第2話【入寮初日】多士済々か否か

 一か月程の休みから明けて、ついに迎えた四月。晴れて大学受験を現役でパスした人たちは、大きな期待と少しばかりの不安を胸に、それぞれが新たな門出として大学の門を潜っていった。

 そして、時を同じくして、天候的には晴れていたが、心象的には少しばかり陰りが見えつつも浪人生へと身を落とした僕は、多大なる不安と、どうしようもない緊張感を胸に、通称、『刑務所予備校』の入塾式に出席していた。

無駄に立派なホールで執り行われるようで、スーツを着ている関係者や、生徒らしき人が多い。まぁ、俺もスーツを着ている訳なのだが。

本当は大学の入学式で初めて袖を通すつもりだったが、まさか予備校の入塾式が先になるなんてな。申し訳ない、母さん。


親御さんと参加している生徒もいるようだ。

耳に入ってくる会話を聞いてみると、北海道の人らしい。北の出身では、他に、青森、秋田、宮城など、なかなかに遠方からも入塾しているとかなんとか。

 実はこの刑務所予備校、予備校としての勢力圏は九州地区とその隣接地域が本拠地で、関東や東日本では、この東京校のみとの事。わざわざ九州の校舎まで行くのが大変な北の人たちは、東京校に来ることが多いらしい。

それもそうだ、何か体調が悪くなったり、事故等があった時に、すぐに帰れないのは大変だからな。

というか、今の話と全く関係無いけれど、一つ言ってもいいですか?

         可愛い女の子めっちゃいるんですけど。

東京という場所柄なのか、普通にみんな可愛いんですけど!身もだえるわっ!

男はパッと見で、【真面目】【チャラ系】【部活ガチ勢】【オタク】あたりがしっかり揃っているみたいだ。チャラチャラした感じの奴等とは関わらないようにしながら、女の子と仲良くなって、モチベーションを上げていければ御の字である。まあ、こんなことを言っている時点でチャラチャラしてるって言われそうだけど、男ならみんなそう思うはずだろ?

と、取り留めもなくそんなことを考えている間に、ホール内にアナウンスが流れてきた。とりあえずは、席に座って式に参加しておきますか…


 予備校の入塾式なんてものに参加するのは初めてだったから何とも言えないが、かなり珍妙なものだった。当予備校の方針や、指導実績のアピールなどはありがちな気がしたが、他の予備校批判は割と面白かった。

 「あの塾に比べてあーだ、こーだ」と長々と語るのは、他の予備校では聞けなさそうだったからな。講師紹介の時間もあったけど、なかなかに風変わりな先生が多そうで、どんな授業が受けられるのか早速楽しみになってきた。規則が厳しすぎる感があるのは否めないが、それを承知で自分から入りたいと親にも頼み込んだ訳だし、心機一転、頑張りましょ。

 

 ひとまずは入塾式を終えて、母親と共に会場から出ることにした。

この後のスケジュールとしては、十八時までに寮に帰って、自習に参加することだけだ。今からだと三時間強は余裕がある。

どうするのか母親に聞くと、


「三越で何か食べていく?しばらくは贅沢というか、どうせあんた、一人じゃまともな物食べないだろうし」

「いいの?高いんじゃない?」

「まあ、ちゃんと勉強すると信じて、そのくらいは食べさせてあげるわよ」

「なんか、ごめん。ありがと…」


とのことで、三越でこれからの英気を養う運びとなった。三越でご飯を食べるという、なんとも分不相応な初体験だ。正直、申し訳ない気持ちが先だったが、

折角の母親からの(滅多にない)好意を無駄にしては、それこそ失礼というものだろう(酷い)。


 今日はスーツを着ていたことが幸いしてか、三越に入って行っても然程緊張はしなかった。それとも、要因としては親と一緒だったことが大きかったのか。

何にせよ、初めて入る一流百貨店の凄さに驚いた。どの店も格式が高そうに見えた(実際高いのだろうけど)。

飲食エリアに上がり、何を食べようかと考えていたけれど、どうしても値段が高い。別に自分がお金を出すわけじゃないけれど、なるべく安上がりに済むように考えてしまうのは自分が庶民だからか、それとも親に対して気後れしているからか…。本音を言えば、そこまでお腹が空いているわけではない。少し食べられればそれでいいのだ。周りを色々見てみると、【甘味処】の看板が目に入った。


