第3話

 気を取り直した私は、改めて四つの階段を一つずつ見ていった。

 さっきは人を探す為に上りの階段を進もうと決めたが、人が見つかった以上、奥に進む理由はない。シャドウの話によれば、屋敷の持ち主は”フォスター伯爵”という人らしいけれど、その人に会ってみたところで、事態が好転するとは思えなかった。だって、こんな訳のわからない屋敷に住んでいるような人なんだから。シャドウは私に危害を加えるような素振りはないが、その”フォスター伯爵”も同じとは限らない。となると、左右どちらかの階段を思い切って下りてみるしかない。どちらを進もうか−−

 考えていると、不意にぐぅ、とお腹の音が鳴った。

「…………」

「お腹が空いているのかい?」

 無遠慮にシャドウが尋ねてくる。

「……ちょっとだけね。昨日の夜から何も食べてないような気がする」

 気がする、というのは昨夜以降の記憶が抜け落ちているからだ。

「厨房なら、ソッチにあるよ」

 言ってシャドウは、左側の階段を指差した。

「そういうことは教えてくれるのね」

「僕は君の案内人だからね」

 さらっとシャドウは言った。肝心なことは教えてくれないくせに、こういう時だけ調子がいいんだから。

「厨房があるっていっても、人の家の冷蔵庫を漁るのは流石にどうかと思うのだけど」

 気になったことを言ってみると、シャドウは首を振った。

「大丈夫だよ」

「……何が?」

「大丈夫だよ」

 シャドウはオウムのように繰り返した。何がどう大丈夫なのか、答える気はないらしい。話しているよりも行動した方が早い。

「それなら、厨房に行きましょう」

 決意を固め、私が言うとシャドウは「わかったよ」と答えた。

 見知らぬ他人の家の厨房でご飯を探すなんてやっぱり気が引けるけど、お腹が空いているのは事実だ。それに、一応住人のシャドウの許可はもらっているんだし大丈夫だと思う。

「こっちに行けばいいのね?」

 私が左側の階段を指差すと、シャドウは黙って首肯した。

 階段の下を覗いてみると、他の階段に比べて明らかに暗い。徐々に光が消えていっているような感じだ。歩いている途中で何も見えなくなったら困る。

「暗いし、何か明かりを持っていかなきゃ」

 といっても、持っていけそうなのは燭台くらいだ。ただ、蝋燭が溶けきってしまったらと思うと不安が残る。

「明かりなら、ここにあるよ」

「えっ」

 シャドウが意外な言葉と共に、私に向かって橙色の光が灯っているランタンを突き出した。おかしい。さっきまで確かに手ぶらだったはずなのに。 

「シャドウって、手品師なの?」

「テジナシ?」

 シャドウは首を傾げた。

「僕は誰でもないよ」

 その言葉をシャドウの口から聞くのは三度目だ。

「もう、それはわかったから」

 言いながら、シャドウの手からランタンを受け取る。

「これ、出してくれてありがとう。行きましょうか」

「うん」

 私は左側の階段に向かって一歩、踏み出した。


 それから、歩き続けること約十分。まだ、私は階段を下り続けている。どれほど地下深くに厨房はあるんだろう。

 階段は最初の方は直線だったが、途中から螺旋状に変わった。そのせいか、ずっと同じところをぐるぐる回っているだけのような気さえする。

 そして案の定と言うべきか、階段は蝋燭の一本すら立っていないため真っ暗だった。ランタンの灯がなければ、何も見えなかっただろう。

「ねえ、シャドウ」

 後ろに着いて来ているであろうシャドウに声を掛けた。音も気配もなく着いてくるから、本当にいるのかどうかすら怪しい。

「なんだい」

 返事が聞こえて、少しだけ安心する。

「後どれくらいで着くのかな?」

「さあ。どれくらいだろうね」

 役に立たない答えは相変わらずだったが、こうも真っ暗闇を歩いていると心細くなるもので、声が聞こえるだけでもいいと思えた。何か話題はないかと考えていると、ふと、玄関ホールにいたあの怪物のことを思い出した。

「あのね、私、シャドウに会う前に……」

 一旦言葉を切る。あの怪物を、どう形容すればいいのだろう。

「泥……みたいな、目がたくさんついた化け物に襲われかけたの」

「うん?」

 シャドウが首を傾げているのが目に浮かんだ。

「あの化け物って……何なの?」

 私は恐る恐る尋ねた。

「ああ、あれはね」

 ごくっと唾を飲み込む。聞きたいのに、聞きたくない。奇妙な感覚が私を襲う。

「あれは、怪物だよ」

 シャドウはそれだけ言うと、黙ってしまった。

「え、それだけ?」

「うん」

「……」

 何だそれは。そんなのわかってる上に、私が聞いたのはそういうことじゃない。さっきまでの緊張感を返してほしい。私は溜め息を一つ吐いた。

「それにしても長いね、この階段」

「うん。無限階段だからね」

 さらっと言われたせいで、一瞬聞き流しそうになったが、シャドウは今確かにとんでもないことを言った。

「今なんて?」

「うん。無限階段だからね」

 私は思わず足を止めた。ぶかりそうになったのかシャドウが「おっと」と声をあげる。

「……無限? 無限って」

「無限というのは、終わりがなく果てしないことだよ」

「そんなこと聞いてるんじゃなあい!」

 私は振り返って、一段上にいるシャドウを睨み上げた。

「じゃあ、どれだけ下りていっても階段しかないってこと?」

「そうかもしれないね」

 事もなげにそう言うシャドウ。私のボルテージが跳ね上がる。

「何でもっと早く言ってくれないの!」

「うん? 言った方がいいことだったのかな」

「当たり前でしょ!」

「次から気をつけるよ」

 シャドウは何で怒られているのか、まるで分かっていない様子だった。これじゃ怒っている私の方が馬鹿みたいだ。一旦冷静になろうとこめかみを指で押さえる。

「無限に続いてるんだったらこれ以上下りる意味はないし……踊り場まで戻りましょう」

 お腹が空いているからと言って、無理に厨房を探す必要はない。元の場所に戻って、別の道を行けばいいだけだ。

「戻れないよ」

「どうして? 来た道を戻るだけだよ」

 嫌な予感がした。

「無限階段は、上も下も無限だからね」

「……」

「一度迷い込んでしまえば、入り口は閉ざされるのさ」

 ……もう、どうしろっていうの。

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