第二十八話 智謀
征夷大将軍、帆太郎が死んだ。
それを聞いた新帝は嘆く事甚だしく、床に臥せってしまった。政務は左大臣の藤原不平等が代理で執り行う事になった。まず不平等は源来光、源親政を呼んで叱責した。
「お主ら、源氏の重鎮が揃っていながら、大将軍の暴走を止められなかったとは情けない。その上、大将軍を失うとは前代未聞の事や」
「申し訳ございません。しかし、大将軍の戦略自体は間違っておりませんでした。実際、武蔵守を後一歩まで追い込みました。全ての敗退の原因は風花太郎平光明の登場でございます。彼が出て来たばかりに戦場が混乱し……」
来光が言い訳を続けようとすると、
「愚か者め! 風花太郎平光明という者は二十五年前、坂東にて反乱を起こし、当時の征東大将軍、藤原只今に討ち取られて死んでおるわ。死んだものが何で出てくる?」
不平等は激怒した。
「しかし左府(さふ・左大臣の事)様、彼は実際生きておったのです」
親政が言う。
「源氏の頭領二人が、これほど愚かだとは思わんかった。大方狐狸の類いにからかわれたのやろう。誠に愚かや。両者とも領国で謹慎せよ」
不平等は言い放った。
政庁を出ながら来光と親政は、
「左府め、覚えておけよ」
と雑言を吐いて去って行った。
「さてと」
次の施策を不平等が考えていると、
「左府殿、坂東より親書が届きましたぞ」
右大臣の十条実兼がそう言いながら現れた。
「なになに」
親書を読む不平等。
「なんと生意気な。『こちらの条件を飲めば帝に帰順します』やと。野卑の分際でよく言えたものよ」
不平等は親書で鼻をかんだ後、丸めて捨てた。
「帝にこの事知らせなくて良いのか」
実兼が聞くと、
「なに、ご心痛の帝にこれ以上心配を掛けさせ賜うことはないやろ」
不平等は答え、
「何か良い手は無いかな」
と考え始めた。そして、
「よし、この手でいきましょ」
トンと手を叩いた。
源右近衛将監重朝が政庁から呼び出しを受け、伊予国より都に上って来たのは秋のことであった。
「重朝、参上いたしました」
青白い顔である。重朝はずっと気の病に苦しんでいた。それは美濃の大戦で帆太郎に瀕死の重傷をおわせた責任を感じてからずっとだった。その上、この度の帆太郎の戦死。ますます、気が滅入り、上京も断ったのだが、左大臣藤原不平等がどうしてもと言うので、重い身体をようやく起こしてここまで来た。
「よう来た、右近衛将監」
不平等は陽気に現れた。
「はっ」
返礼する重朝。それに対して不平等は単刀直入に言った。
「お主、帆太郎の仇を取らんか」
「えっ」
重朝の顔に赤みが差す。
「どうだ、やらんか」
「是非にとも、と言いたいところでございますが、体調面、兵の調達いずれも不安で、その大任お受けする訳にはいきません」
重朝は断った。武蔵守勢は今二万と聞く。しかし重朝の兵は祖父、一萬太郎義亘から引き継いだ兵二千のみ。とても敵わない。
「その事なら心配するな。其方の気の病なら、これを呑めば治る」
不平等は丸薬を取り出した。
「これはわしが宋より取り寄せたる、『元気丸』じゃ。わしも毎朝服用している。だからこの通り、政務もトントンとこなしてゆける。すべてこの薬のおかげや」
「はあ」
「それから兵だがな。わしの荘園の私兵四万がおるからな。安心せいや」
「えっ、四万」
「そうや」
なんと、この国で一番兵力を持っているのは、この胡散臭い左大臣なのだと重朝は驚いた。
「それでな、武蔵守には『帰順の条件を詰めるさかい、上京せえ』と親書を送ったから、あの要塞化された坂東を攻撃する無駄が省ける。あとはどこかに待ち伏せして一気に押し込めば勝てるのと違うか」
「はあ」
重朝は呆然としてしまった。見事な謀略、見事な作戦。
「ここまで見事な策を練られたのなら、左府様が出陣為されば」
重朝が言った。
「馬鹿言いなさるな。左大臣のわしがそこまでやってしまったら、其方武士の必要性がなくなってしまうわ。そやろ」
「はあ」
「はあはあ、言っとらんと、やるのか、やらぬのか?」
「やります」
「よう言った。なら、お主に征夷大将軍をくれてやりましょ。前任者が戦死して縁起悪いけど、ええな」
「えっ」
「はっきりせんのう。貰うのか、要らんのか?」
「謹んでお受けいたします」
「よし、ならわしの荘園の兵を呼び寄せるさかい、冬まで待て。今は稲刈りが忙しいからな」
「はっ」
重朝は不平等から剣を戴き政庁を出た。
武蔵守水盛のところに左大臣藤原不平等より親書が届いた。それは帰順の件大筋で認める方向である。しかし、条件について細部を詰めたいので一度上京して貰いたい。兵は連れて来てよろしい。というものだった。
