第6話 狂鬼、覧負(キョウキ、ランブ)
‐零-
――今まで、どれだけのものを見過ごしてきたのだろう
-一-
五月も終わり六月が来て、ついでに長い梅雨の季節がやってきた。
雨も嫌いじゃないけど薄暗い毎日が続くというのも鬱陶しいもので、梅雨というのは夏の走りの暑さに加えて本格的に日本の夏らしくジメジメとしてくるから余計に鬱陶しい。更に日によっては南国九州といえども妙に肌寒かったりするから性質が悪い。おまけに傘を持って移動というのが面倒。かと言って傘を持ってなかったりすると大自然のアリガタイ恵みを一身に受けて風邪を引くという、何とも素晴らしい結末を与えてくれるのだから神様というのはとんでもないお方だ。
モチロン僕も好き好んでそんな恵みを受ける趣味は無いので毎日傘を持って移動していて、今日はその恩恵を最大限に享受しながら薄暗い建物の中へと体を滑り込ませた。
ずいぶんと年季の入った、コンクリート打ちっぱなしの警察署は夜になると経費削減の為か灯りも最小限しか点いてなくて、汚れた壁の雰囲気も手伝ってさながらお化け屋敷だ。誰かとすれ違う時も相手の顔が良く見えなくて、すれ違う間際になってようやく確認できる暗さ。隣にできた、真新しい本館にて仕事をしている正規のお巡りさんたちが羨ましいと思う今日この頃です。
なぜ夜にそんな場所に僕がいるかと言えば、それは僕がこれからバイトだからに他ならず、暗さにあてられて少々陰鬱な気持ちに思わずため息をつきながらも一番奥のエレベーターの方へと向かった。
ボタンを押せばチン、という軽い音が響いてグワ!とばかりに口を開ける。その口に自分から飲み込まれに行って一人寂しい時を過ごさなければならない。エレベーターに乗って、孤独に耐えながらも階数ボタンの下にあるスリットに与えられた特殊なカードを通す。すると、その下に新たにボタンが現れて、それを押すと建物の遥か地下にある我らが秘密組織へと辿りつくのだ!
……なんて事は起こらない。そもそもエレベーターの手前にある地下階段がS.T.E.A.Rに行くルートなのだから。
ただ特殊なカードが必要だというのは本当で、踊り場までが微妙に長い階段をいくつか降りると、カードリーダーが有って、そこにカードを通さないとフロアの入り口は開いてくれない。秘密組織と言う割には甘いセキュリティな気もしないではない。けど、どういう原理だかは知らないが偽造は無理らしく、ついでに不許可者が入ったら「とんでもないことが起きる」とは七海さんの談。
「まあ、雨水君なら大丈夫でしょうけど、やってみる?」と言っていたから、きっと人権無視の本当にとんでもない事が起きるんだと思う。て言うか、僕でも大丈夫じゃねえよ。
そんなセキュリティーを越えるとすぐ正面に部屋があって、そのドアを開けて入った。ちなみにドアの上には「第三倉庫」と書かれたプレートが付けられていて、その文字に大きくバツが書かれてる。そしてその横にはコピー紙に手書きで「S.T.E.A.R」と書かれていた。泣けてくる。
非公開な組織なのは分かるけどあんまりじゃないだろうか。でも紛れも無くそこは僕のバイト先であり、ただのバイト君なのに僕専用の机が課長の目の前に設置されているところにそこはかとない悪意を感じるのは僕だけか。
「ん? 鏡ちんじゃないか。こんにちは。いや、こんばんは、かな? 仕事とは言え、夜中にお疲れ様だね」
「うぃーっす、鏡ちん。お疲れさーん」
基本的には閑古鳥が鳴きっぱなしのここはいつも数えるくらいの人しかいなくて、今日は事務仕事が残っているのか、佳人さんと八雲さんが口々に挨拶をしてくる。誰かさんのせいですっかり僕の呼び名が「鏡ちん」に定着してしまったけど、それについてはとがめたり文句を言ったりはしない。彼らは彼らなりに新参者が馴染みやすいよう親愛の意味を込めてそう呼んでくれているのだ。距離感をまだ微妙に感じる僕にやめて下さいと文句を言う勇気は無い。
すこぶる笑顔で彼らに挨拶を返すとカバンを机に置いてパソコンを立ち上げる。
「なんだ、鏡じゃないか。どうして来た? 今日はお前の出動予定はないぞ?」
「課長が今日までに書類を作り上げろって言ったと思うんですが……」
最近はどうにも事件がらみよりも、こっちでの事務仕事がメインになってきてる。ちょっと前までは週に一回、多くて二回程度の出勤で良かったのが、今じゃ週の半分以上の夜をここで過ごしてた。
