第34話④ 崩壊(ついに…)

 9月半ば。

 関東に戻る日。


 飛行機は待ち時間が長く、変な疲れ方をするので新幹線にした。


 ユキが駅まで送ってくれることになり、美咲と渓も乗せてもらった。

 軽貨物なので、後部座席が異常に狭い。一時間背筋を伸ばして我慢した。


 小倉駅のホーム。


 しばしの別れだ。

 次、逢えるのは冬休み。


 休みの間、二人でいっぱい過ごした。

 心は満たされた…かのように見えた。

 だが…。


 またあの悲痛な表情。

 4月、関東に行くときとなんら変わってない。

 むしろ悪化しているように見える。


 ずっとユキを抱きしめて離さない。


 発車時刻。


 そっと口づけをした。

 寂しさで満たされたその表情は、かなりの危うさを感じる。


 残り3年半。


 ホントに大丈夫なのか?



 後期が始まってからの桃代は寂しさを誤魔化すため、一心不乱に勉強に励んだ。

 資格にも挑戦。

 狭き門である環境計量士(濃度関係)の試験を一発でパス。

 免許を取得し、友達から祝ってもらった。


 表面上は落ち着いて見えた。

 学校にいる時は入学当初より笑顔も見せるようになった。

 普通に会話もするし、遊びに行ったりもする。

 寂しい感情を押し殺すのが上手くなりつつある。

 心配されるのが申し訳なくて身に付いた技。

 大学で新しくできた友達には明るくて優しい、そんな桃代に見えている。

 なので何回か告られもした。

 狙っている人も少なからずいるようだ。

 勿論、彼氏がいることを理由に断り続ける。


 部屋で一人になった時、寂しさに耐えきれず涙を流す。

 夢を見て泣くことも多い。

 そんな時、決まって寝言ではユキの名前を口にする。

 泊まりに来た友達には何回も聞かれていた。

 内面は、心の持ちようは、変わらないどころか確実に悪化している。

 いつ壊れてもおかしくない状況になっていた。


 どうにか持ち堪えさせなければ!


 みんながそう思っているため、いつも誰か側にいてくれる。

 遊びにも連れ出してくれる。

 色々試みて、心の崩壊を食い止める努力をした。

 そんな努力も虚しく、冬休み、春休みと帰省する度、全く同じやり取りを経て、着実に心が壊れていった。


 こんな感じで最初の一年は過ぎていった。

 

 

 

 そして二年生。

 

 人間関係は、男女問わず仲の良い友達がさらに増えていった。

 相変わらず告られたりもしている。

 

 授業の面では専門教科が増えてきて忙しくなる。

 桃代は寂しさを紛らすため、必死に勉学に励む。

 おかげでトップクラスをキープできている。

 

 幼馴染と関東の仲良しに励まされ、何とかここまでやってきた。


 が…寂しさは収まるどころか限界に達していた。


 人間、そういった感情は時が経つにつれて薄れるものじゃないのか?

 耐えることができるように変化していくものじゃないのか?

 ここまで長引くものなのか?

 ここまで悪化するものなのか?


 何度もそう考えた。

 しかし、実際長引いているし、悪化もしている。

 思考が良からぬ方向へ飛んでしまいそうだ。

 かなり不安定になってきているのが、ごく親しい人間には分かる。


 

 特別に何か起こることもなく前期試験となる。

 いい点数も取れた。

 急いで寮に戻り、荷物を持って帰省する。

 美咲と渓は予定が合わなかったため一緒に帰れない。

 

 今回は新幹線で帰省する。

 朝、比較的早い時間の列車に乗った。

 昼過ぎには着く。

 小倉まで2時間切ったところでユキに到着時刻をメールする。

 トンネルが多いから、なかなか送信できない。

 やっと送れたと思えば今度は着信しない。

 イライラする。

 やっと返信が来た。

 

 小倉駅に到着。


 やっと逢える!


 北口を出て見回す。


 いた!


 駆け寄って抱きついた。

 泣いてはいないけど、これまでとは格段に酷くなった。

 必死に作った笑顔が猛烈に痛々しい。

 

 今回もずっと一緒にいてやろう。


 そう思った。


 

 家に到着。

 すぐに、

 

「部屋に来て?」


 電話してきた。


「わかった。」

 

 返事をするとすぐに行ってやる。

 部屋に入ると、まだ明るいのに求めてくる。

 前回よりも激しく。

 好きなようにさせる。

 よっぽど寂しかったのだろう。

 抱きしめる力がかなり強い。

 絶対に離さない!

