side*2 波乱の新歓


「あー……きもちいー!」



腕を伸ばし大きく伸びをして、青々とした高い空を見上げる。この空は、俺が住む三桜町がどんな風に発展していっても、変わってない。眼下(がんか)には満開になった桜の木が見え、花びらが風にのってここ――屋上にまで届いていた。



「屋上、初めて入ったわ」

「普通の奴は入らないからなあ」



半歩後ろにいる高坂は舞っている桜の花びらを目で追っていた。甘木色のポニーテイルにした髪が風に揺れる。桜と高坂の組合せは、とても似合った。



なんだか、どちらも儚げ、で……。



「俺はなに、似合わないこと考えてるんだ……」

「どうかしたの?」

「なんでもねえよ。弁当、食べるか」

「ええ。わたしお腹、ぺこぺこよ」



高坂はそう言って、手短なところにハンカチを敷いてその上に腰をおろした。一連の動作は優雅なお嬢様のもので、やっぱどっか俺みたいなやつとは違うな、と思った。俺はもちろん、ハンカチなんて敷かずに直(じか)に胡座をかいて座る。



持っていた弁当を地面に置き、手を合わせて「いただきます」と言ってご飯を食べようとした。だが、高坂がじっとこっちを見ている。



「なんだよ?」

「山月くん、偉いのね」

「は?」

「久しぶりに見たわ、ちゃんと挨拶してご飯食べる人」



だから、偉いと思う。



高坂は、先生が生徒に言うような誉め言葉を言う。俺は返事を返すのに困ったが、高坂は俺と同じように食事の挨拶をして、ご飯を食べ始めた。




あ、相変わらずだな高坂……。表情は変わらないし、マイペース過ぎる……。やっぱりお嬢様のせいか、どこか感覚がズレている。



高坂千百合。



先日、俺は高坂に告白されて友達になった。彼女には表情が変わらないことと、容姿が綺麗なことで"美しい人形"なんて二つ名がある。付き合いは短いが、驚かれたことがあるので"人形"なんて言うのは嘘だ。まあ、高坂にも色々あるのだろう。



それよりも、今日は約束していた"一緒にお昼を食べる"というイベントである。連日お花見日和が続き、決行となった。



なんとなく、人目はひかない方が良いんじゃないかと思って、校舎の屋上で食べている。高坂はどこでも良い、と言っていたがここなら桜も見えるし、お花見気分で楽しければ良いな、なんて俺は考えていた。



「高坂の弁当うまそう」

「お母さんが作ってくれてるの」



お互い弁当をつっつきながら、少し緊張していたんだと思う。視線をさ迷わせながら、たどり着いた話題がそれだった。



「へえ……冷凍食品とかじゃないよな、それ」

「ええ。すべて手作り」



高坂の弁当は彩り豊かで、きちんと野菜もあり、明らかに冷凍食品ではなさそうな惣菜が詰まっていた。少し弁当が小さいから、それで足りんのか、なんて思ってしまう。



「うーん、やっぱもう少し早起きして作った方が良いか……」

「山月くん、もしかして……お弁当自分で作ってるの……?」



高坂が驚いたような口調で言う。



「そうだけど?」

「すごい。それと美味しそう」

「そうか? こんなの昨日の残り物詰めただけだぞ」



当たり前のように答えた。言った通り、弁当にはほぼ残り物だ。昨日は煮物だったから、全体的に色はない。男で料理が出来るのを珍しがるかもしれないが、父子家庭で料理が出来ない父親がいれば、自然と料理が出来るようになる。早々と自炊は身に付けた。