「母さん、甘いもの食べたい」

「そう、じゃあ、そこに入りましょ」

もともと甘いものは大好きだったし、お腹と財布を考えればベストな選択だと思う。店内は落ち着いた雰囲気で、客も俺たちだけだった。とりあえず真っ先に目についた宇治金時あんみつを注文。母さんは白玉あんみつという、無難なチョイスをした。注文した品が来るまでは今後の方針、具体的にはどのレベルの大学を目指して勉強をしていくつもりなのか、規則正しい生活を心がけろ、

などと浪人生にありがちな話をしていた。

 あんみつに関して何か言うとしたら、とにかく美味しかったの一言しかない。それ以上も以下もない。俺はグルメな方ではないし、自分で美味しいと思ったらそれ以上の言葉を持ち合わせていないだけだ。だから『美味しかった』で終わりである。


 これがグルメリポーターとかなら、

『あれがこれの味を引き出していてどうのこうの』

とか言うのだろうけど、まあ、そういう表現が出来そうなほどには美味しかったということだ。

 

 ひとしきり話もし終えて、あんみつも堪能した俺と母さんは三越を出ることにした。母さんは東京駅から帰るために、その場で解散することになった。


「これからしばらくは会えなくなるけど、何かあった必ず連絡しなさいね?すぐ碌でもないことばっかりするんだから、あんた。あと、私たちが見てないからって、漫画とか買って遊ばないこと。そのためにこの予備校に入れた訳じゃないし、お金も出した訳じゃないんだからね?あぁ、あと…」

「あ、そういう、別れ際のテンプレみたいのいいから!電車来るよ!」

「ほんとに分かってんの?とりあえず!」

「なに?」

「まずは、夏休みまでの半年間、頑張りなさい」

「………、分かってるよ。ありがとね、今日は」

「はいはい、それじゃあね」


 何かと口を開けば永遠と説教をしてくる母親なのだ。長引かないようにするには、ある程度聞いたら途中で会話を切るか、あとは黙って聞いておくしかない。が、今日は母さんも疲れているだろうし、早めに帰したかった。

なんだかんだと、親離れも子離れも完全に出来ていない甘ちゃんなのだ。

 

 無事に電車に乗ったのを見送って、予想以上に時間に余裕が無くなってきたので、俺も寮に帰ることにした。寮で夕飯を食べて、風呂に入り、少しはゆっくりする時間がほしいしな。堅苦しいスーツも脱いで、早く楽になりたい。

寮の最寄りの駅に降りて、目の前のドン・○ホーテでペットボトルの紅茶を箱買い、ボディーソープなどのアメニティ系も一通り買い揃えて、大荷物で店を出ると、いきなり後ろから、


「あの、もしかして○○予備校の人?」

と声をかけられた。この近辺でスーツ着て、その上、生活用品系を大荷物で抱えているのは、確かに予備校の人間だけだろうな…。いや、新卒の社会人もあり得るんじゃないか?

