お取替え
「憧れの女優・モデルさんの顔があなたのものに! 嫌な過去にはサヨウナラ!」
そんなコピーの下に整形前後の顔写真が並べられている。整形後の顔は最近テレビでよく見かけるハーフタレントの顔に似ている、とナオミは思った。
ナオミは小学校の同級生、チカの部屋でチラシを眺めていた。チラシはチカの両親が経営する美容整形クリニックのものである。かつては美容整形に何百万もかかっていた時代もあったらしいが、技術の進歩によって手術費用が大幅に下がり、今では老若男女を問わず、整形手術を受けるのは珍しいことではなくなっていた。特に幼い頃から成長に合わせて何度も整形手術を受ける若者が増えているらしい。
「チカも手術受けたんでしょ? 痛くなかった?」
ナオミはチカが人気モデルのナオミ・エリザベス風の顔になるための手術を受けたという話を聞いたことがあった。実際、チカは小学六年生とは思えない、鼻筋の通った大人びた顔立ちをしていた。
「最初に手術を受けたのは、三才の頃なんだけど、それは記憶に無いの。それからも二年に一回は手術を受けているんだけど、麻酔が効いているから痛くはないの。でも、麻酔の注射はちょっと痛いかなぁ。手術が終わってからもたまに顔がジンジンすることはあるかなぁ……」
「そうなんだ」
「あ、でもこの前エミがうちに手術を受けに来たのよ。エミは手術の後、しばらく顔が腫れて痛かったって言ってたわ」
「やっぱりエミも手術受けてたのね。昔からエミとチカって顔がそっくりじゃない。この前、ちょっとエミの輪郭が変わったから、またいじったのかな、とは思ってたんだけど……」
「エミもうちのナオミ・エリザベスコースを選んだのよ。隣のクラスのカエデもそうよ」
「そうなの。でも、それってしゃべっちゃダメなんじゃないの?」
「そうだった……秘密にしておいて」
「わかったわ。でも、顔を見ればすぐわかるけどね」
チラシのコピーの通り、美容整形手術を受ける際に憧れの女優やモデルのような顔にしてほしい、という要望を出す人間は多く、その結果、人気女優やモデルによく似た顔の人間が突然増えるというのがここ数年の社会現象となっていた。もちろん全く同じ顔にはならないが、赤の他人が実の姉妹以上に似ているということも珍しくない。
「ナオミは手術受けないの? 中学デビューはしないのかしら?」
「こんな顔だから受けたいけど……私は無理よ。親いないもん」
「そうなの」
やっぱりチカって無神経だな、とナオミは思った。ナオミの両親は亡くなっており、祖母の家から学校に通っている身である。手術費用が下がったとはいえ、裕福ではない祖母に手術を受けたいとは言えなかった。一方で、自分の容姿がせめて人並みにできないものかという思いはあった。目は腫れぼったく、顎はしゃくれている。クラスメートから容姿で馬鹿にされるのは慣れたが、中学生になっても同じ思いをするのかと考えると憂鬱になった。いつかお金を稼いで美容整形手術を受け、見返してやりたい。できれば医者になりたい。そのためにはまず公立の進学校であるA中学を受験し、合格するのだ——そんな思いでナオミは独学による受験勉強を続けてきたのであった。そして、その
夕方になり、ナオミが祖母の家に帰ろうとしたところ、玄関でチカの母親から呼び止められた。
「ナオミちゃん! ごめんなさいね、何のおかまいもできなくて」
「いえ、そんな……おばさん、お仕事は終わったんですか?」
「ちょうど終わったところなの。ちょっとナオミちゃんに話があるのよ。こっちの部屋に来てもらってもいいかしら? チカは自分の部屋に戻りなさい」
ナオミは応接室に案内され、チカの母親と向き合うようにして座った。ソファは柔らかく体が包み込まれるような心地良さであった。
「ナオミちゃん、美容整形を受けてみたいと思ったことは無い?」
「えっ!?」
「今では誰でもやっているわ。芸能人を見て、こんな顔になりたいなと思ったことはないかしら?」
「それは……あります」
「やっぱり! 誰でもあるわよね! 誰の顔が好きなのかしら?」
ナオミは昔から好きだった女優の名前を伝えた。
「へーえ、以外と古風な美人が好きなのね。平成って感じだわ」