どうやら今まで事務仕事を専門にする人がいなかったらしい。恐らくは一般的な職場よりも少ないだろう書類でもそれなりに数はあって、かと言って報告書とかのフォーマットも全然定まってなくて、みんな書類作成のスピードがかなり遅かった。で、そこに僕が来てしまった、と。
「あー……そういえばそんな事も言ったな」
最前線で戦うにはあんまり役に立たず、かと言って後方支援するにも人数は足りなくは無い。まあ、端的に言えば平時は要らない、と。分かってたことだけどさ。
ならば、と言う事で課長から事務仕事が回されてた訳だけども、どういう訳だか僕にはソッチ系の才能が多少はあったみたいで、他の人よりも書類仕事の仕上がりが断然早かった。おまけに無駄に凝り性な性格のせいで、誰でも使いやすいようにと思って改良に改良を重ねた、我ながら惚れ惚れするようなウツクシイ体裁にして提出してしまった。幸か不幸か、それに味を占めた課長が僕に書類を回し、みんなが回し、となっていって、気づけばコッチが本職になってしまってる。おかげでこうしてバイトの日数を増やさないと行けなくなったワケで。
「なんか、疲れてますね。大丈夫ですか?」
「最近忙しくてな。特にお偉方からのくだらんたわ言が煩すぎる」
そう言って課長は目元をつまんで筋肉を解す。忙しい忙しいとはこの人の口癖だけど、こうして見ると本当に大変そうで同情してしまう。
「大体、私は管理仕事が嫌いなんだよ」
「課長として問題発言じゃないですか、それ?」
「鏡、今日からお前が課長ということで一つよろしく」
「謹んでお断りします」
さも名案みたいな顔して言わないでください。そして残念そうな顔をするな。
同情はしても立場を取って変わるのは心底ゴメンだ。責任は好きじゃない。僕は僕の責任を取るだけで両手はいっぱいだ。
「とりあえずもうすぐ大体のフォーマット作成も終わりますし、これからはたぶん報告が読み易くなると思いますよ。皆さんが活用してくれるかは別ですが」
「ありがとう。頼りにしてるぞ」
仕事だからお礼を言われるほどでも無いとは思うけど、やっぱり言われると嬉しくなるのは僕が慣れてないからか。昔は結構頻繁に言われてた気がするけど、成長してからは無くなった。課長は普段あまりそういう事は言わないから余計に嬉しくて、何処かむずがゆい。きっと、幼くして頑張っていた僕はこの感情が好きで堪らなかったんだろう、と過ぎ去った過去に思いを馳せた。
「なんだ? ニヤニヤして」
「何でも無いですよ」
ホント、我ながら単純だ。けど悪くない気持ちだ。梅雨の悪天候と夜中であることで低かった僕のテンションがこっそりと急上昇する。
立ち上がっていたパソコンに向かってさあ、やるか、と作りかけのドキュメントを開く。指をポキポキと鳴らしてキーボードに手を置いたところで「ああ、そうだった」と課長がつぶやいた。
「鏡、ちょっとコッチに来い」
僕に声を掛けると、ヒールでカーペットも何も敷かれていない寒々しい床をコツコツ鳴らしながら部屋を出て右に折れる。ソッチの方には仮眠室しか無い。そして夜が活動時間になるウチには、当然ながらそこを使う人間は殆どいない。
なんでしょうか、とばかりに佳人さんと八雲さんに視線を送るけど、返ってきたのは斜めに傾いた頭とすくめられた肩。二人には心当たりが無いらしい。
怪訝に思いながらも課長の後を追って部屋へと入る。
本音を言えばこの部屋は好きじゃない。初めてS.T.E.A.Rに来た時もこの部屋で、自分の異常性を自覚させられ、選択を迫られ、拒否した。なのに結局はここに所属することになってしまった。あれだけ嫌がっていたくせに、今じゃこうしてすっかり慣れてしまっている自分がいて、無意識のうちに今の生活に従属してしまおうとしている。流されるのが体の隅々まで染み付いてしまっていて、その主体性の無さが腹立たしく、それをまた仕方ないと考えてしまう自分がいる事を考えてしまってやるせない気持ちになる。
ため息一つ。栓のない考えを振り払ってドアを開けた。
「遅いな。時間は私だけじゃなくて世界全国あまねく有限だと思っていたのは勘違いだったか?」
「スイマセン、何か粗相をやらかしてしまったかとドキドキして部屋に入るのをためらってました」
「言うなれば私を待たせたことが一番の粗相だが」