「そうだよ。君もそう?」

と、振り返って返事をすると、かなり身長の低めな、洋風な顔立ちの少年がいた。両脇にはご両親と思しき二人が付き添っていた。

「そうそう。なんだか大変そうな雰囲気だったから声かけたんだ。荷物持つの手伝おうか?」

「まじ?正直、凄い助かるわ」

「いやいや、平気平気。そっちの洗剤とかの袋持つよ」

「それじゃあ、頼むわ。何回も買いに行くのが面倒で、一気に買ったらこんなになっちゃってさ」

「分からなくもないけど、家から持ってくれば良かったのに。それか、家から送ってもらうとかさ?」

「どっちにしろ、手間とお金が増えるだけだからね。現地で揃えることが出来るなら、そっちの方が楽かなって。まぁ、今大変になってるけどね…」

「確かに。話変わるけど、実家はどの辺なの?」

「俺は埼玉だよ。東京の隣のくせして、いざ実家から通うとすると二時間以上かかるから最悪だよ。だから寮にしたんだ。えーっと、君は?」

「あ、名前言ってなかったね。僕の名前は中谷。下の名前はあきひろ。字は後で教えるね。口で言うより分かりやすいでしょ」

「だな。俺は望月。下の名前は雄希。オスの希望って書くんだ。よろしくな」

「っ、よろしく。その自己紹介の仕方、毎回してるの?オスの希望って…」

「シモい方が仲良くなるには手っ取り早いっしょ?全人類の男の夢背負ってるみたいでカッコいいし」

そう、俺が冗談交じりで言うと、中谷は急にニヤリと笑った。男同士で仲良くなるには、下ネタが一番だってことは全世界共通だ。


「話がずれたね。出身地の話だったっけ?僕は仙台から来たんだー」

「仙台って、宮城県だっけ?遠いなー」

「まあね。そこそこに生臭くて困るけど、良い所だよ。今は、中心地とはいえ震災の復興で忙しくなってるけどね」

中谷は、わざと明るく振る舞っている訳ではなさそうだ。敢えてそこに触れなかったが、少なくとも表面上だけでも、平然とその話が出てくるのなら、

こっちが気にすることでは無いんだろう。余計なお世話ってやつだ。


「実際、地震の時は家はやばかったの?崩れたりとか…」

「増築部分の二階が丸ごと潰れたよ。家に居たのが俺だけだったから、かなり焦ったよ。通帳とかの大事なものだけ持って、急いで家を出たと思ったら、その瞬間に家崩れたし。ただ、地区の問題もあったのかも知れないけど、東京とか埼玉よりも早くに停電問題は解決したよ。避難中もずーっとゲームしてたしね」

「意外と図太いな」

「親とも連絡ついてたし、避難生活乗り切っちゃえば安心って思ってたからねー」

「ご両親は会社に?」

「そそ。うちの両親、どっちも大学教授でね。大学から帰って来れなかったんだけど、一番安全なのは大学だし、無事が分かってたのは大きかったよね」

「なーるほどな。にしても、両親共に大学教授って凄いな…。どこ大か聞いてもいいの?」

「折角だし、自己紹介すれば?」

親自慢が出来るのが嬉しいのか、それとも両親の事を尊敬しているが故なのか、声が少しばかり誇らしげだった。苦笑気味の笑みを浮かべて、中谷の両親は初めて口を開いた。

「初めまして、望月君。あきひろの父です。T大学で准教授をしています。妻とは職場も同じなのです。これから、息子と仲良くしていただけると、幸いです。よろしくお願いします」

「ご丁寧に、ありがとうございます。僕の方からも、是非とも、よろしくお願いします」

俺からは、荷物が邪魔でお辞儀は出来なかったけど、お互いに友好は図れたようだ。

それにしても、T大の准教授とはね…

「めちゃくちゃ、頭良いじゃん!凄いな!」

「自慢の親なんだー」

「顔見てれば分かるよ、そう思っていることが」

T大学は国立大学の中でも旧帝大クラスだ。普通じゃ、まず受からない。そこの准教授とは…。最初に出会った奴の親御さんはとんでもなく化物だった。


 荷物が多かったのと、結構話していたせいか、寮に着いたのは十五分後位だった。本来なら、十分もかからない距離に最寄りの駅はある。寮にいざ着いてみると、他にも引っ越しの荷物を運び入れる生徒が多くいた。入口が、ちょっとした渋滞気味である。浪人とはいえ、実家を離れて、新しい環境で生活するというのは皆楽しみらしく、随分と賑わっていた。


「部屋はもう分かってるんでしょ?何号室だった?」

「俺は、七〇八号室。中谷は?」

「え、望月君、七〇八?俺、隣なんだけど」

「………、マジ?」

「…、荷物運ぶの、部屋まで付き合うよ」

「あー、助かるわ…」

「こんなことってある?普通」

「少女漫画でもない限り、ありえないな」

予想外の展開だった。初めて話した奴だったし、部屋近いと良いなとは思っていたけど、神様も粋な計らいをしてくれたもんだ。

どうせなら、入試の時にその気前の良さを披露してほしかったけどな…

何にせよ、頼もしいこと限りない。とりあえずは、部屋の鍵を貰わないと。


「みなさん、お疲れ様です!部屋の鍵はテーブルの上に置いてあります!各自、持って行って下さい!」

寮長が、少し訛りのある発音で先に寮に到着していた生徒たちに指示をしていた。

俺たちも、鍵を取りに行こうとしたのだが、玄関付近は狭くて、荷物を抱えた俺たちは動けそうになかった。テーブルの前には人だかりができていて、しばらくは取りに行けそうにない。

