1話 サツキ

 夏の暑い陽射しを浴びながら、おれは中学からの帰り道を歩いていた。


 両親は3年前に事故で亡くなった。それ以来、父方の伯父家族に引き取られ、伯父さん、伯母さん、従妹のカズネと4人で暮らしている。

 決して仲は悪くないけど、おれが来たことで、お金はかかるし、それまで一人で可愛がられてたカズネも物を分け合うことになって不服そうだ。伯父さんも伯母さんもおれに気を遣ってるように見えるし、おれがいない方があの家族には良いんじゃないかと思う。

 やりたいこともなりたいものもない13歳の身の上ももどかしかった。


 汗が流れてきてふと顔をあげると、空には大きな入道雲が見えた。


「大きいな……」


 あれ、よく見ると、入道雲の近くになんだか小さい点が……

 いや、点というよりも、豆?

 ん?豆じゃなくて……ひ…


「人!?」


 と叫んだ瞬間、顔面に、豆ならぬ小さい人が激突っ


「いっ……てぇ…」


 思わずおれは顔を押さえてうずくまった。


「いたたたたた…」


 おれは痛みと戦いながら、同じく痛がっている小さい人を窺った。


「あまりに嬉しすぎて減速するのを忘れてしまっていたです」


 その小さい人はクルクルしたくせっ毛の金髪で、くりくりした緑の目には痛みからか涙がたまっている。性別は男にも見えるし、女にも見える。ワンピースのような白い服を纏っている。背中には蜻蛉とんぼのような薄い羽が動いており、うずくまっているおれの顔のあたりで、浮かんでいる。

 おれの体質なのか、前からしゃべる猫とか動く植物は見たことあるけど、飛んでる小さい人は初めてだった。


「あ、ぶつかってしまったみたいですね。ごめんなさいです。治しますです」


 パチン

 と小さい人が指を鳴らすと、おれの顔面の痛みがなくなった。


「あれ、痛くない」


 小さい人は嬉しそうにおれを見ている。


「……ありがとう」

「──!?」


 小さい人を見てお礼を言うと、小さい人は驚いたような顔になり、慌て始めた。


「あれ!?ぼくの事が見えるですか!?

え!?ぼくの声も聴こえるですか!?」


 見えても聴こえてもいないと思ってたのか……


「おれ、昔からそういうのが見える体質なんだ。幽霊は不思議と見ないけど」


 小さい人はみるみる動揺し始めた。


「どうしようです…人に見つかっても気付かれてもいけなかったのです…!もう、もともと見える人なら、妖精にしちゃえですー!」

「え」


 パチン

 シュルシュルシュル……

 おれの体がみるみる小さくなり、小さい人と同じサイズになった。


「なんてことしてくれるんだよ!」


 おれは小さい人に掴みかかった。

 一瞬頭に血が上ったが、ふと自分も飛んでいることに気付き、小さい人を離した。


「…うわ、飛んでる…!?」


 見ると背中には小さい人と同じような羽が生えて、動いている。服は中学の制服がそのまま小さくなったみたいだ。


「ぼくは、妖精のヤヨイです。これで、きみもぼくと同じ妖精なので、一緒に行くです。実はぼく、妖精の国から課題をしに降りてきてて──」


 小さい人、もといヤヨイは勝手に自分の話をし始め、おれの頭は状況の整理をする。

 妖精になってしまったと言うことは、このヤヨイが言ってる妖精の国とやらに行くことになるのか?

 けど、よく考えたら、あのまま伯父さんたちと過ごしていても迷惑をかけるだけだし、おれなんかがいない方が、3人が元の家族に戻れる。それならこのまま妖精になってしまってもいいかもしれない。

 妖精になってしまうと、感覚も違ってくるのか、意外と現状を受け入れていることに気付いた。


「──というわけで、ぼくに人間の国のことを色々教えて欲しいです!妖精の国のことはぼくに任せると良いです!」

「……良いけど、その前に家に寄っても良いかな。最後に自分の家だった所が見たくて…」

「良いですよ!」


 5分後、おれとヤヨイはおれが住んでた伯父さん家にいた。

 住宅地で、似たような家が並んでいる内の1軒が伯父さんの家だ。庭には伯母さんが育てている小さな家庭菜園がある。夜になると家の横のスペースに伯父さんが仕事に乗って行ってる車が停まる。

 カズネは小学校から帰ってきており、麦茶を飲みながら伯母さんが作ったお菓子を摘まんでいる。伯母さんも洗濯物を取り込んでおり、一緒に取り込まれたおれのズボンも部屋へと消える。ふと、ベランダに並んだおれのサンダルも目に入る。このサイズではもう履くことはできないだろう。

 ここにいたのは両親が亡くなってからの3年間だけで、割り込んで申し訳ない気持ちだったけど、自分の場所として在ったのか…

 ふと、カズネの友達が迎えに来て、カズネが遊びに出かける。おれの何倍も大きくなったカズネは、おれに気付くことなくすれ違い、角を曲がって見えなくなった。

 ヤヨイは動かないおれをじっと見つめていた。


「なぁ、ヤヨイ」

「なんですか?」

「おれはこのまま、妖精の国とやらに行くことになるんだよな?」

「はい、そうですよ」

「この世界の、人間だったおれの痕跡は消せるのか?」

「はい、できるです」


 パチン

 ベランダのおれのサンダルが消える。

 人間のおれを妖精にしたヤヨイは、人間だった時の服も物も、おそらく人の意識からも消してしまった……




「わわわっ」


 急に焦り始めたヤヨイに目を向けると、ヤヨイが右手にはめている指輪が青白く光っている。


「しまったです!もう3回も妖力を使ってしまったです!待ちに待った人間の国だったのに、もう終わってしまったです~!」


 ヤヨイの右手、いや、指輪?が上に向かってゆるゆると動き始める。ヤヨイは嘆きながらも左手でしっかりおれの右手を握っていた。

 指輪に先導されながら、ヤヨイとおれは、さっき大きいと感じた入道雲に向かって上っていく。

 やがて嘆き終えたヤヨイは、黙っていたおれに向かって聞いた。


「名前はなんて言うのですか?」

「…サツキ」

「サツキ、よろしくです!弟ができたみたいで嬉しいです」


 眩しいくらいの笑顔に、なんだか少し心が晴れた気がした。


「見た目はヤヨイの方が弟みたいだけどな」

「あー、童顔なのは気にしてるですよ」


 素直になれなくて、出てくる言葉は大人げないけど、羽が生えた分、小さくなった分、体は軽かった。そして、ヤヨイは最後まで左手でしっかり繋いでくれていて、なんだか心強かった。



 こうして、おれ──サツキは妖精になった。

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