第2話

 家族というのは不思議なものだ。何の用事もないのに、頻繁に訪れては無償の笑顔を置いて行ってくれる。持ってくる果物は私の口に合う、私の好物と思しきものだった。家族が去った後は、病室に流れる無音の調和が織りなす空間でゆったりと過ごすことができる。二階の窓から見える木々は、建物の周囲を囲む針葉樹の森に繋がっており、出口のない自然の中で私は生活している。まるで現実感の伴わない生活だった。優しい家族、綺麗な病室、仕事熱心な看護師、静かな外の世界。

 私が誕生日を迎え、家族と会ってから二週間が経った。曜日が二回りもすると病院での生活にもそこはかとなくリズムというものがあるのだと知る。

私が気に入っているのは週末で、昼食後の温かい午後になると柔らかい弦楽器の音色が窓から入り込み、ゆったりとした空気の層と共に私を包んでいく。目に見えない音の優しげな表情に私は安心して身体をあずけてまどろめるのだ。

 他の日はというと、ほとんど毎日が何もない退屈な時間だった。看護師は配膳の時に顔を合わせるだけであとは大抵のことに不干渉だったので、私はのらりくらりと減速していくような時間の中で過ごすことが多かった。時折家族が私の病室を訪れて、妹が最近あったことを話してくれたり母親が果物を持ってきてくれたりした。妹は私に輝かくような表情でお話をしてくれる。母親はその後ろで穏やかな笑みを絶やさない。

 それでも、そうした時間を私は好きになれなかった。私は母親と妹の顔を見るたびにおずおずと笑いかけ、病室の調和を崩さないために正しい反応を探し続けなくてはいけなかった。

「具合はどう?」

 一言目は母親が先手を切る。私は変わらず曖昧な笑みを返すだけだが、母親はそれで満足してしまうらしい。妹はそれを確認すると決まって彼女の通う学校の話をしてくれた。

「また一緒に学校に行きたいね!」

 妹は以前、私と一緒に学校へ通っていたようだ。妹にとってそれが大切な日常だったのだと彼女の様子を見て分かった。お預けになってしまった変わらないはずの風景は、まだ彼女の通学路で揺蕩うように微笑みかけているらしい。

あの妖精のように愛くるしく、溢れんばかりの輝きを灯す瞳。私はその姿に、初めの頃に感じていた戸惑いを徐々に削り殺し、ついには妹を家族として本当に愛するようになれるきっかけを感じた。二週間と言う時間の中で、初めてそんな気になれた。

 

 時折、妹が私に、いつになったら退院できるのかと躊躇いがちに聞く。そんなもの私には皆目見当がつかない。しかし何かしら返事をしなければ、と妹の瞳を見るたびに妙な焦燥が私を急き立てる。ところが、私が答えようとする度、それを制するように「もうすぐよ」と、母親があの穏やかな笑みで二人の間に言葉をねじ込む。

 一度だけ、昼食を運びに来た看護師を引きとめて、私は何の病気で入院しているのかを聞こうとしたことがある。私の前に温かいシチューの乗ったトレーを置いて離れようとする若い看護師を、服を掴んで引き留めたことがあるのだ。振り返った若い看護師は、私が私が口を開き、何かをしゃべろうとしたのを見たとき、表情を一変させた。それは目をすっと細めたとか、口元をきゅっと結んだとか、頬の筋肉に力が入ったとか、そういった顔のパーツごとの僅かな変化の集まりでできる小さな表情の変化だった。ただ一瞬だけの変化で、看護師はすぐに柔和な顔つきで「温かいうちに食べてくださいね」と私に言い、病室をゆっくりと後にしてしまった。

 私が病気について誰かに聞こうとしたのは、その一度きりだ。母親や妹に聞く気にはならなかった。理由は分からない。ただ、自分の病気について思案しようとするたびにあの看護師の表情が頭をかすめるようによぎるのだった。


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