第32話② 菜桜とユキとでお買いもの

 土曜日。

 勝手口からノック音。

 そして、


 ガチャ。


 ドアを開け、


「ユキ~。行こっか?」


 菜桜の声。


「はいは~い。」


 部屋から出ると姿が目に飛び込んでくる。

 かなりヒラヒラフリフリした服装で武装していて、オシャレに疎いユキでも分かるほどに可愛らしい。

 そんな菜桜は、

 

 「これで一緒歩いても恥ずかしくない?」


 そんなことを聞いてくるユキの姿を見て、 

 

 うそ?ちゃんとしたカッコ!

 

 いきなりビックリさせられる。

 いつもの小汚いスウェットじゃなかった。

 あの時みんなで選んだ服を着ている。

 以前、買い物に連れてってもらったとき、菜桜たちをものすごく困らせた。

 あの時の顔が忘れられなくて、今度こそ嫌な思いはさせまいとユキなりに気を利かせた成果だった。

 ド派手で下品なダボダボのヤンキー服。

 でも、顔は全くヤンキーじゃないから、アンバランスにもほどがある。

 そして、やっぱり全然と言っていいほど似合ってはいない。

 けれど、菜桜は微笑み、


「ん。」

 

 とだけ答える。

 ホントはユキの気持ちを知ったから、いつものカッコでもダメ出しする気は無かった。

 でも、自らちゃんとしてきたのがたまらなく嬉しかった。

 しかも選んであげた服。

 既にヤバい。

 愛おしさが爆発しそうだ。


 このまま抱きしめてしまいたい!


 そんな衝動に駆られるが、我慢我慢。

 

「いこっかね。」

 

 フルパワーでその感情をねじ伏せ、冷静なフリをした。

 


 バスに乗って、電車に乗って…隣にはずっとユキ。

 今日だけは独占だ。

 ただただひたすらに嬉しい。

 ついつい顔がニヤケてしまう。

 封印したつもりの感情が呆気なく甦ってしまう。

 

 マイッタな…今日、帰るまで冷静でおられるやか?

 訳:冷静でいれるかな?

 

 いきなり暴走しそうになってしまう菜桜。


 

 

 駅から釣具屋までは徒歩。

 並んで歩く。

 歩きながら揺れているユキの左手が気になった。

 悪戯っぽい笑顔で握る。

 一切の躊躇もなく優しく握り返してくれた。

 

「昔、こげしよったの。」

 訳:昔、こんな風にしてたね。

 

「ん。懐かしいね。」


 菜桜の顔を見て微笑むユキ。

 鼓動が跳ねあがる。

 ホントの気持ちは勿論隠す。

 

「これ見たら桃、怒るやろーね。」

 

「そーかもね。この前『一緒行かせん!』っち言いよったもんね。」

 

 とは言いつつも笑顔は優しいまま。

 でも、違う。 

 とっても優しいのだけれど、明らかに違う笑顔。

 幼馴染としての笑顔であって、桃代に向ける時のそれとは違うのだ。

 少しだけ心が痛む。


 今日はデート!


 勝手にそういうことにしている。

 ユキには少しもそんな気ないのに。

 ただ釣具を買いに行くだけなのに。

 それでも嬉しい。

 実際に経験は一度もないのだけど、他の男と歩くより遥かにこっちの方がいい。

 なによりも気持ちがシックリくる。

 いちばん落ち着けるのだ。

 

 


 釣具屋に着く。

 

「何買うん?」

 

「ルビアス。プラスチックの。」

 

「あ~。オレもアレ、いーねっち思った。」

 

「そーやろ?冬に手がツベタくならんき、いーぞ。」

 

「オレはこの前買ったき、いっときは買えんもんね。」

 

 陳列してあるのを見る。

 

「出してもらえば?」

 

「そやね。すいませ~ん。これ。」

 

 店員を呼び、出してもらう。

 

 ルビアス2506。

 ボディとローターが、ザイオンと呼ばれるカーボン繊維を含有した樹脂でできている。ダイワの汎用スピニングではそこそこ上級機種で、最上位機種と同じギヤが採用されている。

 2506はフィネスドラグ搭載の細糸仕様。

 2506という数字は2500番の大きさで、6ポンドラインを100m巻くことができるという意味。


 手に取りハンドルを回してみる菜桜。

 

「おー…なかなかいー感じ。プラスチックやき温い感じがするばい。ほら。」


「あ~。これ、ゼッテー冬いーばい。手が悴みにくい。」

 

