第49話① クローズドフェイスリール(釣りデビュー)

 6月も中旬に差し掛かった頃、有喜を釣りデビューさせた。


 天気は晴れ。

 既にかなり暑い。

 もうすぐ梅雨入りなのだが、ここ一週間ほど雨は降っていない。

 そんな週末。

 午前中のことである。



 この日、桃代は家の用事で外出する予定。

 一人で釣りにでも行ってみようか、などと考えながら釣具をいじっていると、勝手口で母親と誰かが話している。

 特に気にもしていなかったのだが。


「お部屋に行ってみなさい。オイチャンおるき。」


 ユキ母が言うと、バタバタと小さな足音が近付いてくる。


 有喜だ。


 バタン!と勢いよくドアが開き、


「ユキオイチャン!」


 飛びついてくる。


「あら?お母さんと一緒に行かんやったとか?」


「うん。オイチャンとこ来てみたくなった。」


 そんなことを言われてしまうとこの上なくうれしい。


 有喜は出会ってまだ一カ月も経ってないのにあり得ない程懐いている。

 今まで子供と接する機会は何度かあった。しかし、出会ったその日に警戒もされず、次の日からいきなり抱っこなんて展開は一度もない。

 とにかく不思議な感じがする子供なのだ。

 素直で可愛らしいものだから両親も妹も可愛がる。だからさらに懐く。

 ユキがいない昼間でも、突然やってきて家に居る誰かと話し、気が済んだら帰っていく。

 既に日常となりつつある光景だ。




 勝手に飛び出してきていて桃代が困っているとよろしくないのでメッセージを入れてみる。

 数日前、釣り中にガラケーを水没させ、ぶっ壊れたので嫌々スマホデビュー。

 慣れてないので悪戦苦闘。只今、一生懸命練習中である。


『ユーキ来たけど』

 送信すると、

『今、連絡するとこやった。買い物連れて行くんやったけど、言うコト聞かんで飛び出ていった。』

 ということらしい。


「お母さん待っちょーぞ?お買いもの、一緒行かんのか?」


 有喜に聞くと


「行かん!今日はユキオイチャンと遊ぶと!」


 断言した。

 ユキとしては一緒にいれるのが嬉しいので、

『オレと遊ぶっちいーよぉよ?』

 と送る。

 すると、

『いーと?』

 と来た。

『いーよ。』

 と送ると、

『んじゃ、ごめんばってん帰るまで面倒見よっちゃー?』

 とのこと。

『いーよ。釣りに連れてく。』

 ということにする。

『んじゃよろしく。帰ったらウチも行く!』

 ということになった。



「よし。オイチャンと前の川に釣り行こう!」


「うん。」


「そしたらライジャケ持っておいで。この前お母さんから買ってもらったやろ?あと、暑いき帽子もね。」


 有喜は釣りに行くときかなりの確率でついてくる。

 聞き分けはいいが、フィールドでは何が起こるか分からない。

 万が一落水した時は、ユキが全く泳げないため救出できない。

 というわけで、幼児用ライジャケを買った。これで少し心配事が減るはずだ。


「分かった。取り行ってくる!」


 走って家に戻る。

 すぐに、


「これでいい?」


 既に着てきていた。

 タオルを首に巻いた姿が田舎の子供っぽくていい。


「よし!バッチシ。」


 帽子を被せ頭を撫でてやると、嬉しそうに微笑んだ。




 手をつなぎ、対岸のポイントへと歩いて行く。

 中二の時、桃代と再会したポイント。


 有喜は草むらにいる虫や小動物、川の浅場にいるエビや小魚や貝などと戯れるのが大好き。

 自然が溢れるど田舎だ。興味を引く生き物たちがたくさんいるから暇しない。

 ハチやアオバアリガタハネカクシなどの毒虫、蛇になどに気を付けさせ、気が済むまで自然と戯れさせる。

 それも一段落すると、今度はユキの横に来て座り興味深そうに釣りを見る。


 してみたいっちゃろか?


