第39話⑤ 帰郷(やっぱしユキくんが好き)

 その日、桃代は帰ってからずっと浮かない顔をしていた。

 ユキへの申し訳ない気持ちが原因だ。

 昨日は若干持ち直していたように思っていたが、また心に負担がかかる。


 ユキくん…先輩亡くなって落ち込んどったな。


 なんかイヤだ!


 我が儘な気持ちが湧きあがってくる。

 自分ではない女性に対して落ち込むユキに嫉妬する。

 が、そのことに関しては完全に自分が悪い。

 でも一方で、自分に対して強い思いがあったことも確認できた。

 だからこそ思う。


 せめて自分が間違った選択をしたことだけでも許してもらえるよう尽くそう。

 落ち込んだユキを元気付けてあげよう。

 何年かかっても。

 元の関係に戻れなくても、と。


 しかし、割り切ったと思っていてもツラいものはツラい。結局そんなのは建前でしかないのだと思い知る。

 そんな気持ちを抱きながら眠りにつく。

 するとまた、あの夢を見て泣いてしまう。

 悲しい夢。

 ユキが去ってゆく悲しい悲しい夢。


「ユキくん…ごめん…許して…今でも…好き…」


 今日も真横で有喜がすすり泣く声と途切れ途切れの哀しげな寝言を聞いている。

 そして思う。


 ユキくんっち誰?好きっち何?




