第二十九話 滅亡
平氏一門は東海道をゆっくり進んだ。二万の兵、それを束ねるのは難しい。しかしやりがいがあった。しかも、この長旅には新しい面子も揃っている。次郎に子は無かったが、下野守森盛の長子三太郎経法(さんたろう・のりのり)は武勇に優れ、次男三郎次郎厚盛(さぶろうじろう・あつもり)は笛の名手で皆を和ます。下総守山盛の子、四一郎仲盛(よいちろう・なかもり)は若年ながら弓の名手。相模守大盛の子五郎太銛経(ごろうた・もりつね)は槍の遣い手だ。若者達は父を越えて大きく成長しそうな逸材であった。
「ふふ、人の能力とは隔世遺伝するものだな」
水盛は父、巨鯨将軍高富の昔話などを彼らにしながら長旅を楽しんでいた。もうすぐ自分と光明の構想した、『民人の為の国作り』が西朝と共に始まる。一部の公家だけが利益を専横する時代が終わるのだ。左大臣不平等はくせ者だが、二万の兵で圧力を掛ければそれも抑えられるだろう。そう考えていた頃、平氏軍は尾張国に入っていた。
雨が降って来た。それも雹を伴う豪雨だ。水盛は行進を止め、兵達を休めた。そこは丁度山間の森になっており、雨露をしのぐには最適の場所であった。雨脚はどんどん強くなる。直接、肌に当たると痛みを感じる。水盛は盾襖で作った小屋に輿を降りて入っていた。
「近春」
水盛は家宰を呼ぶ。
「この地はなんと言う名前だ」
彼は聞いた。
「はい。桶狭間でございます」
嫌な予感がした。
「どうも陣形が長くなっているように感じる。もう少し纏められないだろうか」
「しかし、ここは狭隘な地。陣を纏めるのは難しいと存じます」
「うむ、仕方あるまい。雨が弱くなり次第ここを抜ける。皆にそう伝えよ」
「はっ」
(胸が苦しい。この動悸は何であろう。嫌な事が起こらねばよいが)
水盛は思った。その時、遠くから喚声が上がった。
その数刻前。
「大樹。草の者の知らせによりますと、平氏一門は桶狭間にて雨宿りをしているそうでございます」
大太郎旨時が報告する。
「桶狭間とは」
重朝が聞く。
「山間の狭隘の地にございます。平氏の陣形は崩れ長く伸びているようでございます」
小次郎良時が答える。
「武蔵守は」
「中央付近で雨宿りしている模様」
「よし、全軍出撃だ。旨時、草の者に武蔵守の正確な居場所を突き止めさせよ」
重朝は命じた。
「鈴木高綱(すずき・たかつな)、舵取高季(かじとり・たかすえ)。両名に先鋒を命ずる。企比由和(きひ・よしかず)、二浦頼村(にうら・よりむら)、和賀頼森(わが・よりもり)、遠藤亘藤(えんどう・のぶとう)、其方は後方を狙え。私は氏時、旨時、良時、土井実平(どい・さねひら)と前方を襲う」
重朝はてきぱきと子飼いの将に指示を出した。これも不平等のくれた『元気丸』のおかげである。
かくして四万の兵が桶狭間を目指す。
「何じゃ、あの騒ぎは」
水盛は渋谷近春に尋ねた。
「恐らく、兵達の喧嘩でしょう」
近春は答えた。
「いや、違う。そなた見て参れ」
「はっ」
近春は駆け出した。しかし彼は二度と水盛の元には帰って来なかった。敵の弓にて胸を射抜かれたからである。
平氏軍の前方は下野守森盛とその息子三太郎経法、三郎次郎厚盛、それに安房守泡盛、上総介特盛が守っていた。そこに重朝、氏時、旨時、良時、土井実平率いる二万の兵が傾れ込む。平氏方は五千。彼らから見れば、重朝軍は途方も無い数だ。
「なんでこんなに敵兵がいるのだ」
森盛は叫んだ。
「父上、ここは私にお任せを」
経法が剣を抜き、敵を切り刻む。
「名乗りもなく、いきなり襲って来るとは武士の風上にもおけぬ。名を名乗れ」
経法は叫ぶ。すると、
「我らは征夷大将軍源重朝の軍だ」
そう言いながら旨時は経法に矢を放った。
「うっ」
矢は経法の右目を貫いた。
「おのれ」
経法は激怒し、旨時に斬り掛かる。
「矢を放て」
旨時が命じるが兵は経法の怒りぶりに恐れおののき、放つ事が出来ない。
「うおりゃあ」
経法が旨時に突っ込む。
「わあ」
旨時は経法の一撃に倒れた。だが右目をやられた経法も体力を奪われている。
「旨時がやられた。良時仇を討て」
重朝が命じる。
「はっ」
良時が経法に斬って掛かる。
「経法を殺させるな」
下野守森盛が命じる。厚盛、泡盛、特盛が急行するが、経法は血糊で目が見えない。あえなく、良時の餌食となった。
「熊虎狼痢(くま・ころり)、良時に続け」
重朝軍の蛮将、熊虎狼痢が前線に出る。目をつけたのは厚盛だ。
「そこの若侍、勝負だ」
「お、おう」
厚盛は挑むが力の差は歴然。あっという間に組敷かれた。
「お覚悟を」
「……」
熊虎狼痢は厚盛の首級を取った。だが、鎧の下に隠された笛を見て、
「鎧の下に笛とは。このお方は戦場などに出る者では無かったのか。そんなお方を討って何の手柄となろう」
