老の重臣は驚き、恐れた。『民の為の政』など、絵空事、出来っこない。政は武士の為に行なわれるもの。それを無視する経朝は鎌倉政権に取って害成す。始末しなければいけない。良時は、亡き実家の次男、僧になっていた苦行(くぎょう)に経朝暗殺を密かに命じた。次期将軍に推挙することを条件にして。決行は右大臣昇進を祝う鶴岡一萬宮参拝においてだった。その日は雪だった。巻き添えを嫌った、宝条良時は体調不良を理由に太刀持の役を源外章(みなもとのそとあき)に譲った。雪の夜道を参拝する経朝、そこへ、

「父の仇」

 と苦行が襲いかかる。その刹那、

「ははは」

 と経朝が笑った。そして、束帯を脱ぎ捨てると、

「われは、平源太郎明光。暗殺を予期して、経朝様と入れ替わったのよ」

 と大音声を上げた。

「何っ」

 驚く苦行。

「やあっ」

 明光は家宝の名剣『新帝玉剣』を抜くと、苦行を切り捨てる。

「良時様、は、話しが違う」

 苦行は斃れた。


 経朝は源太郎明光を副将軍にした。当然古老からは反発の声が上がる。

「逆賊の子を副将軍にするとは」

 だが一方宝条氏の専横を嫌う勢力は喝采を上げた。和賀氏、二浦氏辺りである。

 源太郎明光はそれらを見て、辟易した。

「大樹、権力には闘争がつきものですが、この鎌倉のそれは醜い」

「そうだが、余にはそれを止めるすべが無い」

「前例を作りましょう」

「前例とな」

「蝦夷地の東朝を西朝と合体させるのです。朝廷が二つある。上が勢力争いをしているから武士階級が争いを起こすのです」

 そう言うと、明光は防寒着を用意し、蝦夷地に向かった。東朝は藤原不足を亡くし、政権の態を成していなかった。東の今上帝、後黒河は、

「讃岐宮との合流はあり得ない」

 としたが、明光は粘り強く交渉した。相手は零条逸在。切れ者だ。

「三種の神器をお渡しください。さすれば、寒冷の蝦夷地から都に戻る事が出来ます」

「それは今上帝にご退位願うと言う事か」

「そうです。しかし、東の今上帝には上皇の地位について頂き、それなりの格式を持ってお迎えします」

「我が朝の皇太子は帝に付けぬのか」

「両統順番に帝位に就くのはいかがでしょう」

「讃岐宮の次は播磨宮でなく伊勢宮様が帝位に就くのだな」

「そうです」

「讃岐宮が納得するか」

「していただきます」

 そう言うと明光は西の都に急いだ。

 二ヶ月後、西の都に着いた明光は新帝に面会した。

「取り次ぎの方に申し上げます。私、平帆太郎明明の一子、平源太郎明光と申します」

 御簾が動いた。

「帆太郎の子、明光とな。直答を許す」

 新帝が御簾を開き、明光に近づいた。

「朕は其方が赤子のころ、ここで逢っている」

「はっ」

「帆太郎は生きておるのだな。健勝か」

「はっ」 

「そうか、良かった。今日は何用で来た。用件は早々に済まし、帆太郎の話しを聞かせよ」

「はっ。帝には少々、お耳が痛いと思いますがお聞き下さい」

 帆太郎は東朝との合流についての話しをした。

「うぬ。納得は出来かねるが、帆太郎の息子が命がけで話しを付けて来たなら無には出来ない。それで、民が安んじるなら仕方あるまい」

 新帝は折れた。

「それより、帆太郎の話しを」

 新帝は無心した。源太郎は話し始めた。

「父は、重朝殿の攻撃から逃げた後、海賊の難破時化丸に助けられ海上に逃げました。そこで時化丸の手伝いをして、『海賊の海賊』をやっておりました。そのうち、時化丸は病を得て死去し、その後継に我が父がなりました。父は行動範囲を日の本、宋、朝鮮半島に留まらず、西の洋にも向けました。海あるところに海賊はあるからです。しかし、西の洋では国が許可を出して、他国の船を襲っていいという制度があり、父は衝撃を受けました。結局西の洋の海賊退治は諦めました。その代わり、商業の流通航路を開きました。それでかなりの利益を得ました。そして日本近海に帰って来ました。父は交易で得た利益で、恵まれない子らの養い親をしております。もちろん海賊討伐も忘れてはおりません。今日もきっと、海賊を見つけ退治している事でしょう。父には祖父、巨鯨将軍の血が色濃く流れております。今の仕事が天職かもしれません。陸上の戦よりも海上戦のほうが得意のようです」

「そうか。ならば、朕の元に帰って来る事はないな」

「残念ながら」

「ならば、『海上大将軍』の官位を授けたいが」

「きっと、辞退するでしょう。父は自由を愛しております」

「そうか」

 新帝は昔を思い出したのか、目に涙を浮かべた。

「思えば、帆太郎には無理をさせ続けた。今、自由を謳歌しているというなら、そっとしてやるべきだな」

「ありがとうございます」

 

 空は青い。

 海は蒼い。

 空は雲一つなく晴れ渡り、海は波穏やかで風はさわやかだ。一瞬青蒼の中に吸い込まれそうになる。

 帆太郎は甲板の上で午睡していた。光姫とおときは繕い物をしている。大斧大吉と小吉は斧を磨いている。梅田大輔は物見に立ち、警戒に怠りはない。木偶坊乞慶は薙刀で下士達を特訓中だ。蟹丸、茹で蛸は烏賊蔵と呑気に釣りをしている。

「貴方」

 光姫が帆太郎を呼ぶ。

「ああ」

 帆太郎は欠伸を一つした。

「おだやかな海はいい」

 帆太郎は呟いた。

 今日は、海賊は出ないようだ。

「光、物見に上がろう」

「はい」 

 二人は物見台に上がった。

「この大海原を見よ」

「素敵ですね」

「海には渡世のしがらみがない」

 帆太郎は言った。

「地上の源太郎が心配ですわ」

 光姫が経朝と共に鎌倉へ行った明光を思う。

「大丈夫、あいつならきっと大事をなす」

 そのとき、二人は見た。巨大な鯨が浮かび上がり潮を吹くのを。

「鯨はこの世界で一番大きい生き物と言う。そして自由だ」

「まあ」

「私も鯨のように自由な海の王者でありたい」

 帆太郎と光は寄り添って、いつまでも海を見ていた。

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平帆太郎伝 よろしくま・ぺこり @ak1969

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