 異動した次の日。


 通常業務が始まった。

 まずは、ユキ一人だった時に滞ってしまったサンプルの処理。

 溶出検査の前処理は、時間がかかり面倒だ。

 だから一人の時は滞ってしまった。

 二人だと前処理する検体数が増やせるうえ、測定を同時進行できる。

 的確な指示を出し合い、協力し、見る見るうちに片付けていく。

 桃代は向こうではかなりヤリ手だったと聞いた。

 実際にその腕前を目の当たりにすると、感動を覚えるレベル。朝代にも全く負けてない。

 それとは別に、ユキと組むことによって、さらなる相乗効果をもたらしているように見える。

 相性がいいのが一目見ただけで分かるのだ。

 例えると双子のような?長年連れ添った夫婦のような?何か強い絆みたいなものを感じる。


「狭間さんはスゴイっち聞いちょったけど、ユキっちあげんさばけちょったかね?」


 分析課のメンバーは不思議がる。


 結局約一カ月分溜まったサンプルは桃代が来てから半月足らずで片付き、追いつくこととなった。




 桃代が九州事業部に来て一カ月ほど経ったある日。

 歓迎会がいつもの居酒屋で行われた。

 とはいっても全体のではなく、分析課+αの総務=10人の、小規模なヤツである。


 桃代とユキは久しぶりに飲む。

 離れて、しかも別れてしまったため数えるほどしか一緒に飲んでない。

 こういった場で本格的に飲むのはこれが初めて。

 酔えば確か大胆になっていたように思う。

 バスタオルを巻かずに、前に垂らしただけで風呂に乱入してきたという前例がある。

 ユキはどんな風に変わるかが楽しみだったりするワケで。

 ちなみにユキは赤くなるだけでそんなに変わらない。飲んでも基本地味なままだ。癖は悪くないのでとりあえず声はかかる。



 というわけで宴会が始まった。

 全員、ビールを注ぎあって片手にコップ。

 課長の挨拶が終わり、桃代の番。


「このような会を設けていただきありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」


 で、乾杯。


 コップを空にした後、桃代はみんなに注いで回り、注いでもらう。

 一通り回ったところで、ユキの隣に当然のように座る。

 届かないところにある料理を小皿に盛って取ってあげたり、酌してあげたり。

 自分がこの飲み会の主役だというのに嬉しそうにユキの世話をしている。

 仕事の時もそうだが、仲がいいのが一目でわかる。

 朝代と付き合っていた時よりも自然な感じ。

 互いに「好き」がダダ漏れなのだ。

 感情があまり表だって見えないユキですら見ていてわかるレベル。

 たまに見せる、ヘラ~っとした笑顔がその証拠。

 ユキと絡んだときの桃代に至っては、見ていて恥ずかしくなるレベルである。

 会社でも早い段階で気付かれていて、噂になっていたりする。


 そんな二人を見ていて先輩社員が、


「いっつも思うっちゃけど…お前ら新婚さんみたいやの。」


 ニヤけながらからかわれる。

 言われた瞬間、


「え?い、いや…それは…。」


 突如として今までのマッタリ感が崩壊し、アワアワオロオロしている。箸でつまんでいたモノを落したり、声が裏返ったりとかなりグダグダになっていた。

 何かを必死に誤魔化そうとして、それもできないと分かると、真っ赤になって俯いてしまう。

 会社の上司だから、最後に「バカ!」と言わないだけで、小さい頃からこんな時のリアクションは、全く変わっていない。


「は~…爆発しろ!」


 呆れられる。

 でも、このリアクション。初めてみる方は可愛くて面白かったらしく、今度はどんなネタでいじってやろうと思っているのが見え見えだ。

 こんな時、菜桜の気持ちがよくわかる。


 女子社員が会話の流れを変えるための助け舟?を出す。


「前々から思いよったっちゃけど、狭間さんっち顔でったん可愛いよね。」


「うん。それ思った。」


 女性社員達の言葉に男性社員達が大きく頷いた。

 今、桃代は知らない人が大勢いる場なので、前髪を半分下ろしていて傷痕が見えにくくなっている。


「え~…そーなんですか?顔、こげなんやき分かんないです。」


 髪を少しかきあげ傷痕を曝す。


「いやいやいや。それは置いとこーや。今はその無傷な方の話しよーとやき。今テレビでまくりのあのアイドルよかゼッテー可愛いちゃ!」


 ガスクロ担当の女性先輩社員が、髪をかきあげた手を下ろさせ、傷痕を見えなくして念を押す。

 この話題もまあまあ苦手。

 桃代はまたしても照れまくる。

 照れまくっても、容赦なくそのネタは引張られる。


「ほら~。ね?」


「うんうん。」


「ねぇねぇ。もしかして自分、すっぴんやないん?」


「ふぇ~!ホントやん!それでこの白さ?肌、キレー!羨ましすぎやない?」


 勝手に盛り上がられ、


「そんなこと!…う~…恥ずかしいよぉ。」


 またもや真っ赤になって俯いてしまう。

 全く助け舟になっちゃいなかった。

 ウルウルしながらユキの方を向き、助けを求める。

 ユキは「しょーがない。我慢しろ。」という顔をしている。


「狭間さん、なんかリアクションいー感じ!可愛いし。」


「え?そんなこと…」


 ますます赤くなり小さくなってしまう。

 一言一言に反応し、コロコロ変わる表情。

 からかうとアワアワなるところ。

 わざとらしくない自然なリアクションがイチイチ可愛いので、すっかり全員から気に入られ、オモチャにされている。

 次からの飲み会参加は確実なものとなっていた。

 桃代いじりも一段落ついたっぽいので、


「桃ちゃん、飲みよる?」


 ユキが声をかけてくれる。


「いや、あんまし。」


「飲めんの?弱いとか?ジュース頼んだがいー?」


 こういうちょっとした気遣いが嬉しかったりする。


「ううん。そーゆー訳やないよ。」


「出た出た。ユキ、お前誰にでもそげなんやの。」


 ガスクロの先輩がニヤケながら茶化してくる。


「え?何がですか?」


「ん?いつもの優しさ攻撃。」


 いつもの?


 桃代がピクッとなる。

 やっぱりこの優しさを向けられるのが自分だけじゃなかった。

 社会人になっても健在なんだ!