「どう思う」
水盛は家宰の渋谷近春に尋ねた。
「兵を連れて行っても良い、とあるのでそのようにすれば心配ないのではありませんか」
「そうだな。二万の兵を出せるのは我ら平氏だけだからな」
何も知らない水盛はそう言うと弟達を招集した。
「みなよう来た。このごろの其方の忠勤振り、噂に聞いておるぞ」
水盛は穏やかに言った。前の戦で兄、風花太郎平光明こと光明法師にこっぴどく叱られた下野守森盛以下弟達は、水盛の元で新田開発、灌漑工事の方法などを学び、熱心に取り組むようになった。そして各国で起こる諸問題も水盛に頼まず、自力で解決するよう努力した。その甲斐あって水盛は他国に出張する機会が減って、内務に集中出来るようになり、自然と性格も穏やかになって来た。これも全て兄、風花太郎平光明のおかげであると感謝した水盛は毎月、帆太郎の命日である二十八日には苦災寺を訪れその菩提を祈った。彼は帆太郎が生きている事を知らない。
「兄者、ようやく都との和睦がなります。形式的には帰順ですが、我らの言い分も取り入れてくれるようです」
水盛は兄、光明法師に報告した。
「そうか」
「この冬、一族挙げて都に上り、武者揃えをするつもりです。兄者もいらっしゃいますか『昇竜漆黒縅』を着て」
「水盛、冗談も上手くなったな」
「いやいや。しかし心が軽くなったのは確かです」
「そうだな。お主は責任感が強過ぎた」
「兄者の存在が皆に知れてようございました」
「お主にとってな」
「はい」
「だが、上京の事。気をつけるが良いぞ。左大臣、藤原不平等は、くせ者。どんな卑怯な手を使って来るか分からぬ」
「はい。しかし兵二万もいれば怖いものなしでしょう」
「帆太郎の亡霊が出るかも知れぬぞ」
「ご、ご冗談を」
「ふふふ」
「ははは」
兄弟は笑った。
帆太郎は目覚めていた。しかし、問題があった。記憶が無くなってしまったのだ。自分の名前は分かる。帆太郎だ。しかし、あとが分からない。大斧大吉も小吉も梅田大輔も木偶坊乞慶も蟹丸も茹で蛸も、もちろん父、光明法師も分からない。ただ一つ覚えているのは光姫との思い出である。毎晩、毎晩、「光、光」とうなされる帆太郎を見て、
「おらが都に行って光姫様をお迎えにいくだ」
大吉が言うが、光明法師は、
「駄目だ。光姫は今、父上の対馬守殿のところに居るらしい。下手をすると帆太郎が生きている事が皆に知られてしまう」
と言って許さなかった。
「何故、知られては行けないのですか」
梅田大輔が聞くと、
「帆太郎は戦の天才だ。その一方、戦の火種でもある。帆太郎が生きていると知れば、それを利用しようとするものが必ず現れる。例えば、蝦夷地の帝、と言うより太政大臣藤原不足。陸奥の奥の俘囚軍。陸奥守、出羽守兄弟。西の源氏一門。鎮西の衆」
光明法師は答えた。
「このまま記憶が戻らないのであれば、いっそ大陸にでも渡らせるか」
光明法師が言った。帆太郎の事である。
「大陸って、宋ですか」
大輔が聞く。
「それもあるが、大陸には様々な国があると言う。どこかに帆太郎の居心地の良い場所があるやも知れぬ」
「だけんど、光姫様と離ればなれはつらいぞ」
大吉が言った。
「だから無理だといっておるだろ」
光明法師が怒ると、
「拙僧が上手く攫ってきましょう」
乞慶が提案した。
「お主のような大男が出現したらすぐばれる」
光明また怒る。
「いや、実際に動くのは、蟹丸と茹で蛸」
「こいつらならどこにでもいるような奴だなあ」
大吉が笑った。
「け、けどあっしらに出来ますかねえ」
茹で蛸が言った。
「無理だな」
光明法師が首を振る。
「文を書いたら」
大輔が言った。
「誰にも気付かれぬよう坂東へお越しくださいと」
「女の細足で来られるか。山賊に襲われてしまうぞ」
光明これにも大反対。
「そこを拙僧が」
乞慶が割って入る。
「そうか、そんなにまでして二人を逢わせたいのだな」
「それに源太郎様も」
小吉が言う。
「親子三人仲良く手を取ってか」
光明法師は頷くと、
「親知らずの帆太郎に父が出来るのかな」
と一人問うた。
その年の冬、平氏一門は挙って都に上った。兵二万。留守居は和解した千葉秋胤と、兄弟の祖父平塚青芝がなった。
見送りには光明法師も出た。
「言って参ります。兄者」
武蔵守水盛は輿の上から手を振った。気分が高揚しているようだ。
「無事なれば良いが」
独り言する法師。ふと悪い予感にかられる。
「次郎に何かあれば、坂東はどうなるのじゃ」