まあそれはいい、と話題を捨ておいて課長はドアの外に誰もいない事を確認すると後ろ手で鍵を掛けた。それを見て僕は不安になる。何かとんでもない事が、それこそ僕の両手どころか両脚その他全てを最大限に最高効率で使用しようともまかない切れない事が始まる様な、でもそれが何なのか全体像を把握できず、そもそも何をすればいいのかも五里霧中でさっぱり分からない、そんな漠然とした不安。
一度課長は僕の方を見て、だけど何も言わずに椅子を軋ませた。
「単刀直入に言う。悠からしばらく眼を離すな」
突然そんな事を口にした。あまりに唐突で意味が分からない。あれか、水城さんがあまりにもフラフラと子供みたいにどっかに行ってしまうからちゃんと見張ってろ、という意味か。非番の時はいっつも街を歩き回ってるらしいけど、実は非番じゃなくて単なるサボリとか。そんな訳ないか。
どう見ても課長は大真面目でふざけて言ってるようには見えないし。水城さんに限ってそんな事あるわけ無いと思うが、でも完全に否定できないのがツライところか。あの人ならそういう事もしていそうな気がしないでも無い。
そんな軽口を口にしようと思ったけど、ギシ、と鳴らされた音が、自分でも信じていない思考を何だか咎めているみたいだ。そもそもそんな話なら僕だけ呼び出して、オマケにドアに鍵まで掛ける理由は無い。正直、真意を測りかねる。だから代わりに素直な感想で応えた。
「唐突ですね。僕の代わりに水城さんが何かやらかしましたか?」
「すでに何かやらかしたのなら話は簡単なんだがな……最近どうも悠の様子がおかしい」
「おかしいって……昨日も会いましたけど、何も変なところは無かったですよ? まあ、あの人が変わった人なのは今に始まったことじゃないですけど」
「アイツが変人なのはみんな知っている。だが、何と言ったらいいかな……」
ズバズバと、それこそ人のコンプレックスだろうが泣き所だろうが遠慮無く口にしてピンヒールで踏み潰す課長にしては歯切れが悪い。そして、そこに妙な気持ち悪さを感じてしまう。
「具体的には何か無いんですか? もしあればそこに注意して観察しますけど……」
「アイツのキャラクター以外に具体的に何か際立って変だ、という所は無い。無いんだが、どうにもな……嫌な予感がする」
この人が言うと、ただの勘であってもそれが正しいような、そんな説得感がある。
課長の雰囲気に当てられたか、僕にも胸騒ぎにも近いモヤモヤした落ち着かないものがどこかからかこみ上げてくる。嫌な感じ。絶対にあり得ないのに、あり得ないのに起こると確信を持ててしまう。
うつむいて、そして顔を上げる。静かな部屋で、地下なので物音ひとつしない。それが不安を倍化させる。
くだらない、と一笑に付したくて、でも課長相手にそんなことできるほどに豪胆な性格でもない僕はわざとらしくため息をついて「分かりました」と返事をした。
「悠がココにいる間は気にしなくていいぞ。私が見ておくからな。お前には現場に行った時や私がいない時に頼みたい。できるならプライベートでもお願いしたいところだが、さすがにそこまでは強制できん」
「……意外ですね。課長なら四六時中、それこそ起きてる間ずっと一緒にいろって言うかと思いました」
「なんだ、お前らそういう関係だったのか? なら……」
「いえ、結構です。僕と水城さんはそういう関係でも無いですし、僕は自分でも他人でもプライベートは大切にしますから」
水城さんと、いわゆる「恋人」な関係になることを想像しないとは言わない。かなり変な人だけど魅力的だとは思うし、お世話になってるし、感謝もしている。でも恋愛感情を持っているとは思わない、思えない。僕が抱く感情は、正祐に対するものと大して変わらない。そう、変わらないはずだ。
「とにかく、話はそれだけだ。時間を取らせたな」
「いえ、水城さんには良くしてもらってますし、役立てるのなら役に立ちたいと思いますから。
一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「この話は他の人には?」
「いや、していない。これは根拠も何も無い私のただの勘だ。そんな事で連中に気を回されて、仕事でトラブルを起こされても困るからな」
「なら僕も話さない方がいいですね」