「他のは見らんでいーや。コレにする。次はサオ。」

 

 以前来た時、千春と一生懸命見ていたから、そのとき既に決めていたのだろう。

 店員にリールをわたし、サオを見に行く。

 

「サオはブラックレーベルにする。」

 

 ブラックレーベルのコーナーで、自分がやりたいスタイルとタグの説明を読んで、照らし合わせながらアクションを選ぶ。


 バーサタイルモデル691MLMFS。

 何のリグにでも対応する使用範囲が比較的広いモデル。


 一本しかないので、


「これに決~めた。これも買います。預かっといてください。」


 別の誰かに買われてしまう前に手を打った。

 レジの中の店員にわたす。


「オレもこれいーなと思った。でもいっとき買えん。大学入ってバイトして買う。このシリーズのベイトは桃ちゃん使いよぉね。」

 

 ユキは意識もせず桃代の名前を出してくる。

 当然と言えば当然なんだろうが、一言桃代の名前が出ただけなのに、その度心が痛む。しかもだんだん大きくなっていっている気が…。


 ユキのこと、こんなに好きやったんやな。


 改めて実感してしまう。


 そこで桃のハナシやら出してくんなよ!

 

 心の中で叫ぶようにまでなってしまっていた。

 

「そっか。あいつ2本持っちょったね。」


 心の中は穏やかじゃないが、必死にコントロールし平常心を装う。

 

「そーそー。巻きのサオは東京で買ったみたい。ジグのはここで買った。」

 

 そんな情報いらん!

 桃のハナシやめろ!


 分かってはいたけど嫉妬してしまう。

 ついには、

 

「桃の情報やらいーちゃ。今はウチとデート!目の前の彼女に失礼とか思わんのか?」

 

 本心がこぼれ出てしまう。

 気付かれたくないため、冗談っぽく笑って誤魔化した。

 

「ははは、そーやったね。ごめんごめん。」

 

 いつもの調子で謝るユキ。

 

 それにしても困った…。


 全く冷静ではいられない。

 桃代のことを話すときのユキの顔がまぶし過ぎて、自分に向けてくるのは別の優しさだと思い知らされて叩きのめされ泣きそうになる。


 は~…これ…ダメだ。思っちょったよかだいぶんツラい…嬉しそうに話しやがって…あ~あ、ウチ、完璧にベタ惚れやんか…入り込める余地やら全くねぇし。桃、幸せもんやな。


 寂しさと羨ましさが入り混じり、追い込まれてゆく菜桜。


 菜桜の言葉を意識したのかどうかは分らないが、その後、ユキは桃代のことを一切口にしなくなる。

 しばらくして気付いてしまい、


 やっちまったか?嫌な女っち思われたかな?それは…イヤやな。

 

 後悔。

 

 ユキの表情は?


 横顔を見るけど、いつもと変わらない…気がする。

 あれこれ小物を選びながら、エロい話やしょーもない話で盛上る。


 いつもと一緒やな。考え過ぎか?


 結局本心は分からないまま。

 

 

 

 会計を済ませ、店を出る。


「さぁて、今からどげする?まだまだ時間あるし、ウチ、濡れてきたきラブホでも行く?」


 からかい半分、本気半分の言葉をフッてみる。


「いーね!」

 

 思い通りの答えが返ってきたけど、この「いーね」はスルーした「いーね」で、社交辞令みたいなもの。

 長い付き合いだから、そのくらいは簡単に分かってしまう。

 頭では理解しているつもり…でも、割切れない。

 切なさがこみあげてくる。

 

 


 帰り道。


「天気いいし、ちょい先まで歩いてみらん?」


 二人の時間を引き延ばしたくて、最寄りの駅より一つ先の駅まで行こうと提案すると、


「うん。いーね。」


 やはりためらいもなく賛成してくれる。

 行きがけと同じく手を握ると、またもやすぐに握り返してくれる。


 そのまま手をつないで歩く。

 住宅街を抜け、川に出た。

 土手の階段を下り、河川敷にある遊歩道を歩く。

 下流側から吹き上げてくる風が心地よい。肩甲骨の辺りまで伸ばした艶やかな茶色い髪がサラサラとなびく。

 途中で飲み物を買い、飲みながら歩いていく。

 幼馴染としての愛情が、とてつもなく嬉しくて、それと同じくらいに切ない。

 いつの間にか、行き場のない感情で満たされてしまっていた。


 ふと立ち止まり、つないでいた手を放す。

 

 ?