「おばあちゃんが好きなんです。若い頃の写真を見て、私もいいなぁって思って……」
「これまでにも彼女の顔に整形したことはあるわ。年配の方だったけど。どう? 受けてみない?」
「でも、うちにはそんなお金は無くて……」
「いいのよ。サービスしておくわ。チカの友達ですもの」
「本当に……いいんですか?」
「ええ、お金は結構よ。ただ、一つお願いがあるの」
チカの母親はナオミに顔を近付け、小声で言った。
「B中学を受けてほしいの。チカの代わりに」
B中学と言えば私立の有名な進学校である。A中学に比べると競争率は低く、ナオミの学力であれば問題なく合格できると思われた。ただ、代わりに受けてくれと言われてすぐに「はい」と言えるわけがない。これは替え玉受験というやつだ。
「チカったら、この頃スランプなのよ。模擬試験の結果も悪くてね。塾の先生からはあきらめた方がいいって言われちゃって……ナオミちゃんの成績なら合格間違いなしでしょう? A中学を受けるぐらいだし」
「あの……代わりに受験するなんて無理じゃないですか? 受験票の写真ですぐにバレちゃうんじゃないかと思うんですけど……」
「だから美容整形するのよ。B中学の受験は冬休み明けだから、冬休みに入ってすぐ整形すれば、受験の頃にはチカの顔になっているわ」
「私がチカの顔に?」
「そうよ。それで受験してちょうだい。心配しないで、一時的なものだから。受験が終わったらすぐに二度目の整形をして、お望みの顔にしてあげるから。A中学の受験は遅いから間に合うわよ。悪くないでしょう?」
チカの母親は険しい表情でナオミの返事を待っていた。
「……わかりました」
ナオミはそう答えるのが精一杯であった。
冬休みになると、予定通りナオミは美容整形手術を受けた。心配していた手術後の痛みや腫れは無く、包帯を取るとあまりにチカに似ているので驚いた。手術をしたチカの母親ですら、あまりに娘に似ているので驚いていた。
そして、B中学をチカの代わりに受験した。受験票の写真はチカのものであったが、試験官からは何の指摘も無かった。試験が終わり、ナオミが試験会場を出ると、チカの母親が駆け寄ってきた。
「ナオミちゃん、お疲れ様! 試験はどうだったかしら?」
「たぶん、大丈夫だと思います。満点に近いんじゃないかと……」
「すごいわ! さすがナオミちゃんね。それと……何か指摘されたりも無かったのかしら?」
耳元で
「はい……」
「そう、よかったわ。じゃあ、早速だけど、うちにいらっしゃいな。あなたを平成美人にしてあげるから。でも、その前にランチに行こうかしらね。ナオミちゃん、今日はごちそうするわよ。何でも好きなものを言ってちょうだい」
まるで合格がもう決まったかのようにチカの母親は上機嫌であった。
ナオミはその日、チカの母親によって希望通りの平成美人になった。数日後、包帯を取ったときは、かつてのナオミの顔でもチカの顔でもない、すっかり別人の顔になっていた。奥二重だが大きな瞳、しゃくれておらず、ややとがった顎など、憧れの女優の若い頃にそっくりであった。これで中学に行っても外見で劣等感を感じることは無い。だが、ナオミの気分は晴れなかった。A中学の受験が終わっていないからではない。チカの母親に申し訳ない——そんな罪悪感で一杯になっていた。
チカの母親は把握していなかったようだが、B中学の受験は今年から本人確認が厳密になっていた。試験会場で撮影された虹彩と呼ばれる目の皺が、合格発表後の本人確認に利用されるのである。いくらチカの母親でも虹彩までは作り変えることはできない。合格発表の日になって、受験した本人でないことはわかってしまうだろう。あの日受験したチカの顔とナオミの虹彩を持つ人間はもうこの世にいないのだ。替え玉受験を疑われるかもしれないが、真実を知っているのはチカの母親と自分だけだ。だが、何か問題になったとしても未成年の自分が責められることは無いだろう。
「嫌な過去にはサヨウナラ!」
ナオミはクリニックのチラシに書かれていたコピーをしばらく眺めた後、振り向いて足を踏み出した。
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