05.故に夫人は求め乞う

 


※※※


架空設定ですが麻薬の使用に関する描写があります、ご注意ください。

また、実際に麻薬などの薬物を使用することは犯罪です。


※※※

 


 なぜ、こんなことになっているのだろう?

 どうしたら、白一色の部屋の中、椅子に縛り付けられることになるのか。部屋の家具は机と椅子だけ。窓すら見当たらず、壁と天井のランプが、異様なほど室内を明るくしていた。

 ヘンリエッタは忙しなく辺りを見回す。平衡感覚や遠近感すら失いそうな部屋は、長時間いれば頭がおかしくなりそうだ。


 この部屋の唯一の出口は、背後にある扉。けれど外に出す気はないのだろう。ヘンリエッタを椅子に縛り付けた人物が、黙って扉の横に立っている。

 全身を灰色のローブで包んだ人物の顔は、フードに隠れわからなかった。



わたくしを誰だと思っているの! 辺境伯グレイスの妻、ヘンリエッタ! このようなことをして、ただで済まされると思っていて!?」

「…………」



 背後にいるローブの人物は無言を貫く。これが何度か続いている。頑なに言葉を発することを拒んでいるのだ。

 なぜだ。アルフレッドからジュリアの形見分けの品を預かっていると手紙を貰い受け、夫を伴い登城しただけなのに。

 夫は軍事境界線で帝国軍の様子を報告するために、城に上がってすぐ宰相のもとに向かってしまった。自分は案内に来た女官についていき、通された部屋がここだった。


 後はあっという間だった。部屋にいたローブの人物の手により椅子に縛り付けられてしまった。

 それからはただ、ここにいるだけだ。何をされるわけでもなく、放置されている。椅子の上で身じろげば、縄が擦れて皮膚が痛む。

 いったいどれだけ時間が経ったのだろう。こんな白一色の部屋は、あっという間に時間の感覚は消えた。



「殿下」

「準備ご苦労さま」



 ローブの人物の声、だったのだろうか。ヘンリエッタの予想に反して、その声は年若い女の声だった。

 そして続いた聞き覚えのある声に、身体が強張る。



「あ、アルフレッド王子……」

「やあ、夫人」



 まるで今日の天気の話をしているような気軽さで、アルフレッドは声をかけた。

 異様な光景だった。白一色の部屋に、椅子に縛り付けられた貴族夫人、その向かいの椅子に腰かけた王子は、実ににこやかな表情だった。

 まるで、この部屋の異様さに気が付いていないような……。呆然とその事実に至って、ヘンリエッタは悟った。自分がこの状況になったのは、目の前の王子が仕組んだことなのだと。



