授業で聞いた単語から生まれた物語

双葉

第1話 ミッキーマウス問題

「海夢、この遊園地は何だい?」

 姉さんが横から声をかけてきた。

 僕は読んでいたグルメ系の雑誌から視線を外して、姉さんの方を見た。姉さんは持っていた本を開いて、ある写真を指さしながらこちらを見ていた。

 写真。

 ミッキーマウスもどきとミニーマウスもどきとドナルドダックもどきの着ぐるみが、如何にも楽しげな雰囲気を伝えるかのように手をあげて、観覧車をバックに写っていた。

 ああ、あれだ。いつだったかネットで話題になったやつだ。

 某中国のディズニーランドを模倣したアトラクションランド。

「それって中国で最近できた遊園地だよね」

 僕は手に持っていた雑誌を棚に戻しながら言った。

「ああ、そう書いてある。……あるんだが、これはどういうことだい? ミッキーマウスみたいなのがいるじゃないか。なんだい、ディズニーランドは暖簾分けでもしたのかい?」

 そう言って姉さんは首を傾げた。長い黒髪が肩越しから垂れ、姉さんが持っていた雑誌の上にさらさらと音をたてて落ちていった。姉さんはそれを鬱陶しそうに払いのけて、背中へと回した。

「それを見て暖簾分けという発想は僕には無かったよ。でも、違うよ」

 僕は苦笑しながらそう答えた。

「違うのかい?」

「うん、暖簾分けとかそんな正式なモノじゃないよ。奇麗に言うならインスパイアで、濁して言うならオマージュで、簡潔に言うなら模倣で、厳密に言うなら盗作って感じかな」

 僕はもう一度、雑誌を見ながら言った。先程見た写真とは別に、何枚か小さな写真も載っていた。ドラえもんもどきのキャラがこちらを見て手を振っていた。

 もはや、呆れるしかない。お前らバクったこと隠すつもりないだろう、と言いたくなるくらいに、この遊園地のマスコットキャラたちは何かに似すぎていた。

 何か。

 世界的に有名なキャラクターたちだ。先に挙げたように、ミッキーマウスだったりドラえもんだったり、種々雑多に取りそろえている。世界観なんかもとから存在しないとでも言うように、そんなことより目を引くことが大事なんだとでも言うように、有名どころのキャラをとりあえずパッケージングすれば売れるとでも言うように、それはもう暴虐を尽くす限りにキャラクターたちを弄んでいた。

 治外法権と言うのか、文化が狂っていると言うのか、僕には分からないけれど、彼等には著作権という概念がないことはよく分かった。

 まあ、僕としてはどうでもいいことだけど。著作権云々を主張するほど自分は制作者側の人間ではない。僕は使用者側の人間でしかないんだ。自分が特さえすればいい。

 面白ければ、なんだっていいんだ。

「ん…つまりパクリってことだね?」

「今風に言えば、そうかな」

「ふーん、成程ね…それはつまらないし面白くないね」

 姉さんは嘆くように首を振りながらそう言った。

「それは複雑な心境だね」

「ああ。人が血反吐を吐きながら創作したものを盗むこと、創作されたものに権利なぞないと厚顔無恥にも嘲笑って弄ぶこと、全てが全て面白くないよ」

 苦虫を噛みつぶしてから飲み込んだような苦しそうな顔をして姉さんが言った。

 まさしく、苦しそうな顔だった。

 僕とは違って、姉さんはこういうことに厳しい人なのだ。

 創作物に対する概念が、根本的に僕とは違った。

 というのも、姉さんは画家志望の学生だからだ。だから、と言うのは少々物事を直線的に捉えすぎているかもしれないけれど、何かを創作する人間は誰しも少なからずそうなのではないだろうか。

 自分が創ったモノに対する主張。それは愛情かもしれないし、権利かもしれないし、独占欲かもしれないし、自己顕示なのかもしれない。僕のような使用者側の人間からは、制作者側の人間の気持ちは推して諮ること能わず。分かるわけもない。分からないまでも理解はできるけれど、やっぱり分からなかった。

 単純に損をするというのは分かるので、僕は頷いて言った。

「それで面白くないし、つまらないんだ」

「いや、つまらないというのはそういうことじゃないよ。そうじゃなくて、単純に暖簾分けじゃないのがつまらなかったということだよ」

 …そこがつまらなかったのか。

 僕はてっきり、ディズニーランドをパクったことが嫌なんだと思っていた。姉さんはクリスマスに一人でディズニーランドに行っていたくらい、ディズニーランド好きだったはずだ。その姉さんにしてみれば、制作者としての話は抜きにしても許せないことだと思ったのだけれど。

 どういうことなのだろうか。

 僕が黙っていると、姉さんは僕の疑問を察してか、話し出した。

「私はね、ミッキーマウスが嫌いなんだよ。というよりも、その版権元であるディズニーが嫌いなんだ」

 …わけが分からない。

「でも、姉さんってよくディズニーランド行くよね?」

「それとこれとは話が別だ。ディズニーランドは毎日行ってもいいくらいに私は好きだ。今から行っても良いくらいに好きだよ。でもね、ミッキーマウスという創作物に対する概念は嫌いなんだよ」

