04.故に宰相補佐は奔走する

 


 あの悲劇が起こった夜会の場で、床に倒れたジュリアを見て、リオンはとっさに動けなかった。事件が起きたことで動揺して、ではない。

 あのとき、会場の庭園で行なわれた密談。クリスティーナから影からでかまわないので、立ち会って欲しいと懇願され、二人の会話を耳にしていなければ、リオンはきっとすぐにジュリアを助けるために動いたはずだ。



「あら? だってクリスティーナ様はご存知ないでしょう? 普段城の外で友好を深めていたアルフレッド様が、実は別人だったなんて」



 ジュリアのこの一言を聞かなければ、自分はずっと彼女に疑いを持たなかっただろう。

 アルフレッドが彼女と婚約を結びたいと自分に話したとき、リオンはジュリアを徹底的に調べあげた。貴族の夫人方から人気のデザイナー。あのグレイス辺境伯の夫人でさえ、足しげく通う存在。

 まあ、人脈を築くうえで、ジュリアが表面上の猫を被っていたのはアルフレッドも気付いていたし、上流階級の社交の場では必須の能力だから気にも留めなかった。



「アルフレッド様から見れば、クリスティーナ様は、別人が相手をするだけで十分だったのでしょうね」



 そう、鼻で笑いながらジュリアは言う。

 城の中でもごく一部の人間しか知らない秘密を、ジュリアは知っていた。アルフレッドがまだ話していない秘密。正式に婚約を交わした後に話すと、リオンはアルフレッド本人から聞いていたのだから。

 ならば、なぜその話をジュリアが知っている。国家機密に等しいそれを。



「……気付いていましたよ。私は」

「クリスティーナ様、無理に話を合わせなくてもいいんですよ?」

「婚約期間は二年でしたが、実際はもっと早く交流はありました。ずっと見ていましたから、別人に成り代わっていたのには、気付いていました。ですがアルフレッド様は王家の人間です。影武者が動いていたとしても、おかしくはないと」



 穏やかに微笑みながら、クリスティーナは言った。五年以上になる付き合いで、些細な違いに彼女は気が付いていたのだ。

 庭園の形の整えられた茂みに隠れ、リオンと二名の書記官は、必死に聞き耳を立てる。一緒に連れてきた部下が、自分が信頼している者たちでよかったと心底思う。これが、ただの令嬢同士のトラブル回避程度の感覚で選んだ人選だったら、今頃は大騒ぎだ。



「そんな扱われ方をしていたのに、アルフレッド様と婚約したんですか?」

「私は侯爵家の人間です。例えそれが形ばかりの夫婦であったとしても、国に尽くす忠義には変わりありません」

「何それ? 国のためっておかしくない? 自分のためじゃないの?」



 嫌悪感を顔に出したジュリアは、被っていた猫をはいだらしい。街中の娘たちの間で当たり前のように聞く、砕けた言葉が口を出ていた。



「ジュリア様は、ご自分のため、なのでしょうか?」

「当たり前じゃない! アルフレッド様を攻略すれば、ジョシュア様に会えるんだから!」

「え……? 攻略? ジョシュア、様? とは、わが国と同盟関係にある隣の国……。え? 第三王子の?」



 どうしてここで、隣国の第三王子の名前が出てくる。しかも攻略とは何だ? 恋愛関係などそこにはないと、言っているようではないか。

 さすがのクリスティーナも、出た名前に意表をつかれて戸惑っているらしい。



「そう。そのためにアルフレッド様を落とさないといけないのよ。ジョシュア様が出たなら、ライナス様もワンセットで登場。ライナス様、是非会いたいって言ってくれたし!」

「ライナス?」

「そ、そっちはいいの! とにかく、わざわざ招待状を出したんだから、私の婚約発表の場にはきちんといて頂戴。別人がお相手だったクリスティーナ様?」



 クリスティーナの鼻先に指を向けて、勝ち誇った表情でジュリアは言う。

 滑らかな光沢をもつスカートの裾を広げながら、ジュリアは会場へと戻っていった。やがてジュリアが庭園を覗く様子がないのをみて、リオンは茂みから身体を出す。

 目の前のクリスティーナは、冷静そのものの表情だった。ジュリアとの密談の最中は、儚げな令嬢の装いも、相手の言葉に驚くそぶりも見せていたが、その姿はすっかりなりを潜めていた。