「さて、ジュリアからの形見の品ですが……」



 机の上で、アルフレッドが何かを包んだ布を広げる。はらりと広がる布の上には、緑色の缶と円柱の小さなガラス瓶。瓶の方にはまだ、半分ほど液体が残っていた。



「夫人。あなたにはこれが何か、わかりますよね?」

「い、いえ。私にはわかりません……」

「おかしいですねぇ。この缶と瓶は、あなたがジュリアに送った物だと聞いているのですが」

「さ、さあ。私、彼女にたくさん贈り物をしましたから、細かい物までは覚えていませんの」



 なる程、と頷きながらアルフレッドは言った。



「ご存知ないとは残念だ。実は私も欲しかった・・・・・のです。夫人がご存知ならば、そちらから個人的に・・・・入手しようかと思っていたのですが」

「ほ、欲しかった……?」



 いつの間にか淹れられていたカップの中身は、あの葉と同じ香りがした。カップの中の赤い液体、甘い香り。

 アルフレッドは躊躇うことなく、カップに口を付けた。まるで、飲み慣れているかのような自然な仕草で。



「ええ。とてもいい香りでしょう? その瓶も同じ香りで、ジュリアが好んでつけていた香水でしたから」

「……そ、そうですね。とても、いい、香りで……私も好きです」

「でしょう」



 ヘンリエッタに向けて同意し、アルフレッドは柔和な笑みを浮かべた。部屋に充満する甘い香り。普通の人ならば、このむせ返るような香りに気分を悪くするだろう。

 けれど、慣れている者ならば逆に好ましいものだ。

 小さな音を立てて、フードの人物があの小瓶の蓋を開けた。鼻はこの香りに麻痺をおこしているはずなのに、それでも蓋が開いた瞬間、一層強く鼻孔を刺激された気がする。



「さあ、お話になって」



 心地のいい女の声が、耳をくすぐる。蓋の開いた瓶が、ヘンリエッタの鼻先を掠める。すぐに空気に散っていくその濃く甘い香りを、逃すものかと鼻を引くつかせ嗅いだ。

 その本能に赴くままの行動に、アルフレッドが顔を顰めたのだが、ヘンリエッタは気付かない。

 薄く開いた唇から、赤く充血した舌が伸びる。



「ねえ、ねえ。それ・・を頂戴。お願い、それが欲しいの……」



 国境付近に居を構える夫人は、今回の長旅で普段のように摂取・・できなかった。登城するにあたり、薬の香りをつけるわけにはいかないから。

 まして夫の目を盗み、薬を摂取するのは容易ではない。

 すでに登城する前から、ヘンリエッタは禁断症状が出ていた。彼らはそれを狙って仕組んだ。薬が切れれば、精神的に揺さぶることが容易くなるから。



 ――欲しいのならば、差し上げますよ。

 本当に?

 ――ええ。ですが、原液はこれしかないのです。

 そんな……


 ――あなたが入手先を教えてくだされば、こちらを全て差し上げてもよろしいのです。

 入手先……

 ――そう、あなたは、どうやって、これを、手に入れていたのですか?

 これは……


 ――殿下も、ご所望です。

 そうだ。王子すら欲する物だ。王子が望んでいるのだ。一介の貴族が、王族に逆らうことなど許されない。

 ――さあ、お話になって。

 これを、手に入れた、方法は……



 目の前が、はっきりとしない。そうだ、これはこの薬の効果の一つ。ふわふわと気持ちのいいこの感覚。

 夫は厳しい男だった。ただでさえ僻地で、見所らしい物すら少ない領地だ。流行のものは遅くに来て、欲しい物はすぐになくなる。だから、手に入る時に全て買い占めた。

 そんな買い方に、夫はヘンリエッタを叱った。浪費をするなと。自由になる金額は、夫によってなくされた。


 こんなつまらない場所へ、なぜ、両親は自分を嫁がせたのか。夫と連れ添っているが、ついぞ理解できなかった。子は、男児二人。義務は果たした。ならば自由にしても問題ないだろう。

 王都での暮らしを知っているヘンリエッタには、ここはあまりにも退屈すぎた。義務を果たしてからは、子供の世話は乳母に任せ、自分は好きに生活していた。

 よかったことといえば一つ。軍事境界線であるが故に、若い男に困らなかったことだ。


 やはり僻地で、相手の軍との緊張地帯だ。溜まる男は多い。そこを誘った。根っからの貴族で、軍人の夫とは違い、刺激のある相手がほとんどだった。

 日夜違う男と寝る背徳的な快楽に、ヘンリエッタは溺れていった。この容姿が年の割には幼く美しく見えたことで、相手には事欠かなかった。美人に生んだことだけは、親に感謝した。金はかからないし、夫をだしぬくスリルがたまらない。夫の行動を把握し、場所を変え、部屋を変え、いつ気付くのかと息を潜め事に及ぶのは興奮した。

 ある日、度々相手をしていた男が、一人の男を紹介した。夫の騎士団では見かけない顔だった。



「このように美しい方を蔑にするとは、どんな男なのでしょうね」



 男は、ライナスと名乗った。ライナスはヘンリエッタの気持ちをよく理解してくれた。身体の相手を務めるだけではなく、ヘンリエッタの不平や不満も、嫌な顔一つせず最後まで聞いた。

 それからライナスが、気分がよくなる茶葉だとお茶を淹れてくれた。甘い香りが、なぜか今までの嫌な気分を吹き飛ばした。

 その日の晩、ヘンリエッタは今までにない快感を経験した。その茶葉の虜になったのは、当然の結果だった。


 ライナスから与えられた茶葉を、シーズンになれば懇意にしている夫人たちに振る舞う。皆何かしら不満を抱えた夫人たちだ。買い手はすぐに現れた。あれだけ困っていた金が、あっという間にたまった。

 茶葉がなくなると、ヘンリエッタはライナスに求めた。ライナスは金銭を要求してこなかった。その代わり、ヘンリエッタの身体を求めた。

 身体をあたえ、茶葉を得て、金に替える。それが数年前からのヘンリエッタの生活になった。


 だが、それに陰りがみえた。ジュリアが死んだのだ。シーズンでもないのに、王都へ行く理由が潰れた。王都に手を広げ、次は城内にもと思っていた矢先だ。あれだけ金をかけ、繋がりを持っていたのに。