「…よく分からないんだけど」

「分からないのかい? 海夢はミッキーマウス問題を知らないようだね」

「ミッキーマウス問題?」

 僕はまったく知らない言葉に驚き、ついオウム返しで言った。

「やはり知らないのか。結構有名な話だと思っていたのだけれど」

 姉さんは少し残念そうに肩を落として言った。

「海夢は著作権というものは知っているかい?」

「それくらいは、まあ」

「では、著作権には保護期間が定められているのは?」

「何となくだけど、知ってるよ。確か50年だっけ?」

「概ねそのとおりだよ。映画の著作物には70年。それ以外の著作物には50年の保護期間が定められている」

「へえ…映画は違うんだ」

「ああ、そうだ。何故かというのは説明すると長くなるので省略するが、そうなっているね。もちろんこれは原則ではそうだと言うだけの話で、例外はある。国によって期間の長さがまちまちになっているしね」

「ふーん、そうなんだ」

 僕は少し興味なさそうに相槌を打った。

 興味なさそうというより、興味ないんだけど。

 小難しいことはいいから、話を早く進めて欲しい。

 こんなことを考えている間にも、姉さんは「そもそも著作権というのは――」と長ったらしい説明を始めた。《そもそも》という単語が説明に加わった時点で、間違いなく話は縦横無尽に駆け巡ることになるだろう。

 説明というのは理路整然とすべきである。それ故に、時系列や前後関係が入れ替わる時に使用される《そもそも》という単語は、存在してはいけないのだ。

 これは鉄則だ。

 原則かもしれない。

 僕は軽くあくびをしながら姉さんの熱弁を聞き流していた。

 ふと姉さんの話が途切れたので、丁度いいと思い、僕は話を戻すことにした。

「で、ミッキーマウス問題っていうのは、それとどう繋がるの?」

「うん? 何の話だい?」

「忘れてるし…」

「…そういえばその話をしていたんだったね」

 姉さんはそう言って、苦笑いをした。

 多分、自分に対して笑ったのだろう。

 姉さんはこうやって自分の話に熱中してしまい、本筋から逸れてしまうことが度々あった。それを本人も自覚しているようで、同じくこうやって後になって反省する。

 自覚していてもそれを直せない。

 まあ、癖みたいなものだ。

 癖は分かっていても直せないから癖なのだ。

 姉さんはわざとらしく咳を一つ。

「ミッキーマウス問題というのはね、ディズニーが創作したキャラ――ミッキーマウスやドナルドダックなどに対する著作権の保護期間が延長された事を指すんだよ」

「…そんなことしてもいいの? それだと保護期間を定めた意味がないよね?」

「ああ、海夢の言うとおりだ。だから問題化したんだよ。ミッキーマウスという著作物は本来なら2003年に著作権が切れるはずだった。それをディズニーが汚らしいやり方で法律を改正させて、著作権の保護期間を伸ばして防いだんだ」

「…へえ、汚いやり方ね」

 それはどういうやり方なのか。汚職とか脈々と築いてきた政治力を使ってとか、そういうやり方だとは予想が着くけど。

 成程

「だから姉さんはディズニーが嫌いなんだ」

「ああ。もちろん私は著作権を伸ばすことが悪いと言うのではないよ。私は権利を伸ばす理由が腐りきっていることが悪いと言っているんだ。

「自身が創作したものに対して権利を主張する気持ちはよく分かる。誰もがとは言えないがほとんどの制作者が主張するだろう。でも、それは創作物に対する『愛』が大前提になくてはならないんだ。創作物を他者から守るためという小前提もなくてはならない。そして、自身の穢れた金欲を充たすためではないという中前提がなくてはならない」

 その中前提がない、というか無視しているからディズニーが嫌いなわけだ。汚いやり方だから、なんていう子供じみた理由からではなかったのだ。

 少し姉さんを侮っていた。

「だから私はディズニーが嫌いだ。許せないんだよ」

「うん」

 要は自分の作品に対する考え方だろう。

 僕には自分の作品がないので、想像するしかないけれど、理解はできたように思う。

 思うだけで、思うしかないけど、思ったことが大切なんだと考えておこう。

 僕は、制作側ではないので、それしか言えなかった。

「よしっ、決めた。卒業旅行はアメリカへ行こう」

 姉さんが持っていた雑誌を閉じて、唐突に言った。

「そういえばそのために旅行雑誌を見ていたんだっけ。でも、なんでアメリカなの?」

 今の四方山話からどう進めたらアメリカへ行くという結論に至るのだろう。

 姉さんは雑誌を目の前の棚に戻した。長い髪を扇形に開きながら、僕に振り返って言った。

「当然、ディズニーランドへ行くためだよ」

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授業で聞いた単語から生まれた物語 双葉 @futabaaru

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