虹と新芽
伊豆 可未名
第1話 再会と上京
大きい荷物を降ろして玄関で靴を脱ぐ
ちぇ、なんだよ。
馨は楽しみにしていた再会を台無しにされて、ファーストコンタクトのがっかりを返上しようと試みた。
「キョウくん! 久しぶりだね!」
ソファに座ってテレビを見ている潔彦を両腕に抱え込んで勢いよくハグする。だが、潔彦は無反応で、飲みかけていた缶ジュースを零さないようにバランスを保ちながら馨を押し退けた。
「お前の部屋はあっち。引越し屋が持ってきた分はそのままにしてあるから、好きにしろ」
「はーい」
馨はトボトボと玄関に戻り、置き去りにしていた荷物を担いで潔彦に言われた部屋に入った。
一人きりになって、ため息をつく。
馨は今年から大学生になる。一歳年上の潔彦が高校卒業後、家を出て都内に就職してからは一度も会う機会がなかった。潔彦が連休も盆休みも年末年始も仕事を理由に帰郷しなかったからだ。社会人とはそんなにも忙しいものなのか、高校三年生だった馨にはわからなかったが、大学受験の勉強中だった自分も同じようなものだった。
都内の大学に入学することが決まった馨は、潔彦の住むマンションの部屋に一緒に住むことになった。一年間会わずにいたのに、今度はルームメイトになって毎日会えるのが、馨は嬉しくてたまらなかった。
なのに、潔彦はちっとも嬉しそうじゃない。
「あーあ、やんなっちゃうなー。俺とキョウくんの仲なのになー」
馨は、馨だけが呼ぶ潔彦の愛称を声に出しながら文句を言った。潔彦が部屋へ来る気配はない。木製のドアに薄い壁のこの部屋では、どうせ聞こえているのに無視しているのだろう。
馨はダンボール箱を開けて部屋を住める状態にする作業に集中することにした。
部屋には、ダンボール箱の他に、家具の量販店で買ったセール品の机とタンスと本棚とベッドしかない。まずは洋服をタンスに移して、ノートパソコンと筆記用具を机にセットする。暇な時に読めるように持ってきた小説や漫画は、重いし数が多いのでダンボール箱を部屋の端に寄せて、気が向いたら本棚に並べよう。
小一時間すると、ドアがノックされて潔彦が顔を出した。
作業が嫌になって一つだけ開けたダンボール箱から出したお気に入りの漫画をベッドに寝転んで読んでいた馨は、不意を突かれて喜ぶ余裕もなかった。
「夕飯は何がいい? 外に食いに行くのでもいいし、俺が作ってもいい。初めて東京来たから、何か旨いもんでも食いに行くか?」
「え? キョウくん、料理できるの?」
「当たり前だろ」
「じゃあ、俺、キョウくんの手料理が食べたい。ハンバーグがいい」
「そういえば、買い物に行ってなかったから冷蔵庫に何もなかった。外食にしよう。ハンバーグならどんな店でも食べられるだろう」
潔彦は言い残して、ドアを閉めた。全くペースが掴めない馨は瞬時戸惑ったが、漫画をベッドに放り出して、出かける準備をした。
潔彦は地元にはないファミレスに馨を連れて行った。ハンバーグもあるし和食もあるし何でも揃ってる。店内は客が多く、店員が忙しなく動き回っていて、地元にあるファミレスにはない活気に溢れていた。
馨は緊張しながら店に入った。
「俺がいつも頼むものは決まってるから、メニュー、好きに見ていいぞ」
潔彦が馨にメニュー表を向ける。馨はワクワクしながらメニューを開き、目移りしてどれを食べようか散々迷い、ハンバーグではなく、厚切りベーコンのスパゲッティにした。
「うまーい!」
馨は無駄にデカいリアクションを取って潔彦の気を引こうとするが、潔彦は和食御膳の揚げ物に夢中で聞いていない。
「ねえ、それおいしい?」
馨は潔彦の揚げ物を欲しそうな目で見る。
「一つやろうか?」
「いいの!?」
潔彦は箸で揚げ物を一つ掴んで馨のスパゲッティの皿の端っこに乗せた。
「ありがとう!」
馨は再会して初めての潔彦の好意をありがたくいただいた。
「これもおいしいね!」
「そうだろ?」
潔彦の表情がやや穏やかになった。馨は安心して、スパゲッティをモリモリ完食した。初めての東京だからと、潔彦はデザートまで注文してくれて、男二人できらびやかに飾り付けられた特大パフェを食べた。
「お前、金持ってないだろ? 俺が払うから、先に外出てろ」
「えー、やだ。寒いよ」
「じゃあそこにいろ」
潔彦が会計を済ますと、二人は少しだけ近所を散歩してから帰ることにした。馨が道を覚えるためだった。
「明日、俺は仕事だから一日家にいないぞ」
「何時に帰ってくるの?」
「九時がいいところだな。最悪、終電間際だ」
「それじゃ、明日、俺一人っきりじゃん」
「合鍵渡すから、また散歩でもすればいいだろ。大学始まるのはいつからだ?」
「四月一日からオリエンテーションとか健康診断とか、サークル勧誘とか、あるよ」
「なら、それまでに東京に慣れておくんだな。満員電車も乗ったことないだろ? 露骨に態度悪いやつとかいるから、経験しておいた方がいい」
「わかった」
「なんかあったら、俺に連絡しろよ」
「うん!」
二人はまだ肌寒さを残す三月末の夜風に吹かれて、並んで歩いた。公園の側を通ると、早めに咲いた桜の花が散って、道路に白い点々をつけていた。
「俺、キョウくんと一緒に住むのすっげえ楽しみ」
「ほとんど俺は家にいないけどな」
「でも、寝る時は一緒だよ。朝と夜会えるだけでも最高」
「そうか」
「俺ね、大学入ったらフットサルやりたいんだ。キョウくんも休みの日とか、やろうよ」
「サークルに社会人は入れないだろ」
「サークルの友達と休みの日にサークルという名目はなしに勝手に集まってどこかでやるの」
「まあ、気が向いたらな」
潔彦はあまり乗り気でなさそうだった。
「キョウくん、どのくらい休みあるの? 平日も遊びに行ける?」
「不定期だからな、その月による」
「そっかー」
沈黙が二人を包む。時々通る車の音が耳にこびりつく。東京の街はどこで人が見ているかわからないから、二人の距離感も掴みにくい。
「帰ったらもう寝るの?」
「そうだな」
「明日何時に起きるの?」
「五時」
「早いよ」
「お前は寝てればいいだろ」
「そうだけど……」
二人はマンションに到着する。
交代で風呂に入り、寝仕度をして、別々の部屋で寝る。
なんだろう、これ。
馨はベッドの上に置きっぱなしにしていた漫画をどけて横になる。潔彦の部屋のベル初めて鳴らした時までのドキドキはもうどこにもなかった。
昔はこんなじゃなかった。もっと会話も弾んで、一緒に登下校して、休みの日は楽しいこともいっぱいした。
馨はまどろむ。疲れと不満が馨を眠りに誘う。夢の中で、馨はかつての潔彦と一緒だった。
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