 幼馴染女子チームやミク、カンチョー後輩くんのことを思い出す。

 ユキの優しさは、飲み会のシチュエーションでは特に発揮されやすい。

 隣の席限定だけど、例えば飲み過ぎてゲロゲロになったり、酔いつぶれたりすると、男女問わず介抱する。入社してから今まで、決して少なくはない人数の社員がユキの世話になっていた。

 それだけじゃない。

 これもすぐ近くの人限定だけど、気付けば色々注文してくれたりする。

 学生の時より社会人になってからの方が、ユキのちょっとした優しさは発揮されやすくなっている。

 桃代の心配事がまた増えた。


「へ?そんなことないですって!」


「女性社員で『そこがいい』っち言いよる人、結構おるんぞ?」


 聞きたくもない真実を暴露された。


「マジですか?」


 素で気付いてない様子。

 既に犠牲者が多数出ている模様。

 少し嬉しそうなユキに桃代が嫉妬し


「ユキくんは~…未だにそげあるんやね。」


 ブスくれる。


「ユキ、昔からこげあるん?」


 先輩社員から聞かれる桃代。


「はい。小っちゃい頃からです。ホントもぉユキくんは…」


 機嫌悪い顔で先輩の質問に答える。


「悪い男。無自覚やき余計にタチが悪い。」


「いっつもそげあるんです。知らんうちにいろんな人に好かれて…バカ。」


 とどめを刺した。

 先輩は、


「そっかー…昔からなんかぁ。」


 しみじみと頷いている。

 桃代が不機嫌になってきたためユキは話を逸らす。


「何か好きなの頼み?」


 と言ってメニューをわたす。


「うん。」


 すぐに機嫌が直る。

 現金なものだ。

 酒類のメニューを受け取り、何にするか悩んでいる。

 あんまし、とはいうものの全く飲んでない訳じゃないので少し頬が赤くなっている。

 元の色が白いので一目でわかる変化。

 かなり色っぽい。

 でも、変わったのは見た目だけ。

 今のところ態度や性格に変化はない。


「じゃ、酎ハイ。グレープフルーツのやつね。」


 散々悩んだ挙句のド定番。


「すんませ~ん!酎ハイのグレープフルーツ一つ!」


 即注文する。


「桃ちゃん果汁が入ったのが好きなん?」


「うん。カクテルとか酎ハイは好き。フツーに飲むよ。」


 既に機嫌はほぼ直っている。

 ユキは桃代の好みを覚え、家飲みするときの予習をする。


「そっか。色々頼みーよ。次のもぉ決めよっていーっちゃない?」


「ん。ありがとね。じゃ次、カシスソーダ。」


「りょーかい。そぉいやほぼ初めてよね?こげな感じで一緒に飲むの。」


「そぉやね。」


「温泉の時は菜桜ちゃんたちと飲んどったみたいやき、一緒じゃなかったし、そもそも未成年やったもんね。」


 「温泉」というワードを聞いた瞬間、爆発的に赤くなる桃代。


「ユキくん!温泉はもぉいーよ!」


 温泉といえばトラウマでしかないロストバージン。

 だから、思わず大きな声が出てしまい、ハッとなり口を押える。

 気にしなければ何も起こらず過ぎていたものを、自らの言動で恥ずかしい方に向かわせてしまう。

 桃代の得意技だ。

 これまで何度やらかしてきたことか…。

 只ならぬ反応に、


「何?何?温泉で何があったん?」


 興味津々で聞いてくる先輩社員達。


「あ~。えっとですね。」


 アホなのでありのままを答えようとするユキ。


「もー!ユキくん!」


 飛びかかって口を押えようとし、抱きあったカッコで倒れこむ。


「ほら!溢す溢す!お前たちはもぉ~…」


 子供のようなリアクション。

 見た目はかなり大人っぽくなったが、中身は相変わらずかなり幼い桃代。

 苦笑しながら注意される。


「すみません!」


 すぐに起き上がり、顔を真っ赤にして謝る。

