06.故に王子は歪み願う

 


 机の上に書類は次々と重なっていく。そのどれもが最近貴族席を失った者や、身内が何らかの刑をかせられた者たちだ。エドワードは手早く確認のサインを記し、先に片付いた書類と纏める。



「芋づる式ってこう言うことなんだねぇ。うん。掃除が楽でいい」

「……確かに楽ですけどね、ええ、確かに、楽ですけどね! 書類は全然楽じゃないですけど!」



 執務室にやってきたリオンが、片手に持った書類の束を勢いよく机の上に叩きつけた。このすべてが、今回ジュリアの一件から始まったことだ。

 国の膿を、害悪を、容赦なくエドワードは刈り取る。現国王は穏やかな人だ、悪く言えば冷酷にはなりきれない。アルフレッドは王と違う気性だが、そういったことは出来ないだろう。彼はまだ、裏にどれだけ汚いことがあるのか、全てを知らない。

 ある意味で、令嬢たちが望む王子だった。清廉で潔癖で、曲がったことが嫌いで、そして孤独で弱かった。


 エドワードは偽政者として、表に立つことを決めた。必要とあらば見逃し、不要ならば切り捨てる。国にとって残すに値するか、的確にふるいにかけた。

 周りにとっては恐ろしく見え頼もしく思えることを理解して、淀みのない判断をくだしていく。

 書類から視線を上げれば、疲れたような顔付きに、薄っすらと隈の見えるリオンの顔がある。連日関係各所を駆けずり回る姿を知っているだけに、エドワードは申し訳なく思うが、今が正念場なのだ。悪いがもう少し酷使させてもらう。



「やっぱりクリスティーナは処刑以外ないか……」

「……まともに考えたら、国を敵国から守った功労者なんですけどね」



 まだ、ジュリアが婚約者でなかったことが幸運だった。ジュリアが婚約者だったら、クリスティーナが婚約を解消する前だったら、猶予期間などないまま、クリスティーナは処刑されていた。

 今はジュリアが敵国と僅かながらの関係があったことで、刑の執行は止まっている状態だ。アルフレッドがサインをした、執行書類はエドワードの手元に残っている。


 ジュリアの祖父は既に帝国に逃げている。父親に話を聞いたところ、ジュリアが好んでつけていた香水は、祖父が与えたものらしい。なんでも、将来のジュリアの婚約者からの贈り物、と称して。

 その推定将来の婚約者がライナス、と言うのが面白い。結局アルフレッドはジュリアに体よく使われていただけだ。だからもう少し、女で遊んでおけと言っていたのに。

 少々意外だったのが、ジュリアがヘンリエッタの茶に一度も手をつけていなかったらしい、ということだ。てっきり摂取していたものだと思っていたのだが……。


 もし気付くのが遅ければ、ジュリアの祖父とヘンリエッタ。双方より国が内側から攻められていたかもしれない。

 それを考えたら、クリスティーナを処刑するなど出来るはずがない。だが事実を公表すれば、王子が間者に気付かずに利用されたということも広く知らしめることになる。アルフレッドとエドワードは違うが、今はエドワードが表でまとめているのだ。

 愚か者というレッテルは、貼られれば後の王位継承の際に突つかれる恐れがある。だから、飲み込む。それはつまり、クリスティーナの処刑を認めるということだ。



「ままならないものだねぇ。さて、ジョシュア王子の婚約者をどうしたものか」

「…………あの、それ、どう言うことですか?」



 だらだらと冷や汗をかきながら、リオンが訊く。

 その姿にエドワードはニコリと微笑みながら、



「いや、そのまんまの意味だよ。横取り?」

「なに疑問系で可愛く言ってるんですか! ガチの外交問題じゃないですか!? どーすんですか!?」

「うちの妹姫で妥協してもらうか、他の令嬢にするか……あっち・・・のクリスティーナならいらない、って言われちゃったんだよねぇ。どっちにしろクリスティーナは罪人だし、他国に嫁がせるわけにもいかないし」



