第7話

秋が深まり、温暖な島にもつめたい風が吹き、人々の肌を刺すようになってきた頃。ことしの星祭りはとりやめだという話がユウナの耳に入った。

 聖なるガジュマルの森そばの泉水で、星読みが祈祷し、そののち塔へのぼる。島じゅうの人間が森のそばに集まり、夜通し祈りや歌を星にささげる神事、まつりだ。

 灯台までの道を駆けながら、ユウナは今朝がたの、父との会話を思い返していた。

「リゼをいったん村に戻して、どんなささいなことでもいいから、たくさん予言をさせるそうだ。ひとつでも当たらなければ星読みを変えると」

 まったく、まだ怒りがおさまらないのかと父はうんざりした調子でこぼした。

「変えるもなにも、だれと」

「南の、メヒルギの村に、たいそう勘のいい娘がいるんだと。こっちが本物だと皆が言い始めているらしい。本当なんだか、どうだか」

「もしもリゼが森から戻されたら、そのあとどうなるの」

「さあな。なにしろ前例がない。しかしもとの村にはもう戻れんだろうよ、石でも投げられかねん」

 まだ二十歳にもならない娘をよってたかってつるしあげるなんて感心せん、と父はため息をついたのだ。ユウナはいてもたってもいられなくなり、トキのもとへ向かって駆けている。

 トキ親子の住まう、粗末な家の扉をどんどんと叩き、反応がないので、ユウナは思い切ってがらりと開けた。

「ごめんください、だれか」

 奥からのっそりとあらわれたのは、トキの、父。伸びきったひげがぼさぼさで、よれたみすぼらしい着物を着ている。大きなあくびをひとつ放つと、

「トキの、女か」

 と、にやりと笑った。

「ち、ちがいますっ」

 否定するものの、顔は勝手に赤くなってしまう。

「じゃあ、なんだ? おれの女になりたいのか?」

 なんなのこのひと、とあっけにとられかけるが、今はそんなことにかまっている場合じゃない。

「あの。トキはどこへ」

「今朝はやく、灯台からもどってすぐ、村へ降りていった。いつもだったら少し眠るんだがな。珍しい」

「村、へ」

「貝細工を売りにいったのかもな。ま、しばらく待てば戻るさ」

「待てない」

 ははは、とトキの父は高らかにわらった。

「なかなか情熱的な娘だな、気に入った。トキはやめておれの女にならんか」

「遠慮します」

 くだらない冗談につきあうような気分じゃない。ユウナはきびすを返すと、林の中のけもの道をくだっていった。いつもの浜で彼をさがすも、いない。本当に村まで行ったのだろう。ならば。

 ユウナは浜をあとにする。

――ならばあたしは。リゼのもとへ行こう。

 トキやリゼに会ったとして、いったい何をどうしたいのか、ユウナはまったくもって考えてなどいない。リゼを助けるようにトキに頼むのか、どうやって助けるのか、そもそも何をもってして「リゼを助ける」ことになるのか。村人の追及をかわし、これまで通り森へ縛り付けることが彼女のためなのか、それとも。もしかしてリゼにとっては、星読みの役目から解放されて、好きなひとと一緒になるほうが幸せなのではなかろうか。たとえ島中の人間から白い目を向けられても、石を投げられても、あの岬のうえ、灯台のふもとで好きなひととささやかな暮らしを紡いでいくのが、幸せなのではなかろうか。

――そうか。だからあたしは、トキに会おうとしていたんだわ。リゼを幸せにしてあげてって、言いたかったんだわ。

 ひどく胸が痛い。本当にそうなのか、トキに言いたいのは本当にそのことなのか。ユウナはもうそれ以上考えないように、夢中で歩く。歩を早め、小走りで駆ける。

 胸が痛い。

 トキにも、リゼにも、しあわせになってほしい。

 だけどそうしたら。そしたら、あたしは。

 あたしはどうなるの?