 注文していた酎ハイを受け取り、顔を真っ赤にしたまま小さくなり、チビチビと大人しく飲み始める。


「で、温泉で何が起こったん?」


「何も起こってません!勘弁してください!」


 必死になって目をウルウルさせ、「これ以上の追及は止めてくれ」と頼んでいた。努力の甲斐あって見逃してもらえた。


 駄弁りながら、食べながら酒が進む。

 さっきからかわれたのも忘れ、また嬉しそうな顔をして、ユキに食べ物を小皿に盛って取ってあげている。

 自分はカクテルを色々試している模様。

「これ美味しい」と言ってはユキに飲ませてあげつつ、あ~んして食べ物を食べさせつつ着実にできあがっていく。

 いつの間にか結構な量飲んでいた。

 顔全体が真っ赤になっている。


「桃ちゃん、真っ赤。」


「うん、飲んだらこげなる。んで、最終的には寝る。」


「桃ちゃんは寝る派なんやね。」


「うん。寝たらおんぶして帰ってね。あ~なんかいー気分~。」


 ん~っ、と伸びをした。

 つい、昔の癖で乳を突いてしまいそうになる。

 と、そこで気付いた。気付いてしまった。


 デカくなっちょーやん!


 ユキが知っている限り、極うっすらとしか盛上ってなかったはずだ。

 でも今は違う。

 ちゃんとブラをし忘れないくらいには盛り上がっている。

 異動初日に感じた色っぽさの原因はこれだった。

 ユキもかなり飲んでいる。

 調子こいて、


「ねぇねぇ。」


 手招きして、

 桃代が身体を寄せてきて、


「ん?な~ん?」


 耳元に口を寄せ、小声で、


「乳、おっきくなっちょーやん。」


 言った瞬間、胸を隠してあっち向き、


「バカ!どこ見よーんか!スケベ!」


 怒られ、バシバシ叩かれる。


「あはは、ごめんごめん。」


 笑いながら謝るユキ。

 その様子を見ていた先輩社員が


「ホント、お前ら何しよーん?」


 呆れながらも生温いまなざしでツッコんでくる。


「いや!その!…」


 また真っ赤になって慌てている。


 仕事場ではできる社員として持てる技術を思う存分発揮している桃代。

 その姿は落ち着いていてとてもカッコイイ。

 ロングコートの白衣を着て防護メガネをすると、ザ・研究者!だ。

 が、いざ仕事場を離れ、ユキが絡むとこのざま。

 今、完全にみんなの前であらわになってしまった。


「狭間さん、仕事ん時とのギャップすごいよね~。デレデレやん。そげんユキのこと好きなん?」


 既にバレバレだ。

 思いっきりみんなの前で質問された。

 女性先輩社員達から顔を覗き込まれ、からかわれている。


「え?それは…その…。」


 目を大きく見開いて驚き、なんか言い訳しようにも本当のことなので、言葉が見つからず、俯いて真っ赤になり小さくなる。


「うっわ!分かりやす!」


「あ~あ。総務のあいつ、ユキのこといーなっちいーよったんに。ユキもそれっぽいし、これは入り込む余地無しかぁ?」


 何気に心配になることを言われているが、それどころではなくなっている。


「も~、勘弁してください~。」


 消え入りそうになっていた。

 しばらく恋バナ的な話でいじられ、腹いっぱい狼狽えまくる。


 飲み始めて結構な時間経っていた。

 課長が、


「さ、ボチボチおひらきにしよっかね。じゃ、狭間さん。〆の一言。」


 桃代に〆の言葉を促す。


「え?言わなきゃだめですか?」


「勿論!今日の主役やし。」


「…分かりました。」


 フラフラしながら、ユキに支えられて立ち上がり、


「今日は、私のためにこんな素敵な場を設けていただきありがとうございます。これからも一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします。」