「そうだな。悠の耳に入るといろいろと面倒だ。アイツはアイツで繊細なところがあるからお前も悟られないように気をつけるんだな」
「繊細って思ってる割には相当イジってますよね?」
「バカ、ああいうのはコツがあるんだよ」
そう言って課長はニヤ、と笑って自分の頭を人差し指でつついた。
「そんなモンですか?」
「そんなモンさ。下手なヤツがやれば恨まれるのがオチだ。お前も気をつけるんだな」
「確かに課長ほど上手くできる自信はないですね。突然後ろから刺されないように注意しておきますよ」
真面目な話からあっという間にバカ話に切り替わって、部屋の空気が急激に弛緩した。
もうこれで話は終わりだろう。あまり人を監視するのは好きじゃないけど、まだ相手が水城さんで良かったのかもしれない。これでオッサンでも監視しろとか言われたら、何が楽しいんだか分かったもんじゃない。
ピリリ、と遊び心の欠片も無いシンプルな着信音が響く。課長はポケットから携帯を取り出すと、折りたたみ式のそれを開いて耳に押し当てて僕に背を向けた。
「はい、榊です」
応答しながら僕に目配せしてくる。それを受け取った僕は軽く頭を下げてドアノブに手を掛ける。一度引いて動かないドアに、鍵を掛けていたことを思い出してノブの中心にあるつまみを捻る。ガチャリ、と乾いた音がした。
「……もう一度話せ、山江班長。どうやら私の耳はきちんと機能を果たしていないらしい」
背後からゾッとする声が聞こえた。
課長らしい人を小馬鹿にした口調で、決して激昂してるわけでも、相手を大声で怒鳴りつけるでもない。だけども突き刺さる様な怒りのこもった冷たさが、言われているわけでもない僕を貫く。
間違いない。あれはかなりイラついてる。電話で話しながらつま先で乱暴に床を叩く。振り向きたいけど、振り向きたくない。恐らくは第一班の班長である山江さんが相手らしいけど、課長をここまで激怒させているのは何か。会話の内容が気になるけど、聞けばひどく面倒な事に巻き込まれるのは明白。いや、第一班は今も出動中で、その責任者たる班長から連絡が来ているということは仕事がらみである事は確かで、ならばこの場で聞いても聞かなくても、結局は巻き込まれるか。要は聞かされるのが早いか遅いかの違い程度の、些細で取るに足らない差でしかない。
「謝罪も言い訳も要らん。時間の無駄だ。事実だけを正確に話せ。……それで…ああ……ほぉ、なるほどな……貴様の言う通り大失態だな、山江。処分はまた後で伝える。とにかく貴様は隊をまとめて一旦帰還しろ。こちらはこちらで準備を進めておく」
パチン、と小気味いい音をさせて携帯が半分に折りたたまれ、少しだけ乱暴な仕草でスーツのポケットへと吸い込まれる。そして僕に背を向けたまま僕の名前を呼んだ。
「今から非番の人間に片っ端から電話を掛けて叩き起せ。寝てようが飯食っていようがセックスしていようが構わん。大至急全員をココに集めろ。三十分以内にだ」
そう言って口元を歪ませる課長の笑い方に形容詞をつけるならば、形の上だとニヤリ、というのが適切かもしれない。でも僕には課長の口の中に鋭く尖った、あらゆるものを貫いて一度食らいついたら絶対に話さない牙が見えた。そんな気がした。
「……何をするんですか?」
「何をする? 決まっている」
言うや否や、課長は身を翻して僕の方に迫り、僕を押し退けてドアを開く。短めの黒髪が暴れて僕の顔を軽く叩いた。
「狩りだ」
-二-
全員が集められたところで課長から聞かされた話によると、あれだけ課長を激怒させた出来事は、端的に言えば犯人捕獲・殺害の失敗。能力者強盗犯たちの捕獲に山江班長率いる第一班が参加したわけだけども、逆に多大な被害をこちら側が受けて、しかも逃げられてしまったらしい。
どこまでが本当かは知らないけど、第一班が受けた損害は相当なものだった。非能力者班員の死亡者一名。結界師の死亡者二名。戦闘要員の能力者の死者一名。他、重軽傷者多数。班員の六割が何らかの害を被った計算になり、どれだけ被害が甚大かが分かる。
相手は四人。それだけであれだけの被害を受けたのだから、なるほど、確かに大失態だろうし、課長が激怒するのも分からないでもない。
「でも第一班相手にそれだけ戦えるってすごいことだよね?」
ビルの壁にもたれかかってある建物の様子を伺う僕に、水城さんがどこか興奮したように話しかけてきた。
