3 春過ぎて

放課後を告げるチャイムが鳴る。


あれほど綺麗に咲いていた桜もとうに散り、この女子高にも五月の心地よい風が吹き抜ける季節がやってきた。


じめじめとした梅雨の時期もあっという間にやってくるのだろう。


そんなことを考えながら、加代は両手に大きなゴミ袋を下げ、一人廊下を歩いていた。放課後の掃除を終え、ゴミ捨て場に向かう途中、不意に後ろから声が聞こえた。


「加代ー!」


加代は、その声の主が誰であるかがすぐにわかった。それは毎日、加代が一番近くで聞いている声だったから。


加代が振り向くと、そこにはやはり瑠璃の姿があった。こちらに向かって手を振りながら走ってくる。


加代は瑠璃の姿に嬉しさを感じつつ、ふと疑問に思ったことを口にした。


「瑠璃、今日部活は?」


「ん?これからあるよ。それ1個貸して、持ってくよ。」


「あ、ごめん、ありがとう。」


「いえいえ〜。」


瑠璃は、結局バトミントン部に所属した。今は体力づくりとかで、走り込みばかりしているらしい。瑠璃が授業で眠たそうにしている姿を、加代はすぐ後ろの席から見守る日々だ。


一方の加代は文芸部に入った。入部の決め手は、見学の際に読んだ過去の文集たちだった。その中に収められている小説は、どれも高校生が書いたとは思えないほど洗練されており、読書好きの加代にとっては面白いものばかりだったからだ。


また、加代の家にはパソコンが無いのだが、部室にあるものを自由に使っていいとのことだった。活動日も週に一度集まるくらいで、放課後をバイトにあてられることも、入部を決めた理由の一つだった。


「ていうか、なんで加代一人でゴミ捨て行こうとしてたわけ?」


ゴミ袋を受け取った瑠璃が尋ねてくる。


「あ、なんかね。香織ちゃん、塾があるっていうから、私が捨ててくるよって言ったの。」


「あー、立花さんね。っていうか、加代も、うちも部活あるっての。」


立花香織たちばなかおりは加代たちのクラスメイトだ。腰まで届きそうなくらいの黒髪に長身、モデルというよりは大和撫子に近い。部活は箏曲部、学年の中でもトップ10には入る学力の持ち主だ。


ただ、話してみると意外と気さくな生徒で、加代とは馬が合うのだろうか、入学当時から何故か一緒にいることが多かった。


「それはそうなんだけど。ゴミ捨て場、図書館のすぐ裏だから、部室行くついでにって。なんか、すごく焦ってたみたいだったから。」


「まぁ、加代がそういうんなら良いんだけどさ。でも後ろ姿見えた時、加代めっちゃふらふらしてたよー。」


瑠璃は、わざわざ加代を手伝うために声をかけてくれたらしい。瑠璃だって、きっと早く部活に行かないといけないはずなのに。加代は、そんな瑠璃の優しさに触れた自分の胸から、小さな音が聞こえた気がした。


「…ありがとう。」


「ん?なんか言った?」


加代の言葉は、


瑠璃にはまだ、届かない。



五月も半ばを過ぎ、学校内は六月の合唱コンクールに向けて、生徒達が動き出していた。


加代たちのクラスでは、「大地讃頌」という曲を歌うことになった。


「やるからには優勝を目指したいので、練習にはできるだけ参加するようにしてください。」


曲が決まった後、加代のクラスの学級委員長が宣言した。どうやら行事ごとには燃えるタイプらしい。


「取り敢えず、朝練は7時50分から始めます。そうすればSHRまで30分ぐらいは練習できると思うので。本番が近くなったら放課後も練習したいと思います。」


加代はその言葉を聞いて、少し困った。朝はまだしも、放課後の時間が潰れるのは痛い。


バイトの時間ずらせるかな、と加代が考えていると、前の席に座る瑠璃も、同様に困ったような顔をしていた。


「瑠璃、どうかした?」


加代が尋ねると、瑠璃が振り向き苦笑いを浮かべた。そして、小声で加代に言う。


「いや、朝練かーと思って。」


「…?」


加代が、瑠璃の言っていることを理解出来ずにいると、瑠璃は続けて言う。


「あ、バト部の方なんだけど。朝ってさ、先輩達が練習してないから、うちら一年にとっては絶好の練習時間なわけよ。だから合唱練習の方はあんまり気が進まないっていうか…。」


「でも、全く参加しないっていうのも…。」


「そうなんだよねー。どうしよ。」


「じゃあ委員長と、参加する日としない日を相談してみれば?月曜日は合唱で、火曜日は部活に行くみたいな。」


「あー…。うん、そうだね。取り敢えず相談してみるよ。…でも、話聞いてくれるかな。」


加代は瑠璃に助言しつつ、自分も後で相談してみようと思った。やっぱりバイトの時間を減らすのは、母に申し訳ない。


加代は少し、これからのことが心配になった。瑠璃を含め、クラス内で対立が生まれないといいのだが。


加代は、ふと窓の外を見た。そこでは低くどんよりとした雲が空を覆っている。




もうすぐ梅雨がやってくる。





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