「先に、部屋の前に荷物置きにいかない?あと、どれ位の人数が残っているのか分からないけど、ほとぼりが冷めるまでのんびりしてようよ」

「そう、だね…。門限時間まであと何分あるかな?」

「あと…、二十分だね」

「前に見学しに来た時に気付いたんだけど、裏手にコンビニあるんだ。今日はどうせ楽に一日が終わるだろうし、ベランダで話さない?その時用のお菓子買ってさ」

これは中谷の発言だが、正直、いきなり距離近いなと思ったし、それなりに慣れない事や環境で疲れている俺は、

「お菓子は買いに行きたいな。けど、夜話すのはちょっと勘弁してくれ。今日ばかりは眠いわ…」

「まじかぁー。ま、時間は全然あるし、明日にするかー」

「すまんな。それにしても、隣人の部屋に入れないってのは、何かと不便そうだよな…」

「それね!勉強会とか出来たら良かったのにねー」

「全くだ」


ここの予備校では、友人の部屋に一歩でも入ったら、部屋の住人と入った人間の両方が即退寮になるという何とも厳しい規則が存在している。本当に刑務所に収容されているみたいだ。何にせよ、何か月か生活してみて、どの辺りまでが許容範囲なのかを確かめていくしかないか…。

俺たちは、エレベータが混み過ぎて使えなかった為、仕方なく七階まで荷物を持って階を上ることにした。


「ここからの眺めさ、」

「うん?」

「目の前に東京スカイツリーが見えるんだね…。すごい…」

「そっか、仙台から来たのなら、直接しっかり見るのは初めてか。見学の時には見なかったの?」

「そこまで気付かなかったよ。これからは、毎日リア充の香りを浴びながら生活するんだな。くっそー!」

どうやら、中谷にも彼女は居ないらしい。「も」と言った通り、俺にも彼女は居ない。

まぁ、嫁はいるけどさ。ものすっごい可愛い嫁が。

と、一人ごちている間に、目的の七階に到着したようだ。見晴らしは最高だった。自分の部屋の前に荷物を下ろして、お互い何も言わずに下の街並みを見下ろした。

 柄にもなく、しんみりとした。

ここから、新しい生活と新しい自分が始まるのか、と。

静かに、けれど心の奥深くで沸々と何かが湧き上がってくるような感覚があった。文学少女よろしく、内心を語っていると、隣の七〇九号室の扉が開いた。出てきたのは、黒色のパーカーに灰色のスウェットを履いた、金…まではいかないけれど、かなり明るい色をした髪色のイケメンだった。