S.T.E.A.Rで動ける人間全員を動員した一大捜索劇は、あっさりと終わりを見せた。ただ単に聞き込みをしただけで。
警察に所属してるとは言え、僕らはその身分を公にはできない。だから警察手帳とかそういう身分証明できるものは普段は一切持ってないのだけど、課長は全員分のそれを持ってきて仮支給してくれた。どこから持ってきたのかは全く以て不明で、もしかしたら偽造してるんじゃないかとも思わないでもないけど、ともかくこれを使って、テレビとかでよく見る聞き込みなんかを僕らは行った。
その行為自体は、まあ多少のあこがれみたいなのもあって楽しかったといえば楽しかったけど、最初、僕はこの行動に疑問を抱いてた。そもそも、この街にはもういないんじゃないかと。
声を大にして聞くのははばかられたから、一緒に捜査をした佳人さんにコソッと聞いてみたところ「たぶん大丈夫だよ」という返事が返ってきた。ただ、理由は教えてくれなかった。
ともかく、犯人の容姿とか特徴は分かってるわけだし、疑心暗鬼ながらも僕と佳人さん、水城さんの三人で探し回ったところ、二日掛けただけであっさりと、ホントにあっさりと居所が分かってしまった。
戦闘能力は皆無な僕だけど、事、能力者の捜索に関しては自信があった。タバコの灰みたく吹けば消し飛ぶ程度の自信だけど。
そんななけなしの自信を頼りに担当範囲の中で僕が感じた違和感を中心に捜索にあたって行った結果、それらしい目撃者情報が見つかって、最終的には恐らく犯人たちが集うであろう建物にまでたどり着いてしまった。捜索場所は各グループに割り当てられたから、たまたま僕らの担当範囲が当たっただけなんだろうけど、何と言うか、拍子抜けもいい所だった。
「だとしても、まだこの街にいるなんて間抜け過ぎやしませんか? 僕らに顔が割れてるわけですし」
「一班を返り討ちにしたくらいだから、やっぱ自信があるんじゃない?」
「それなら尚更、突入部隊に加わりたくはないんですけど」
話しながら僕はこの間の課長の話を思い出す。様子がおかしいとは言っていたけど、こうして面と向かって話している水城さんにおかしな様子は見つからない。この二日間もずっと一緒に行動していたけど、何も変なところは無かった。
いつも通り笑って、いつも通りイジラれて、いつも通り話して。
そこにいたのは、まだ知り合ってから短い、でも僕の知っている彼女でしか無かった。
「二人とも。話すのは構わねーけどさ、ちゃんと見張っててくれよ?」
「あっと、スイマセン」
「大丈夫だよ、さっきから佳人クンがずっと見張ってるんでしょ?」
「そりゃそうだが、俺一人だとどんな見落としするかワカンネーし」
「今回ヘマしちゃったら、課長から殺されちゃうんじゃない?」
何でも無いことの様に言ってるけど、それがまた有り得そうだから怖い。さすがにそこまでは課長もしないと思うけど、あの人だと、どうだろう。ああ、あの人だと「むしろ殺してくれ」ってレベルのことをしてしまいそうだな。
「なんだ、お前らそんなに私に殺されたいのか?」
突然背後から掛けられた声に、僕ら三人仲良く背筋が伸びた。そぉっと後ろを振り向くと、いつも通りのタイトスーツ姿で腕組みをしてる課長の姿が、予想通りあった。
「いえいえ、まだヘマはしてませんから。……たぶん」
「そうか、ご期待に応えてやれなくて残念だな」
そう言って課長は僕らが見張ってた建物を見る。
何の変哲も無い、至って普通のアパートの一室。少々ボロくて、周りのマンションとかのせいで目立たないけど、事件を知ってる僕らとしては、その平凡さが逆にいかにもな感じに思えてくる。
課長は隠れる事もせずに堂々と仁王立ちでその玄関を眺めると、小さく鼻で笑った。
「それで、課長。いらっしゃったのは課長だけですか? 他の突入部隊の方々は……」
「ここにいるので全員だが?」
周りを見回す。通行人すらまばらで、ここにいるのは僕と、佳人さんに水城さん、そして今来た課長の四人。他には……誰もいない。
「嘘……ですよね?」
「私は嘘が嫌いでな」
「マジですか?」
「マジだよ」
「冗談だよねっ?」
「だとしたら笑えない冗談だな」
僕ら三人の希望と願いを完膚なきまでに完全に潰しきって、課長は一人アパートの方へ歩き始めた。緊張も、気負いも一切合切無い、いつも通りの課長のままでこれ以上無く自然体。
(何で課長だけなんですか!?)
