第41話① 渓(資格を取ったお話)

 今日から社会人。

 顔が童顔なので、大人の女に見られたいがためにツインテールはやめた。


 効果はあるかな?


 就職した会社は、隣町に本社がある工業用薬品のメーカー。

 本社のルート営業として、これから頑張っていくことになる。



 入社式が終わり、研修に入る。

 これから二週間は机上での講義。そのあと徐々に実務を増やしてゆき、約一カ月後に独り立ち、というカリキュラムらしい。


 ホントに一人でできるっちゃろうか?


 不安で胸がいっぱいだ。




 研修初日。

 座学で基礎的な化学を教え込まれる。

 思ったより難しくない。


 食わず嫌いやったかな?


 意外にもイケそうな気がした。

 最も大事な基礎知識。

 安全面にもつながるので、化学だけは二週間続くらしい。

 講義中、化学つながりで桃代とユキのことが頭に浮かぶ。


 桃は毎日こんな感じの仕事をしよるんやな。ユキも化学専攻やったき、その道の仕事に就いたかな? アイツら別れたあと、どげなったっちゃろ?


 自分達と会うと桃代を思い出してツラいだろうから、美咲と相談して会わないことにしていた。だから、どうなったのかは知らないまま。


 営業なので、伝票や小切手、約束手形などについて習う。

 大学で習ったからこの辺は楽勝だ。

 電話の応対の練習もする。

 そして数学…というか算数。

 割引とか百分率についての復讐。高校では文系の数学受験クラスだったため、何とかなった。


 ところが!


 県内では人気があり、かなりのレベルであるはずの大学出身者が、算数の問題を全く解くことができない!

 しかも複数人。


 どーゆーこと?


 問1)100円の3割引はいくらですか?

 という問題を、その人たちは、


「オレ、数学やら高一以来やったことないばい!わかる訳ねーやん!」


 と、自慢げに話している。


 これがみんな憧れて浪人までしていく大学の卒業生?しかもこいつら現役やろ?


 衝撃的だった。


 いやいやいや!それ、数学じゃないし!算数やし!自分らホントに大丈夫か?


 思わず突っ込みそうになる。


 それっち計算できんと実生活で困る場面あるよね?高校の二年間と大学の四年間、何したらそこまで完璧に忘れることができると?


 実に不思議な光景だった。

 こんな感じで研修期間は過ぎていく。




 二週間後、実務の研修が入ってくる。

 まずは、クルマの運転実習。

 工場の敷地内で行われる。

 販売促進は新規開拓が基本のため、荷物は少量。

 軽自動車を使用する。

 ルート営業は配達が主な業務なので、結構な量の荷物を積んで走り回る。

 通常はワンボックス。さらに多いとき、重いときは2tの平ボデーを使う。


 駐車場で二手に分かれ、自動車学校的な訓練を行う。

 何故ならこの中にペーパードライバーがいるからだ。渓はクルマ通勤だからペーパードライバーじゃないが、ワンボックスやトラックには乗ったことがない。

 ワンボックスでもハイエースやキャラバンは、キャブオーバーといって前輪の真上に自分が乗っているため、挙動が若干異なる。具体的には、セダンみたいなボンネット付のクルマよりもハンドルが早く切れる。広いところでの運転は何ら問題ないが、狭いとことに入ると違いがよく分かる。ボンネット付のつもりでハンドルを切ると早く曲がり過ぎて、最悪、人を巻き込んだりする。気持ち先まで行って、それからハンドルを切らなくてはならないのだ。ワンボックスの特性を叩き込まれる。一日目こそレンタカーでATだったが、二日目からは会社自前の営業車。MTである。

 今でも会社によっては求人の条件で、AT限定不可のところがある。渓の会社がまさにそれ。

 今時、軽自動車でもATが主流の時代だ。自分のクルマを持っている新入社員も大半がAT。半クラに大いに悩まされ、心が折れそうになっている同僚もいる。


 渓はというと。

 営業車は軽自動車を除き、全部ディーゼルエンジン。

 トルクが太いので、意外とすぐつながる。

 すぐにコツを覚え、問題をクリアできていた。

 今は中古で買ったミラのATに乗っているが、「MT面白いやん!次買う時はMTのクルマもありかもね。」そんなことを考える余裕さえできている。


 クルマの運転実習の次は、フォークリフト。

 こんなものに乗る日が来るなんて思いもしなかったので、流石にビックリした。

 手で抱えることができる商品は、ワンボックスでの配達だが、専用の容器に入った200リッターとか500リッター、1000リッターというような薬品を運搬するときはトラックの出番。

