戦羽(いくさばね)

由木青児

第1話

 ねえちゃんに戦羽(いくさばね)が生えた。

 ふわふわした白い羽の下に、黒くて硬い羽が見えていた。

 ぼくや昨日までのねえちゃんのように風に乗って飛ぶのじゃなく、風を切り裂いて飛ぶための黒い羽だ。

 でも、とうちゃんとかあちゃんは悲しそうな顔をしていた。

 戦羽は大人になった証拠だ。

「軍隊になんか行かなくていいんだよ」

 かあちゃんが涙をぬぐいながら言った。

 ぼくは寝たふりをしていたので、うしろ姿からじゃ、ねえちゃんがどんな顔をしているのかわからなかった。

 誰だっていつかは戦羽が生える。歯が生え変わるように。仲間を守るために。空を駆けて戦うために。

 戦羽が生えたら軍隊に入らなきゃいけない。それが大人のルールらしい。

 でもねえちゃんは、ぼくのねえちゃんはとっても優しいんだ。家族だけじゃなく、ぼくの友だちや近所のじじばばや牧場の羊や牛にだって。誰にでも優しくて、みんなみんなねえちゃんが好きだ。

 そんなねえちゃんが、戦槍を持って空を飛ぶなんて、おかしいと思う。

 あの白くて細い腕が、戦場でなにができるっていうんだろう。

「痛いけど、ちょっと我慢すればいいだけだから」

 かあちゃんは、震える手で黒光りするナイフをテーブルに置いた。とうちゃんも眉毛を寄せて頷いている。

 戦羽が生えたら、軍隊に入るかそれとも戦羽を切り落とすか。どちらかだ。

 戦羽が生えると体の性質も変わってしまい、好戦的になって怒りっぽくなる。大人のルールがなくったって普通の家庭にはいられなくなるそうだ。

 無理やり切り落とすと、根元で繋がっている白い羽も、もう使えなくなってしまう。二度と空が飛べなくなってしまうんだ。

 それでも、羽を落とす人はいる。家族との生活を選ぶ人もいるんだ。

 ねえちゃんはどうするだろう。

 空を飛べなくたって、ねえちゃんはねえちゃんでいて欲しい。ぼくが大きくなったら、ねえちゃんの羽になるから。ねえちゃんを背中に乗せて、どこへだって行ってあげるから。

「どうして?」

 かあちゃんの声が震えている。

 ねえちゃんは首を振りながら、ナイフをそっと押し返した。

「軍隊は、甘い世界じゃないぞ」

 とうちゃんが自分の頬をなでながら言った。そこだけ白くなった大きな引きつり傷をねえちゃんに見せつけるように。

「どうしておまえが行かなきゃいけないんだい」

 かあちゃんがテーブルに突っ伏して泣き始めた。

 ぼくも凄く悲しくなって、毛布を頭からかぶると涙があふれた。


 次の日、ぼくを起こしに来たねえちゃんが、「朝ごはんのまえに、散歩しよっか」と微笑んだ。

 涙で汚れた目元をゴシゴシと拭いて、「うん」と答えた。

 朝露で濡れた道を二人で並んで歩いていると、昨日となにも変わったことはないみたいだ。でも横目で見るねえちゃんの背中には、白い羽に重なるように黒い羽が揺れていて、横顔も少し大人びて見えた。

「どうしたの」

 そう言ってにっこり笑う。

 戦うための性格に変えてしまうという羽が生えて、別人のように乱暴者になってしまったらどうしよう。そんなことをベッドで考えていたぼくは、一晩中不安だった。でも……。

 ねえちゃんは、優しいままのねえちゃんだった。それが嬉しかった。

「ここに座ろ」

 海が見える高台のベンチに二人で並んで腰掛けた。

 ねえちゃんはなにも言わずに遠くを見ていた。ぼくもなにも言わなかった。

 鳥が空高く一羽で舞っていた。

 じぶんの羽にそっと触れてみる。ふわふわして柔らかくてほんのり暖かい。ぼくにもいつか、あんな硬そうな羽が生えるんだろうか。

「触ってみる?」

 ぼくは少しとまどってから頷いた。

 それはすべすべして硬くて、そしてほんのり暖かかった。

「おとうさんにも、おかあさんにもあったんだよ。ずっと昔に」

 うん、知ってる。

 戦羽がなくなるとしたら、自分で切ってしまうか、年をとって自然に抜けるか、それとも恋をするか。そのどれかだって。

 軍隊に行った人も、恋に落ちる。

 恋に落ちると自然に二人の背中から戦羽だけが抜け落ちるそうだ。

 そうしてキレイに落ちたときは、残りの羽の、空を飛ぶ力はなくならない。

 こどもを生んで育てるための体に戻るんだと聞いたことがある。とうちゃんとかあちゃんも初めて会ったのは戦場だったけど、そうして二人で軍隊をやめてぼくらを生んで育てたんだって。