「あー、こんちは。何?君らお隣さん?」

「えっ、あっ、そうです。俺が七〇八で…」

「僕が七〇七なんです。中谷って言います。よろしくです」

「あ、俺は望月って言います。これから一年間よろしくお願いします」

「はいはい、よろしく。俺の名前は高瀬、っていうんだ。よろしくな。あと敬語やめていいよ」

見るからに俺より一.二歳は上に見えるんだが、まあ敬語使わなくてもいいなら、きっとそういうタイプの人なんだろう。気楽に付き合っていけそうだ。

「そろそろ鍵取りに行って良いと思うよ。下に言ってみなー」

「あ、そうだ鍵取りに行かんと」

「そうだね。でも、なんで高瀬さんは僕たちが鍵持って無いって知ってたの?聞こえてました?」


 まだ距離感を測りかねているのか、中谷は敬語とタメ語が混じっていた。

そんなことはどうでもいいが、確かに、中に聞こえる程大きな声で話していたとしたら、迷惑になるだろうし、気を付けなければ。

「いや?寝てたから全然気づかなかったよ。それに廊下の会話で一々イライラもしないし、気にしなくていいよー」


ん?これってもしかすると…


「あの、高瀬さんはここに、えーっと…」

「あー、その辺も気にしなくていいよ、っていうか、ここは俺から先に言っておくべきだったな。ここに今年で二年目、刑務所にも二年目。ま、そういうことな」

「なるほど。すんません、こういう話って聞きづらくて…」

「そりゃそうだ!俺は気にしないけどな」


 何が面白かったのか、高瀬さんは軽く笑っていた。

しっかし、それにしてもこの高瀬さん、本気でイケメンだ。まっすぐで、明るい色の、艶がある髪。身長は俺より十センチは高いだろう。浪人生でこんな人がいるとは…。

「あ、俺の生活リズムというか、まあ、その辺のことは気にしなくていいから。というか、お願いすることがあるかもしれないけど、そこは許してな?」

「えっ?、あ、はい。それは構わないですけど。何か用事があるんですか?」

「うーん、そうだな…」


 高瀬さんは少し俯き気味で、何かを思案してから、

「説明するのも、面倒だし、と言うよりも、俺が個人的に説明するのが嫌いだから、実際に見に来た方が分かりやすいと思うんだよね…」

「えーっと、どこかに行くんですか?」

「そうだね、今週の土曜日空けれる?」


 俺と中野は顔を見合わせて、お互いに大丈夫だろうと意思疎通が出来たから、その誘いに乗らせてもらうことにした。

「そんなに不安がらなくて大丈夫だよ。何もしなくていいから。見てるだけで楽しいと思うぞ」

「そうなんですか?全く分からないですけど…」

「ま、そうだよな。あー、そろそろ出かける時間だから、ちょっと席外すぜ?

寮長に何か聞かれても、『知らないです』って言っちゃっていいから」

「?まあ、分かりました」

「うん。それじゃあねー」


 もの凄く軽く挨拶をして、颯爽に去って行った。と思ったら、一番端の部屋の前に行くと、中から誰か出てきた。どうやら同じ多浪仲間なようだ。


「行く所って、友達の部屋なのかな?」

「うーん、どうなんだろ…。ん?」

「おお?」


俺と中谷はよく分からない光景を目にした。全く躊躇しないで、というか、部屋の人が迎え入れる形で部屋に入って行こうと…


「ん?」

高瀬さんは入る直前でこちらを振り返って、

「ねえ、今あの人、僕たちにウィンクした?」

「ああ、したな。口元で指立ててたのは『内緒』ってことか?」

「たぶん…」

「随分茶目っ気のある人だったね。何しに行ったんだろ?」

「触らぬ神に祟り無しってな。教えてくれるまでは気にしない方向で行こうぜ。それよりも、部屋の鍵取りに行こう。すっかり忘れるところだったよ」

「そういえば、そうだったね」


 初っ端からやたらとキャラの濃い人が居たもんだ。何しに行ったのか見当もつかないし、そもそもここの予備校の寮って、友人の部屋に入ったらダメなんじゃなかったっけ?

一階に降りてみると、すっかり人は引いていた。テーブルに残った鍵は俺たちのだけだった。隣の食堂では、既に夕飯を食べ始めている人が多くいた。


「完全に出遅れたね。僕たちも食べる?」

「そうだな。あんまり遅くなっても仕方ないし」


かなりの椅子が埋まっていて、座るところは…

何か、こういう初めての場所とかで知らない人が沢山いるのって、変に緊張しない?

キョロキョロして誰かと視線が合うのも嫌だし。

……完全にコミュ症じゃん、俺。

とりあえず、中谷が席を取ってくれたみたいで、助かった…。


「さて、ちゃっちゃと飯食べちゃいますか」

「だね。まだ部屋にすら入ってないし」

「一息つきたいしなー」

「それにしてもさ」

「ん?」

「この白米不味くない?何か変なにおいする」

「うーん?確かに、そう言われるとそんな気がする…」

「カレーで誤魔化してるよ、これ」

「なるほど?さすが東北出身。ご飯には厳しいね(偏見)」

「そうでもないけどね。新しい窯でも使ってるのかな?金属系の匂いする。

 うえー」


それもあるかもしれないけど、俺としては、中谷は良いもの食べてそうな気がするんだよね。お金持ちっぽいし。ただ、中谷に言われてから、不味く感じてきた…。最初の内だけだと思いたい。