 気になって、


「やってみるか?」


 聞いてみると、


「うん!」


 即答した。

 スピニングタックルを持たせ、操作手順をおしえる。


「握り方はこぉ。」


 有喜の背後に回り、右手の中指と薬指の間にリールフットを挟むようにサオを持たせ、サオ先から20cm程ルアーを垂らし、


「まず、糸に人差し指をかける。」


「こぉ?」


 こちらを見ながら首を傾げる。

 真剣な姿がなんとも可愛らしい。

 小さな人差指に糸を掛けさせる。


「そしたらこぉやって…」


 ベイルを起こし、時計でいう2時の位置まで手を添えてバックスイング。

 指を掛けたまま10時の位置まで振らせる。


「ここまで振るんぞ?」


「うん。」


「こっから…こうね。」


 何回かサオを振る練習。


「んで、この辺でこの指を離すんぞ?」


 12時辺りで止めてイメージさせる。


「そんときは、オイチャンが『今』っちゆーきね。」


「うん!分った。」


 手を添え、2時の位置まで振りかぶり、ゆっくりと振らせる。

 12時の位置を通過する瞬間、


「今!」


 有喜が糸を離す。

 ルアーが飛ぶ。

 リールから出る糸が、螺旋を描きながら10mほど飛んで行った。


「うわ~!飛んだね!」


 キラキラした眼差しで飛んで行った先を見ている。

 ただ飛ばしただけなのにこの喜び様。

 おしえた方も嬉しくなってくる。


「そしたらこれを戻して…」


 ベイルを戻し、


「はい、巻いてみてん?」


「これ回せばいーんよね?」


「そうそう。」


 ハンドルを回させる。

 有喜は右利きでリールは左巻き。

 カクンカクンしながらぎこちなくリールを巻いている。


「回しにくい?お箸持つ手でしてみる?」


「うん。」


 ハンドルの反対側のキャップが固定用のネジになっているので回して外し、ハンドル自体を左右入れ替える。

 キャップを締めたら付け替え完了。

 興味深げにユキがやっていることを凝視していた。


「これで回してみてん?」


 とりあえず投げて巻かせる。


「どげんか?こっちのが巻きやすいか?」


「うん。これがいー!」


 さっきよりもスムーズに回せている。

 今度は一人で投げさせてみる。


「自分でやってみてん?扱い方、分かる?」


「これよね?」


 糸に指もかけずにベイルを起こし、


「うわ!」


 ルアーが落ちた。


「ははは。お前、糸に指掛けてないやん。」


「あ!そーやった。」


 ベイルを戻し、糸を巻く。


「よし!そこまで。」


 サオ先20cm程にルアーが近づいたところで巻くのを止めさせる。


「分かるか?」


「うん。こぉやって…」


 一生懸命思い出しながら実行している。

 そして記念すべき一投目。

 高く上がってすぐ前に落ちた。


「あれ?なんで?」


「指離すのがちょっとだけ早かったね。投げ方はそれでいーき何回かやりよってん。飛ぶようになるき。」


「分かった。」


 何回かやっていくうちに、なんとなく前に飛ぶようになる。


「これでいー?」


「お!上手やねーか!」


「へへへ。」


 少し得意げだ。

 笑った顔が桃代にとても似ている。


 キャスティングの練習中、桃代が合流。


「お待たせ~!ユキくん。ユーキ、お利口さんしちょった?」


「うん。バッチシ!」


 有喜は小さい割に聞き分けがかなりいい。桃代の言うことは聞かないときがあるみたいだが、ユキのいうことはちゃんと聞く。我が儘を言ったり、勝手に危ないことはしないので、世話するのが楽ちんなのだ。


「お母さん!投げきぃごとなったばい!」


 自慢げに報告。


「ホントね。じゃ、お母さんに投げるとこ見せてん?」


「いーよ!こーやって…」


 言われた通りの操作をし、


 シュッ!


 ちゃんと飛んだ。


「ほらね?」


「わっ!上手!」


 お母さんから褒められ、


「ね?しきったやろ?」


 得意げだ。

 どうやら動神経は桃代譲りらしく、飲み込むスピードが速い。

 どんどん上手くなっていく。


 釣れなかったが充実した一日だった。

 夕方になったので帰ることにする。




 その日、桃代はまた家の用事。

 留守番だ。

 間が持たなかったのだろう。今日も有喜参上。


 この日は別のポイントにきていた。

 もう、ある程度投げることができるので、場所を選ばせ好きなようにさせていた。

 目の届くところで釣ることにする。

 少し離れたところからちょいちょい見てやりつつ釣りに集中していた。


 ふと気づくと有喜の姿が見えない。


 もしや落水?


 最悪の事態が頭を過り、ゾッとする。

 慌てて有喜の釣っていたと思われる場所まで走って行く。

 すると…

 先程釣っていたポイントより少し下流でしゃがみこんで何やらやっていた。


 落水じゃなくてよかった!


 ホッと胸をなでおろす。


 どげんしたんかの?


 声をかけてみる。


「ユーキ?どげしたんか?」


「あ!ユキオイチャン!糸が!」


 焦りまくってオロオロしている。


「あらあら。何しよったらこげなったんか?」


 優しく問いかけると、


「歩きよったら勝手に反対に回ってグチャグチャになった!」


「どぉ?貸してん?」


「はい。」


 受け取ると、逆転レバーに草が引っ掛かってオフになっていた。

 まだまだ背が低い有喜。草丈とほとんど変わらない。ポイントを移動している最中、引っ掛けてしまっていた。


 やっちまった~という顔をして、ユキが復旧させているリールを心配そうに覗き込んでいる。


「ユキオイチャン?直る?」


「う~ん…直るけど糸に傷入ってダメになっちょーき切らないかんね。」


「ごめんなさい…。」


 泣きそうになっている。


「しょーがないしょーがない。糸は帰ったら巻き替える。そしたら元通り。心配せんでいーぞ。」


 笑顔で答えると、


「はい。」


 少し安心した様子。

 無事復旧した。


「よし!出来上がり!糸がちょっと短くなったき、前よりは飛ばんかもやけど、使えるぞ。ほら、頑張れ!」


「ありがと。オイチャン。」


 そっかー。草が高すぎるんかー。

 全く気にしてなかった。

 改めて子供との体格の違いを実感する。

 有喜と関わっていると、気付かされることが多い。



 この手のトラブルは多分また起こるぞ。それで釣りが好かんごとなったらイヤやな。なんか対策せんといかんな。


 考えるがいい案が思い浮かばない。

 気を付けるように、とだけ言った。

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