ぶるぶると寒気がした。
「舅殿」
征夷大将軍、源重朝は傍らにいた義父の宝条氏時に語りかけた。ここは都の重朝の館である。
「なんですかな、大樹(たいじゅ・征夷大将軍のこと)」
尋ねる氏時。
「左府様の兵四万、我がものに出来ぬだろうか」
「それは大きな事を」
驚く氏時。
「それは左府様に背くと言う事ですか」
「いや、平氏一門は倒す。帆太郎殿の仇だ」
「はい。それで」
「そのあと私は坂東に入りたいと思う」
「都に戻らないのですね」
「そうだ」
重朝は力強く答えた。
「私は帆太郎殿が生まれ、そして死んだ地、坂東に移り住みたい」
「現実逃避ですな」
「違う。坂東は滋味豊かで野性的な地と聞く。武士には相応しい場所ではないか」
「さようですな」
「それに坂東は足柄峠と碓氷峠を塞げば他国と通じぬという」
「引きこもりですか」
「違いますって。私は坂東に武士だけの国家を作りたい。それは公家どもに命令され狗のように働くのが嫌だからだ」
「武家政権ですか。それで兵四万を自らの手に」
「そうだ。そこで交渉上手の舅殿に各荘園の侍大将と秘密裏に謀って貰いたい」
「畏まりました。我が息子、旨時(むねとき)と良時(よしとき)とで謀ってみましょう」
氏時は部屋を出た。
宝条氏時は四十五歳。重朝の正室、甘子(あまこ)の父である。その前半生は分かっていないが二十年ほどまえから伊予郡宝条に居を構え、やがて土豪となった。そして、伊予の国司一萬太郎源義亘と通じ、最初はその子、頼親に長女時子を妻合せたが、頼親は反逆の上、敗死。時子は尼になった。次に義亘の次男義為に次女旨子を嫁がせ、光姫を生ませている。つまり帆太郎の義理の祖父なのである。そしてさらに源氏との関係を密にする為、五女の甘子を重朝に与えた。つまり、河内源氏の盛衰がそのまま宝条家の盛衰なのである。ゆえに、重朝の方針は宝条家の浮沈を掛けた大一番なのである。
「よいか、旨時、良時。この隠密行動、命を懸けてなせよ」
「はい」
左大臣、藤原不平等の荘園は五畿から北陸道、東山道に掛けてあった。その一つ一つは矮小で、なおかつ、飛び地のように離れていた。ただ数は沢山あった。だから誰も不平等が四万もの兵を持った、つまり牙を持った男とは思っても見なかったのである。その兵を収奪する。その為に宝条氏時は蔵を開いた。あるだけの金と財宝を費やした。それにこの親子は口が立つ。相手の心を捕らえ、味方にするのが上手かった。元々、氏時が見ず知らずの土地で土豪に成り上がったのも口上手と人誑しの成せる技だった。その宝条親子が必死に交渉を重ねる。終わったのは出陣の五日前であった。
「大樹」
氏時が参上して言った。
「四万の兵、手に入れましてございます」
「そうか、ご苦労」
そっけなかった。どれだけ苦労したかをいちいち申し立ててやろうかと思った。だが止めた。とにかく結果として、重朝が武家政権を立てればいいのだ。そうすれば、自分はその舅として多くの武士に命令する立場になる事が出来る。今まで使っただけの金が倍になって還って
来る。氏時は巧緻な男であった。
出陣の日を迎えた。各国の不平等の荘園から集まった四万の兵が出揃う。ここで不平等は不思議な光景を見た。大将軍、重朝に挨拶するのは良い。しかしその隣のふんぞり返った老将やその奥に控える若者二人に荘園兵の侍大将がペコペコと頭を下げたり、談笑したりしている。何でであろう。不平等は大将軍の前に駆けつけた。
「左府様、おはようございます」
重朝が言う。
「やあ」
それだけ返すと、
「おぬしは何者や」
と宝条氏時に聞いた。
「これはこれは、左府様には陪臣の私にお声掛け下さり、誠にありがとうございます。私は征夷大将軍、源重朝の岳父、宝条玄太郎氏時でございます。どうぞお引き立てのほどを」
と言って氏時は平伏した。
「私はその嫡男、宝条大太郎旨時でございまする」
「次男の小次郎良時でございます」
親子揃って平伏する。なかなか気持ちが良い。
「そうか大樹の舅か。ははは」
不平等は納得したように笑った。
「では、出陣いたします」
重朝が言った。
「行って参れ、二代続けて、征夷大将軍が死なぬようにな」
不平等が嫌みを言う。
「はっ」
都の城門を出る重朝軍。
その瞬間、
「わはは、愉快、愉快」
と大笑いしたのはもちろん宝条氏時だ。
(さらば都、もう私は帰って来ません)
重朝は心に思いながら、不平等に貰った『元気丸』を呑んだ。
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