友人のスズほどではないが、家庭料理レベルならレシピを見ずにも、十分作れる(スズの料理は贔屓目に見てもそこらへんのレストランより美味しい)。



「そう……わたし、料理はさせてもらえないの」

「させてもらえない?」

「そんなことしなくて良い、って台所に立つと父と母と兄とみんなが全力でとめてくるのよ」

「過保護な家族だな!」



包丁を持ったら、大騒ぎのレベルじゃない。あと、みんなっていう括りはアレですか。構成員の皆さんですか。ちょっと怖いです。



「……山月くんの胃袋を掴もう作戦はことごとく失敗してるわ。どうしてくれるの?」

「本人に作戦知られてどうする!? 意味ねーじゃん! あと俺にキレられても困るから!!」

「あ、さ、さくせん、ではなかったってことに……ならない?」

「動揺しまくりじゃねーか!」

「ならない?」

「二回繰り返さなくてもいい。……知らねえよ!!」




そこですっと高坂が指をさした。自然と俺も、指の先に視線がいく。




「あれ、なにかしら……」

「!」



話題をそらすために言ったわけではない。現に、黒い煙が見えた。俺は食べていた弁当をその場に置き、柵の方に近寄った。



黒い煙は教室棟――普通に生徒が授業をする棟――の3階の端の教室からモクモク出ている。



って、いうか――……。




「俺のクラスじゃねぇか!」



3階=2年の教室、端のクラス=8組。



2-8は、俺が籍を置いているクラスだ。自然と問題児が集められる最終クラス。入学式・始業式以来静かだったから、油断していた。高坂がすんっと鼻をきかせる。



「火薬の匂いも混じっているようだけど……」

「ア、イ、ツ、ら~~~!」



俺がいない隙になにする気だ? 理科室爆破させたのを忘れたのか! 今度は教室か、えぇ!



携帯でスズに電話をかけても繋がらず……それで確信した。スズが絡んでいる。あの騒がしいことが好きで、人を煽って動かすことに長けたスズが!



それは、放っておけない。放っておいたら、二次被害まで起きそうだ。



「高坂、用事が出来た!」

「そのようね」



そうして、俺は急いで弁当をかっこみ始めた。



「うぐっ!」



――で、食べ物を喉につまらせた。苦しくて、激しく咳き込み胸を押さえた。




「あ、これ、お茶……」

「ん、んぐ、ぅぐ……げっほっげっほっ! はー……わ、わりぃ……」

「……、」




高坂が持ってきたのだろうお茶を差し出されて、勢いよく飲み干す。胸を撫で下ろし、残りの弁当を食べ終えた。急いで適当に弁当を包み、高坂に「また! 埋め合わせは必ずする!」と言い捨てて、屋上を出た。



俺は――高坂が、俺に差し出したお茶をずっと見て固まっているのに気づかず。



「……間接きす……」



勿論、高坂の嬉しそうな小さな声にも気づかなかった。





階段を駆け降り、教室へと向かう。



この学校で8組といえば、自然と不良や素行の悪い生徒が集まる組である。なんでも、初期の学校ではいじめが酷くて、そういう対応をせざるに得なかったとか。だから、自然と中学の頃、何かしら問題を起こした生徒は8組に行く。――俺は、中一の頃一回怪我人を出すほどの喧嘩をスズとショウとやらかし……後々クラスメイトの騒動に巻き込まれたり、なんやかんや放っておけないやつらの集まりに走り回っていたら、いつの間にかずっと8組に籍を置いていた。



誰かのために走り回ったことは後悔していないけど――。



しかし、今年は問題を起こしたらヤバイ。去年は、理科室爆破に大小少なからず上の学年と喧嘩、行事では暴れ、授業は脱線し過ぎてテストはみんな毎回危なかった(俺は大丈夫だったけど……)。



新学期が始まる前、学年主任がみんなの前で宣告した。




「今年、一つでも問題起こしたらお前ら全員退学だからな」




……学年主任の目は本気だった……。




今年は、問題は起こせない。




起こさせるわけには、いかない!




奨学金貰ってる身で退学になってたまるかああああああ!!




「……っ」




ザッ……




階段を降りたところで数人のガラの悪い男子――不良が待ち構えていた。勿論、8組の生徒。まるで、ここからは通さないと言わんばかりに俺を囲む。



これで日を見るように明らかになった。8組で何かをしていて……俺を足止めしなきゃいけないことが起こっている。しかも、100%スズが絡んでいることも、不良たちが出てきたことで分かった。――不良たちは、スズの手先だから……。



「……小虎、ここから先は何があっても通せねえぜ」

「……スズだな? スズがお前らに命令して俺を足止めしてるんだな」

「――小虎ぁ……わるいな、



お前を阻止出来たら――スズがメイド服着るんだ!」

「はあ!?」



なにをトチ狂ったことを……しかし、不良たちは熱く語り始める。



「スズに毎日あんなことやこんなこと――すごいことをさせているお前には分からないだろうなあ!?」

「させてねーよ! アイツは男だぞ!?」

「だからどうした!? クラスにまともな女子がいないモテない男子の気持ちなんて、お前に分かるのか!? 美少女にしか見えない男に走って何が悪い!?」

「クラスの女子はしょうがないけど……スズは男で、中身は手癖が悪すぎる性悪腹黒女王様だぞ!?」

「「そこがイイんじゃないか!」」

「この……っ

ドMどもがっ!」




ドヤッ顔で「イイ」とか言うな!



ガチできもちわるい!!



