ドラゴン(2)

そんな愉快で楽しい会話を二人で交わしている間に、山の頂上付近です。

この山は土日は登山客でにぎわう有名な山で、初心者でも苦労することなく頂上まで登ることができるところが人気の理由です。そんな山に住むドラゴンなので、土日は食料に困ることもなく、弱い人間どもを好きなだけ殺して食べることができ、むくむくと大きく成長しているのでした。食物連鎖というのは美しい限りですね。

今日も家族連れが一組、どうやら犠牲ぎせいになったようで、頂上の近くでは血まみれになって泣きわめく母親の姿が見て取れました。いやー、絶景かな絶景かな。


まだ血の新しいところから見るに、目的のドラゴンはこの近くにいるらしい、というのが文月くんの判断でした。

ドラゴンに跨ったままのオレンジさんは、自分のドラゴンが残された母親まで食べてしまわないだろうかと冷や冷やしながら太ももに力を入れていました。


「ぎゃおおおおおおおおおん」


突如、大きな鳴き声がして、文月くんは上空を見上げます。

なんと、目的のドラゴンは翼を持っていて、空を飛んでいたのです。


「あれはワバイーンってやつですよ、オレンジさん」

「いえいえ、ワンバーイですよ、文月くん」


ワイバーンですよ、お二人さん。

そうこうしている間に、お相手のワバイーンさんは「また美味しそうな人間がやってきたぞ」と舌を五周ほどなめずり回して、高度を下げてきます。

もちろん、文月くんもオレンジさんも普通の人間ですから、ワンバーイに襲われてしまったら死んでしまいます。人は強大なモンスターの前では無力な餌にすぎないのです。


しかし、その時です。

もう一体の怒れる竜が、大きな雄叫びをあげたのであります。


「ぱおおおおおおおおおおん」


いささか鼻の長い動物のような鳴き声ではありますが、ただいまオレンジさんの股間で挟まれている、翼を持たない方の竜の鳴き声でございます。

これに驚いたワバンイーさんは慌てて翼をはためかせ、上空へと舞い上がろうとしますが、悲しいかな、オレンジさんのドラゴンには飛び道具があったのです。


そう、なにもかも燃やし尽くすことだけが、オレンジさん家のドラゴンさん唯一の特技でした。


それはそれは豪快に火を噴いたオレンジさん家のドラゴン(名前はシェリーというらしいです)は、空に逃げようとするワンイーバを見事に外し、近くで耳障りな泣き声をあげていた母親を焼き払ってしまいました。

どうやら怒れる竜というよりもイカれた竜と表現した方が合っていそうです。


それでも二発目には羽ばたくワンーイバを焼き払い、おいしそうな丸焼きへと仕上げてくれました。

おかげで、ついさっきにワバーインに食べられてしまったばかりの家族連れのお父さんと息子は、腕とか脚とかを失いながらも分解されることなく生きて帰り、文月くんとオレンジさんは不必要な感謝の言葉を受け取りながら、ドラゴンの尻尾を切り取りました。

父子はまだ母親が黒焦げとなって亡くなってしまったことを知りません。


見事に調理済みのドラゴン尻尾を手に入れることに成功した文月くんは、それを持って急いでチョコさんのもとへと向かいました。

だってチョコさんはすでに世界に飽きに飽き尽くしてしまっているというのですから、彼の帰りを待たないで世界を滅ぼし始めてしまっていてもおかしくないのです。


もしかしたら、すでに魔王軍の最高幹部という男に連絡をとって、世界を滅亡へのカウントダウンに向かわせている可能性もあります。


文月くんは、この世界が好きでした。

なぜならこの世界で文月くんはチョコさんと出会い、恋をして、愛し合ったからです。チョコさんはこの世界で幸せに暮らしていて、だから、彼女を幸せにしたのは、この世界だからです。

それに気付いてほしい、その一心でした。


文月くんがチョコさんのもとへ駆け戻ると、チョコさんはちょうど携帯電話を持って、魔王軍の最高幹部である男性に連絡をとっているところでした。


文月くんは呆然ぼうぜんとして、ゆらりとチョコさんに近付きました。

それに気付いたチョコさんは、慌てて電話を切って、それを自分の後ろへ隠します。

彼女のその行動が、何よりも浮気の証拠となっているのでした。


「ねえ、俺と付き合うとき、チョコさんには他の男の連絡先ぜんぶ消してほしいってお願いしたよね?」

「え、あ、ごめん……。これはちがうの!」

「違わないじゃん。俺じゃない他の男に連絡してるじゃんかよ!」


めずらしく声を荒げる文月くんでしたが、無理もありません。

文月くんとチョコさんが付き合い始めて間もない頃に、チョコさんは文月くんに強いられて『他の男の連絡先はすべて消して、文月くん以外の男とは話さない』という約束をしていたからです。