「ライナス、とは一体……」

「お爺様から聞いたことがあります。数年ほど前から頭角を現したという、帝国軍の第一部隊隊長の名前です」

「帝国軍……」



 煌々と灯る会場の明かりが漏れる窓を、睨みつけるようにクリスティーナは見つめていた。

 冷たく鋭い視線に、リオンは以前、クリスティーナの祖父が言っていたことを思い出した。


 ティナが男だったならば、どれだけよかったことか。と――。


 彼女のことをティナと呼ぶ祖父は、宰相同様食えない爺だ。

 底冷えするような視線をリオンに向けながら、クリスティーナは淡々と告げる。



「これでお判り頂けましたか? 私がジュリアを婚約相手にするのは相応しくないと、リオン様に申し上げた意味が」

「ああ、嫌というほどな」



 その後のクリスティーナの凶行が、リオンには今でも信じられない。

 誇り高く気高い、侯爵令嬢。ジュリアのあの挑発にさえ、冷静でいた女性が。あんな感情的な行動に移るだろうか? 確かに夜会の間中、ジュリアとその利を欲する取り巻きたちがクリスティーナに突っかかってきていたが、軽くあしらっているようにリオンには見えた。

 もしかして、クリスティーナは最初から判っていたのかも知れない。ジュリアの本性と、その背後に蠢くものを。帝国軍と繋がりのある人物を、生かしておくのは危険であると。



「『いつまでも、あなたのお側でお仕えします』か……」



 昨日、最初にアルフレッドが転落したことに気付いた女官が、リオンの目の前で眠るように死んでいる。それでも、主人の使っていた寝台に上がらないのは、女官としての流儀か。寝台に凭れかかるような身体の、腹には短剣が刺さっていた。

 ここはジュリアが使っていた部屋だ。かつてジュリアに付いていた女官なら、報告していない合鍵を持っていても不思議ではない。リオンはサイドテーブルに置かれていた、花の透かしが入った手紙を控えていた書記官に渡した。

 女官の遺体を調べていた騎士が、短剣を引き抜く。



「東塔の、緊急時に使う短剣ですね」

「せめてあの世で、王子と添い遂げさせたかった。とでものたまうつもりじゃないだろうな」

「死者が口を利くことはありません」

「分かっている。言っただけだ」



 柄にアザミの花の模様が入った短剣を見ながら、リオンは眉間に皺を寄せる。東塔にあの女官が向かったのは、この遺書を用意し、短剣を持ち出すためだったのか。

 城の使用人達は、高官や後宮の女たちが個人的に雇う者を除いては、王に仕える立場だ。王子からの命とはいえ、それをこの女官は自ら手放しジュリアという一個人に忠誠し仕えていた。それはこの遺書の中身が証明している。

 見ようによっては、ジュリアを助けられなかったアルフレッドに復讐をした、とも考えられる。



「たいした忠義だよ」



 その忠義は、国か王に向けてしかるべきものだと言うのに……。



「ありました。この茶缶の中身がすり替わっています」



 女官の自室を調べさせた者が、小さな缶を見せながら部屋へと戻ってくる。緑色の缶の蓋を開けリオンに中身が見えるように向けると、とたん、鼻に甘ったるい香りがきた。

 この甘い香りに、リオンは覚えがあった。ジュリアが好んでつけていた香水、そして、この国だけではなく周辺国でも禁止されている、麻薬の香りと同じだと。

 この女官は、どこでこの葉を手に入れてきたのか。それとも、これもジュリアの指示だったのか。


 調理場の人間が言っていた。ジュリアから渡されたこの茶を淹れていると。それ以来、ほぼ毎日といっていいほど、アルフレッドはこの茶を飲んでいたとも。

 アルフレッドは確か、この麻薬に触れたことはないはずだ。彼が政に携わってから、麻薬が関わるような事件は起きていなかったのだから。

 ……だから、気付かず毎日摂取してしまった。


 夜遅くに目を覚ましたアルフレッドは、幸い大きな怪我はなかったが、とても無事とは言えない状態だった。

 混濁した意識に、涎が垂れる口から出るのはうわ言ばかり。震える手足に、無意識のうちなのだろう、ジュリアの名前を叫び部屋の中で暴れ始めた。

 診察した医師が麻薬の禁断症状だと気付き、すぐさま寝台に縛り付けた。禁断症状で自傷行為に走る中毒患者がいるからだ。薬が抜けるのが先か、それともアルフレッドの身体が力尽きるのが先か。