「ねぇ?」


中谷とは反対の方向から声がかかった。

「初めまして!。須藤って言うんだ。三〇四号室。よろしく!」

「あ、あぁ、よろしく」

「どこから来たの?名前は?部屋何階?」


やたらと積極的、というか、空気読めなさそうな奴だぞ。

いや、それとも俺が消極的過ぎるのか?そこまでじゃないと思うんだけどな…。

「名前は望月です。埼玉出身。部屋は七〇八。よろしく」

「そかそかー。よろしくな!」

「そんで、隣にいるのが俺の隣の部屋の友達で、」

「中谷です。よろしくねー」

「おおー。よろしくな!やっぱり部屋隣だと、すぐ仲良くなれるのか?これから一緒に頑張って行くし、励まし合って行きたいじゃん?」


分らなくもないけど、正直そこまで仲良くするメリットがあるのかは理解出来なかった。必要以上に仲良くする人を増やしても、この狭い寮の空間で、何かあったら生活し辛いだろうに。損得だけで友人は作るものでも無いけどさ。


〈えー、皆さんお疲れ様!寮長です!えー、この後ね!七時からね!初めての自習を行います!九階に勉強道具を持って集まって下さい!以上!〉


九州訛りのやたらとデカい声の上、語尾に『ね』が多い寮内放送があったが、

どうやらこの後、強制自習が始まるみたいだ。いや、言い方が悪いか。

『必修自習』が始まる七時まで、あと四〇分位だ。あまり時間も無いな。


「中谷、食い終わった?」

「もう片付けられるよ」

「おっしゃ、部屋に戻ろ」

「またね、須藤君」

「二人とも早いな!ちょっと待ってくんね?もう食べ終わるから!」

「あー…」


こいつ、他人の都合とか考えられないのか?というか、初対面の人間に対してやっぱりずうずうしくね?

と、内心思っていたら、


「あのね、僕たちまだ自分の荷物も片づけられてないんだ。だから悪いけど先に行くね?」

「あー、そうだったのか!ごめんごめん!」

中谷、顔笑ってるけど、目が怖いぞ?

でも、須藤。お前その状態の相手に全く動じてないな。最早尊敬の粋だわ。はっきり言えるのは羨ましいな。初対面の人間にそこまでというのはなかなか出来ないんじゃないか?これは頼もしいわ。その図太さ一ミクロン位は欲しい。

いや、それじゃあ無いのと変わらんか。まあ、使いどころ次第だな。


「ごめんな、須藤。先行くな?」

「おっしゃ!食い終わったよ!行こうぜ!」

「あ、うん。エレベーター行ってるから…」


取りあえず、須藤を食堂に残して俺たちはエレベーターに向かい始めた。

「ねえ」

「そぉうい!」

「な、なに?」

いやさ、俺より十センチは低いサラサラ髪の毛美男子が、ぴったりくっついて囁いて来たら、ドキドキするよ。ごちそうさまです!ホモか!

「いや、ホモじゃねぇ!」

「ホモなの?」

「あ?!いやいやそんな訳…、HAHAHA!それで?」

「あ、うん。いや須藤だけど…」

中谷が何を言いたいのか何となく分かっていたけど、

「すまん、待たせたー!」

「おつおつ。そんじゃ行こうか」

須藤が追い付いて来たから、この話はまた後でな?

と目配せをして切り上げる事にした。


 とりあえず、筆箱と高校時代に使っていた英文法問題集、ルーズリーフ一式を持って、寮の最上階である九階まで上がった。最上階は大きな自習室となっており、長机とパイプ椅子が並べられ、全寮生を収容することができる。狭い入口で靴を脱ぎ、寮長からよく分からない紙を一枚もらった。

 なんだ、これ?原稿用紙みたいだけど、何書くんだ?