 ガジュマルの木は冬でも葉を落とすことがない。深いみどり色をした肉厚な葉は、晩秋の弱いひかりを浴びてつやつやと光り、風が吹くといっせいにざわめく。

 大木の気根がからみついた星読みの家のそばで、リゼが梢を見上げて立ちすくんでいる。ちょうどたどり着いたばかりのユウナに気づくと、ふわりとほほ笑んだ。

――ほんとうに、いつどんな時でも、リゼをまとう空気は変わらない。穏やかで、だけど凛としてて。すこしだけ、さびしい匂いがする。

「ひさしぶりね、ユウナ」

「ええ。会いたかったわ、リゼ。なにをしていたの?」

「そのうち絞め殺されちゃうんじゃないかしら、って、思って」

 ガジュマルの大木を見つめて、やわらかい笑みを浮かべたまま、リゼがそんなことを言うものだから、ユウナはぎょっとしてしまう。

「ふふ、そんな顔しないで。家のはなしよ。ガジュマルの依り代にされて、今にも壊れてしまいそうだわ」

 ガジュマルという木は、岩やほかの木にからまりながら成長していく。森の木の多くは岩をよすがに、中心の大木たちは塔にからみつき、上へ上へと伸びている。

「寒いから中へどうぞ」

 リゼがユウナの背をそっと押した。ひんやり冷たく、やわらかい手。

 あたたかいお茶を淹れてくれる。以前来たときは、島みかんの風味かおる、つめたい清水だった。季節が夏から秋、そして冬へと巡りゆき、リゼの置かれた状況も、ユウナ自身の心境も、ずいぶん様変わりした。

「リゼは未来が視えるの?」

 直球をぶつける。リゼはさびしげにほほ笑む。

「視えることもあれば、視えないこともある。自分で選べないの。知りたくないことを突然知ってしまうこともあるのに、知りたくてたまらないことはまったく何も視えなかったりするの。気まぐれよ、星は」

「あたしの未来は視えたのに、崖くずれは視えなかったのね」

「そういうことよ」

 湯気のたつ野草のお茶をすすり、リゼはふうと息をつく。

「みんな、怒っているのでしょう」

「……うん」

 隠したって仕方ない。遅かれ早かれリゼは村に連れ戻される。それに、どちらにしても彼女には隠し事はできない。

「どうしてかしら。不意に視てしまうのは、近しいひとの運命だけなのよ。島全体をゆるがす出来事はいまだ視えないわ。視えたところで……、どう告げたものか」

「先代の星読みは告げていた、って」

「ええ。大波を予言したのよね」リゼは茶の入ったうつわを両の手で包み込む。「でも。それは、大波が来るまえに皆が逃げて、助かったという未来が視えただけなのよ。だから高らかに予言できたの。たくさん死者が出るような未来が視えたなら、とてもじゃないけど告げられないわ」

