第2話 手料理と疑心

 馨が来てから三日目に潔彦は手料理を作ってくれた。いつもより早く仕事が終わったから安くなっていたひき肉を買ってきてハンバーグにした。料理が作れると言うから、馨はどのくらいのものなのかと期待したが、ひき肉を調味料やなんかと混ぜて焼いて、レトルトのデミグラスソースをかけただけのものだった。

「おいしいよ。キョウくん、いつもこうやって自分で作るの?」

「お前は何を食べてもおいしいって言うよな」

「えー、だっておいしいんだもん」

「でも、本当においしいと思ってる時は食べるのが早い」

「そうかな?」

「そうだよ。見てればわかる」

 皿洗いは自分がすると馨は言ったが、潔彦は承諾しなかった。馨が不器用で皿の一枚や二枚割るのが当たり前だということを潔彦はよく知っている。皿が割れるだけならいいが、出血をされては困る。

「キョウくーん、面白い番組やってるよー」

 水が流れている台所にも聞こえるように馨は大きい声で話しかけた。

「何だって?」

 馨の大声は潔彦の耳に届いたが、聞き取れなかった。

「ゾウとかキリンとかが遊びに来るホテルがあるんだって!」

「キリン? 何言ってるんだ?」

「だーかーらー」

 馨はテレビから目を離し、台所に向かって声を張り上げる。

「アフリカにー! ゾウとかキリンがー! 遊びに来るホテルがー! あるんだってー!」

 潔彦は水を流すのをやめて、ちょっとだけテレビに目をやった。

 観光地らしい洒落た雰囲気で、アフリカっぽいエキゾチックな調度品が置いてあるホテルの窓の外からキリンが顔を出して、宿泊客の手から餌を食べている映像が映っていた。

「ゾウはいないじゃないか」

「さっきゾウも来るってナレーションで言ってた気がする」

「そうか」

 ふと、ソファの上で身を捩り、台所に上半身ごと顔を向ける馨と潔彦は視線を交わらせた。

「皿洗い終わったの?」

「いや、まだ」

 潔彦はシンクに並べた泡だらけの皿を濯ぐ作業に戻った。

 テレビの音と水の流れる音がしている。馨は何も言ってこない。面白いシーンがないのか、それとも何か別のことを始めたのか。

 潔彦は突如背中に体温を感じて手を止めかけた。水の動きに合わせて皿を裏表に返し続けた。

 後ろに馨が立っていた。物音一つ立てずに近づいていたのだ。

 馨の手が潔彦の腰を這う。

「こっちに来てから、ずっと一人だったの?」

 この距離ならどんな小さな声でも聞き取れる。潔彦は馨の手が前へ前へと移動していくのを意識しながら答えた。

「会社と家の往復ばっかりだったよ。休みの日はほとんど寝てた」

「じゃあ、こっちも?」

 馨の細かい指先の動き。何をしようとしているのかわかった。潔彦には、馨の好きにさせるつもりはない。水を止め、濡れた手のまま振り返り、馨を狭い台所の壁に追い詰めた。

 馨のパジャマの肩先が濡れた。馨が吐息を漏らす隙も与えない。潔彦の唇は馨の口を塞ぎ、いたずら好きの手は潔彦が直接触れずとも脱力する。

 馨が潔彦のされるがままになっていることに満足して、潔彦は馨を解放した。馨はじっとして動かない。潔彦もその場から一歩も動かない。

 狭い空間で二人は至近距離で見つめ合う。

「俺のこと、嫌?」

 馨が言う。

「何のことだ?」

 馨が目を逸らす。

「だって、キョウくんさ、ずっと、なんか……」

 馨は俯く。

「もう寝ろよ」

 潔彦はなるべく優しい声音を作って言った。馨もほぼ同時に口を開いた。

「いいの?」

「何が?」

 馨は目を泳がせている。

「俺、ここにいていいの?」

 何を言っているんだ?

 潔彦は質問の真意が読み取れず、適当に返答した。

「当然だ。お前の親からも面倒見てくれって頼まれてる」

 馨は潔彦と目を合わせようとしなかった。何か不満げな表情をしている。潔彦にはわからない。

「……そうだよね」

 パジャマが濡れたことも構わず、馨は自室に入っていった。おやすみも言わずにその場を離れた。

 潔彦はしばらく動かずにいた。自分は何かを間違った気がする。馨の態度がそれを示していた。だが、何を間違えたのかわからない。

 潔彦は考えるのを止め、やりかけの皿洗いを終わらせようと振り返った。

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