閑話 因縁
「ようやく見えてきましたよ、勇者殿」
前方を指さして、クラウさんは言います。私達が今立っている小高い丘から、道が下に伸びています。その先に、小さな村と大きな森がありました。
「アギョウ村です。奥に広がっているのがアメンの森ですね。王都が危険区域に指定している悪名高き人食いの森です。一部では〈太陽のない森〉と呼んでいるようですが」
そのままですね、とクラウさんが上機嫌に笑っている傍らで、私は緊張をしていました。
腰に提げている、女神様から頂いた聖剣が、微かに震えていたのです。
「おや……」
クラウさんも剣の震えに気付いたみたい。
「一つ目の用件は、どうやらすぐに達成できそうです。相手次第ですけれど」
そう言って、クラウさんは上空に真っ黒な球体を打ち上げました。
球体は蒼天の最中に弾け、黒い粒子と四散して消えました。
「さ、これで準備はお終いです。自由気ままな姉妹たちもすぐに追い付いてくることでしょう。行きましょう勇者さま。これから為すは、平和への第一歩です」
そしてクラウさんは私を振り返り、その真っ黒に塗りつぶされた双眸を細くし、いつもと同じ笑みを浮かべました。
「まず先に追い付いてきそうなのは、意外と
「どうして分かるの?」
私が尋ねると、クラウさんは胸を張り、手をあげてボンッと一冊の本を出現させました。まだ、あんまり慣れません。最近まで普通の女子高生をやっていた私にとって、タネのない手品を見ている気分です。
「私は未来が分かるのです。この台本に、これから起こる
そう云って、クラウさんはにこりと目を細めました。
すごいなあ、と私は思いました。語彙が吹っ飛ぶほどすごいんです。だって未来が分かるなんてそんな……うん、すごいなあ。
因みに、クラウさん以外が見ても白紙でしかありません。はい、見せてもらいました。ええ、白紙でした。残念だなあ、と思いました。
未来が分かるって、どんな気持ちなんだろう。それに、クラウさんは私が魔王を倒せるかどうかを知っているということになります。
だから私、聞きました。
クラウさんに、私は魔王を倒せますか? って。
返ってきた答えは、「はい。倒せますよ」でした。
倒せるみたいです、私、魔王を……ほんとに倒せるのかなあ。
空を見上げると、大きくて真っ赤な鳥が円を描きながら私達の頭上を飛んでいました。何だか燃えているようにも見えます。煌々と燃え盛る、火の鳥。
ああ、なんて
「少し、急ぎましょうか」
クラウさんがそう言ったので、私達は急いでアギョウ村(変な名前です)へと歩みを勧めました。燃えている大きな鳥は、追いかけては来ませんでした。
◇
抜けるような青空の下、枯木は仇を感知した。
意識は浮上し、想起が始まる。
それは遠き古き褪せた記憶。
どこかの、大きな工場の敷地内。そこでは戦うための兵器を造りだしていた。追い詰められた人々は、逃げ場を求めて工場の中に避難していたのだ。堅固なシャッターの奥に、ひと固まりになって、恐怖に震えていた。
何と戦おうとして、何から逃げていたのか。
答えは分かり切っている。天からの侵略者たちだ。
赤に塗れた部屋。黄色い脂肪が飛び散り、原型を留めない肉の欠片がそこらにあった。
逃げた先が、見つかり、防壁を破られ、喰い散らかされた。化物に。天使どもに。
逃げろ、という叫び声。言われた少年と少女は、震えて、膝が笑っている。逃げなければと、強く思うのに。
目の前で喰われる人達に背を向け、傍らの少女の手を握り。
少年は死に物狂いで、生きようと、走った。
そうして、その途中で。壊れた。少女が。その心が。
それでも少年は。必死で。復讐を。心に灯った憎悪の火を、決して消える日が訪れないように。果たすときが来るまで────消えてはいない。鎮められてはいない。
内燃する憤怒の炎こそが、今も枯木を動かし続けている。
枯木は帽子をより目深にかぶり、待つことにした。
やがて来るだろう。ここを訪れるだろう。
歯車が、そのように動いている。
かつて、青年となった少年のセイギを邪魔したグシャは、今はいない。北の奥深くで、蜥蜴野郎を門番に引きこもっている。なにかが訪れるのを、ひた待っている。勇者か、天使か、女神か──それとも、悪魔か。
だが、俺の知ることじゃない。
俺はただ、天使を皆殺しにするだけだ。……人のカタチをしておらず、なおかつ自らの欲望のままに人を殺そうとする天使を────
そう考え、枯木の意識は再び沈んでいった。
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