枯種/芙蓉の森

 枯木が、一人の少女の死体を抱えていた。

 足下には大きな、ひと一人は容易に入るであろう穴。

 そこに少女の死体をそっと置き、枯木は土をかけて埋めた。

 小さな石をふたつ、その上に置いた。

 しばらく石の前に膝をつき、悼むように目を瞑っていた枯木は、おもむろに立ち上がると周囲を見渡す。

 荒野が広がっていた。

 終焉を待望していた化物が、派手に暴れ、辺り一帯を更地同然の有様にしたのだ。なんとか撃退できたものの、殺すには至っていない。

 ゆえにこれより、枯木はその化物を殺しに向かうつもりだった。

 

 ──じゃあ、行ってくる。


 大太刀を腰に差し、ボロボロになった狙撃筒を背負い、枯木はその場を後にする。


 その背中を見送るように、地面からは一本の芽が生え出ていた。


 目的を達成した後、此処へ戻ってくる。

 そうしてずっと、この墓の傍にい続ける。


 ◇


 やがて、少女の埋められた場所は森となった。

 そこには、一体の枯木の怪物がいた。

 閑に佇み、小鳥の歌を聞き、揺れる花々を眺め、黙々と小屋を建て、押し付けられた紙片の数々を保管し、愛した少女の墓を守り続ける、枯れ果てた青年が────「────!」入ってきたものがいる。

 枯木は大太刀の切っ先を、侵入者の額へ向ける。


「ひっ……!?」


 森と野原の切れ目より現われたのは、ひとりの女性だった。人のかたちをした、彼の仇。表情を恐怖に歪めている。


「……」


 枯木は、刃を下ろし、女性へ背を向けた。

 森を抜け出てきたということは、彼女がそれを許したのだ。なら、斬る必要はない。


「私はアイラっていうの」


 すっかり枯木に気を許し、人懐っこく笑う女性はそう名乗る。


「ここは綺麗ね……本当に綺麗な場所……」


 その後、女性は頻繁にこの場所へやってくるようになった。何度も何度も、やってくるたびに愚痴をこぼしたり、花を愛でたりしている。


「ほら、可愛いでしょう? イラっていうのよ、私の、私達の大切な娘……」


 ある日、アイラは娘を連れてきた。


「オリバも私も、すっかり親ばかなのよ」


 アイラには、鍵の痣が浮かび上がっていた。グシャへ通ずるしるしが。


「ねえ、あの小屋にある紙とペン、借りてもいい?」


 娘に宛てて、アイラは手紙を書いていた。──遺書、というべきか。


「この子がずっと、いつまでも幸せに生きられるように──私は願うんだ。願うことしか、もう、できないんだけどね、あはは」


 そう、彼女は哀し気に笑う。娘の未来に寄り添う道は、もう途切れてしまっていた。アイラは、その胸に抱く娘に笑いかけ、その安らかな寝顔を見て嗚咽した。


「鍵の痣ができてから、人を襲って食べる夢を、ずっと見る。まるで体験してきたかのように生々しい夢。この頃はそれが頻繁になって、オリバやイラを見ていると、自分以外の意思が働いているように感じたの。それは、食欲。食べたいっていう衝動だった」


 その日、アイラは一人で来た。


「この鍵の紋は、私達が化け物になる前兆なんだと思う」


 その瞳には、ひとつの決意が秘められていた。


「このままじゃ、私は、私の大切な人たちを襲ってしまうわ」


 強い瞳だ。

 家族を守る者の、命を捧げた悲愴な意志。


「だから、ね。私を森に閉じ込めてもらうわ。あの子にはもう、それを頼んだから」


 言って、アイラは芙蓉の木へ目を向けた。


「もし、私が誰かを食べようとしていたら────そのときは遠慮なく、私を殺して」


 頷く枯木に「約束したからね」とアイラは笑う。


「あ、あともう一つ、いい?」


 アイラは続ける。


「ひょっとすると、イラも此処に入ってきてしまうかもしれない。あの娘は私の血を引くから、好奇心がきっと、旺盛でしょうから……」


 小屋に遺書を残したのも、きっとそれを見越してのことだ。

 

「できれば、此処にいる間だけでも、守ってやってほしいの」


 枯木は頷く。ほっとしたようにアイラは微笑んだ。


「ありがとう。もう、言い残すことはなにもないかな──じゃあ、ね」


 そうしてアイラは、森に喰われた。

 娘を愛する母と二つの約束を交わした枯木は、再び静かに時を過ごし始めた。


 ◇


 枯木は瞬時に察知した。

 

 ──入って来た者がいる。


 身体の上に小鳥たちがとまり、枯木のための歌を歌っていたところであった。 

 枯木はその異物たちの場所へ緩やかな動作で首を動かす。

 野原の入り口に一人の少女が倒れている。


 枯木は地を蹴り、白の異形の姿を捉え────一つ目の約束を、果たした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

枯れ木と少女の物語 乃生一路 @atwas

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