第二話 崩壊の箱庭(5)
結局、
深い確執があるのではないかと思わせておいてからの華麗なる転身。男同士の友情とは、かくも単純なものなんだろうか。それとも、揺らぐことの無い信頼と積み上げた時間がそうさせるのか、よく分からない。
だが、この一件で
全てが終わったあと、六人は模型を見下ろしながら途方にくれていた。時刻は午後六時を回っている。全員が
「これ、元に戻すんですか?僕も参加したいです」
嬉々として進言する
「いいけど、やるのは地盤の調整だけだぞ?新しく模型の数を増やしたりはしない。来週には使うって教授が言ってたから、そんな時間もないしな」
「構わないです。僕は、こういったものに囲まれているだけで十分なんですよ。・・・・・・いえ、本心を言えば僕だって家の一軒くらい作りたいですよ。模型作成は男のロマンです。模型一つ一つのリアリティーを追求しつつも、構築する世界には虚構をはらんでいる・・・・・・すばらしいですよね。見ているだけで想像力をかきたてられます。高専で模型部に入るって夢は断たれたわけですが、自分で創部なんてとてもとても・・・・・・」
晃はその様子にやれやれと溜め息をついた。きっと五分もしないうちに、睦からヘルプのサインが送られてくるだろう。新が同姓に嫌われていたという話も、本当はオチの無い長話を鬱陶しがられていただけなのではと思う。
目を転じると、傍らに立つ春奈が思いつめたように模型を見つめていた。
「どうした、ハル。疑いは晴れたのに、何か気になることでもあるのか?」
春奈はゆっくりと晃の方を振り向く。
「あっちゃんも私が犯人じゃないかって疑った?」
晃はきょとんとして春奈を見返した。
「いやあ、全然。どちらかといえば、ハルだけは犯人じゃないと思ってた」
「だって、模型の傍を最後に離れたのは私だったのよ。
「うーん。まあ、そう言われれば、そうだけどなあ・・・・・・」
「一瞬くらい疑ったでしょ?」
晃は首を軽く捻る。可能性は誰にでもあった訳だが、晃の中で春奈は事件が起こったときから犯人の対象ではなかった。それどころか、春奈だけは犯人では無いと確信すらしていたのだ。
「やっぱり無いな。
幼少の頃から見てきたのだ。春奈がいじめや嫌がらせの
「祐樹が反論してくれなかったら、あたしが先輩に言い返していただろうし、逆に祐樹がハルを犯人扱いしていたら睦先輩と同じで殴りかかってた」
春奈は目を丸くする。
「あっちゃんが古村君に?」
「当然だろ。あたしの拳が祐樹に当たるかどうかは別としても、親友を侮辱されて黙っていられるわけがねえ」
晃は右の拳をぱんっと左手に打ち付けた。
止めに入っておいてなんだが、あの時の睦の気持ちはよく解る。友人として祐樹に信頼を置いてなければ、見過ごしていたかもしれない。
春奈はぱっと表情を輝かせた。花が咲くという表現に相応しい笑顔だ。見慣れているはずの晃でさえ、一瞬目を奪われてしまう。
「なあんだ。よかったあ。古村君がいるから、私はもう、あっちゃんの特別じゃいられないんだと思ってた」
「え、なにそれ」
春奈は口に手をあてて、ふふふと笑うと、晃の耳元に顔を寄せた。
「だって、あっちゃんに彼氏ができたら、私がずっとくっついているわけにはいかないでしょ?それに、相手が古村君だったら私を庇ってはくれないと思って」
言葉が途切れる。晃に笑いかけると、春奈は軽やかな足取りで模型へと近づいた。
「私の世界が広がるまで、もう少しだけあっちゃんが必要なの。だからこれは回収するね」
そう言うと、先輩の見ている前で勢いよく模型に手を入れる。しばらくして掲げた春奈の手には、小さな水晶が光っていた。
晃はその光景を思い出して一人にやけていた。
彼女が大事そうに握っている水晶は、昔、喧嘩の後で晃がプレゼントしたものだ。クラスが別になったことに泣きじゃくる春奈を慰めるつもりで差し出したのだが、それを『自分は孤独ではない証』として長年大事にしていたという。