 不思議な顔をして振り返るユキ。

 菜桜の顔へと視線を移すと、下を向いて何やら思いつめたような雰囲気。

 深呼吸し、そして…


「ユキ…困らせちゃっか?」

 訳:困らせてあげようか?

 

 消え入りそうな声だった。

 頬がほのかに赤い。

 目が潤んでいるように見える。

 初めて見る表情。

 

「ん?なん?」


 目線を合わせてくる。

 ユキより数cm低いので、僅かに見上げる感じ。

 その上目使いにはとんでもない色っぽさが宿っていた。

 思わず、


 菜桜ちゃんっち、やっぱでったん可愛いな。何回も告られる意味が分かるばい。


 感心していると、

  

「あんね…実はね…お前のこと…ずっと好きやったっちゃん。っちゆーか、今もでったん好き。」

 

 告白。


 不意打ちをまともに食らい、驚きのあまりフリーズ。

 恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、下を向いて


「ね?困ったやろ?参ったか!」


 髪をいじりながら照れ笑いしている。


 その仕草といったらもう!


 いつもの下品でスケベで勢いのある菜桜じゃなく、ホントにホントに可愛らしい女の子。

 続けて、

 

「お前の気持ち、知っちょーきの。だき、フッてもらって諦めよぉっち思いよる。」

 

 思いを断ち切る言葉をユキから引き出そうとした。

 ユキは完全にテンパってしまって、上手く言葉が出てこない。

 

「あ、あの…その…『好き』っち…幼馴染として…やないで?」


 ようやく言葉が出たと思うと、


「ん。男として。」


 まさかの肯定。 


「…そーなん?全然分からんやった。何、オレそんな女ん子と何食わぬ顔してツーショットでこげなことしよるん?バカやないん?ホント、ごめんね!全く気付ききらんで。あ~あ…鈍感にもほどがある…ホントごめんね!」

 

 自分に呆れ、ものすごく申し訳ない顔で謝ってくる。

 逆に菜桜は、


「そっか。今までちゃんと隠せちょったんやの。よかった…。はよフれ。フってくれ。そげせんと、次に進めんめぇが。」


 スッキリとした表情で催促してくる。

 ユキはというと、

 

「ありがとね…菜桜ちゃん。こげなヘタレ好きになってくれて。ホントに嬉しいよ。」

 

 好きになってくれたことに対してのみ、お礼の言葉を返す。

 声が震えている。

 

「ばか。礼とかゆーな。そげなことされたら諦められんくなるやねーか。」

 

 切なく笑う菜桜。

 

「フるとか…無理よ。こげなヤツが、こげん可愛い女の子フるとか有り得ん。逆ならわかるけど。」

 

「ははは…ありがと。お前、ウチのこと可愛いとかゆってくれるんやの。でったん嬉しぞ。で、やっぱこげなるんかぁ…分かっちょったけど…ハッキリしたカタチ貰えんのは…ツラいね。」

 

 泣き笑いみたいな顔になっているのがまた色っぽい。

 

「どげすりゃいーか分からん…ごめんね。」

 

 手を合わせ、申し訳なさそうに謝った。

 

「サクッとフりゃいーんに。フラれたきっちゆって今までの関係壊す訳やないんに。ケジメみたいなもんぞ?」

 

 諭すような口調で語りかけるものの…

 

「でも!」

 

 と叫んだユキの目を見ると、


 !


 普段よりきらめいて見える。


 泣いている?


 愛おしさを堪えきれなくなり、発作的に抱きしめてしまっていた。

 そして…唇の横辺りに柔らかな感触。

 

「菜桜ちゃん?」

 

「ウチのファーストキス。」

 

 ゆっくり解放しながら微笑んだ。

 その破壊力といったら…。


 何が起こったのか理解してしまったユキ。

 

「そげな大切なモン…なんでオレにやら!これからできる大事な人に取っちょかなダメやろーもん!」

 

 少し怒り気味になる。


 こげなふうに、彼女じゃない自分でも大切にしてくれるところがたまらなく好きなんよね。

 

「お前にやら、やないで、お前やきて!お前やきしたと。ありがたく受け取らんか!」

 

 頬はさっきから赤いまま。

 悪戯全開の笑顔でこの状況から脱出を図る。 


「もぉ…こげなことして…」


 困り果てるユキ。


「そげな顔せんと。これはウチが勝手にしたこと。帰ったら桃に白状して怒られる。お前は悪くない。」


 そう言ってまた笑い、前を向いてゆっくりと歩きだした。

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