俺は、なんとか目を覚まさせようと必死で言葉を紡ぐ。



「お前ら……何してるのか分かってんのか!」

「スズの役に立ってる!」

「そういう意味じゃねーよ! 退学! 問題起こしたら退学になるんだよ!」

「「ええ!?」」

「いや初耳みたいな顔してんじゃねーよ!新学期始めに何聞いてたんだよ、お前らの耳はトンネルか?頭は鳥か?3歩歩いたら忘れるのか?たった30秒の話も聞けねえのかよ。人の話は目を見てきちんと聞きなさい、って俺はなんで小学校1年生レベルの注意を高2男子に言ってるんだ!」



はーはー、ノンブレスで言い切った……。



「「おぉ……」」



いまの聞いてなかったのか……ぱちぱち拍手すんな……ばかども……っ!



拍手がピタッと止んだとき……不良たちの顔つきが変わった。それぞれが一歩踏み出し、円が縮まる。



「……本気、なんだな」

「スズのメイド!!」

「……動機不純ー……」



キリッとしてるけど、どこもしまっていない。



しかし、そっちが本気なら俺だって――







俺は窓の外をサッと指差す。



「あ、女子高校生のピンクのパンツ!」

「どこだ!? しかもピンクだと?!」




バッと健全すぎる青少年たちは、窓の外を食い入るように見た。




まあ、コイツらを越えることなんて簡単過ぎた。頭の中はスズと喧嘩とえろいことでしか構成されていない青少年――いや、性少年だから。



俺は、不良たちが窓の前でどこだどこだと騒いでいるその隙に「じゃあな」と言ってその場を走り去った。





廊下では生徒たちが行き来していたが、8組前は不自然なほどに人がいない。



ただ、8組の教室の前に一人――180センチ前後の長身を除けば。



「ショウ――……!」

「小虎、ごめんなー」



媛路彰陽――ショウは軽い口調で俺に謝り、「スズには勝てねえよ」とすまなそうに言う。



「はぁ……なに言われたんだ?」

「止められなかったら……晩ごはん、無しって……」



ショウが一瞬犬に見え、くぅん……と悲しげに泣いて耳が垂れている姿が浮かんだ。よしよし、とふわふわの猫っ毛を撫でたくなる衝動にかられ、なんとか抑える。ショウとスズは寮住みで一緒の部屋だ。基本、料理はスズが作っていてて、しかも、うまい。ショウは料理が出来ないし、育ち盛りのいま、夕御飯が食べれないとなると空腹に堪えられないだろう。



「じゃあ、うち来いよ」

「いいの!?」

「晩飯はからあげの予定だし、久しぶりに遊びに来い」



打開策としてそう提案すると、「ありがと、小虎ー!」と抱きつかれた。今度こそよしよしと頭を撫でた。あーこんな大型犬欲しい。



俺はショウの頭を撫でながら、くるくる回ってショウと立ち位置を入れ換えた。これでショウは突破した。



「じゃ、ショウ」

「からあげ楽しみにしてるな!」



お互い軽く手を上げてひらひら振った。ばかなショウの頭には、『スズの頼まれたこと<からあげ』の方程式が出来ている。もう邪魔することはない――!



俺はショウが廊下から立ち去ったのを感じて、教室の前で唾を飲み込む。ここから先何が待っているのか判断がつかない。黒い煙が出ているなんて……危険物を取り扱っているとしか想像ができない。嫌な想像を頭を振り払って消し、勢いよく教室の扉を開けた。



バンッ!!



「お前らなにして――――!」

「「あ、」」



チリッ……



俺と教室に居た奴らの声がかぶったとき。



俺の足元には、ネズミ花火のようなもの。



シュルシュル……バッ……!




それが――はぜた。




俺の目は閃光につぶれ、何があったか理解するのに数秒――理解した後――。



「お ま え ら ぁ っ


全員机の上に正座しろ――――――っ!!」



煤だらけの顔で俺は教室に向かって絶叫した。




俺は教壇の上に上がり、声を張り上げる。



「――うちの組は女子以外馬鹿か!?」

「「当たり前のクラッカー!」」

「黙れ!」



ふざける野郎たちに鋭く言い放ち黙らせる。


さっきの――ネズミ花火のようなものは、威力の小さい簡易爆弾だった、と説明を受けた。材料はすべて化学準備室から拝借(窃盗)し、昼休みを使って作った――学校で爆弾作るなんて、常人が出来ることではない……出来てしまうのが、うちのクラスの電波達――。