 そう言っているように思えた。

 抱き合い、求め合うのはユキも好きだ。

 でもこれは、明らかに異常な状態である。

 桃代の行動が悪戯に不安を煽り立てる。

 まだ帰ってきたばかりだというのに、再び関東に向かう日の様子が容易に想像できてしまう。

 

 壊れてほしくない!

 

 心からそう思った。 



 次の日からは二人きり、もしくは幼馴染と釣りに行ったり、夜ドライブしたり、花火したり、海に行ったり。

 

 みんなと一緒にいるときの桃代は中学高校の時と何ら変わらない。

 極めて安定している。



 こんな感じで夏休みは過ぎてゆき、終盤。

 二人でいるとき寂しさがチラホラと顔を出し始める。

 それを誤魔化すように、逃れるように、ユキを求める。

 ユキは気が済むまでそれに付き合う。

 

 そしてついに関東に行く日がやってくる。

 病んでいるのがあからさまにわかる。

 既に正常な判断ができないくらいに。

 俯いたまま顔を上げることがない。

 幼馴染達が心配する。

 

「お前、大丈夫か?」

 

「………。」

 

「変な気起こしたら絶対ダメやきの!」

 

「………。」

 

「おい!桃!聞きよんか?」

 

「………。」

 

「美咲、渓、ホント桃頼むばい!」

 

「わかっちょーくさ!任しちょけ!」

 

「桃ちゃん。身体壊さんごと。ホント気を付けてね!冬、楽しみに待っちょくき。」

 

 大粒の涙が零れ落ちる。

 ガッチリと抱きしめ、人目も気にせず口づけをした。

 

 そして出発。

 毎回新幹線の中では泣きっぱなしだった。

 

 まだ二年ぞ?これ…ホントに四年までもつんか?帰る度、酷くなりよーやんか!


 これは美咲と渓の心の声。

 

 

 

 寮に戻ってきた。

 各自、部屋に荷物を置きに行く。

 心配なので、なるべく早く部屋を訪ねることにする。

 今晩は一緒に食事して気を紛らわせ、泊まってやろうと思った。

 そうでもしないとあの様子は絶対に危う過ぎる。


 側にいてあげないと。

 

 

 


 桃代は、部屋に戻るとユキに電話していた。

 最早、正常な判断もできない状態で。

 そして…。

 すべてを話し終わり、電話を切り、僅かに冷静さを取り戻したとき、致命的な間違いを犯したことに気付く。

 身体の震えが止まらない。

 未だかつて経験したことのない、強烈な絶望感に飲みこまれた。

 

 

 

 美咲と渓は、準備が済んだので桃代の部屋に迎えに行く。

 ドアの前。

 ノックする手が止まった。

 いつもと空気が違う気がしたのだ。

 なんだかとても嫌な予感がする。

 その時、微かに中から声が聞こえた…気がした。

 耳を澄ませて注意深く聞いてみる。

 確かにうめき声とも叫び声ともつかない声がしている。


 心配が頂点に達した。


「桃?桃!どげしたんか?」


 ドアをノックするが返事はない。

 そっとノブを回してみると…鍵は開いている。


「入るぞ!いいか?」


 バン!


 勢いよくドアを開ける。

 布団に突っ伏して泣きじゃくっていた。


 非常事態だ!


