第6話

ユウナがライラに派手な啖呵をきったことは、あっという間に村中に広まった。

 母とふたりで食事をとっている最中に、市へ出かけていた父が帰ってきた。眉を下げ、「まったく、針のむしろだ」と苦笑する。

「……ごめんなさい。とうさまとかあさまの顔をつぶしたことは、悪かったと思う」

「まあ、そんなに深刻になるな。向こうさんも悪かったと言ってくれている。親父さんが、息子は酒癖が悪くて、とこぼしていたよ。本当に失礼なことをしたと、ライラがえらく沈み込んでいるらしい」

 具体的になにがあったのかを聞かないところは、父のやさしさだった。

「本当に反省しているのなら、どうしてあたしに直接あやまりに来ないのかしら」

 ――いつも父親が出しゃばってくるじゃない。

 普段、父の影にかくれて何も言えないからこそ、酒がはいるとあそこまで傍若無人になるのだろうか。

「ユウナ。あちらさんは、お前のふるまいを水に流すと言ってくれているんだぞ」

「向こうだって悪いのに、ライラの家のほうが立場が上なのね。水に流すだなんて」

 あたしは簡単に流せない。許せないわ。

「やっぱり少し頭を冷やす時間がいるな。それからだな、……ライラの家族と会うのは」

「会う? ライラたちと?」

「ぜひ嫁に、と」

 目の前が真っ暗になった。父は苦々しげに眉をよせる。

「頑として聞かないらしい。……どうしたものか」

 ユウナはふらりと立ち上がり、膳を片づけはじめた。母が顔をあげる。

「ぜんぜん食べてないじゃないか」

「いらない。……ごめんなさい」

 ユウナはそのまま、外へ出た。

 浜辺で、ひざをかかえて、海で跳ねる光の粒を見ている。秋の午後の、やわらかな光。今宵は新月だったかしら、ぼうっとそんなことを考える。

「ユウナ」

 呼ばれて振り返る。母が追ってきていた。

「大丈夫かい」

「……うん」

 母はユウナのとなりに腰を下ろした。

「何があったか知らないが、ライラは悪い子じゃないんだ。真面目でおとなしい青年だ。ゆうべは酒が行き過ぎたんだろう」

「でも、いくら酔っぱらってても、心のなかにない言葉は出てこないはずよ」

 逆に言えばあれがきっと本心なのだ。自分にたいして下品なふるまいをしただけじゃない、リゼのことも悪しざまに罵っていた。

「ユウナ。どうしても、お嫁にいくのは嫌かい」

「嫌よ」

「相手がライラじゃなくても、かい?」

「…………」

 考えるまでもなくわかっていた。相手が誰でも、嫌だ。

「母さんもね、ユウナが納得できる相手と一緒になるのがいちばんだと思う。ライラのことがどうしても嫌なら、無理強いはしない。のらりくらりとかわすさ。だけど、な」

 母のふかい吐息が聞こえる。

「あれはだめだ。灯台守の息子は」

「かあさま」

「あれはよそ者だ。どこの生まれかもわからん。溶け込もうという気持ちもない。村の神事にもいっさい出てこないらしいじゃないか」

「どうして、そんなこと」

「みな、うわさしとる。あれの育ての親もろくなもんじゃない。ぐうたらで、昼間は家によその嫁を連れ込んでいるといううわさだ」

「ぜんぶ、人から聞いたことじゃない。それに、育ての親って」

 トキ本人から聞いてはいたが、母がくだらない噂話をあっさりと鵜呑みにしているのが解せない。

「見ればわかる。まったく似ていないからな。あの髪の色、目の色、この島のどこにそんな人間がいる。それもそのはず、赤子のとき浜に打ち上げられていたという話だよ。わざわいをもたらすといって皆が持て余していたら、変わり者の灯台守だけが引き取るといって手をあげたそうだ。あれには家族がないから、身の回りの世話をさせたり、灯台の番をさせたりしたかったんだろう」

 赤子のとき浜に打ち上げられていた……。ユウナはサリエの赤ん坊のことを思い出していた。まんまるく澄んだひとみで、手のひらは信じられないぐらい小さく、声をあげてわらい、張り裂けんばかりに泣く。守ってあげたいと思わせる、いとおしい存在だ。なのに、そんな小さな赤ん坊にたいして、わざわいをもたらすなどと、どうして言えるのか。

「ひどい。みんな、ひどい」

 こみあげるやるせなさに、胸がしめつけられる。

「みんな、どうしてトキのほんとうのすがたを見ようとしないの?」

 やわらかい笑顔、やさしく下がる目じり、海の果てをみつめるくもりのない瞳。率直で、するどく刺さる言葉。なにかを押し殺すかのように、ときおり、遠くを見やるその横顔も。みんなみんな、なにも、知らないくせに。

「会うなとは言わない。無理やり引き離しても火に油だからね。だけど、結婚は許さない。それは肝に銘じておきなさい」

 有無を言わせない母の言葉。心配しなくても、結婚なんてありえないわと思う。トキにとって自分は妹のような存在であり、けしてそれ以上にはなり得ないこと、ユウナは痛いぐらいにわかっている。

――トキはリゼのことを思っている。あたしにはわかる。ふたりはどこか、似ている。

「今夜は新月、か」

 重い空気を振り払うように、母が話題を変えた。

「星読みは新月の夜に塔へのぼるのでしょう?」

「ああ。……しかし。あれもかわいそうな娘だ」

「リゼのこと?」

 母はうなずく。

「完全に星読みとしての信用を失っている。まだ十八だ、みな気長な目で見てやればよいものを、嵐や大波がかさなって余裕がないんだよ。森から出して予言をさせようとか、力があるのか証明させようとか、息まいているらしい」

 ライラやライラの父の言葉が脳裏によぎる。

「となり村ではリゼの実家がいやがらせを受けているらしい。嵐ですべてを持って行かれたやるせなさの、ぶつけ場所がほかにないんだろう。それにしたってひどい話だよ」

 母は立ち上がって着物の砂をはらった。

「いつまでもさぼってないで畑へ行かないと。ユウナは、そうだね、貝や魚を獲ってきな。晩のおかずにしよう」

 そう告げて、浜を去った。

 言いようのない不安が、ユウナの胸に満ち満ちる。

 日が暮れて、月のない、リゼが星に祈りをささげる夜、ユウナもまた浜へ出て海へ祈った。幼き日に出会った銀色の大きなもの――ユウナだけのかみさま、に。トキは神などいないと言ったし、大きな存在自身も、みずからを神ではないと言った。それでもユウナは祈るよすがが欲しい。

――おねがい。守って。リゼを守って。トキを守って。おねがい、おねがい――

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