(知らないよっ! ていうか、どうしてトップが現場に出てくるかなっ!?)
(課長ってやっぱどう考えても現場向きの人間だよな)
(だからって最前線に出てきちゃダメでしょ、常識的に考えて!)
確かにこの人の性格から考えてデスクワークより体動かすほうが好きだっていうのは分かる。分かるけどさ、一人で来るってどう考えてもおかしい。これだけ堂々としてるんだから自信はあるんだろうと思う。だけど、無茶が過ぎるとしか思えない。
中に何人いるのか分からない。でも、最低でも二人はいる。それは確認した。
あの厳しい山江班長に訓練された、たぶん第二班より強い第一班をも退けた連中だ。ハンパなく強い連中だろうと思う。ましてこっちは僕と水城さんは戦闘要員じゃない。実質的な戦力は課長と佳人さんの二人。そもそも課長は能力者ですら無かったような。敵うはずが無い。
僕がやられるだけならまだいい。どうせ死なない体だ。痛いのは、それこそ死んでも嫌だけど、嫌で済む分問題は少ない。僕が我慢すればいいだけの話だ。
でも課長がケガをしたら?いや、ケガならまだ大丈夫。だけど、死んだら?佳人さんが死んだら?水城さんが……死んでしまったら?
近づいてくる、起こり得るなんて表現じゃ足りなさ過ぎる現実の足音に体が冷えていく。無意識の内に手は拳銃へと伸びていて、だけどもその感触は心細い。そもそも僕は、まだ人を撃ちたくない。
(恨みますよ、課長……)
頭の中で考えられる状況をシミュレートして、その時に僕は何をすべきか、何をできるのかを弾き出そうとする。けれどもできることは多くなくて、最善は僕が覚悟を決める事。撃つ事ができないなら撃たれるしかない。
「課長。俺らで突入するのはもう止めないっすけど、せめて課長の力を教えてくださいよ。じゃないとフォローもできないっすよ」
「私か? 私のはコイツだ」
そう言って取り出したのは一丁の大型拳銃。ただし僕とかに渡された様な物じゃなくて、見るからに使い込まれた傷だらけの銃身を持ったそれ。
自分の顔の前に掲げ、その向こうからは鋭利な課長の眼が覗く。
「コイツがあれば、私は負けんさ。例え相手が能力者だろうが魔法使いだろうがな」
驕りじゃない、絶対の自信。間違いも失敗も起こらない、起こさせない。ただ成功しか見えていない。
「鏡」
課長が僕を呼ぶ。視線はすぐ目の前に迫った安っぽいドアに釘付けのまま。
「中から結界が作られた感覚はあるか?」
「……いえ、距離までは分からないですけど、ここ数分でこの方向からはそんな感覚は無いです」
そう応えると、課長が左手をサッと上げる。それを合図としていたのか、全身に纏わり付く、結界の違和感を感じた。
「悠。戦えるな?」
「できれば使いたく無かったんだけどねー……」
濃い苦笑いを浮かべながら水城さんも銃を取り出す。小型の拳銃で、装弾数も少ないリボルバータイプ。課長が持つものと比べればずっと小さいけど、「人の死を消す」彼女の能力とその元になっている性格とを考えればひどく似つかわしくない。
「行くぞ」
静かな声で告げる。
課長の拳銃が炸裂音を響かせて鍵を破壊。足を包んだ頑丈なブーツが薄っぺらな扉をぶち抜いた。
蝶番ごと弾け飛んだかと思うくらいに勢い良くドアが開き、そしてまた銃声。
ほぼ同時に突入した三人に比べて僕は一拍遅れて中へ入る。
室内は暗い。空気がどんよりとしていただろうと容易に推測できる部屋に、苛烈な空気が侵略していた。足を止める事無く課長が奥へ進む。踏み抜かれた床が悲しげな悲鳴を上げ、シンクに置きっ放しの食器の山が崩れて擦れ、甲高い耳障りな音を立てる。
課長の前には台所と居室を隔てるドア。だけどもそれを無視して引き金を引く。マズルフラッシュが刹那の時間だけ中を明るく染める。そして悲鳴が耳をつんざいた。