 目の前で頭を抱えるリオンの背後で、扉が叩かれる。リオンが慌てて居ずまいを直し終えるのを見て、入室の許可を出す。

 なんだか全身から疲れたオーラを醸し出す老人が、書類のほかに蝋印の押された封筒を持って現れた。



「宰相!?」

「ああ、うるさいな。ワシ、ここ最近寝てないんだから気を遣わんか」

「す、すみません」

エドワード・・・・・殿下、ようやっと首を縦に振りましたぞ」

「やはり宰相閣下に動いていただいて正解でしたね」

「ふん。まだこのひよっこ補佐には勤まらんわ」

「さ、宰相〜」



 受け取った封筒の中身を見ながら、エドワードは微笑む。



「しかしよろしいので? クリスティーナ様をあのような閑職に追いやった、名ばかりの伯爵家へ送り出しても」

「僕が直接・・動かした伯爵が、ただの人物だと思っているのかい?」

「……いいえ。アルフレッド様ならば判りませんが、エドワード様なら必要悪を認めていますからな」



 そう、その必要悪の一つから、アルフレッドに飲ませた茶葉を手に入れた。



「軍事境界線は一つじゃない。年頃の娘をそんな危険な所に置いておくのは、養父・・としては忍びないだろう?」

「ええ、全くもってそうですな」

「それに、あそこにはレオンがいる」



 エドワードの言葉に、宰相が同意するように何度も頷く。

 その話の結果にすぐに辿り着かないリオンは、エドワードと宰相に交互に視線を動かした。どう言うことだと問うように、リオンがエドワードに視線を向ける。

 宰相から差し出された書類にサインをしながら、エドワードは口角を上げた。



「その方が都合がいい。何しろ彼女は・・・処刑されるのだから」



 エドワードが、自分が弟ではなく兄であると知ったのは、アルフレッドが本格的に社交界に出たときだった。

 アルフレッドが成人した、祝いの席だ。万が一の時も考えられ、エドワードも準備をして別室で待機していた時。いい具合に酔いの回った医師が、口を滑らせたのだ。しかもこの医者、エドワードをアルフレッドだと勘違いしてペラペラと喋った。

 そして知ったのは、自分が兄だということ。



「まったくもって、奇妙な慣習ですな。アルフレッド王子」



 王妃の出産に立ち会った産婆の地域では、双子の場合、先に生まれた兄を弟とする慣習があったそうだ。もう一人を押しのけて先に出てくるずうずうしい子供。成長しても我を通すわがままな子に育つ、だからその子供は後に回すのだと。

 その話を聞いたとき、唖然とした。なんだその慣習はと。そして母親が、その言葉を信じたのが理解できなかった。マタニティハイなる言葉があるのは知っていたが、まさかそんなことまでまかり通ってしまうものなのかと。

 お前は知っていたのかと、父親に問いただしたくなる衝動をぐっとこらえ、アルフレッドの祝いの席が終わるのを、エドワードはただじっと耐えた。


 けれどエドワードは、弟のままで構わないと思っていた。もう、周りは王子がアルフレッド一人としか思っていなかったし、今さら弟がいたと発表しても無用な後継者問題が起きるだけだ。

 影として生きる。万が一のための、アルフレッドのスペアとして。

 それがどんな不条理であろうと、国を混乱させるわけにはいかないことを、学んでいるから。


 子供の頃、アルフレッドはずっとエドワードについて行くような子供だった。にいさま、にいさまと言いながら、エドワードの後ろを歩く姿は、城の奥の微笑ましい光景だった。

 本格的な教育を始める段階になって離されはしたが、もしかしたらアルフレッドは直感で、兄が誰であるか判っていたのかも知れない。

 やがてアルフレッドは自分の方が兄であると知り、それに相応しい振る舞いを身に付けていった。


 自分とアルフレッドの道は別れているのだ。

 けして重なることのない、平行に進む道に。


 王族の、それも国王の家族しか入ることの許されない城の奥。医師と、口が硬く信頼された者しか近づくことの出来ない部屋に、エドワードは入っていった。

 高い位置の窓は、廊下に日の光を差し込んでいたが、外の世界を見せることはなかった。

 ある意味で、閉ざされた場所。


 鳥と勿忘草の刺繍がかけられた扉を開け、エドワードは室内の様子に目を細めた。

 普段王子が使っている部屋よりせまいその部屋の主は、ベッドの上で無気力に座っていた。視線の先は、絵も置物も無いただの壁だ。その部屋は、昔二人が使っていた子供部屋だった。