 王はアルフレッドと対面したが、はたしてアルフレッドは父親だと気付いただろうか。あの状態では危険だとして、王妃は面会を許されていないが、どのみち王妃に見せられる姿ではない。

 リオンは何度か面会をした。アルフレッドは視線を向けるだけで、相手がリオンだと認識しているか怪しい。

 女官の遺体を検死医のもとに運ぶよう指示を出して、リオンは自身に宛がわれた執務室へと戻る。部屋の状況は全て記録を取った。寝台や家具の異常個所は、あの部屋を調べるよう指示をした騎士たちが何か見つけるだろう。



「お疲れさま。リオン」



 執務室の部屋の扉を開ければ、アルフレッドに瓜二つの顔を持つ男が来客用の席に座っていた。



「……エドワード様」

「疲れているところ悪いけど、ジュリア嬢の家を家捜しした時に見つけた物で、いくつか気になっていた物があってね。個人的に調べていたんだが、見てくれるかい?」



 あの状態のアルフレッドを表に出すわけにもいかず、同じ顔のエドワードが代わりに城の中で行動している。皮肉なのが、誰も、アルフレッドだと信じて疑わないことだ。

 アルフレッドからキツイ部分を取り払い、常日頃柔和な表情でいる。それがエドワードだ。すでに一部の女官や侍従たちからは、ジュリアの死を乗り越えて一皮剥け、丸くなったのではないかと言われている。

 だがこのエドワード、底の見えない感覚がして、リオンはどうにも苦手意識が拭えない。



「彼女の葬儀の真っ最中に家捜しして、まだ気が済みませんか?」

「だって忍び込むなら葬儀の最中が一番いいだろう? 誰もいないんだから」



 さらりと犯罪者めいた一言をこぼしながら、エドワードは机の上に小物を並べていく。机の上にあるものはどれも、リオンは一度見たものだ。ジュリアの葬儀の晩に、エドワードが自ら持ち込んできた物なのだから。

 表向きには・・・・・存在していない王子・・・・・・・・・と言えど王族だ。だというのにこのエドワードの行動は、王族でなくても誉められたものではない。

 だが、城の中でクリスティーナの言葉を信じ動いた存在だ。リオンでさえ、表立って動くことが出来ないなかで、真っ先に行動を起こした。



「やっぱりこの馬蹄と交差する剣のブローチ、本物だった。しかも、軍の関係者にしか渡されない物だったよ」



 リオンに現物を見せながら、交差した剣の間をエドワードは指差す。剣の重なる場所に小さな数字と、文字が一つ彫られてあった。



「この数字と文字は?」

「調べたところ数字は部隊の番号、文字はその隊の階級だ。クリスティーナのお祖父様、軍務卿に訊ねてみたら、第一部隊隊長を表している。つまり――」

「ジュリアは通じていた可能性がある」

「そう言うこと」



 よく出来ましたと、エドワードは軽く拍手をしながらリオンを見る。

 その光景とこの事実に、リオンは目眩を覚える。もし、何事もなくジュリアと婚約していたら、国家の危機を向かえていたかも知れない。

 是非とつくほど、ジュリアに会いたいといった人物は、この国の天敵だ。一体どんな手段を使って、彼女は敵国と繋がりを作ったのか。場合によっては麻薬を捌いていた可能性すら出てくる。



「彼女はどうやってこれを手に入れたんだ……」



 達成することはついぞ出来なかったが、民間人から王子の婚約者と目される地位にまで登りつめたジュリア。

 その彼女の姿が、足元から崩れていく。



「ああ、それならおおよその見当はついている。軍事境界線の要、グレイス辺境伯の夫人、ヘンリエッタ」



 さらに新しい書類を出しながら、エドワードはとんでもないことを口にする。



「ああ。ジュリアの形見分けの品を預かっているからと、ヘンリエッタに登城するようアルフレッド名義で手紙出したから」

「はあ!? 聞いてませんよ!? その話!」

「うん。言ってないからね。で、明日の十四時に謁見の時間取っているから」



 慌てふためくリオンと真逆にエドワードは笑顔で、



「拷問官の手配よろしく」



 そう言いながら机の上に、拷問執行許可の書類を出した。


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