ダン、ダン、ダン、と連続した発砲音。その度にドアに穴が穿たれて木片が散り、課長は穴だらけのそれを蹴破る。ジメッとした空気が僕に向かって流れてきた。
中に男が二人。札束が乱雑に床に散らばったその部屋で一人は腹から血を流しながらも、こちらに手を向けていた。
ヒャハ、と奇妙な笑い声がほんの一瞬だけ室内に響いて、だけどそれもすぐ銃声にかき消される。
殴られたみたいに男の頭が弾けて壁に叩きつけられる。ベチャリと音を立てる。
その横を課長の体が通り過ぎ、もう一人に肉薄。体ごと男を壁に押し付けると肘で顎を打ち抜き、そのまま腕を掴むと地面へとたたき落とした。
一瞬の出来事だった。唖然として僕は男を冷たく見下ろす課長の姿を見つめる。
突入して一分も経っただろうか。あるいは三十秒、いや十秒も掛かっていないかもしれない。たった一人、たった一人で能力者二人を能力を使わせる間も無く殲滅してしまった。
呆気に取られたのは僕だけじゃない。水城さんも佳人さんもポカン、と口を開けていた。課長以外部屋の中にさえ入ってもいない。
「課長って、何者ですか……?」
「俺の方が知りてぇよ……」
「うーん……只者じゃないとは思ってたけどさ、これは流石に予想して無かったよ……」
口々に僕らが感想を漏らす中、床に倒れてる男の腕がピクリと動いた。
「あぶな……」
叫ぼうとしたけど、その必要は無かった。声を上げると同時に弾けた音がして男の肩から血が吹き出した。
「がああああああああっっ!?」
「ピーチク叫ぶな、やかましい」
もう一方の腕も撃ち抜き、散らばっていた一万円札が赤く染まっていく。くぐもった声でうめくその表情は泣いているのか、それとも笑っているのか、僕には判断がつかなかった。
課長が男の胸元をつかむ。そして一息で男を持ち上げると壁に叩きつけ、ゴツイ銃を喉元に押し付けた。
「へ、ヘヘヘヘヘヘヘヘヒハハアハハハ、な、何だよ、金が欲しいのかよ。金ならやらねーよ。絶対にやらねーぜ」
「そんな汚い物はいらん。それより私の質問に遅滞なく偽証なく正確で簡潔に返答しろ」
言いながら課長は男の喉により強く拳銃を押し付けた。男の方は上手く呼吸ができないのか、コフ、と咳こんで、だけど笑いながら話を続ける。
「ああ絶対に絶対に絶対にやらねーやらねーよ。金は俺んモンだ。アンタが何処の誰だろうがこれは俺のモンだ絶対に誰にも奪わせねーよ、ヒャッハハハハ!」
金、金、金、か。
力に飲まれた能力者は自分の欲望を最優先で行動する、とはどこかで聞いたけど、彼の場合はそれがお金だったって事なんだろうか。大金にそれほど魅力を感じ無い僕には到底分からない欲望だけど。
話にならない、と判断したのか、課長は質問の仕方を変えた。
「二人で山分けか。他の二人にも渡さないのか? お前たちは四人で金を奪ったはずだが」
「ああやらねーよ。あのヤローは力も無ェクセに取り分だけ要求してきやがるからよ、俺の電撃で真っ黒に焦がしてやったぜギャハハハハハハハ! 面白かったぜぃ! 電気流すたびによ、打ち上げられた魚みてーにピクピク跳ねやがんの! テメーは魚かっつーの! あ、焼き魚か? どっちでもいいか、ヒャハハハハハハッ!」
「二人とも殺したのか?」
「ヒャハハハハ、ハ? いんや、もう一人のヤローは金はイラネーっつって事が終わったらどっか行っちまったぜ? ま、元々金はいらねーっつってたから仲間に加えてやったんだけどな? 金が欲しいとか言い出したらまた殺しちまえば文句はねーし、それはそれで面白そうだったんだけどよ」
「なるほどな。つまりウチの連中をいたぶってくれたのはお前じゃなくてソイツという訳か。
私は恩には恩で報いるタイプでな、貴重な情報をくれた貴様に感謝してやるよ。ありがとう。それじゃあな」
「あ?」
タン。
