第8話【入寮一か月目】驥尾に付す・前編

 入寮してから一か月。五月を迎えた。

結局のところ、高瀬さんの勧めと、服部さんの協力もあって、アルバイトの方は何とか事なきを得ている状態だ。

正直、アルバイトなんて人生で一回も経験したことなかったのに、初バイトが水商売というのは、緊張する場面の連続だった。

ここで書くことの出来ない内容が多すぎるのが現状である。


中谷と神輝には一応詳細は言ってあるが、特に神輝には爆笑された。

「バイトする理由はわかるけど、まさかお前がで働くとは予想しなかったわ!友人価格とか無いの?」

あるわけねーだろ…


勉強の進捗度合いでいえば、今まで教わったことのないような指導内容の連続だ。得意としていた現代文も、『主語、述語、助詞』あらゆる品詞に注目して解き進めていく先生がいたり、超高学歴だけど見た目ただのホストな英語教師がいたり(だけど、英語はそれこそ『目から鱗』状態)、とんでもない毒舌日本史教師がいたり、(口癖は『〇〇〇〇〇なんて高卒』※あくまで浪人している人に対して言ってます)、とにかく衝撃的で、個性的な講師陣であふれていた刑務所予備校。

これが、授業を受けている時は分かった気になるんだけど、今までの解き方と全く違うせいでなかなか定着しない。

夜の自習は復習で精一杯だ。


平日五日間のうち、一日だけしかバイトは入れていないとはいえ、その日の復習と予習はバイトから帰って来てから、眠気を覚ますためにラジオでやり過ごす日々。

友人同士で教え合うのが難しい環境で、先行きが不安になっていた五月。

転機が訪れた。


「えー、みなさん、こんばんは。今日は自習を始める前に少しだけ時間をもらいたいと思います」


難関国立クラスの寮生筆頭、スパルタンの頭、愛知からやってきた秀才が俺たちの前で演説を始めた。


「今回、寮長とチューター陣にクラスの寮生と、何人かの有志で話し合って許可をもらった事があるので、この場を借りて告知させてもらおうと思いました」


「なんだろね?スパルタン代表がわざわざ」

「あんまり言うと聞こえるぞ」

「眠くなりそうなんだもん」

今日も変わらず、中谷は俺のオアシスでした。


「俺たちはこの予備校に受験戦争を勝ち抜くために来ました。それでも何かと制約が多いと感じているのは皆同じだと思います。それは必要なことであると同時に、足枷であることは更に周知の事実。今回は勉強をするにあたって、そのルールの緩和を図りたいと思い、ある案を提案しました。それは、『寮生による学習塾の設立』です」


彼の話を聞くところによると、勉強を一人でやる切るのはごく限られた人だけしかいない。お互いに得意分野を教え合う事ができる場所がほとんどないのは良くないから、土日の日中に各個人で『講座』を開設して、集まった人たちと教え合う会を設けたい、との事だった。


「渡りに船とはこの事だわ!」

俺は内心、会心のガッツポーズを取っていた。

この予備校内では間違いなく下から数えた方が早い俺が、レベルの上の人間から教えを受けられる機会。みすみす逃すわけがない。


「とりあえず、来週から開講しようと思っています。開設したい講義がある、得意科目があって、みんなに共有してもらいたい人がいたら、来週の金曜までに俺のところに来てください。金曜の時間に発表して、人数を募りたいと思います」


幸い、来週の土曜日はバイトはない。気になる講座があれば参加するのは必定だった。少しでも勉強効率を上げられる方法があるのならば、なんでも欲しかった。


「望月くん、来週の講習会行く?ちょっと悩んでるんだよね…」

自習後に、中谷が来週の予定を聞いてきた。隣でチョコ食ってるバカもいたが。


「俺は欲しい科目だったら出るつもり。まぁ、理数系だけなら見送る感じだな」

「古文は鬼門だから、あるなら出たいなぁ。同じく数学系はパスの方針だよ」

「俺は数学やってもいいかな。難しい問題を解くというよりかは、解き方の共有みたいなのが本旨なんだろ?センターレベルで使えるのなら、助かる」

「必修科目の数学で手一杯だわ」

「神輝君すごいね。僕は数字すら見たくないよ」

「中谷に同じく」

「理科目はやらなくてもいいけど、数学だけはある程度やっておくのがいいヨ」

「何かと急に出てくるの勘弁してください、高瀬さん」

「いやぁ、年長者としてはアドバイスしておこうかなってネ」

「俺は高瀬の言いたいことわかるよ」

「いや、そこは高瀬さんから説明してもらわないとじゃないかな、神輝君…」

「そこで敢えてー?」

「「「………」」」

「突っ込んでよ!」

「いや、他に誰か言いたい人がいるのかと」

「僕には、何言ってるか分からなかったから…」

「言った瞬間滑るなって分かったからネ」

「血も涙もないわ。で、結局、数学を俺らがやる意味って?なんです?」

「センター利用で四教科受験やってるところもあるし、そうなると、三教科で受験するよりボーダー下がるからな。それに、四教科なら公立受験もできるようになるぜ」

「あ、僕が言いたかったことなのニ…、神輝ちゃんのバカ…」

「結局お前が言っちゃうのな」

「高橋さん形無しですね」

「中谷ちゃん、傷を抉らないデ」

「使い古されたやり方でしょうが」

「言った本人がそれ言ったらアカンでしょ…」

「まぁ、神輝ちゃんが言ったので全部ダヨ。要は、将来的な保険を掛けておくのは大事ってことサ」


高瀬さんの言う通り、何がどう転んでどの科目ができるようになるか分からないとはいえ、高校二年で数学を挫折した俺には、かなり荷が重い。

必修科目の数学を完璧にしてからとさせてもらいたい。


当面は、『英語』こいつをどうにかしたい。予備校のテキストを予習する度に感じるが、正答率が悪い。他の単元に比べても明らかだった。


「ま、来週の金曜日まで楽しみにしていようカ」

高瀬さんの言う通りだ。今からとやかく言っても確かに詮無きこと。

講座を受け持ってくれる人に期待しておきましょ。




後編に続く

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