そんな大切な約束を破られてしまっては、文月くんだって怒りを抑えることはできません。

二人の間では、他の異性と口をきくことすら浮気同然なのです。


そのわりに文月くんはオレンジさんと日常的に会話していますが、先述したとおり、チョコさんは博愛主義者で寛大なお方であり、お友達のオレンジさんと文月くんの関係には信頼を置いているのであります。


しかしながら、文月くんも自分がわがままを言っていることは知っていました。

だから一度落ち着いて、チョコさんとの対話の望みます。


「チョコさん、俺だけじゃダメなんですか?」

「ダメじゃないよ。ぜんぜんダメじゃない。もう魔王とは縁も切る。『おはよう』って言われてもシカトするし、『さよなら』って言われたら中指を立てるくらいのつもりでいる!」

「そうですか。良かったです。俺がチョコさんのために世界の面白そうなものを探している間に、チョコさんが浮気していたので絶望しそうになりました」


安心したように笑う文月くんに、チョコさんはキスを連発します。

ここに二人の愛は本物であることが示されました。

以降が本題です。果たしてチョコさんは文月くんの用意した珍味を気に入ってくれるのでしょうか。


不安になる一方で、文月くんには勝算がありました。

チョコさんは何より食べることが好きです。特に珍しい食べ物が大好きで、このようなドラゴンの尻尾を食べれば世界に対する愛着というのもいてくるはずなのです。


チョコさんは、文月くんからドラゴン尻尾を受け取り、一口ぱくりと噛みつきました。

すると、なんという美味!

口の中に広がるジューシーな味わいに加えて、鼻から抜ける独特な肉の香り、ぷりぷりとした食感は他で味わえるものでなく、まさに最高級の食材だったのでございます。


チョコさんは言うまでもなく感動していたので、さすがに文月くんも察して、心躍る気持ちとなっておりました。

これで世界は保たれる!と確信を持つことができました。


「美味しいわ、文月くん。こんなに美味しいものがある世界を滅ぼすなんて、私が間違っていたわね」

「その通りですよ。これからも、この世界で楽しく暮らしていきましょう」

「食材の美味しさに加えて、これは文月くんがわたしにプレゼントしてくれたという、そういう嬉しさもあっての美味しさよね」


感動のあまり、目尻には涙まで浮かべているチョコさんに、文月さんはよしよしと頭を撫でてあげます。

ラブラブです。彼らが世界で一番幸せなカップルなのは言うまでもないので、文月くんも言うまでもなく、自分たちが言うまでもなく世界一幸せなカップルだと思っていました。


「文月くん、今後は記念日のたびに、このドラゴンの尻尾が食べたいわ」

「あぁ、チョコさん。それはできません」

「あら、どうして? こんなに美味しいのだもの。お祝い事の日に食べられたら、その日がもっとめでたい日になると思うのだけど」


チョコさんの言葉に、文月くんは残念そうな顔で答えます。


「俺たちが殺してしまった一頭が、この世界に存在する最後の一頭だったのです。原料となるドラゴンが絶滅してしまった以上、もうそのドラゴンの尻尾を食べることができません」




こうして世界は滅びました。


最後はあっけないものです。

もう例のドラゴン尻尾を食べられないと知って、悲しみにくれたチョコさんは冷静な判断を欠いて、魔王軍の指示系統に介入かいにゅうし、全軍攻撃用意の号令をかけてしまったのです。

魔王軍の攻撃は三日三晩むことなく、世界は闇に包まれ、作物は育たなくなり、生き残った者たちもゆっくりと死に向かっていきました。くわえて魔王軍もまた、自分たちのばらいた毒によってむしばまれていったのです。

この世に残る生命体は、とうとうチョコさんと文月くんだけになりました。


死のふちに立った文月くんは、チョコさんと手を繋いで、いままであった楽しいことをひとつひとつ思い出していきました。

それが、彼らの人生で一番楽しい時間でした。


「文月くん、生まれ変わっても、私たち出会えるかしら」

「生まれ変わっても、俺がチョコさんを迎えに行きます」


この世界は守れなかったけど、チョコさんと世界の終わりを見届けられたのは、良い経験だった。なんて、そんなことを最期に思って、文月くんの人生は終わりました。


第二話 ドラゴン 完

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