妙に軽い音だった。重苦しさも何も無い、淡白な鉄の声。引き金が引かれて銃の喉が男の喉に穴を開けた。男の後ろの壁に赤黒い血が叩きつけられて、壁をずり落ちる男の体が赤い線を引いた。部屋の中で立っているのは課長だけだった。
「……私だ。ああ、片はつけた。処理部隊をこっちに回せ」
ワインレッドの携帯を取り出して電話の相手に指示をする課長。簡潔に用件を伝えるとスーツのポケットにしまって無言のまま僕の横を通り抜けていった。
「……とりあえず今日は出番なし、か」
佳人さんがぼやいて、頭を掻きながら外へ出ていった。僕も外へ、と思ったけど、何となく部屋の方へと足を進めた。
カーテンの締め切られた室内に散らばるコンビニ弁当のカス、ビールの空き缶、焼酎のビン、そして強盗の結果の札束とその上で寝転ぶ男二人。生臭さと酒の臭い、錆びた鉄の臭い、硝煙の香り。あんまりにもあんまりな臭いの集合にむせ返りそう。
まだ男二人の体からは暖かい血が流れていて、少しずつシーツや札を濡らしていた。
僕は思い出す。先日に連れていかれた事件現場の惨状を。
その現場にあったのはバラバラにされていた死体に首だけの女性。臓物がはみ出したあまりに前衛的なオブジェ。それと今、僕が立っているこの場所。この二つは、主観的に見ればあまりに違うだろう。背景も手段も目的も印象も全く違う。
だけど客観的に、たった一言で表すならば大した違いは、きっと無い。ただ人が死んだ。それだけの話だ。
僕は僕らがしている事を否定しないし、否定できない。必要な事で、S.T.E.A.Rが無かったら困る人はたくさんいて、必要だからこそ、望まれたからこそ僕らはここにいる。
だからといって肯定もしていいものか、僕には分からない。僕らがしている事と、彼ら狩られる側がやっている事に本質的な差はどちらもない。ただの人殺しだ。生死の曖昧さの中に、明確な境を引いている、そんな仕事。
部屋の中に背を向けて、冷蔵庫にもたれかかってる水城さんの前に並ぶ。そして通り過ぎるけど水城さんは逆に部屋の方に体を向けた。
「水城さん?」
「うん、ちょっと鏡クンは先に行っててくれないかなっ?」
ニコッと笑って、僕を外へと促す。場違いな笑顔。いや、こちらの被害がゼロだったことを考えれば強ち場違いでも無いか。犯人しか死人が出なかった事は喜ばしいことだ。けれどもその笑顔は何だかいつもと違って見えた。何が違うかとはっきり言葉にすることはできないけれど、何かが違う。
水城さんの顔を覗き込むように見れば彼女は僕を不思議そうに見返す。その表情から何かを読み取る能力は僕には備わっていない。
僕は「わかりました」とだけ応えて彼女を置いて外に出た。
曇天の空に太陽は無い。汗ばむような蒸し暑さがシャツの下の肌にまでまとわりついて、ひどく不快な気持ちにさせる。
外に出て数歩歩いたところで立ち止まって、もう一度アパートの方を見た。何かが引っかかっている様な、よくある例えなら魚の小骨が喉に引っかかったというところで、敢えて別の比喩を用いるなら歯の間に食べかすが引っかかった時の様なそんな気持ち悪さ。例えと違うのは原因が分からないことで、それがますますイライラさせる。
「ん?」
顔に当る冷たい感触に空を見上げると、雨が降り始めて、見る見る間に雨脚が強くなってきた。
「……まあいっか」
雨は嫌いだけど、何となく今日はこうやって雨に打たれていたい気分だった。どうせ傘も持ってきてないし、今濡れるか、後で濡れるかの違いしか無いし。後は風邪を引かないことを祈るだけ。
頭が冷えていって、その感覚が心地いい。その心地よさに任せて、僕は水城さんが出てくるまでの間、そうして雨に打たれ続けた。
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