鬼の目に涙が浮かんだ。
「息子が二人とも殺された。斯くなる上は敵の大将の首級を取るのみだ」
下野守森盛は、安房守泡盛、上総介特盛らと重朝軍に突っ込んだ。しかし、無情の矢が豪雨の如く飛び出し、三人は討ち死にした。これで平氏前方軍は壊滅だ。
平氏後方軍は、企比由和、二浦頼村、和賀頼森、遠藤亘藤率いる一万の兵に襲われた。
「父上、ここは私の弓軍にお任せを」
下総守山盛の子、四一郎仲盛が自ら率いる、弓兵達に命令する。
「放て」
弓は遠藤亘藤を直撃、亘藤は落馬し、絶命した。
「もう一丁」
仲盛が命令するが、支障が起きた。雨で弓矢と手が濡れて上手く射ることが出来ないのだ。
「敵の弓矢が止まった。突撃だ」
大将格の企比由和が命令する。一万の兵が傾れ込む。
「仕方ない。剣を取れ」
仲盛が叫ぶ。
「仲盛、俺に任せろ」
相模守大盛の子五郎太銛経が配下を連れて前に出る。
「行け」
銛経の槍隊が反撃する。
「敵は小勢、恐れるな」
企比由和の号令の元、二浦頼村、和賀頼森の騎馬隊が平氏の勢を蹂躙する。
「ならば大将と一騎打ちだ」
仲盛と銛経が馬上の人となり、吠える。
「そこな大将、勝負だ」
目指すは企比由和だ。仲盛が駆ける。
「うわあ」
由和は逃げ出した。
「ははは、弱虫」
笑い放った、その仲盛の顔が歪んだ。
「うぬ?」
左胸を触る、仲盛。
「矢とな。濡れていて滑るのではないか?」
疑問を抱く仲盛に、由和が笑って答えた。
「われらは直前まで油紙で弓矢を保護していたのだ。西では常識の事。野卑のお主達は知らんかったか」
ざざっと、草むらが揺れ、千の弓兵が一斉に打ち込んだ。
「わあ」
仲盛に続き、銛経、さらに山盛、大盛、常陸介先盛、上野介舟盛が矢に晒され死んだ。
重朝軍先鋒、鈴木高綱、舵取高季は焦っていた。それは敵将、武蔵守水盛の正確な居場所が分からない為だ。一万の兵を頂いているが、相手も恐らく一万。正確に武蔵守を狙わなければ、乱戦になり兵を損なってしまう。さらには前方と後方からは戦闘の音が聞こえる。先鋒が出遅れたのだ。せっかく先鋒に指名してくれた重朝に顔が立たない。そこへ草の者が現れた。
「鈴木様、舵取様、武蔵守はここから六町行った森の中程にいます」
「ありがたい」
「助かった。お主、名は」
鈴木高綱が聞く。
「蛇蝎にございます」
「分かった」
「よし行くぞ」
鈴木高綱、舵取高季両名は一万の兵を急がした。
「近春、遅い」
武蔵守水盛はイライラしていた。偵察に出した渋谷近春が帰って来ない。すると遠く前方で戦闘音が聞こえた。
「敵か? 誰の兵だ」
水盛は重朝が四万で押し進んでいる事を知りもしない。やがて、前方の音が消えた。
「やったな」
ほっとしたところに、今度は後方から戦闘音が聞こえて来た。
「後ろもか」
嫌な予感が大きくなる。
「誰かある」
家臣の三鷹公次と代々木三太(よよぎ・さんた)が参上した。
「前方と後方を見て参れ。至急だ」
「はっ」
しかし、二人共近春同様、二度と帰って来なかった。進軍して来た重朝軍に討ち取られた為である。
焦燥感の増す水盛。そこに絶望的な声がした。
「武蔵守が休息所はあそこだ」
「突撃せよ」
刃音が聞こえる。その瞬間、水盛は全てを諦めた。持っていた杖を捨て、控えていた輿の者どもに、
「逃げよ」
と命じた。皆泣いていた。
「急げ、巻き添えを食うな。敵の目的は、わし一人」
泣きじゃくりながら輿の者達は言った。
「ならば、せめて敵の一人でも討ち取りとうございます」
「皆の者……ならば行け。行って名を上げよ」
水盛は目の縁を光らせて言った。そして自らは足を引きずり、外に出た。
「敵の大将に申し上げる。我こそは平武蔵守水盛じゃ。今から腹を切る。その間静かにしていてくれないか」
鈴木高綱が返した。
「武士の情けじゃ。潔くなされよ」
「おう、ありがたい。出来れば、介錯願いたい」
「よろしかろう。お引き受け申す」
水盛は動かぬ右足を伸ばして座ると、短刀を取り出し、腹を十文字に斬る。
「まだまだ」
介錯を断ると、腹の中から臓物を出し、そして頸動脈かき斬った。
「お見事」
鈴木高綱は感服すると、介錯した。
そこへ、重朝始め、主立った部将がやって来た。
「武蔵守は自刃したか」
重朝が問うと、
「見事な最期でした」
高綱が答え、
「このような清廉な武士を殺す必要があったのでしょうか」
と重朝に尋ねた。
「坂東平氏は帆太郎様の仇敵。私はそれに成り代わって成敗したのみ」
そう言う、重朝は水盛の亡骸を見て顔色を悪くした。
坂東平氏はこうして滅亡した。一時は坂東を制し、新たなる『民人の為の国作り』を目指した、夢の叶う、その道半ばにしてのことだった。
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