03.上目使いにNOとは言えない

 もぐもぐと、少女が咀嚼する音だけが聞こえる。

 それを聞きながら、星一は手に持った袋が大分軽くなったのを感じていた。


「どうしてこうなった………」


 今日買ったコロッケは10個。だが、残りは1個だけである。

 星一が食べたのはミーティアが落ちてくる前に1個、ミーティアが来てから1個の計2個である。それ以上は欠片も食べていない。


 では残り7個のコロッケを食べたのは誰か?


 犯人は言わずもがな、目の前の青い隕石少女である。脇目も振らず、一心不乱にコロッケを頬張る、遥かな星が故郷ふるさとの少女である。まあメガネで変身して頭からブーメランを飛ばすことはないみたいだが。




「サクッと噛み締めた直後にほかほかのじゃがいもと牛肉が口の中に溢れ出し軽快な食感とやわらかな食感の調和が保たれているというかむしろその異なる感触のハーモニーがこの『ころっけ』という食べ物の美味しさを何倍にも増幅しているとも考えられるこの旨味の正体は絶妙なバランスで混ぜ込まれた牛肉とじゃがいものおかげねそもそも…」


 句読点を忘れたマシンガントークでコロッケの素晴らしさをレポートしていくミーティア。

 星一もその意見には全面的に同意するが、ゲシュタルト崩壊しつつある彼女の興奮にはついていけそうにない。というか、夕食のおかずがもうわずかで焦っている。


「……だと思うのよというわけでもう少し味わいたいからもう1個頂戴?」


 間も無く食べ終えて、ミーティアはさらなるおかわりを要求した。

 だが残りのコロッケはラスト1個。夕食のおかずを死守するためにも渡すわけにはいかなかった。


「ええと、これは最後の1個というか夕食のおかずとして取っておきたいというか……」

「??………もう1個頂戴?」

「その、ええと……」

「セーイチ………お願い」


 美少女に潤んだ目で見上げられてNOと言うことは出来ない高校生男子の悲しき性であった。

 星一は泣く泣く最後の1個をミーティアに渡すのだった。


「……はい」

「ありがと♩」


(ああ……「やっぱりお腹いっぱい」とか言って返してくれないかな……)


 星一の願いも虚しく、最後の1つがミーティアの口元へと運ばれて行く。


「……『ころっけ』凄い。見た目はアレだけど、すごくすごく美味しいわ。もう一個頂戴?」


 8個目を瞬く間に食べ終えて、口端に衣の欠片を付けたまま、おかわりをねだるミーティア。すごく可愛かった。だがもう……


「……いよ」

「え?」

「……ないよ」

「??」

「コロッケはもうないよ!!」


 コロッケの袋を逆さまにして星一は叫んだ。


「そうなの………残念」

「8個!8個だよ?!一体どれだけ腹ペコだったのさ!」


 天を仰いで叫ぶ星一だが、ミーティアは首を傾げて眉をひそめた。


「そんなに食べたかしら?せいぜい2、3個くらいだと思うけれど」

「そんなわけないじゃん!8個だよ!8個。ここのコロッケはただでさえ普通より大きいのに、それを8個も平らげるなんて!」

「………いっぱい食べたのね」

「ミーティアがね!」

「そういう可能性も無くはないわ」

「間違いなくミーティアが食べたんだよ!」

「でも、私は食べている間、夢中になって周りが見えていなかったから、その隙にセーイチが食べたということもあり得るわ」

「ない。0.01%も無い」

「0.009%以下の可能性は残っているというわけね」

「詭弁はいいんだよっ!」


 星一の剣幕に、ミーティアは流石に悪いことをしたかも、と思った。なので母直伝の奥義を使うことにした。

 この奥義は無闇矢鱈と使ってはいけない、と母からきつく言われていたが、星一なら優しいし大丈夫だろうと判断した。


 肉屋にはまだコロッケの材料が残っているだろうか、と星一は考えていた。ものすごく美味しいので、買うために連日近所の人が行列を作るのだ。売り切れとなることも少なくない。