 ライナスが、一度会ってみたいと言っていたのに……。けど、きっと大丈夫だ。わけを話せば、ライナスは許してくれる。

 ジュリアは死んだが、茶葉は売れる。それなら彼も満足なはずだ。だって、王子がその茶葉を欲しいといったのだから。王族の力添えがあれば、ジュリアは不要だ。あんな小娘など、ライナスに会わせる気はない。



「なるほど。何か、他に言うことはあるかい?」

「……ないわ」



 机の上に、あの小瓶が叩きつけられた。澄んだ音を立てて割れたビンの中身が、机に広がっていく。ぶわりと甘い香りが舞う。

 広がる液体にヘンリエッタは机に顔を貼り付けて、頬を切るガラス片など気にも止めずに舐め上げる。だらしなく弛緩した身体に虚ろな瞳、チロチロと蛇のように舌を伸ばす姿。ヘンリエッタは、ただ薬を求めるだけの生き物に成り果てた。



「だそうだ、辺境伯。処分は伯に任せるよ」



 王子と共に部屋に入ってから黙って扉の側にいた夫に、ヘンリエッタは最後まで気付くことはなかった。

 目の前の麻薬中毒者となった妻の姿に、グレイスは顔を顰める。ヘンリエッタの両親から頼まれ、厳しく接していたのが却って仇となったらしい。ならば逆に甘やかせばよかったのか、グレイスには判らない。

 団の騎士に手を出していたのは薄々気付いていたが、確かな証拠が掴めなかったために起こった一件だ。あまつさえ間男が敵国の関者。妻の手綱を握れなかったことに、グレイスはただ己が情けなかった。



「……寛大な処置に感謝致します、エドワード様」



 エドワードに深々と頭を下げるグレイスに、あまり気負うなと声をかける。

 普通ならばありえない処置だ。麻薬の売買、敵国の間者との姦通、あまつさえ軍事費にまで手を出していた事実。

 国家反逆罪が適用されてしまえば、いかに軍事に長けた人物で、境界線の要とも言えるグレイスですら、連座で罪が問われる。


 だが、あの緊張地帯を一時でも崩すわけにはいかないのだ。敵に隙を与えるわけにはいかない。だからこそ、この場が用意されたのだ。

 これが、もっとも辺境伯にとって痛手の少ない方法だから。

 自らの手で、処断する。妻の不祥事を、夫であるグレイスがカタを着けたことになる。それも、王族の目の前で。


 これらの事実が証拠つきでエドワードより知らされてから、グレイスは早急に動いた。どこに耳と目を持っているか分からない妻に悟られぬよう、ヘンリエッタに抱き込まれた出納係は、名目上は別の騎士団への出向として辺境伯の団から抜いた。

 エドワード主体で、そちらの数名は既に処罰はついた。


 ヘンリエッタと関係を持っていた騎士たちについては、他の騎士たちを動揺させないため順次処罰を与えていく。姦通罪は大罪ではないが心象は最悪だ。まだ若い騎士たちではあるが、迎える家は皆無だろう。

 処刑になれば帝国軍も気付く可能性があるので、こうも甘い刑罰になってしまった。貴族子息の騎士は、実家に事態の連絡済み。一部の親はグレイスとエドワードに謝罪に来ている。だが、エドワードはその貴族たちをもとより不要と判断していたのだろう。適切な罪を述べ、貴族席の取り上げを笑顔で行なっていた。

 そして、ヘンリエッタにライナスを仲介した騎士は、帝国へ通じるルートを全て吐かせてから処刑した。まさかそこで、ジュリアの祖父が関係し、あまつさえその祖父が帝国出身者だと知らされたときは驚いた。


 夢中になって机の上の薬を舐める夫人の奇行を、グレイスは耐えるように見ていた。軍事にかまけ、家を空けていた男の、これが罰であると言い聞かせるように。

 エドワードが扉に足を動かし、その後ろを拷問官がローブを翻し続く。

 念のため、薬の扱いに長けた拷問官が呼ばれたが、尋問自体にそれほど手間がかからなかった。事前に中毒症状を中和される薬を飲まされたが、やはり妻のこの姿に気分は悪くなってくる。


 背後で扉の軋む音を聞きながら、グレイスは愛剣を引き抜く。幾度となく敵兵を切り伏せてきたこの剣を、妻であった女に向ける。

 パタリと扉が閉まると同時に、部屋に、女の悲鳴が上がった。


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