「白い羊のなかに、黒い羊がいるね」

 ねえちゃんが指さす先には、見渡す限りの大きな牧場が広がっていた。豆粒みたいな牧羊犬がその群れを追い回している。

「どうして行くの」

 声がうわずった。

 そんなぼくに、ねえちゃんは優しい顔をしたまま答えてくれた。

「わたしたちがこうして平和に暮らせるのも、大人たちが命を懸けて戦ってくれているからなのよ。今も、この空の向こうで」

 いつも笑っていたねえちゃんが、そんなことを考えて暮らしていたなんて、ぼくにはわからなかった。

「わたしも、ここで暮らすみんなのためにできることをしなくちゃ」

 それにね。と、ねえちゃんは目を細める。

「わたしの大好きな人が……」

 

 この空の向こうにいるから。

 

 そう言って微笑んだ

 ぼくは思い出した。

 昔もっとぼくが小さかったころ、隣に住んでいた家族のことを。

 その家に背の高いおにいちゃんがいて、いつもぼくとねえちゃんをからかっては一人で笑い転げていた。ぼくらは逃げ回るおにいちゃんを追いかけて、棒切れを振り回しながら泥だらけになるまで遊んだ。

 そんなおにいちゃんに戦羽が生えた。

『おれ、軍隊に行くから』

 ぶっきらぼうにそう言った。

 ねえちゃんは、『バッカじゃないの』と叫んだ。いまみたいに優しくないころのねえちゃんだ。

『ああ?』 

 そう言って睨みつけるのは、いつものおにいちゃんじゃなかった。年下のぼくらに悪口を言われても、ハハハと笑っていたおにいちゃんじゃ。

『死んじゃえバカ』

 おにいちゃんは、ほっぺたをピクピク震わせていた。ねえちゃんのいつも言っているような悪口に、歯を食いしばっていた。

 黒い羽が生えた人は、普通の生活ができなくなるくらい怒りっぽくなるって、そう聞いていたのに、ねえちゃんは『バカバカ』って繰り返した。 

 ねえちゃんが殴られる。

 おにいちゃんが血の気の引いた顔で近づいてきたとき、ぼくはそう思った。

『バカって言うほうがバカだ』

 にいちゃんは、振り上げた手をねえちゃんの頭に乗せてそう言った。

『チビを、頼む』

 にいちゃんはそう言いながらぼくをちらりと見て、ねえちゃんの頭をくしゃくしゃと撫でた。

『バカー! 帰ってくるなー!』

 最後にそう叫んだねえちゃんの目じりに流れた涙の跡を、今でも覚えている。

 そうか。

 ねえちゃんは、おにいちゃんに会いに行くんだ。

 クワァ。

 と鳴いて、空をくるくると舞っていた鳥が海の方へ一直線に飛んでいった。

「渡り鳥だったのね」

 空を見上げて、ねえちゃんは手を振った。

「怖くないの」

 ぼくはいじわるだと思った。

 ぼくや、とうちゃんやかあちゃんを置いていくねえちゃんが、ううん、そうさせるおにいちゃんが嫉ましかったんだと思う。

「あの鳥は」

 ねえちゃんはぼくのいじわるに優しく微笑んで言った。

「海の向こうが海ばかりだと知っていて飛ぶのかしら。それともその先にきっとあたらしい世界があると信じて飛ぶのかしら。……どっちにしてもそれは勇気とは少し違う気がするのね。きっと生き方を決めたら、自然に羽が動くものなのよ」

 鳥が飛んで行って、見えなくなってしまった海の彼方を、ぼくらはずっと見ていた。

 風の音を聞いてると、ねえちゃんがふいにぼくの手を取った。

「ねえ、久しぶりに一緒に飛ぼうか」

 迷わず頷いた。

「でもねえちゃん、ずるいや」

 ぼくはねえちゃんの背中で黒く光る羽を指さして言った。

 ねえちゃんは、「にひひ」と笑うと、見たこともないようなスピードで空に舞い上がる。

 朝日を浴びて服と自慢の髪がキラキラと輝いた。

 牧場では牧羊犬がくるくると回るのを止めて、草の上に座り込んでいる。

「まってよ」

 ぼくも白い羽を広げて、優しい風の吹く空へ駆け上がった。

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戦羽(いくさばね) 由木青児 @yukiseiji19

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