 トラックに積卸する際には、どうしてもクレーンやフォークリフトが必要となってくる。

 フォークリフトにはたくさん種類があるけど、大まかに分けるとリーチフォークとカウンターバランス式の二つ。渓が扱わなければならないのは後者。一般に「フォークリフト」といえば思い浮かぶアレである。

 バッテリー式とエンジン式があり、エンジン式にはガソリン、ディーゼル、LPGがある。

 エンジン式はクルマと同じでATとMTがある。

 渓の会社では、倉庫内はバッテリーのリーチ、屋外はディーゼルのカウンターバランス式MTを使用している。

 フォークリフトは、持ち上げる能力1tを境に、免許(修了証)が変わる。

 この日行われているのは1t未満の特別講習。この講習を終えると、会社内で0.9tのフォークリフトに乗れるようになる。

 その後、順番に教習所に通い、1t以上用の免許を取る。

 真ん中がクランクになったコース(敷地の広さの都合で「コ」の字型のコースもある)の両端が駐車スペース。そのすぐ手前にオモリを置く台。今、フォークリフトが止まっている側の台にオモリが載っている。

 教習方法は、まず安全確認。車体の周りに危険がないかを目視で確認する。そして乗り込みエンジンをかけ、爪を上げ、マストを若干手前に引き寄せて走行姿勢にする。前進してすぐに直角に曲がり、車庫状のスペース内にある台の上に置いてあるオモリを取り、バックでその場所を出る。コースを走り、反対側の台の上に置く。そしてバックで停車。停止の姿勢を作り、車両から降りる。この間のすべての動作に指差し確認が入る。これを制限時間内に行う。ミスや制限時間オーバーは減点の対象。最終的な検定の時、コースを形作るポールに一度でも当てると検定中止。という感じ。全員合格するまで終わらない。


 午前中は座学で、特徴と運転のコツ的なことを教わった。

 午後から乗車。

 まずはATの0.9tリフトで走行の練習。

 おっかなびっくり乗ってみた。

 前後進のレバーを「前」に入れる。クリープ現象で走り出す。

 後ろタイヤが切れるので、挙動がクルマとはまるで違う。舵が切れ始めると一気に曲がるため、思ったところを走れない。中立が分からないから蛇行する。意味が分からない。パニックになりかかる。

 早速難問にぶつかった。

 ここで再度アドバイス。


「もう一度言います。曲がるときは前タイヤをできる限りカーブの内側の頂点に近づけてください。」


 言われた通りやってみた。


 !


 意味が分かった。

 フォークリフトは、ほぼ直角にハンドルが切れるため、ものすごい小回りが利く。その際、カーブとは逆側に大きくケツを振る。だから、曲がる方とは逆側を広めに開けとかないと曲がれない。

 コツが掴めたため、上手い組に分けられた。


 次は荷を抱える練習。

 オモリの前で一旦停止。前後進レバーを中立にし、サイドブレーキを引く。ティルトレバーを前に倒し、爪を平行にする。上下レバーを「上」に引き、アクセルを吹かし(バッテリー式はアクセルの必要がない)オモリの載ったパレットの穴の高さに合わせる。ブレーキを踏み、前後進レバーを「前」に入れ、ゆっくり進みパレットの穴に爪を刺す。刺すと前後進レバーを中立にし、サイドブレーキ。オモリが5cm程浮くぐらい「上」にレバーを引き、ティルトを引き自分側にオモリを寄せる。後ろの安全確認をし、ブレーキを踏み、前後進レバーを「後」に入れ、台から完全に離れ停止。前後進レバーを中立にし、サイドブレーキ。上下レバーを「下」に倒し荷を下げる。地面から20cm程浮いた状態で前後進レバーを「後」に入れ、車庫状のスペースから出る。これで、荷を取る方の動作は完了。荷を乗せるのはその逆。

 教官役の社員の動作を見ている分にはなんてことないのだが、いざやってみるとこれがまた…泣きが入りそうになる。爪でオモリを押してしまい、台から落としそうになったり、爪の角度が平行になっていないままバックし、オモリが着いてきて落としそうになったり。