 物音に刺激されたのか、アルフレッドはゆっくりとエドワードに顔を向けた。



「……えど兄さま」



 最近は、ようやく薬が抜けてきたらしく人を判別している。それでも元のような状態になることはないと、医師から宣告された。母である王妃はそれを聞いたとき、人目も憚らず涙を流した。

 嘆いたからといって、意識を理性のある状態に戻すには、再び薬を摂取させることになる。出来る訳がない。



「やあ、我が兄上でもある・・・・・・弟よ・・。元気にしていたかい?」

「はい、兄さま」



 まるで、子供に戻ったようだ。記憶の後退を招き、それに引きずられるように、行動まで幼稚化している。

 そう、昔エドワードを兄と慕っていた・・・・・・・アルフレッド(弟)がそこにいた。



「みんな来てくれないので、一日中つまらないのです」

「忙しいからね。なら何か本を読んであげよう」

「本当ですか! なら、これを読んでほしいのです!」



 少し前の無気力な様子はなくなり、明るい表情を見せるアルフレッド。枕元から持ってきた本は、かなり傷んでいた。エドワードはそっと、その表紙を指でなぞる。

 昔、読んでいた物だ。今、それをここに置いている意味に、エドワードは薄く微笑む。



「むかしむかしある森の奥に、一人のおばあさんが住んでいました……」



 こうなるように仕組んだのは自分自身だ。隣で、読み上げるエドワードの声を聞きながら、本に夢中になるアルフレッドが目に入る。

 その姿に、一の憐憫と十の罪悪感を持つことが、果たして自分に許されるのだろうか。



 エドワードとクリスティーナには、共有する秘密があった。

 それはアルフレッドが双子で、その双子の一人、エドワードは存在を秘匿され、アルフレッドの影武者として生きていること……だけではなかった。


 以前、クリスティーナの実家である侯爵の領地訪問のときだった。二人だけで話をする時間があり、そのとき、クリスティーナは侯爵家が秘密にしていることを、密かに打ち明けた。

 それを他人に話すことのリスクにエドワードが警戒していると、クリスティーナは自身の黒髪を指で弄び、ほんの少し試すような色を混ぜた青い瞳を向けた。



「私、アルフレッド様の婚約者に殺されますの」



 唇の端を軽く持ち上げながら、クリスティーナは言った。

 ほんの少し先を読む力があると告げたクリスティーナは、エドワードに促され、今まで城の中で起こった表沙汰になっていない事件を次々と話し出した。その中に、自分がアルフレッドではなくエドワードだということも含まれていた。しかも、出産に立ち会った者以外知るのが難しい、あの慣習まで丁寧に説明した。

 やがて、これから起こることを話し始めたクリスティーナは、



「もし、エドワード様がこのまま影として生きるのならば、アルフレッド様に殺されることになるでしょう」



 いきなり言われた言葉は、すぐに頭に入らなかったが、やがて真綿が水を吸い込むようにすっと広がっていった。


 二人が共有する秘密。

 それは、自分たちが殺されるということ。


 エドワードはアルフレッドに。

 クリスティーナはアルフレッドの婚約者に。

 そして二人は、殺されないために結託した。


 彼女が言ったほんの少し先とはどこまでなのか。もし気付きあれ・・を回避したのなら、取り引き通りにジョシュアとの婚約を成立させなければならない。

 いくつか手は打っているが、どれがかかるか。先方から不要と言われた令嬢を、はてさて一体どうしたものか……



「エド兄さま?」

「ああ、すまない。ええと……」

「ここです。悪いまじょが、お姫さまに呪いをかけるところです」

「そうだったね。森の中にいたのは、悪い魔女でした。追われていたお姫さまは――」



 自分と同じ顔をしたアルフレッド。同じ色の瞳、髪。その濃紺色の髪を、エドワードは撫でた。

 突然のことに、驚くようにアルフレッドはエドワードを見上げた。



「すまない、アルフレッド」

「兄さま?」

「でもね、僕は君に殺されたくはなかったんだよ」



 エドワードの呟きに、アルフレッドは首を傾げただけだった。


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