 頭を下げる。

 そして拍手。

 店を出る。

 家までは近いので歩いて帰ることにした。


「それじゃみなさん、失礼します。自分達、近いき歩いて帰りま~す。」


 ユキと桃代が挨拶をすると、


「あいよ~。ユキ~、狭間さん、ちゃんと送り届けなぞ~。」


「は~い。」


 チドリながら家へと向かう。

 桃代は完全に足にきていた。

 かなりヨロヨロしているので肩を貸す。それでもダメなときはおんぶするつもりだ。


「ユキく~ん…ありがとね~。」


 眠そうな目でヘラ~っと笑い、礼を言ってくる。


「はいは~い。」


 返事した瞬間顔が近づき…キスをされた。

 いきなりでかなり焦ったが、懐かしい感触。

 肩を貸したまま、ヨロヨロと歩く。

 そして何の前触れもなく、またキス。

 そしてまた。

 何度も何度も。


 嬉しい。


 と同時に心配になり、試しに聞いてみる。


「桃ちゃんっち飲んだらキス魔になるん?」


「え~…今までこげなことしたことないよ~。」


「じゃ、今初めて?」


「ん。」


 酔うとユキに対してキス魔になることが判明した。


「他の人にはせんとよ?」


「するわけないやろ!」


 強い言葉で否定した。

 ちょっと安心する。

 やがて家に着く。

 桃代の家はまだ電気が点いていた。

 自力で歩いてはいるものの、ほぼ寝ている。

 勝手口をノックすると桃代の母が出てきて、


「あら、ユキくん。もぉ~ごめんね~。」


 謝られる。


「いえいえ。楽しかったですよ。」


「そーね。それはよかった。桃、寝ちょーね。重たいきこのまんま部屋まで運んでやってくれんやか?」


「は~い。分かりました。」


 まだギリギリ自力で立っている。コケて階段から落ちないように補助しながら部屋へ連れて行く。

 部屋のドアを開けると、


「おかえり!ユキオイチャンやん!」


 半分寝ていた有喜が飛び起きて出迎える。


「おぅ!お母さん寝せてやってね。」


 ベッドの布団を有喜が捲り、そこにゆっくりと桃代を下ろす。

 布団をかけると、


「ありがとね…。」


 この言葉を最後に深い眠りに落ちていった。




 次の日。

 土曜日なので会社は休み。

 朝の10時半過ぎ。

 部屋でボーっとしていると「今から家に来て」と桃代から連絡が入る。

 すぐに家に向かう。

 勝手口をノックすると、


「どーぞ。」


 桃代が出てくる。


「上がって。」


 何やら深刻な表情。

 様子がおかしい。


「どげしたん?何かあった?」


「ウチ、昨日の記憶があんましないっちゃけど!」


 真剣に血の気が引いていた。

 恐らく何かやらかしたと思ってビクついているのだろう。


「どの辺りから?」


 聞いてみると、しばらく考えて、


「酎ハイのあとカクテル飲みだした辺りからかなり怪しい…ヤバい。」


 落ち込んでいた。


「乳のハナシ、覚えちょー?」


「何それ!」


 覚えてなかった。

 ユキはアホなので有喜がいるのに


「伸びした時、乳がデカくなったっちゆったら叩かれた。」


 平気で言ってくる。


「お母さんのおっぱいが何ち?」


 有喜が興味を示す。


「いーと!ユキくん、ユーキの前でエロネタは言わんでね。で、ウチ叩いたん?」


「うん。バシバシ叩かれた。」


「マジで?他には?」


「ん~っとねぇ~…」


「まだあると?」


 どんどん不安になっていっている。顔がますます青ざめてきた。


「耳貸してん。」


 内緒話の準備。

 エロネタだ!

