第十話 讃岐宮
讃岐宮安彦親王(さぬきのみや・やすひこ・しんのう)は手羽帝(てばてい)の長子である。母は中宮、楓の局であった。幼少より利発で素直な性格であったが、父、手羽帝は何故か宮を疎んじ、立太子しなかった。一説には宮は楓の局と男某との間に出来た不倫の子だからとするものもあるが確証はない。
二十歳のときに弟の加賀宮が立太子され、後の後黒河帝となる。弟宮に先を越された讃岐宮は生来の利発さが消え、引きこもりがちになってしまった。それに追い打ちを掛けるように後黒河帝の長子、伊勢宮の立太子が決まった。自分の子、播磨宮が立太子されるのを期待した讃岐宮は憔悴した。そこに讃岐宮の太宰帥(だざいのそち)の就任が決まる。太宰帥は遥任で良かったのだが、都に居場所を失った讃岐宮は太宰府赴任を希望し許された。態の良い左遷である。
讃岐宮は太宰府に着くと早速、軍兵の増強及び訓練を命じた。表向きの理由は「諸外国の脅威から鎮西を守るため」であったが、宮の目が都に向いているのは明確だった。なので宮の命を受けた実務責任者、太宰少弐の武藤資質(むとう・すけただ)は命令通り兵を増やし訓練をさせたが、同時に太政大臣、藤原不足にこのことを知らせた。
『讃岐宮様、ご謀反の疑いあり、都にお連れ申せ』
と不足は返事を書き、資質に送った。
そんなある夜。
「宮様」
宮家家臣の卯曇杭名(うどん・くいな)が寝所に声を掛けた。
「なんじゃ」
讃岐宮が問う。
「この度の件、露見いたしたようでございます」
杭名が答える。
「そうか、露骨すぎたかの」
宮は自らの稚拙を嘆く。
「では死のう。こんな儚い人生。終わりとするか」
宮は懐刀を抜く。
「宮様、早まりまするな」
杭名が必死に止める。
「放せ、余のような者は死んだ方が喜ばれる」
「宮様、まだ望みを捨ててはいけません」
杭名が言う。
「新参の兵士に聞いた話しなのですが南の国、薩摩に落人の隠れ里があるそうです。そこならば宮様の身を潜められるかもしれません。彼の地にて再起を計るも良し。そのまま隠遁するも良し」
「そうか落人か。我が身も墜ちたものよの」
「とにかく屋敷を取り囲まれる前に逃げましょう」
「余の徴兵した者らに余自身が追われるのか」
讃岐宮はそっと涙を拭った。
宮の信頼出来る家臣は十人。馬で逃走する。一方太宰府軍は五百。その半分は宮が集めさせた兵だ。宮が嘆くのも分かる。
「居たぞ、宮は生け捕り、後は殺してしまえ」
と声がする。武藤資質だろう。矢が打ち込まれる。
「宮様をお守りしろ」
杭名が叫ぶ。後ろの一人が、
「うっ」
と言って落馬した。あと九人。
「このままだと追い付かれる。わしと誰かが盾になろう」
と宮の家臣木津寝屯平(きつね・とんぺい)が言うと、
「ではわしが」
と田貫丸太郎(たぬき・まるたろう)が名乗り出た。
「宮様さらば」
命を捨てる覚悟の二人。
「木津寝、田貫、すまぬ」
また涙する讃岐宮。あと七人。
「さあ、今のうちに少しでも薩摩に」
山道を駆ける七人。
しばらく行くと、大勢の人影が一行を押包む。
「田舎には不似合いな都人だ。捕まえて人質にしよう」
何と山賊が現れた。
「私が道を開きます。その隙に宮様はお逃げ下さい」
家臣の安掛時次郎(あんかけ・ときじろう)が山賊に突っ込む。
「では私も」
同じく家臣の佛嘉慶(ぶつ・かけい)が続く。
「ヤー」
馬を飛ばす宮一行。残る家臣はあと五人。
山間の道を行く。すると、
「ワーッ」
後ろの二人が落石に巻き込まれた。なんたる不運。呆然とする讃岐宮。あと三人。
その夜は一晩中駆け、逃走二日目になった。
「卯曇、二込(にこみ)、釜揚(かまあげ)。余はもう家臣を失いたくない。死なないでくれ」
涙にくれる讃岐宮。相当の泣き虫だ。
「お言葉ありがとうございます。しかし我ら宮様の為なら命など惜しくありません」
杭名が代表して言った。
「ところでここはどこであろう」
「日向と大隅の間くらいでは」
「薩摩まではいかほど」
「駆ければ二日くらいだと思います」
「そうか……」
宮は急に眠くなって来た。慣れない遠乗り。仕方ない。
やがて、宮は馬上で眠ってしまった。
気が付いたら、周りに誰もいなかった。何があったのであろう。眠っていたので、全く分からない。側を歩いて来た、老婆に聞いてみる。
「済まぬがここがどこか教えてくれ」
すると老婆は、
「☆※□○×じゃどん」
