閑話 崩壊への連景
「こんばんは」
夕刻。家の戸を誰かが叩いている。
椅子に座り、イラの安否をひたすら気にしていたオリバは立ち上がり、玄関へと向かった。
戸を開けると、少女が一人と、見たこともない服装の女性が一人。
「ここに、イラ、という方はいらっしゃいますか」
少女──黒い眼をした彼女は言う。来たか、とオリバは心の中で身構えた。件の勇者御一行が、この者達なのだろう。
「さあ、存じませんな。イラという一人娘は確かにおりますが、なにぶん活発な娘なので。今も、学舎のご友人のところへ遊びに行っているのではないでしょうか」
「もうすぐ、陽が落ちますよ。魔物が出歩き始めて、危険なのでは」
喋るのは黒い目の少女のみである。後の一人は、その後ろに控えている。
「あいにくと、この辺りには魔物があまり出没しないものでね。勇者様たちも、ここへ来る途上で、一匹も魔物に出会うことがなかったでしょう」
「ええ。おかげで、誰も傷つくことなくここへ辿り着けました」
少女は微笑む。そうして、その双眸が湾曲した。
「ですが、今夜ばかりは危険なのでは」
オリバは、その三日月の様な瞳にどうしようもない不穏を覚えた。
「此処へ来る途中で、私たちは魔物を見ましたよ」
少女の言葉を、これ以上聞いてはならぬと思った。
「ほら」
少女が、後方を指さす。村の家々が立ち並ぶ方向だ。
「あそこを」
見てはならない。
「見て、ご覧なさい」
見てはならない。
「いるでしょう? 見えますよね?」
ぎぎぎ、と首が勝手に動く。抗いようのない、敵いようのない……
「白い、化物たちが」
夕暮れの下、村にはいくつもの、白い大口を開けた化け物がいた。
◇
『勇者殿は、ひとまず部屋で休まれてください』
クラウさんはそう言い、トワさんと二人で宿屋を出ていきました。なんでも、情報収集だそうです。
『一、二時間ほどはかかります。旅の疲れもあるでしょうから、ごゆっくりとなさるように……鍵は、しっかりと掛けてくださいね』
仕方なしに、私は木製のベッドの上に腰かけました。
今日一日はずっと歩き通しで、脚はへとへと、汗でべったりです。
シャワーって、あるのかな? あるといいんだけど。ま、トワさんとクラウさんが帰ってきてから浴びよう。
「あ……」
かたかたと、テーブルの上に無造作に置いた聖剣が震えていました。
なんだか、震えが増したように見えます。
◇
グンカに案内され、イラは野原の小屋へ入った。部屋の隅に革袋を置くと、イラはぐっと伸びをした。しばらくは、ここへ隠れることになりそうだ。
手持無沙汰になり、机の上に置いてある紙片の数々へ、なんとはなしに目をやる。文字はところどころが消えており、まともに読めるものは少なそう。
「え……?」
その紙片の中に、イラは自らの名前を見つけた。
『可愛い娘 イラへ』と書かれたその紙片は、
「おかあ、さん……?」
すらりと丁寧な、母の筆跡。
それは確かに、母から娘へと宛てられた一葉の手紙だった。
やがて死する運命を受け入れたアイラが、変貌した自らがイラやオリバを襲うことになるかもしれない将来を謝罪し、その生を心から願い、温かな未来を応援し────『ずっと愛している』と、文の最後に書き綴られていた。
「おかあさ……ぁ──」
イラはそうして、理解した。
初めて森に入った時の、あの白の異形の正体を。
グンカが殺すに逡巡した、あの大口の化け物が誰であったのかを。
「ああああああああああああああああああ!」
自らがどのような存在であるのかを。
◇
イラを小屋へ案内した後、枯木はその扉をゆっくりと閉めた。
夜はもう訪れている。闇は既にあたりを覆っている。
森が悲鳴を上げていた。迎えてはならない者が来た、と。
野原と森の切れ目が、微かに動くのを感知する──入ってこようとする者がいる。
枯木は刃を構え、地を蹴った。
「んああ」
森と野原の切れ目より、のそりと白い異形が現れた。
「ぁ、ぐ?」
迎えて一刀、頭部の核ごと切り伏せる。
「────!」
戦いが始まる。
終わりが、やってこようとしている。
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