 運転席から見る爪の角度と降りてから見る角度が全く違うのだ。平行に見えていても実際は少し上を向いている。マストに目印が着けてあるが、そんなモン見る余裕なんかない。こればかりは慣れが必要だった。

 必死こいて練習した。

 徐々にコツをつかみ、なんとか操作できるようになる。


 渓の教習所に行く番が来た。

 練習の甲斐あって、ノーミスで合格。渓は晴れてフォークリフト乗りとなった。

 あとは実際に乗って慣れるだけ。



 次は天井クレーンと玉掛け。

 床上操作式というペンダントと呼ばれる操作スイッチを持って、荷物と一緒に歩きながらついていくタイプ。これは、5tを境にフォークリフトと同様の分け方がしてある。ただ、今のところ、5t以上のクレーンがある得意先はないので、社内での特別講習のみとなる。

 クレーンを使えても、玉掛けの資格を持っていなければ、荷物にワイヤーやスリングを掛け、荷を吊り上げることができない。よって、クレーンが終わると、引き続き玉掛けの講習に入るのだ。

 会社の倉庫で実習。

 初日は机上の講習。力学や法律を学ぶ。あとの二日は実技だ。

 物理は流石に難しかった。

 なんとか机上講習を終え、実技。ヘルメットを着用し、説明を受ける。見ている分には簡単そう。

 ランウェイレールに沿って動かすことを「走行」、クレーンガーダに沿ってクラブトロリ(またはホイスト)を動かすことを「横行」という。

 ランウェイレールはクレーン全体を動かすためのレールで、建屋の上の方に設置されている。

 クレーンガーダは、クレーン本体の鉄骨みたいなのといえばわかりやすいかな?

 クラブトロリは、クレーンガーダの上に乗るタイプ。ホイストは下にぶら下がるタイプ。

 クラブトロリの方がごつい気がする。


 まずは空荷で走行と横行の練習。

 何回か順番が回ってきた後、いよいよオモリを吊り下げる。

 フックを下ろし、先輩社員が玉掛けをする。

 ワイヤーをフックに掛け、オモリが浮き上がらないくらいまでフックブロックを上昇させる。そして垂直を見る。ちゃんと垂直を見ておかないと、地切りした時に荷が振れ、荷を壊したり、最悪荷と壁などに挟まれて命を失うことがある。大切な作業だ。真横から見て垂直を確かめ、立ち位置を90°移動して再度垂直を確かめる。OKなら、初めて荷を吊り下げる。まずは少しだけ上げて止め、さらに上昇させ目的の高さにする。絶対に荷の下に入ってはいけない。

 とりあえず走行。動き始めた直後、一旦止め、荷が振り切る直前再度走行させる。すると荷が垂直になり揺れずに移動できる。この動作を追いノッチという。横行でも同じ動作をする。上手くいかないと荷が振れ続けたり、さらに大きく振れたり、回転しだしたりしてそれはもう怖い。

 走行(または横行)で、目的の場所に近づいたら追いノッチ。直前で一回止め、振り切る直前で寸動し、振れを止めて停止する。ただ止めるだけだと振れるため、壁やモノに衝突する危険性がある。

 最新式の機種ではインバータ制御されており、追いノッチしなくても上手く移動できるが、渓の会社のは古いタイプ。徹底的に追いノッチを叩き込まれる。

 すべては安全のため。


 続いて玉掛け。

 クレーンや、吊金具のワイヤーのササクレが刺さるとでったん痛い!

 なので、ごつい皮手袋を各自支給される。

 まずはオモリで練習。

 これはそのままクレーンのフックをかけるだけ。

 ワイヤーをかけ真横から見て「チョイ東」とか「チョイ西」とかクレーンの操作者に指も使いながら合図。90°移動して「チョイ北」とか「チョイ南」。

 垂直を確認し、「上げ」。

 クレーン用語の専門的なヤツで「ゴーヘイ」とか「スラー」があるがここでは覚えない。


 次に長モノ。

 ワイヤーをかけるのが難しい。下手するとバランスを崩して落下する。

 ちょっと上げて、傾くようならやり直し。

 力学的にワイヤーが切れやすくなる角度というのもあるため、なかなか気を使う。


 先輩相手に敬語じゃないからとてもやり辛い。怒られそうで怖くなる。

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