第ニ話 枯木

 少女が目を覚ますと、バケツを持った枯木がまず目に入った。


「…………」


 沈黙。


「はふ」


 少女の口から空気が漏れる。

 目覚めて最初にこんにちはしたのが如何にも魔物チックなヒトガタだったため、再び意識がさよならしようとしていた。


「……」


 枯木は語らず、少女の目を見る。

 静かな佇まい。穏やかな相貌そうぼう

 少女は、その枯木から害意も悪意も敵意も感じなかった。


「……あなたが、助けてくれたの?」


 枯木は語らず、バケツを少女の足下に置いた。

 木製。こけがびっしりと生えた、古い古いバケツ。

 ちゃぷちゃぷという水音。たっぷりとした水がバケツ内で波打っている。


(……?)


 少女はなぜバケツを差し出されたのかが分からない。枯木は動かず、その朽ちた双眸を閉じる。野原に一陣の風が吹き、周囲の草花がせわしげに揺れる。

 照りつける太陽を、立体的な雲が覆う。

 野原一体に影が生じる。そしてすぐに影は消え、再び明るくなった。 

 静か、だった。なにもかもが。

 枯木の肩に小鳥が止まり、歌を奏で始めた。枯木は目をつぶったまま、ただただ不動。その時間が止まってしまった風に、少女には見えた。


(ここは、どこなんだろう)


 立ち上がろうと、少女は身体を動かし──自らの粗相にようやく気付く。して、身体をべっとりと濡らす暗く赤い血にも。


「────ぁ」


 瞬時に頬が紅潮し、青ざめ、再度紅くなる。

 羞恥と恐怖のダブルパンチであった。


「うう……」


 枯木は依然として目をつむる。

 見てないぞ、という無言の声を少女は聞いた。


「そ、そういうこと……だったの、ね……」


 少女はバケツを握り(ぬるっとした)、一気に頭からかぶった。


「ひゃ」


 身体の芯まで冷えてしまいそうなほど、その水は冷たかった。身震いをする少女を、降り注ぐ太陽光が優しく温める。甚だしい程の晴天である。服はじきに乾くだろう。

 少女は藻と苔に塗れたバケツを再び足下に置く。そして、


「んー……」


 まじまじと枯木の姿を見た。


(人、なの?)


 枯木は人の姿をしていた。長身痩躯そうくのすらりとした人間のような、形。なおも少女は凝視する。

 枯木は語らず、少女の視線を受けて、微動だにせず佇立ちょりつしている。

 肩には小鳥がちょこんと在る。どこかから一羽飛んできて、枯木の帽子の上に慣れた調子ですとんと乗る。一羽増えた。

 ボロボロの帽子を、枯木は被っている。

 顔は干からびて真っ白で、まるで枯木のよう。

 着る服は、黒い染みや赤い染みに塗れて、もとが何色であったのか分からない程に汚れている。袖は手首まであり、裾は足下まで。身を縛る、と形容されるが一番近いだろうか。そのような服を枯木は着ていた。

 胸元にはバッヂらしきもの。なにかの花を模した形で、金色。

 腰には一本の刀。抜き身で、刀身は錆だらけ。

 手も顔と同様、白く干からびている。


(人、じゃない……? ううん、でも、見た目は)


 ──人間のような姿をしているのに。

 そう、"ような"である。人間の"ような"姿なのに、人間とはかけ離れた姿をしている。まるで人がそのまま朽ちたような、人の生命が枯渇したかのような姿。

 ひとり孤独にひっそりと在った、枯木。


「助けてくれてありがとう、その……枯木さん」


 礼を述べる。さっきの化け物はきっとこの枯木が倒してくれたのだ、と少女は解釈した。呼び方が分からなかったため、呼び名には最初に抱いた印象を採った。

 枯木は目を開け、視線を少女に向け、肩に止まる小鳥に転ずる。


「私は、イラって言うの」


 ──その名前は。


 こくりと、枯木は頷く。そして少女に背を向け、どこかへと歩き始めた。肩の小鳥が羽ばたきどこかへ飛び消える。


「あ、待ってっ」


 慌てて少女も枯木の後を追った。

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