第四話 名前
「枯木さん。あなたのお名前は、なに?」
小屋から出ると、イラはそんな問いかけをした。
「……」
イラの問いに、枯木は凝然と見つめることで応えた。
答えにはなっていない。
「分かんない? 忘れちゃった?」
イラは質問を続けるが、そもそも枯木は言葉を発せるかどうかも怪しい。その穏やかで理知的な眼から、意識というものがあるのは推測できる。だが、その推測もまた、事実と確証できない。
この枯木の行動が、まったくの反射的かつ受動的な事象のみで構成されているのかもしれないのだ。攻撃されれば、防衛のために攻撃する。領域内に侵入されれば、排除のために攻撃する。何かに反応して、自動的に斬りかかる……さきほどの異形を倒したときのように。
「なら、私がつけてもいい? お名前がなければ、あなたを呼べないわ」
イラは、その枯木をカレキさんと呼ぶつもりは毛頭なかった。
名前のない人間(?)であるその枯木に名を与えるというのは、少女にとっては純粋な善意であり、また、親愛の現れだった。たとえそれがペットに名付ける行為に似ていようとも。
「……」
枯木は相変わらずの沈黙だったが、少女の提案にかすかに頷いた。ようにも見える。いや、きっと頷いたんだわ。イラはそう理解することにした。
「お花の群れの中にいたから、
自信たっぷりに、イラは言う。
対して枯木は、────目を、驚愕に見開いていた。
「ど……どうしたの、グンカ。お気に召さなかった?」
イラは、その枯木の瞠目を嫌悪と受け取り、おずおずと枯木に言う。けれども枯木のその双眸は、すぐに穏やかなものへと戻り、ゆっくりと首を振る。
お気に召さなかったわけではない、という意思表示らしい。
「や、やっぱり、ダメ……?」
しかしイラはその仕草を、名前への拒絶と受け取ってしまった。どんよりとした空気を、少女は発し始める。普通に落ち込んでいた。
枯木は、こころなしか困ったように、再び首を横に振る。
自信たっぷりだったために多少涙目になっていたイラは、その枯木の動きに目を輝かせた。ダメなわけではないと、今度は正確に受け止められた。
「じゃあ、グンカでいいの?」
頷く、グンカ。
「えへへ、それじゃあ改めて……言いますっ」
──ありがとう、グンカ。私を助けてくれて。
そんなイラのお礼の言葉を、グンカはどこか悲し気な眼で聞いていた。呼び起される一つの記憶を心に映しながら。
◇
「ありがとう、グンカ。私を助けてくれて」
「馬鹿を、言うな……」
青年は、その双眸から大粒の涙を流し、横たわる彼女に縋るように、両膝をついていた。もはや矜持も強がりもなく、ただ、ただ、哀しみのあまりに彼は泣いていた。
彼女にぽっかりと空いた穴を直視し、もう助からぬだろうことを確信しながら。そして同時に、そんなわけがないと、彼女はきっと、どうにか、助かり、生きてくれると必死に彼女の
そんな彼の泣き顔を、彼女は微笑み、見守っていた。
死に至る傷を負った者にしてはあまりに安らかな表情で、彼女は笑っていた。
「なんで、笑うっ……、笑って、いられる……!」
お前はこれから死ぬんだぞ、と青年は思うものの言葉にしなかった。口にすれば、自分がそれを認めたことになる。それだけは決して、決してならない。
死んではならない人間は、死んではならないに決まっているのだ。
「最期まで、あなたは私を見てくれた。必要としてくれた」
彼女は静かに、慈しみの声で言う。
「そして最期には、あなたの盾になれた。それがどうしようもなく、嬉しいの」
それきりだった。
「う、あ、死ぬ、な……し、死ぬなっ、死ぬな! 死なないでくれ、お願いだ、————!」
劫に眠る彼女の顔は、幸せな夢を見る者の貌だった。
慟哭する青年にとって、それはどれほどの救いになれただろう。
助けられたのは自分だった。
彼女は身を呈して、青年を貫くはずの矛先を受け止めた。
そして、死んだ。微笑み、満足げに。
いや、殺されたのだ。俺を殺そうとした者に。
なれば、仇を討たねばならない。
「《枯種/》よ、応えろ……! あの
なにもかもをすり潰すかのようにギリギリと歯を喰いしばり、青年は叫ぶ。
今度は自らの意思で、彼はそれを劫に望んだ。
「早くしろ、早く俺を化け物にしろ」
限界を越えて、脳に潜むソレは稼働する。
「勝てない、殺せない、復讐できない。
今の俺では弱くて仇すら討てない、反吐が出るほどに俺は弱い」
青年は目に涙を溜めている。憤怒の涙を流している。
彼はその涙もろさを皆に責められたこと多々だった。
目の前で息絶えたその女性にも、弱々しいと言われたことがある。
非情であれ、と。師にも言われた。だが青年は非情にはなりきれなかった。
青年は事実を受け入れることに、号泣を要した。
「だから力を寄こせ、奴を殺せる力を寄越せ! 早く、早く!!」
ソレは青年の言葉に応え、かくして彼は
◇
「グンカ?」
少女の言葉に、枯木は
心配そうに、イラが顔を覗き込んでいる。
グンカは微かに首を動かし、問いかける少女の瞳を見る。そして、なんでもないと首を振った。イラは了解した風ではあったが、それでもグンカの顔を見続けた。
おもむろに、イラは手を伸ばした。
その小さな手が、グンカの枯れ果てた頬に触れる。
「おお……!」
イラは、感心したように口を開いた。
触ったのは好奇心だった。そこに邪気はない。
「……」
少女の無邪気なその仕草に、グンカの、その瞳が、かすかに微笑をした。
「あら────」
イラの視線は、小屋の向こう側へと注がれる。
今まで小屋の影になっていたが、一本の樹が、新緑の草原の真ん中にぽつんと生えていた。太陽の光を浴び、麗しく孤独に佇んでいた。
なんとはなしに、イラはその樹へ近づいていく。後ろからグンカも静かについてきている気配がある。
「綺麗ね……」
それは花木だった。
真緑の葉に混じって、五枚の淡い紅色の花弁、中心から突き出る白いめしべ。淡紅のみではない、真っ白なものもある。
(どんな名前なんだろう……)
その名を、イラは知らない。枯木に聞こうとも、枯木は言葉を発せない。そもそも知っているかも定かではない──が、イラにはなんとなく、この枯木の怪物さんは花木の名称を知っているように思われた。
「あら……」
その樹の根元に、握りこぶしほどの大きさの石がふたつ、重ねられていた。人工のものと思えるそれはすっかり苔むしており、長い年月の経過を示している。
それだけである。
「……」
まるで、お墓のよう。
誰かの、知らない誰かを悼むための墓碑。
グンカは知っている。けれども、答えられない。もし話せる状態にあったとしても、決して話してはくれないだろう。
「あ、そろそろ、帰らなくちゃ……」
一陣の風に吹き流され、ザアアと草原が揺らぐ。
遠い空に、夕闇が迫っていた。
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