「威力、小さくて良かったね」

「まあ、山月くんだったら死なないよ」

「いや死ぬよ!? お前らは俺を何だと思ってんだよ!!」

「「山月くんだけど?」」

「……もうやだこいつら」



真顔で答える電波達。何を話しても通じない気がするのは、気のせいじゃない。



ちょうどよく、今日の5、6時間目はLHR――本当は新歓についての説明の時間だったが、担任(今年で還暦のじいちゃん先生)にお願いして説教タイムにしてもらった。



「小虎ぁ そんなに声荒げると血圧あがるよ~?」

「主にスズ、テメェのせいだろうがッ!」



主犯は分かっている。ぎゃはははっ! 笑って自分の席でふんぞり返っている(お前、主犯だよな? 主犯だよな? なんでそんなに偉そうなの?)スズにそう怒鳴ると、憤りよろしくクラスの半数の男子が立ち上がった。



「スズは悪くねえよ! 口車に乗った俺らが……!」

「口車に」「乗った」「ことに」「「後悔はねえけど!」」

「お前らはスズ大好きだなあ!?」



主犯を見捨てず庇うなんて、しかも団結力がありすぎる……お前ら、スズだけに団結するよな……。



「「ぐふ……っ」」

「だ、大好きですって……っ」

「まるでほもですわ……っ」

「……、」

「あら、トラ様、突っ込みませんの?」

「ちょ、突っ込むなんて……っ」

「今、昼間ww」




教室の一角から聞こえてきた声は無視だ。俺は何も聞こえな――




「何も言わなければ、スズ様がトラ様を攻めているあわれもない姿の絵を描いて――」

「やめろ 梨園!! 悪かった悪かった! 混乱するからとりあえず女子は黙ってくれ!」

「それで良いのですのよ」



にっこり、と笑って女子の中心人物・梨園 円香(りえん まどか)は黙った。コイツを筆頭とする女子達はタチが悪い。このクラスの女子の大半は、男同士の恋愛を扱った漫画や小説を好む……腐女子、オタク集団……である。




不良たちが言っていたのを覚えているだろうか?




「クラスにまともな女子がいない」と嘆いていたことを。



見た目が良い割りにそんな感じだから、誰も恋愛対象に見れず、中身が普通な奴はほぼ彼氏持ちと来た。不良達がスズに走る理由が分かっただろうか?



何がタチ悪いって、俺が男子と話しているだけでネタにされる。



俺は普通の男だ。男と男が絡んでいるものを見て喜ぶ性癖はない……。スズは理解があるようでからかわれている俺を見て笑っている。自分がネタにされても平気……スズっておかしい。



梨園は良いとこお嬢様なハズ……。なぜかみんなのことを「様」付けする点からも考えられるが……いつの間にか、クラスに居て馴染んでいてクラスの女子のまとめ役になっていた。それが、梨園円香の不思議なところだった。



