第九話 水盛の苦心
「そうか仏門に入ったか」
水盛は不恩の報告に満足した。出家すると言う事は死んだ事に等しかった。
「しかも寺は俘囚の地。もはや我が支障では無くなったわ」
微笑むも束の間、
「兄者の子の消息はまだ掴めぬか」
と不恩に聞いた。
「はい。ですが船で沖に出たとの噂を聞きつけましたゆえ、調べましたるところ、あの日は大風が来ていて海は大時化であったるよし。おそらくは海の底へいらっしゃったと」
「ふうん」
水盛は笑いを噛み締めた。
「もはや憂いなしじゃな」
「はい」
不恩は消えた。
「今のわしの敵は、森盛、山盛、大盛、泡盛、特盛、先盛に舟盛じゃ。なぜ、揃いも揃って無能なのじゃ。わしも母が違うのか?」
水盛は憤った。今日も上総へ上総介特盛の尻拭いに行かねばならない。年貢の比率に怒った民人達が蜂起したのだ。
「あれほど、民を大事にしろと言ったのに」
怒りを抑えようともせずに輿に乗り、精兵五百を引き連れ、上総へ向かう水盛。無能な弟達に振り回されて武蔵国のさらなる繁栄に取りかかる事が出来ない。
「自由な身体であれば、坂東など一人で見る事も出来るのに」
と我が身を斬った兄、風花太郎平光明を恨んだ。
上総の蜂起を水盛は力でなく、話し合いで解決した。その事で水盛を民人は歓待した。「武蔵守様が国司ならもっと楽な暮らしができるのに」という声があちこちから聞こえた。
国衙に入ると水盛は上総介特盛を叱るとともに上総掾と上総目を上司に諌言しなかったとして厳しく叱った。
「上総介、何故、勝手に年貢の比率を上げようとした。答えよ」
「は、はい。年貢から都へ送る分を差し引くと、我が家が立ちゆかなくなるからです」
平伏したまま答える特盛。
「馬鹿者。それを工夫するのがお主の役目。わしに借りるなどすれば良いではないか」
「でも次郎兄者は」
「武蔵守と呼べ」
「はい、武蔵守様にお借りすると取り立てが厳しいと五郎の……いえ、相模守様が言われましたので」
「情けない。今後このような事があれば、朝廷に上奏し、お主を解官させるからな」
「それだけはご勘弁を、次郎……武蔵守様」
「ならば領地経営にしっかり励め」
そう言うと水盛は輿を上げさせた。
「こういう事が多過ぎる」
水盛は輿の上でぼやく。
先月は下野で大掛かりな盗賊集団が闊歩し、森盛はおたおたして何も出来ずにいた。
結局水盛軍が出動して捕縛した。
その前は上野で山賊が村々を襲撃し、舟盛が手をこまねいた。これも水盛軍が倒した。
なかでも問題なのが相模で、あの海賊大将、難破時化丸の一派が、坂東に利益をもたらす船ばかり襲うという有様だ。隣の伊豆や駿河に入る船は襲われていないというから、これは太郎兄者を倒した我ら兄弟への復讐とみていい。これはなんとしても倒さなくてはいけないが、相模守の大盛は自分の食べる米にも困って、水盛に借財する始末。到底、難破時化丸を負かすだけの戦力を整える事などできまい。何らかの援助が必要だ。
武蔵の館に帰った水盛は優秀な人材を得るため、広く公募する事にした。それによって他国へ行く時間を減らし、武蔵の発展を押し進めたいという思いからだった。
早速家宰の渋谷近
春に募集を駆けさせた。まず武将が五人集まった。
太刀持剣太郎(たちもち・けんたろう)は豪剣の持ち主。
浦裏羅生(うらうら・らしょう)も剣の遣い手である。
布袋寅吉(ほてい・とらきち)は弓の名手。
大島大八(おおしま・だいはち)は怪力の持ち主。
臼大五郎(うす・だいごろう)は軍師格である。
水盛は臼大五郎を大将にして他の者達に兵を持たせて精鋭をさらに鍛えさせた。
そして船乗りの笹舟四郎兵衛(ささぶね・しろうびょうえ)を雇って兵百を与え、相模の海賊に抗し得る部隊を作るよう命じた。笹舟は江戸湾にて兵を鍛え上げ、それなりの海軍を作った。
「よし、これで武蔵の経営に専念出来るぞ」
水盛は喜んで土木事業に着手した。
木を切りその株を取り、森を平地にして、田畑をどんどん作った。米の生産高は飛躍的に上がり、領民は喜んだ。当然年貢の量も増え、それを利用して、水盛は兵士をもう五百追加した。それを鍛えるのは新規雇用した五人である。
太刀持剣太郎、浦裏羅生が槍と剣を教える。
布袋寅吉が弓を教える。
大島大八は力を付ける稽古をした。
それぞれに鍛えられた兵士達を臼大五郎が指揮する。本朝でも屈指な精鋭軍が出来た。
「これで戦力は揃った」
水盛は自信を深めた。
しかし水盛の武蔵国一国のみが栄えるという坂東の状況が、思ってもみなかった問題を引き起こす。それは『流民』である。森盛以下の兄弟は相変わらず高い年貢の割合を民に強いた為、生活に窮した民人は田畑を捨て挙って武蔵に逃げた。そのため武蔵以外の七国は税収が激減してしまったのだ。一方、始めは流人に新田を与えていた水盛だったが、止まらない民人の流入により、新田は無くなり、結局多くの『うかれ人』を作ってしまった。最初は炊き出しなどしてそれらの人々を養ってきたが、ついに備蓄米にも事欠く始末。慌てて「流民を武蔵に入れるな」と命令を出したが後の祭り。武蔵国の経営は立ち行かなくなってしまった。
「それもこれも弟達が無能だからだ」
怒る水盛。しかし怒っても状況は変わらず、巷では怨嗟の声が上がるようになった。
結局、水盛の苦悩は続くのである。
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