「おい!桃!なんがあったんか?桃っ!桃っ!」


「間違った!間違ったー!」


 耳に手を当て、イヤイヤをするように激しく首を振り、あり得ないくらい取り乱している。


「何がか?何を間違ったんか?」


「あ――――――っ!」


「おい!言わな分からんめぇがっちゃ!」


「もぉイヤ!もぉイヤ!」


「何のことか?おい!」


 取り乱し過ぎて会話が成立しない。

 落ち着くまで待つことにした。

 やがて泣き声が止む。


「桃?どげしたんか?何があったんか?話してみ?」


「………。」


「何も言わんやったら、こっちもなんもしてやれんめぇが?」


 しばらく待つと重々しく口を開く。


「ユキくんと…別れた。」


「はぁ?なんでか?お前からか?」


「うん…なんでか分からん…分からんっちゃ…何も…何も考えきらん…ごとなって…」


 どうやら桃代の方から発作的に別れを口走ってしまったらしい。


「お前、バカか?ユキ、あんだけ待っちょくっち言いよったやねぇか!あと二年我慢して帰ったら、またずっと一緒おれるのに!それを自分からダメにして!バカ桃!」


 本気で怒られた。


「だって…だって…」


 それからまたひとしきり泣いた後、無理矢理食事にする。

 ユキが死にかけた時の桃代を二人とも知っている。

 このままじゃ多分何も食べないし、身体壊すのも時間の問題だ。

 激しく泣いて目が腫れ、とても外食できる状況じゃない。

 寮の食事も今日はダメそうだ。

 コンビニやスーパーで適当に見繕ってくる。


「ごめんね…ホントごめんね…。」


 謝ってくる桃代。


「いや…いーけど。それよりもお前、謝って許してもらえっちゃ。のぉ?ユキ、ゼッテー許すっちゃ。」


「無理!怖いでしきらん。」


「んじゃ、ウチがしちゃーき。」


「イヤ!怖い!」


「そっか。」


 謝ったとき、拒絶されるのがとてつもなく怖い。

 完全に怯えてしまっている。

 この様子を見て連絡するのは無理と確信した。




 少し落ち着いたところで関東の美咲と澪がやってきた。

 今日は帰ってくる日だというコトを知らせていたのだ。

 部屋に入るなり、顔を隠しうつぶせに寝ている桃代の様子を見て驚く。


「桃、どーしちゃったの?」


「ちょっとね。今はそっとしてやっちょったがいーっち思う。」


「そーなんだ。私、今日泊まってこっかな。何か心配だ。」


「私もそうしよ。」


「二人とも、わりーね。」


「ううん。大丈夫。」


「家に連絡入れとこ。」


 嗚咽から寝息へと変わった。

 泣き疲れて眠ってしまったようだ。

 完全に寝たのを確認し、経緯を話す。


「あちゃー…そんなに病んでたかぁ。分かんなかったよ。」


「うん。この頃は上手いこと感情隠しちょったきね。なかなか分からんっち思うよ。桃ね、ユキに依存が激しいでね。中学ん時…こっちから帰ってきてすぐぐらいやったかな?ユキ、溺れて死にかかったんよ。そん時もこげなったもんね。」


「へ~。それはまた…。」


「高校ん時、ユキの彼女になってからさらにすごくなったっちゃ。ものすご過保護になってね。ユキがケガとか病気とかしたら大変やった。」


「そっかぁ。桃ね、小学校高学年くらいから引っ越すまでの間、すっごいモテてたんだよね。たま~に告られたもりしてたんだけど、全部断ってたんだ。それってやっぱその依存と関係あるんでしょ?ユキくんいたからなんでしょ?」


「あ~…多分ねぇ。そっちでも一途やったんやねぇ。小さい頃からユキのこと大好きやったもんね。好きがダダ漏れでね。からかったら真っ赤になってアワアワして誤魔化すん。それが可愛いでみんなからいじり倒されるんよ。とにかくホント好きやった。大学別々になった時からこげなる気はしよったっちゃけど…これは流石に…酷いね。」


「私、一緒の科だから気をつけとくよ。」


「わりーね。ホント助かる。ここにもちょいちょい来てやって?いっときは立ち直れんと思うき。」


「わかった。みんなで慰めよっ!」


 桃代はいい友達を持っている。

 心強い。




 別々の大学へ進学が決まった日からから始まった悪夢。


 桃代の心は完全に壊れてしまった。


 美咲と渓は、桃代を立ち直らせるべく地元の幼馴染に連絡する。

 幼馴染女子チームの妹分的立ち位置なので、いじられまくってはいたが、その分大事にされていた。

 元気を出させるために、バラバラではあるが数人ずつ、全員が都合をつけて来てくれた。

 こういうところの絆は強いのだ。

 おかげで思ったより短時間で持ち直した。

 幼馴染にしかできない技だったりするのである。


 全員が桃代のところに行った後、ユキはみんなから猛烈に責められた。

 なんで別れを受け入れたのか?と。

 そこはユキの弱いところである。

 桃代から迫られると、大好きだからなおさら自分の思いを蔑にしてでも彼女の意思を優先してしまう傾向がある。

 それが例え別れ話であったとしても。

 今回がまさにそうだった。

 正気じゃなかったのは分っていたはずなのに…。


 元の関係に戻りたい!


 本心では二人ともそう思っている。

 表面上の性格はまるで違うように見えるが、根本になる思考や性格が酷似する。

 お互いが、「もっかいやり直そう」と切り出したとき、拒絶されることが怖い。

 とてもじゃないが、行動に移すことができない。

 怖くて悲しくて、電話もメールも何一つできない。


 今の二人の心境。


 これから先、恋愛なんか絶対に無理。

 結婚もしない。

 一生独身でいる。


 一途で不器用。

 そんな性格の二人であるが故に、次へと進む気持ちを大いに鈍らせる。

 この先、間違った判断をしたことに悔やみ、悩んで生きていくことになる。

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