第三話 陋屋

 枯木の向かう先は、虹のような花畑。

 せせらぎの音が聞こえる、花々の群れの最中。


「綺麗……」


 幻想のような光景だった。視界に広がるのは淡い花々と、濃い花々。彩りは細分化され、空想じみた茫漠とした光景が現われている。

 誰かが手入れしているとも思えないのに、全ての花が規則正しく並んでいた。

 薄暗い〈太陽のない森〉のどこかに、こんな花畑があったなんて。

 枯木はどんどん歩みを進める。

 イラはその後を追いつつも、花々に視線を滑らせた。見れば見る程、人工の花畑のように見える。けれども、違うという不思議な確信があった。これは誰の手も加えていないという、確然とした真実があるように思えたのだ。

 人の立ち入った痕跡はない。枯木や小鳥だけがこの場所に在った。

 しばらく歩き、枯木は立ち止った。続いてイラもその背後に止まる。

 小屋があった。

 花畑の最中に、寂しげにぽつんと。

 木造らしく、壁には苔が生え、草が伸びている。つる草が垂れ下がり、建てられてから久しいことが分かる。


「ここが、あなたのお家なの?」 


 枯木は何も言わず、ノブに手をかけた。

 蝶つがいは錆び切り、絹を裂くような悲鳴をあげる。

 イラは息をのむ。どのようなものがあるのだろう、という不安と期待が胸の内に入り混じっていた。

 小屋の中をぐるりと見渡す。

 窓の下には机と、椅子。その横に本棚と、ベッド。

 あるのはそれぐらいである。いずれも、長い年月が経過したことを思わせる外観。埃をかぶっていないところを見ると、枯木の家で間違いがなさそうだった。


 机上には紙とペン。気の遠くなるような月日が紙を劣化させ、色褪せてボロボロになってしまっている。触れれば、きっと崩れてしまう。ペンのインクは乾ききり、文字を書くことはもはや不可能だろう。

 ふと、イラは紙に書かれている文字に目をやった。

『20 5年、 月 5日

   凪と彼草 花が、第一区〈イ  メ〉近郊の廃 場にて交戦。

 激 する群 に対し、 は  を守らんがために った。

 嗚 、 か。なにゆえ彼は  などを守ろうとする。

  海 は 使の 儡と成り果 てし  たのか。

 私は哀しい。ひどく、哀しい。

 彼を知るから。知っているから。

  枝   ヒを、私は愛していましたから。

 だからこそ、私は赦さない。彼の をすら 涜したあの者達を』


 それは誰かの日記の紙片。

 ずっと昔のお話。少女が生まれるよりも、ずっとずっと昔のお話。

 所々の文字が滲んで消えてしまっている。

 この机の上には、たくさんの紙片があった。いずれも、儚く劣化している。けれども、時間の経過がもたらす腐食には、どうにか耐えているようだった。時間の経過が遅いのか、それとも、紙が特別なのか。そもそも何の理由も、そこにはないのか。

 その数多の紙片を書いた誰か達は、もうこの世にはいないだろう。もし、不老不死や時軸を外れた者でなければ、の話だが。

 イラは、同様に紙片を見つめる枯木に気付いた。懐かしむように目を細め、哀しむように目をつむる。そして、開ける。

 尋ねよう、と思った。尋ねて、それに枯木が答えることはないだろうが、尋ねるべきだと少女は思った。

 この人は悲劇を背負っている。

 それも、とてもとても悲しい過去を。今となってはその痕跡すら殆ど消失してしまった、遠い遠い戦いの記憶を。

 イラは枯木の目を見据え、言う。


「ねえ、枯木さん」


 ────あなたはいったい、誰だったの?


 イラの問いに枯木は何も語らず、ただ、目を瞑った。

 まるで、誰かに黙祷もくとうを捧げるかのように。

 世界の静寂しじまに枯木は佇む。

 千年の孤独を過ごした彼は、イラという少女と出会う。

 太陽のない森の、ある花群かぐんの野原にて。

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