晃にとっても春奈は幼馴染で唯一無二の親友だけれど、同じように想っていてくれたと思うと、なんだかこそばゆい気持ちになる。
彼氏ができたら云々は、現実的ではないので置いておくとしても、大人になっても春奈の存在が小さくなることなんてないと晃は思った。彼女との関わりは、他人に影響されるほど希薄ではない。たとえそれが祐樹であったとしても。
晃は締まらない表情で、少し前を歩く祐樹の背中を見つめていた。
空には星が瞬き、夜空に引っかかるような細い三日月が出ている。着替える時間がなかったため、まだ薄い作業服を着ていたが寒さは感じない。近頃は夜も冷え込むことがなくなった。
遅くまで残って研究を続けている者がいるのか、道の両側にある校舎には明かりの灯る研究室が沢山ある。その光が晃たちのいるところまで届き、歩く先の道を仄かに照らしていた。
祐樹の横に並んで前を歩く新が、頭の後ろで手を組んで夜空を見上げる。針金のような月は、静かに地上を見下ろしていた。
「意外な結末だったけど、丸く納まって良かったよね。僕は、ちょっと先輩たちが羨ましかったよ」
小さな声で新が呟いた。
「五年も寝食を共にして、同じ教室に通っているんだ。それだけじゃない。あの二人は生徒会役員としても二人で色々なことを経験して、乗り越えてきたんだろうな」
同じく、小さな声で祐樹が答える。二人がどんな顔で話しているのか後ろからは見えないけれど、感銘を受けた、染み入るような声だった。
「
新は手を組んだまま、祐樹の方へ顔を向けた。
「寺崎先輩は、どうして嘘なんかついたんだろうね。谷澤先輩があっさり許してくれたから良かったけど、関係が悪くなる可能性だってあったのに」
祐樹は歩みを止めると、ちらりと春奈を振り返った。つられるように、全員が足を止める。
奇しくも、そこは四人が出合った第一体育館の前だった。
「先輩が真相を明かさなかったから、全ては俺の推測だが・・・・・・寺崎先輩は
谷澤先輩が苦心して作った物だから、実験中におかしな事が起これば、当然先輩は怒り出す。日下部を擁護してやるつもりだったのかもしれないが、本心は谷澤先輩を守るためだったんだろう。実験室に戻って障害を取り除くだけだったのに、日下部が何をしたのか解らなかった。だから仕方なく機械のスイッチを入れた」
新は理解できないというように首を振った。
「それで全てをぶち壊しにするより、黙って見守っていた方がよかったんじゃないかな。少なくとも、寺崎先輩の立場は悪くはならなかったはずだよ」
「そうだな。それは俺も同感だ。もしかすると、寺崎先輩は谷澤先輩が自分を許してくれると信じていたのかもしれない。だから、一年生が責められるくらいならと自分から罪を被るような真似をしたのかもな」
ちぐはぐで突拍子もない二人だけれど、さすがは五年生だ。大人な対応に全員が言葉も無く黙り込んだ。
「私、先輩に謝ってくる。まだきちんと謝罪していないもの」
走り出そうとする春奈を晃は止めた。
「男同士の友情は、あたしには理解できないけれど、ハルが謝罪をしたら圭吾先輩の覚悟が無駄になるのはわかる。だから行くな」
今にも泣き出しそうな春奈に、新と祐樹の二人もうなずいてみせた。
「二人に助けられたと思えばいい。どうしても気になるなら、他のことで恩返ししたらどうだ」
「そうだよ、ハルちゃん。今は謝るよりも感謝するべきときだよ。それに二人ともそんなに気にしてないんじゃないかな。結果的には、わだかまりがとけたって感じに見えたし」
春奈は俯くと消え入りそうな声で言った。