「だって、悪い未来を避けるために予言をするんじゃないの?」

 リゼはゆっくり首を横にふる。

「避けられないの。変えられないの。運命は、決まっているの」

「……そんな」

「わたしは、星読みは、なんのために存在しているのかしらね」

 リゼのやるせないため息が、この小さな家のなかに、ガジュマルの木に締め付けられていまにもつぶれそうな家のなかに、溶け込んでいく。

 思い切ったように、ユウナは、顔をあげた。

「リゼは、星読みをやめたい?」

「え?」

「この、孤独な暮らしをすてて、重荷もすてて、普通の娘として生きたい? 自分だけのしあわせを、探したい?」

「……それは」

 扉の開く大きな音がして、リゼのことばはさえぎられる。はっと身を固くして、振り返って見れば、扉のそばに立ちすくんでいるのはトキだった。

「リゼ。……ユウナ、どうしてここに」

「あたし、は」

「トキ。来ないで」

 答えようとしたユウナの声に、リゼの悲痛な叫びが重なった。

「来ないで、トキ」

 ずっとリゼを包んでいた穏やかでやさしい空気の膜が、やぶれた。リゼは、ユウナとトキに背を向ける。

「むかえに来た。村のみんなが、リゼを連れ戻す相談をしている。星祭りのまえに、星読みの力を見定めるなんて言ってる」

 リゼの小さな背中が、小刻みに、ふるえている。

「……村長(むらおさ)や長老の、言うとおりにするわ」

「なんで。なんで、あんな勝手なやつらの言いなりにならなきゃいけないんだ? なんでリゼが、みんなの不満の受け皿にならなきゃいけないんだ?」

「それがわたしの役目だからよ」

「そんなの、理不尽だ!」

 トキが怒鳴った。ユウナは何も言えなくて、ふたりのあいだに入っていけなくて、ただ、見守っている。

「トキ。もう帰って」

「いやだ」

「帰って。わたしが、どんな思いで、どんな覚悟でここに来たか、知らないでしょう?」

 リゼ、とユウナは彼女の着物の袖をひいた。このまま放っておくと、リゼは、言ってはならないことばを、トキに投げつけてしまうんじゃないかと、そんな気がしたのだ。

 ユウナのほうにむけたリゼの顔は、透き通るように青白くて、そのちいさなくちびるはわなないている。リゼはユウナの腕に自分の手を置いた。その指もふるえている。

「ユウナ。わたしには、自分だけのしあわせを探す道なんて、そもそも、ないのよ。だから選べないの。決まっていることなの。ひとにはそれぞれ、さだめがあるのよ」

「でも」

 でも、トキは。

 トキはあなたを。

 言いたくて、でも、どうしてもつづきのことばが口に出せない。トキは、あなたを――。

「リゼ」トキが星読みの名を呼ぶ。さきほどより少し落ち着いた、低い、言い含めるような声色で。「少しだけど、芋と米。最近、相談にくるやつ、いないんだろ?」

 麻袋を置いた。これを仕入れに、市へ行っていたのだろう。リゼの生活が瀕しているであろうことにまで、ユウナは思い至らなかった。リゼはふいっとトキから顔をそらす。

「いらないわ。持って帰って」

「余ってる分だから気にするな」

 そっけなく、トキは言った。リゼに背を向け、戸口に手をかける。

「……きょうの日没。北の港から、大島に向かう船が出る。うまくやれば忍び込めると思う。……待ってるから。おれといっしょに」

「帰って」

 リゼがトキのことばをさえぎる。トキは戸をあけ、出て行った。彼の気配が消えてしまってからやっと、リゼは涙をこぼした。

 じっと耐えるように。ひたすらに、なにかを飲みこむように、だけどこらえきれず、時折漏れてしまう嗚咽。

 なすすべもなく、ユウナは、ただ、泣いているリゼの背中をやさしくさする。

「……ユウナ」

「リゼ」

 リゼは、行くの? トキと一緒に、島の外へ。逃げるの?

 リゼはゆっくりとかぶりをふった。そっと顔をあげ、涙にぬれた瞳を、まっすぐにユウナに向ける。無理やりに笑顔をつくると、リゼは、おもむろに、自分の足首に巻かれた貝の飾りを、ほどいた。

「ユウナに、これを」

 しゃらりと貝が揺れる。ユウナのてのひらに、そっと、落とす。

「これって」

「むかし、トキにもらったの」

「だめよ、受け取れない」

「いいから、もらって。覚悟を決めたとか言いながら、結局捨てきれなかったわたしがおろかだったの。これは、あなたに」

「いやよ。トキがあなたのために作ったものでしょう? あたしは受け取れない」

 貝のかざりをリゼの手に押し戻した。

「ユウナ。トキは、あなたの」

「いいから。これは、リゼが持っているべきよ。それぐらい、星だってきっと許すわ。かみさまってやさしいところもあるのよ。トキと一緒に逃げたって、きっと」

 精いっぱいの笑顔をリゼに向けた。

―ーお願いだからそんな残酷なことしないで。トキの想いがこもった貝の飾りを、よりにもよって、あたしに、だなんて。あのひとが、ほかの女の子にあげたものなんて、あたし、は。

「ありがとう」リゼはさびしげにわらった。「でも、港にはいかない。自分から逃げ出す星読みなんて前代未聞。もし失敗したら、トキはただじゃすまされない。うまくいっても、わたしの、家族が」

「…………」

「ユウナ。そんな顔しないで。あかるい笑顔でいて。ずっとずっと、太陽みたいに、トキを照らして」

 おねがいよと、リゼはユウナの手をぎゅっと握りしめた。星読みのちいさな手は、ほんのりと、ぬくもりを取り戻していた。

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