皆、早速できた友人たちと話して、緊張をほぐしているみたいだった。

席順は部屋番号順になっているらしく、俺の席は窓際の後ろから四番目だった。日が落ちて窓から、東京の夜景が広がっていた。目の前には東京スカイツリー。できたばかりの新ランドマークは、入るには予約が必要らしい。

噂によるとカップルだらけとか。こちとら、男だけの環境下で、ひたすら勉強をして、羨望と恨みの眼差しで塔を睨み、一方のリア充たちはいやらしい視線で見ているのだろう。もの凄い偏見だが。


 隣の席には真面目そうな男の子が座っている。自習時間も始まりそうだったから、特に話しかけることもせずに、単語帳を読むことにした。


「はい!皆さん、これから初めての自習を開始したいと思います!現在の時刻はヒトキュウサンマル分!規則の説明を始めます!」


 やたらとハキハキ話す人だ。しかも時刻の言い方、なんで軍人みたいなのよ…

寮長曰く、最初にもらった原稿用紙には、毎日自習が始まる前に日記を書き込んでいく為の物らしい。一か月に一回、貯まった日記は家族に送られるらしい。まあ、つまりは適当なことは書けない訳だ。乱雑に書くと再提出のようだから、自習時間の無駄になる。きっちり片づけた方が自分の為だ。自習時間は一九時半から二三時二〇分まで。一〇分休憩が二回あるらしい。消灯時間は二三時四〇分。それ以降起きていることは禁止らしい。部屋明かりが点いていたら怒るとのこと。

 

 宿題終わらないとか、やりたいことがあったらかなり困るな…。何か考えておかないと。

 寮長からの説明は大体はそこで終わったようだ。

「今日は、東京校の部長に来ていただいて、激励をしていただきます!しっかり聞いてください!」

 ほー、部長さんね。初日だし、そういうのやっぱりいるのね。

どんな人が出てくるのかと思ったら、かなり、いや、どっから見ても【その筋の人】みたいな雰囲気の人が俺たちの前に現れた。恰幅のいい体つきに、高そうなスーツ、金色の指輪。とんでもなかった。


「えー、東京校本部長の滝沢です。これから、一年間君たちと頑張っていくんでね、よろしく。一つ言いたいのは、勉強した奴が勝つってこと。これから皆は千時間を超える勉強を寮内だけでしていくのね。自習だけでね。人によっては千じゃ足りない奴もいる。君ら以上に勉強してる受験生は、日本中探してもまず居ないんよ。その時間を武器に自信を付けていってほしい」


確かにそうだ。一日寮で三時間以上必修自習をして、それを約一年間。朝八時半から夕方一六時半まで一日に一〇時間以上は必ず勉強する。トータルにすれば四千時間近くなる。受験生なら当たり前かもしれないけど、この完全監視体制で、厳しく見られる環境でするプレッシャーある勉強と、時間だけの受験生では大きな差だ。浪人した以上は、上に行かなければ負け組なのだから。

 個人的に、部長さんは感じの良い人だった。厳しそうだけど、やることをやっていれば仲良く親身になってくれそうなヤクザ、もとい、おじさんだ。

ピリッとした空気が、自習室に流れた気がした。


 自習時間が終了する一〇分前に寮長から再度話があるとのことで、あっという間に過ぎた三時間を前に、話を聞くことにした。


「皆さん、寮での初めての自習お疲れ様でした!明日のスケジュールを言いたいと思います!明日は、寮を八時に出発して、予備校までの道の確認と、東京観光をしたいと思います!お昼は予備校に戻って、用意してもらったお弁当を食べて、そこから帰寮になります!」


どうやら、親睦会を兼ねているんだろう。ここで寮生同士仲間意識とか、協調性を生んでいきたいんだろうな。まあ、こちらとしても友人の数を増やす機会が出来るのは助かるし、願ってもない。


「それでは、皆さん最後に黙想をして、本日の自習を終えたと思います。自習を中断してください!それでは…、黙想!……、止め!はい、お疲れ様でした!消灯時間は守ってくださいね。おやすみなさい!」


 とりあえず、初日の予定は全て終了になった。早いところ寝に入りたいわ。

「お疲れ、望月君。明日、一緒に回ろうよ」

荷物が少なかったのか、手提げを持って既に立ち上がった中谷は、俺に話しかけてきた。

「ん、いいよ。こっちとしても一人で行動するのも嫌だったしね。同じ階の奴らに話しかけながらのんびり行こうや」

「そだね、早めに仲良くなりたいしねー。一年間一緒だし」


中谷の話し方は、何というか、やたら可愛らしい。身長はかなり小さいし、髪の毛はサラサラだしいい匂いする。日本人なのに洋風な、目鼻立ちくっきりタイプ…。はっきり言ってかなり中性的だ。可愛いといってもいい。