 顔をしかめた。

 聞きたくない素振り。


「でったんチューされた。」


「マジで?ウチそげなことまでしたん?どこで?」


 エロネタじゃなかったが、別の意味で冷や汗が頬を伝う。


「帰り道ずっと。」


「先輩たちの前では?」


「店の中じゃしちょらんよ。」


 は~っとため息。


「ウチ…キス魔やったって…向こうで飲んだときは何も言われたことないけどなー…多分大丈夫のはずやけど。ちょっと美咲と澪に聞いてみる。」


 それでも心配なので、確認のため美咲と澪にメールしている。

 かなり凹んでいた。


「大丈夫やろ。オレにしかしちょらんっち言い張りよったき。ホントなら嬉しいよ。他の人にはせんとよ?」


「せんよ!しかしマイッタ。全然記憶ない。」


「それはいかんね。危険過ぎ。飲み行くときは絶対オレと一緒ね。」


「うん。わかった。」


 と、メールの着信音。

 急いで確認している。

 ホッと胸をなでおろした。

 続いてもう一通。

 確認し、安心した顔になる。


「何ち?」


「してなかった。で、呆れられた。」


「よかった。オレも他の人とはしてもらいたむない。」


 微笑む。

 そして、お茶にする。

 週末はいつもの如く3人で過ごす。




 月曜日。

 ユキのクルマで一緒に出社。

 週明けは広い方のミーティングルームにて全体朝礼がある。

 部屋に入ると、早速分析課と総務の飲み会に参加した面々から絡まれ、いじられる。

 肩を組まれ、顔を覗き込まれ、


「狭間さん、おはよ。」


 生温い笑い。

 既に嫌な予感しかしない。


「おはようございます…も~…お願いですから…。」


 とんでもないコト言われそうで、身構える。

 何とも恥ずかしくて居心地が悪い。

 微妙に紅潮しだす。

 その反応を見て、


「帰りがけ、ユキと何があったん?」


 もう何かあった前提。

 カマをかけられている。

 いじるのが大好きな人たちである。

 美味しいネタを得たら、いじらずにはいられないのだ。

 記憶にはないが、ユキからどんなことがあったか聞かされているため、ますます赤くなってしまう。


「あらあらあら!ちょっと!この反応!早速なんかやらかしちょんなーばい!」


 どんどん盛り上がってくる。


「いや、何も!」


 叫ぶように否定した。

 最早「何かありました」と言っているようにしか聞こえない。


「こらー、ユキー。お前、ちゃんと送り届けなっちゆったよね?で、何した?」


 数人の先輩たちから囲まれ、ニヤケながら尋問される。

 こういう時はユキに聞くと早い。

 アホなので、包み隠さず吐いてしまうことは入社時から分かっていた。


「セックスやらしてません。」


 真顔でしょーもないことを答える。

 もう、最初の受け答えからしてアホである。

 桃代はそれを聞き、何を言われるモノかと怯えの表情に変わる。


「いや、そんなことは聞いてない。具体的には?」


「え~っと…」


 聞かれたことに対し素直に答えようとしたその時。


「こらー、もぉ!ユキくん!」


「…もがっ」


 顔を真っ赤にしながら叫び、飛びつくような勢いで口を塞ぐ。

 朝っぱらから全社員の前でじゃれ合う二人。

 これまで周囲の人間が勝手に作ってくれていた「できる女」キャラを、自らの行動で見事に崩壊させてしまう。

 全社員に、リアクションが可愛いくて慌てふためくキャラということがバレた。

 口を塞いだ後、少し冷静さを取り戻し、恐る恐る周囲の反応を見てみると…。

 それはそれはもう、生温いこと極まりなくて。

 全員から「爆発しろ!」と思われている。

 いじられキャラが決定した瞬間だった。


 これがきっかけとなり、必ず飲み会の誘いがかかり、ユキと二人していじられまくることになってしまう。




 傍から見れば十分両想いに見えるのだけれど、なんせ両者ヘタレ。

 どうしても別れた時のことや、再会してすぐの互いの反応が気になって、肝心な一言、「好き」が言えないでいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る