「古村君にあっちゃんを取られるかもって・・・・・・それだけで私、自分がとんでもないことしてしまったなんて思ってなくて・・・・・・手放したいけど思い入れも強かったから、その辺に捨てる気にもならないし、箱庭を見て先輩の話を聞いたらすごく魅力的に思えたの。私、本当に馬鹿なことをしたわ」
「やっちまったもんはしょうがねえよ、ハル。新の言うように、全ては丸く納まったんだ。とりあえず今は―――笑っとけ」
晃だけでなく、新、祐樹も笑ってみせる。春奈は三人を見て、ようやく笑顔を取り戻した。
「それにしても―――」
新は貴公子然とした笑顔を、悪魔的に歪ませた。こういう顔をするときは、たいてい誰かをからかう時だ。視線の方向からして、今回は祐樹に白羽の矢が立ったらしい。
「名探偵登場って感じ?祐樹は
祐樹はふんと鼻先で一蹴すると、威圧的な態度で新を見据えた。
「密室だのなんだのって、現実にそんなものがころころ転がっているわけがない。あれは本の中だからありえることであって、今日も偶然そうなっただけだ。実際は真相を解明したところで、全てが救われることなんてありはしない。必ず、どこかで傷つく人がいる。誰かの気持ちが損なわれるくらいなら、俺は黙っている方を選ぶ」
意外にも強い口調に、晃は少し驚いた。推理の根拠を
「またまた。そんなこと言う割には、ちゃんと推理してたじゃない。かっこよかったなあ。僕もミステリを読んでみようかな」
これほどまでに空気を読まない人間が、かつて回りにいただろうか。晃は唖然として楽しそうな新の横顔を見ていた。
実験室では先輩方の手前大人しくしていたようだが、四人になるといつもの調子が戻ってくる。見た目は抜群にいいのに、返す返すも残念な奴。
苦々しげな祐樹をよそに、新はターゲットを晃に向けた。
「かっこいいと言えば、
実験室に入ってすぐに事件が起こったので、すっかり忘れていたが、確かに直前まではその話をしていた。祐樹は空手をやめたと言ったが、理由を聞き質すまでには至っていない。晃は
「悪いが、もう二度と空手の話はしたくない」
祐樹は憮然として静かに言った。悲しみも非難も一切の感情が無く、語っている本人がそれを認めているのかさえわからない。
晃は、心の中で何かが小さく
この気持ちに名前があるとすれば、それはやっぱり『期待』だろう。祐樹に再会して晃は間違いなく浮かれていた。歳も環境も変わっているのに、晃だけが三年前にタイムスリップしていたのだ。
会えなかった三年の間に、祐樹は変わってしまった。もちろん変わらないところだって沢山ある。歳にそぐわない落ち着き、
でも、少しも楽しそうには見えない。新しい生活が始まったのに、祐樹の周りにはいつも暗い影が潜んでいて、彼の行動を監視している。その影からの命令に唯々諾々と従い、嬉しいことや楽しいことを放棄した顔をしていた。
「二度とって・・・・・・どうしてそこまで」
「悪いが、理由も答えたくはない」
はっきりと拒否しながらも、どこか晃を気遣う口調で祐樹は答える。その優しさが余計に晃を黙らせた。
言いたくないことは言わない、嘘も付かない。他人に対して誠実だといえば聞こえはいいが、結局、誰も踏み込んでほしくないだけだ。そうやって祐樹は見えない壁を築いている。
あの箱庭のように透明な壁に守られて、誰もいない町で一人ひっそりと生きている。
晃は納得のいかない思いで、拳を握り締めた。だって間違っている。世の中、全ての人がいつも楽しい気持ちで生きているなんて考えてない。苦しんだり悲しんだり、過去に囚われたりして生きている。でも、誰の手も差し伸べられないなんて、壁の向こう側に誰も立ち入れないなんて寂しすぎる。
「もう、この話はいいだろ。帰るぞ」
大きな溜め息をついて祐樹は歩き出した。空気を読まない新でさえ口を挟もうとはしない。こういう時こそ、無駄にしゃべってもらいたいものだ。
全員が黙々と歩く。左手には第一、第二体育館が並び、右手には緑地帯の向こうに黒くそびえる図書館棟が見えた。