意味不明だった。
「困った。言葉が通じない」
と独り言をしていると、
「ヤーッ」
馬に鞭を打つ音が聞こえて来た。敵が追い付いたのか。
「仕方ない。ここで心の臓を突こう」
と懐刀を出した。迫って来る馬の蹄の音。来た。すると、
「そのご衣裳、もしや都の方ですか」
珍しそうに宮を眺める。
言葉が通じた! 見ればまだ若い少年。
「そうじゃ。其方に聞きたいことがある」
讃岐宮が尋ねた。
「どうぞ」
「この辺りに隠れ里があると聞いたが、知っておるか」
すると少年、いや、帆太郎が、
「知っているも何も、私が潜んでいるところです」
と答えた。
「そ、そうか」
と言うと讃岐宮は地面に倒れ込んでしまった。
「お加減はいかがですか」
おときが行き倒れの都人に尋ねる。
「ありがとう。たまっていた疲れが出たようじゃ」
と都人が答える。そこに大斧大吉、小吉と帆太郎が現れる。帆太郎は十六歳になっていた。
「なあ、お前様は高貴な人なんだろ。どうしてこの隠れ里に来ただ?」
大吉が尋ねる。
「余は帝の兄で讃岐宮と申す。太宰帥をしていたが都への謀反が知れ、追われる身となった。家臣もおそらく皆死んだ。今日からはここでひっそりと暮らしたい」
と宮は身分を明かし、自らの不幸を語った。
「これは恐れ多いことだ。本来なら、おら達が口の聞けないお方だ。帆太郎様も頭を下げんといかん」
大吉、帆太郎、小吉、おときは平伏した。
「よしておくれ。余も今では追われる身。そなた達と同じじゃ。だから気安く接してくれ」
讃岐宮は言った。そして我が身に起こった不幸を涙ながらに語った。
「大斧の父上。お話しを聞く限り宮様があまりにお可哀想です。我々の手でお助けし、帝の地位にお上げして差し上げる事は不可能でしょう
か」
帆太郎が大吉に尋ねた。
「無理いわんでくれ。我らは蟹丸、茹で蛸を入れても五人。とても大宰府や都と事を構えられねえだ」
大吉が言った。
「よいよい。気持ちはありがたいが、余は疲れた。ここでお主達とのんびり暮らしたい」
讃岐宮は言った。
「ではこういうのはどうでしょう。鎮西諸国の国司、豪族に、年貢の引き下げを条件に配下に加わるよう檄を飛ばすのです。最近太宰府は年貢の取り立て、兵の徴集に厳しく、評判が良くないと噂に聞きます。不満を持つ者を取り込めば太宰府を取り返せるのではないでしょうか」
帆太郎が提案する。
「帆太郎とやら。若いのに、熱心に余の事を考えてくれて嬉しいぞ。余も心に力が湧いて来た。鎮西の豪族に檄文を書こう。それで人が集まらなかったならば余の不徳。諦めてこの森に身を沈めよう」
讃岐宮が決意した。
「だがその檄文、誰が運ぶだ?」
大吉がいうと、
「この蟹丸にお任せあれ」
と暇を持て余していた蟹丸が名乗りを挙げた。
「俺もだ」
茹で蛸が言った。
「だが、ここに達筆な者はおるか。余一人では檄文を書ききれない」
宮が言うと、
「ならばこの無輪が書きますぞ。わしは昔『都の三筆』と謳われたものだからな」
と何時来たのか無輪が居た。
「なんとこの森に『三筆』の一人が居たとは」
讃岐宮は驚いた。
「宮様、一つお願いがございます」
帆九郎が頼み事をした。
「宮が帝位に着いた暁には私に『坂東平氏討伐の詔』を下さいませ」
「ほう。何故じゃ」
宮が問う。
「坂東の武蔵守水盛以下の八兄弟は卑劣な手口で私の父、風花太郎平光明を殺しました。その仇を討ちたいと思います」
帆太郎は訴えた。
「父の恨みを晴らそうという其方の気持ちよく分かった。成せるかどうか分からぬが、帝位に着く事が出来たら『討伐の詔』必ず出そうぞ」
「ありがたき幸せ」
「帆太郎、余は其方の聡明振りが大層気に入った。以後は、ずっと余の側に居て欲しい。余は十人の家臣を皆失った。とても寂しい。きっと側に居てくれよ」
「はっ。では共に大斧小吉を側にお置きください。奴は私と同じ十六ながら二丁小斧の名手。きっとお役に立つでしょう」
「そうか、小吉を前に」
宮が言うと、
「大斧大吉が一子、大斧小吉でございます。精一杯宮様をお守りいたします」
小吉は言葉を発した。
「ああ、ここに来て本当に良かった。十人の家臣は可哀想な事をしたが、新たに多くの盟友を得た。この喜びは生まれて初めてじゃ」
讃岐宮は大層喜んだ。
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