「やばいな…」

「え、一緒に回るの嫌だった?」

「あ?あ、あぁ、違う違う!こっちの話!」

「そう?なら良かった」

 ふぅ、危ない危ない。俺が男の娘系が大好きだ、何て考えているのがばれたら問題だ。これは墓まで持って行かねばな。

「ホモなの?」

「ホモじゃねえよ!?というか、なんで聞いたの!?」

「ん?何か聞けって誰かに言われた気がしたから」

「メタいな、おいっ!」

「とにかく部屋に帰ろう?残っているの僕たちだけだよ」


苦笑交じりに、中谷は辺りを見回しながらそう言うと、荷物を持って自習室の扉に向かって歩き出した。寮長に挨拶しておくか。


「寮長、おやすみなさい」

「はい!おやすみなさい!明日沢山歩くから、しっかり寝てくださいね!」


いや、だから、何でそこで敬礼なのよ。

取りあえず、自習室を後にして、自室に戻ることにした。すっかり夜になっていて、最上階の階段から見る東京はやたらと綺麗だった。目の前にはスカイツリー、空気も丁度良い冷たさだった。地元とは違う、少し空気に味があるのが東京を感じさせた。


「仙台と比べると、どう?」

「まあ、建物の数というか、ここまではひしめき合ってはいないよね。建物やたら高いし」

「牛タン食いてえな」

「いきなりなにさ。親に送ってもらおうか?」

「いや、そんな高いもの貰えないわ」

「そう?それにしても、お菓子買ってきておいて正解だったよ」

「なんで?」

「望月君が牛タンとか言い出すから、おなか減ってきたよ」

「なるほどな」

俺も、話してたら腹減ってきたな。俺、なんも買ってないぞ。どうすっか…

「バタークッキーあるよ?」

「いや、なんで聞いた」

「だって、おなか空いたって顔してたから」


お前はさっきからエスパーか何かなの?それともニュー○イプなの?

そうこう話している間に、部屋の前まで戻って来ていた。


「どうする?クッキーいる?欲しいならあげるけど」

「うーん、いや、今日はいいや。夜に何か食べて胃を悪くしても仕方ないし」

「そう?気が向いたら言ってね。それで、ベランダで喋りながら食べようね」

「かわいいかよ…」

「かわいい?」

「いや、気にせんでくれ。取りあえず、おやすみ。明日一緒に行こうな」

「おけおけ。おやすみー」


一々反応だったり、言葉の端々から可愛い匂いさせる奴だな。

俺、さっきから『中谷可愛い』しか言ってないな。ホモか?いや、このくだりやり過ぎだろ…


部屋に戻って、荷物を床に放置して、さっさとシャワー浴びることにした。誰も見ていないし、気前よく全裸になって、タオル片手に浴室に入った。九州の寮だと浴室は共同らしく、それも悪くはないが、落ち着いて入れる個室がやっぱり良いと思うんだ。

まぁ、九州では温泉引いてる寮もあるらしいけどさ…


風呂上がりに水が飲みたかったから、水道をひねった。コップに赤い水が出てきた。

「ふむ…」

いや、そんな意味深な雰囲気で言ってもどうしようもないんだが。

これ、どう考えても錆だよね?【国内で一番安全な水】の看板どこ行ったのさ…無言で水を捨ててやった。寝る前に紅茶を飲むのは、さすがに歯をもう一度磨かなくならないし、うーん。

シャワーの爽快感は完全にかき消えたよね。

なによ、つい数か月前まで住んでた人居るんじゃないの?勘弁してくれ…

萎えた気持ちを奮い立たせる時間帯でもテンションでも無かった。

これは余計なことをせずに早々に寝ろ、という神のお告げに違いない。


「大丈夫か?」と聞かれれば「問題だらけだ」と答えてやりたい。

一番いいのを頼むよ、寮長。


「明日に備えて体力を回復すること、眠れなくても無理に寝ること、だな」

某ゲームでそんなセリフを言う輩が居たし、そのゲームを愛する俺は、素直に従う事にした。一人の空間だからって、独り言言い過ぎだな。

明日の予定に、「水を買ってくる」を脳内に書き込んで、硬さの違う布団へと潜り込んだ。

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