夜気に魚の焼けるいい香りがふわりと混じる。木々の隙間から寮食堂の灯りが見え始めた。寮の食事はボリュームがあっても味が薄めで物足りない。栄養士が付いているのだからバランスは確かなのだろうけど、もう少し濃い味付けのものが食べたかった。
目の前に、明かりが消えて閑散とした学生食堂が現れた。寮食堂に
あまり広くはないテラスには、四脚の椅子がついた円形のテーブルが数組ある。暗がりの中で、椅子は無造作に引き出されたまま学生が腰掛けてくるのを待っていた。
前方には大きな街灯が白々と光を放ち、同心円状に花壇とベンチが取り囲んでいる。昼には昼食をとる学生で溢れ、夜は他愛の無い話をする寮生の憩いの場になっていた。その奥にずらりと並ぶのは男子寮。右手奥にある新しい建物が女子寮。女子寮は寮の事務棟を通らなければ入れないが、男子寮は外から直接戻ることが出来た。
晃たちは花壇の前で立ち止まる。祐樹と新がこちらを振り向いた。
「
「いいね。合格したら次はいよいよ製図かあ。楽しみだね」
祐樹が腕時計で時間を確認する。
「あまりゆっくりもしていられないな。部屋に荷物を置いたら、すぐに食堂へ行こう」
新がうなずき、二人は片手を上げながら寮の方へ踏み出した。
「じゃあ」
「また明日」
晃はぼんやりとしながら、小さく手を振る。
「ああ、また―――」
「ちょっと待って!」
動きを止めて三人は春奈を振り返った。少し離れた場所で、彼女は思いつめたように祐樹を睨んでいる。
どうした?と晃が問う前に、春奈は荒々しい足取りで祐樹に詰め寄った。
「もう、こんな間違いは犯したくないから一つだけ聞かせて欲しいの。逃げるのもなし、真面目に答えて」
晃は目を丸くした。突然の出来事に男子二人も驚いている。
「古村君は結局、あっちゃんのことをどう思ってるの?あっちゃんも、あんな中途半端な言い方じゃなく、どうしたいのかはっきりさせて」
反論を許さない迫力に、晃はたじろいだ。この一ヶ月、誰もそこには言及できなかったのに、吹っ切れた春奈はあっさりとやってのけた。
言葉に詰まる晃に、春奈が無言の圧力をかけてくる。新はにやにやと笑い、祐樹は再び時計を確認して溜め息をついた。
改めて聞かれると困る。つい先ほど、浮かれて調子にのっていた自分に気付いたばかりだ。あの時とは状況がちょっと違う。
晃は額に手を当ててしばらく俯くと、決意を込めた眼差しで顔を上げた。
「あたしは、祐樹が笑えるようになるまで傍にいる。うざかろうがストーカーだろうが、知ったことか。好きとか嫌いとかも関係ねえ」
「え?じゃあ、工藤は祐樹が好きって訳じゃなかったの?」
「そういうことを言ってるんじゃねんだよ、新」
「じゃあじゃあ、好きか嫌いで言ったら?」
「好きに決まってんだろ。でも、今の祐樹はあたしが好きになった祐樹じゃない。だから、お前の後ろに隠れてる奴から取り戻してやるよ」
新と春奈は不思議そうに祐樹の背後を見やる。そういう意味じゃないんだが、まあいいか。
「なんだろうね、これ。公開告白っていうよりも決闘?果し合い?」
「私、余計なこと言っちゃったのかしら」
外野がうるさい。ロマンティックな雰囲気は欠片も無く、晃と祐樹は火花を散らして視線をぶつけた。
切れ長の瞳がすっと
晃はごくりと喉を鳴らした。何を言われてもいい覚悟は出来ている。
祐樹の薄い唇がおもむろに開いた。
「余計なお世話だ。やれるもんならやってみろ。それに、俺にとって晃は・・・・・・ただの女友達だ。それ以上でも以下でもない」
それだけ言うと、祐樹は背を向けて歩き出した。新が慌ててその後を追う。
「なんか・・・・・・ごめんね」
ぽつりと言う春奈に、晃は複雑な笑顔を向けた。
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