 コロッケを食べられてしまったことは残念だが、怒り続けてもしょうがない。とりあえず肉屋に移動しよう、と考えた時だった。突然、柔らかな感触が星一の手を包み込んだ。


 見るとミーティアが左手をその白魚のような綺麗な両手で掴んでいた。潤んだ蒼い双眸が切なげに揺れていて、頬も薄っすら桃色に染まっているように見えた。


「え?な、なに。どうしたの」


 いきなりの事に何があったのかわからず戸惑う星一。

 いや待て、もしかしたら、自分が怒鳴ってしまったせいかもしれない。そのせいでミーティアを怖がらせてしまったのなら……と罪悪感が湧いてきた。


「ええと、た、確かに残りのコロッケを食べられて残念な気持ちになったことは事実だけど、それほど怒ってないというか……」

「…………」

「そもそも、ちゃんと止めないで残りを渡したのは僕なわけだし、また買い直せばいいことだから……ね?」

「…………」

「あの……ミーティア?」


 ミーティアは何かを決心するように瞑目し、再び蒼い双眸を見開いてまっすぐ星一の目を見た。

 星一は至近距離で美少女に見つめられ、心拍数がどんどん上昇していった。


「セーイチ」

「は、はいっ」

「……全部食べてしまったのは悪かったわ。すごくすごく反省しているから、許してもらえる?」

「も、もちろん!」


 潤んだ瞳と上気した頬、すがるようなその表情に、星一は二つ返事で答えてしまう。それが罠であることも気がつかずに……


「ありがとう。それから一つだけお願いがあるのだけど……聞いてくれる?」

「あ、当たり前じゃないか!なんでも言ってよ」


 さらに顔を近づけて懇願するミーティア。

 すぐ下から美少女に上目遣いの熱っぽい視線を向けられて頭が真っ白になり、星一は訳も分からず返事をしてしまうのだった。

 星一が了承した瞬間、ミーティアはぱっと手を離して距離を取る。


「良かった。じゃあ、今日からセーイチの家に泊めてもらうからよろしくね」


 ミーティアの母直伝の奥義『謝罪後即懇願ごめんなさいからのおねがい』は見事に決まったのだった。


「………へ?」


 星一は状況を飲み込めず、放心状態で立ち尽くした。












「〜~~〜♬〜〜~♩」


 ぶかぶかのブレザーの袖をぷらぷら動かし、鼻歌交じりにミーティアは道路を歩く。その後ろをどこか暗い雰囲気を漂わせる星一が続く。



 あの後星一は、ミーティアの巧みな(?)作戦によって半ば強制的に、しばらくの間彼女を家に泊める、という約束をさせられたのだった。


 どうやらあの隕石のような登場は、乗ってきた宇宙船からの不時着だったようで、水や食料はおろか、コメット星人の調査のための道具や地球に潜伏するために準備したものの大半を置いてきてしまったらしい。

 持っているのはスーツに搭載された各種機器と、護身用の分解銃リゾルブレーザーガンだけ。

 当然、地球の科学力を遥かに超えたそれらは当然、売ることも手放すことも出来ない。つまりは無一文の行くあて無しなのである。

 よって最初に出会った星一に白羽の矢が立ったというわけだ。

 ちなみに星一は諸事情により一人暮らし。そのことを星一が言うと


「セーイチは良い人だし大丈夫よ。多分襲う度胸もないし、いざとなったらこれリゾルブレーザーガンで抵抗するから。それに他に誰かいない方が潜伏調査し易いわ」


 信用されているのか貶されているのか分からなかったが、星一は自身の命を守るために間違ってもこの美少女に対して変な気を起こさないことを固く心に誓った。電柱に軽く穴を開けたリゾルブレーザーガンを撃たれたら、暗い独房の床でのの字を書くかご先祖様と仲良く土の下で眠りにつくことになるからだ。そうそう、分解銃は人体は傷つけない安全装置は解除が可能らしい、ということを追記しておく。





 時々すれ違う通行人は、奇抜な衣服の上にブレザーを羽織った青髪の少女に対して、始めは珍獣でも見るかのような視線を送るが、美少女だと分かると途端に見惚れ、さっきまでの不躾な態度を改めるのだった。

 だがそんな目で周囲から見られていることはどこ吹く風で、ミーティアは地球の街並みを興味深そうに目をキラキラさせて、そして時々星一に質問しながら歩いている。


「ねえセーイチ、地面から棒が突き出ているわ。上には絵が描かれた板が突き刺さってるけど何のオブジェ?」


 ミーティアが余りまくった袖で指したのは、ありふれた道路標識だった。


「道路標識だね」

「何に使うもの?」

「交通ルールを簡単に分かりやすく伝えるものだよ。速度制限とか通行禁止とか」

「エトワール星にも似たようなものがあるわね。立体映像ホログラフィーだけど。ここのもホログラフィーにすれば場所を取らないんじゃない?」

「んーホログラフィーは地球ではまだ完全じゃなくて、一方方向からしか見えなかったはずだよ。少なくとも世間一般に普及してないね。SF映画とかでは出てきてるけど」

「そう、大変ね。ホログラフィーが無いといろいろ困ると思うのだけど」

「あれば便利だろうけど、無くて困ったことはないかな」


 そして今度は道端に止めてある銀色のマウンテンバイクを指した。


「じゃああれは?あの金属の骨格で出来た車輪が2個付いたやつ」

「あれは自転車だよ」

「自転斜?まさか星の自転をあれで操作できるの?!」


 どんな超兵器だ。学園都市第一位じゃないんだから、と星一は思った。


「そんな物騒で高度な機械は地球にないよ。あれは真ん中に付いてるやつに腰掛けて、前の車輪の上のハンドルを持って足下のペダルを漕いで車輪を動かす乗り物」

重力制御装置グルーオコントローラーとか転向転倒防止装置アンドロッパーはないの?」


 ミーティアの口から呪文が飛び出した。

 星一には何を言ってるのかさっぱりだったが、大方SFに出てくる乗り物に付けられた制御装置のたぐいだと当たりをつけた。


「よく分からないけど、変な装置は付いてないよ。練習しないで乗りこなせる人は少ないと思う。あ、ほら、あそこに乗ってるおじさんがいるよ」


 カゴにスーパーの袋を入れて走るおじさん、というありふれた光景。しかし、ミーティアの目にはそれがものすごいことに見えたらしい。


「すごい、地面との接地面積があんなに少ないのに倒れないなんて……地球人は老若男女皆運動神経がずば抜けているのね」

「いや、慣れれば簡単だから。ミーティアならすぐに乗れるようになるよ」

「無理よ……絶対むり。乗ったらすぐに転んで死ぬわ」

「地球の生活に慣れるためにも、明日から練習しようね」

「わ、私には仕事があるから……」

「不時着してほとんど何も持ってない異星人が何を言ってるんだか」

「むう……」


 図星なので何も言えないミーティア、それを見て星一は追い打ちをかける。


「移動手段は大事だよ?」


 にやりと笑う星一に、ミーティアは眉をきゅっと寄せる。


「むむ……セーイチは絶対楽しんでるでしょう」

「さあ、なんのことかな?僕はただ親切心で言ってるだけさ」

「……コメット星人はみなそう言うわ」


 ミーティアの言うコメット星人に少し会ってみたくなる星一だった。

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