女子には女子のグループがあるっぽいが、見る限り、(無駄に)団結力もあって、仲が良い。



中学からもうずっと変わらない面子。気が置けない仲だが、まともな奴は一人としていない。



それから、ぎゃあぎゃあ言う奴らに、小学生並みの注意をし、退学のことも言い含めたあと――6時間目になって初めてどうしてこんなことをしたのか聞いた。




すると、今までぎゃあぎゃあ言ってたみんなが急に黙る。




「どうしたんだよ……?」



そう聞いても、何も言わない。奇妙な沈黙が教室を支配する。



「――バカにされて悔しかったからだよ」

「バカにされて……?」



スズが肩を竦めてそう言うと、不良達が苦虫を潰したような顔をする。



スズが口火を切ったお陰か、みんな口々に爆弾を作ろうとしたキッカケを話す。



「今日、不良くん達が昼に食堂行ったらさ、」

「鼻持ちならねえ1組の金持ち連中が絡んで来たんだんだよ」

「それで8組を馬鹿にされるようなことを多々言われ、」

「学園の恥だのなんだの……ウゼェ」

「俺ら、世間様から見たら悪いことしてきたけどよぉ」

「8組自体は悪くねえだろ!?」

「不良くん達は良い人ばかりだよ、ね?」

「女子達はまともじゃねえけど、みんな別嬪(べっぴん)だろうが!」

「電波くん達は頭良いですし、たまに勉強教えてくれます」

「勿論、突っかかったし」

「面子もあるから、表出ろって言いたかった」

「ですが、不良様達は、さすがに退学にはなりたくございません。その時は抑えたのです」

「小虎のことも考えたんだよー!」

「でも、やっぱり、納得いかなくて」

「スズに報告して、そいつら爆破してやろうって話になった」

「わたくしたちは……巻き込めないと……スズ様が」

「女子は出来ることが限られるから、ね」



みんなは悔しそうに顔を歪め、口々に"クラス"を庇護(ひご)する。――爆破するって発想はおかしいけど……大体の事情は分かった。



「そういうことか……で、俺が居たら止めるって思って邪魔したんだな?」

「「……ソウデス……」」



少し怒りを滲ませて言うと、気まずそうに目線を逸らされた。



すると、スズが立ち上がり、真っ直ぐに俺を見つめて口を開く。




「ねぇ、小虎、確かにうちのクラスはどうしようもない"ばか"の集まりだよ。でもさ、ここがある意味"居場所"じゃん。みんな爪弾き者のだし、教師から見放されてる。その居場所を否定されたら、頭にこない?」




目には静かな怒りの色。



居場所、と言ったときみんなが微かに反応した。



『ここがある意味"居場所"』



スズの言うことはもっともで、このクラスに身を置いているのは、何かしらやらかした連中。



そういった連中には、居場所がない。



怖がられ、距離を置かれ、大人には見放される。



俺だってそう、スズもショウも……。




特にスズは……複雑な事情を抱えているから、尚更、ここが居心地の良い"場所"なんだろう。




でもな……。




「みんながクラスを馬鹿にされて頭に来たのは、分かる。俺もその場に居たら、キレてたかもしれねえ。けど、爆弾? そいつら爆破して退学? 冗談じゃねえだろ! その時はスカッとするかもしれねえ。でも、スズの言った『居場所』は無くなるんだよ……みんなで馬鹿やれるのも今のうちだ――スズが居たなら、もう少し考えろ」



みんなが俯き、顔に悔しさを滲ませる。



俺は、偉そうなことを言える立場じゃない。けれど、クラスを馬鹿にされたのは悔しい。見返したい。ソイツらを爆弾で爆破でもなんでもやっちまえ、って言いたくなる。



でも、そんなんじゃダメだ。



スズがカッとなってやったなら、ムラが有りすぎる。それほど、頭に来たのか。



スズは嘆息して、俺に謝る。



「ゴメン。小虎の説教で頭、冷えたよ」

「それなら良かった


で、正々堂々やる気はあるか?」



俺はそう言って、スズの真似をして精一杯悪どく笑ってやる。スズは少し驚いて、俺よりずっと悪どく笑った。



「小虎ぁ……誰に言ってんの?」




ぎゃっはっ!




さすが。本家本元は違う。



スズは、ばんっと机を叩いて立ち上がり宣言するように言う。




「お前ら――やる気ないとか言ったら叩くからね。


勝負は間近に迫る――新歓!


僕達を馬鹿にしたソイツらに、正々堂々赤っ恥かかせてやろうじゃねえかっ!」

「「うおおおおおお!!」」「「スズ! スズ!」」

「面白うございますね」

「僕たちもやれることは、やるよ」




教壇の上で団結していくクラスを見る。




8組は――学園の恥。




だけど、今年の2年8組は違うってこと――行事の大舞台で示してやるよ――。




俺は、そう静かに拳を握ったのだが、急に教室のドアが開き7組の先生が顔を出す。






「おい、8組! うるさいぞ!」

「あっ すみません!」


今は6時間目――騒ぎすぎもダメだと、注意された気分だった。





放課後教室には、頭を抱えている俺、行儀悪く机に足を乗せスナック菓子を食べているスズ、黒板に変な落書きをしているショウ――つまりは、いつもの面子がいた。



「スズうううう……なんで新歓で見返すってなったんだよおおおお」

「小虎、過ぎたことをいつまでも言わないのー」

「っつても……なあ……」



俺が頭を抱えている理由は一つ。




"新入生歓迎会"




――文字通り一年生を歓迎する会――通称新歓は、毎年恒例の全校行事。学園の三大行事に入る。新歓が三大行事に入るなんて珍しいかもしれないが――この学園はマンモス校で、敷地も広い。内容が"鬼ごっこ"でもルールは、変わっていてみんな楽しめるような――それこそクラスが一丸となり、全校が盛り上がる行事。



そして、この行事が盛り上がる最大の理由――優勝すればトロフィーなんてしけたものではなく、"賞品"が貰える。賞品は毎年クラス打ち上げ費と――去年は、文化祭の費用増加、その前は一年間自販機のジュースタダだったとか。とくに三年生は文化祭の費用増加に大いに喜んだ。学園最大にして三年生には最後の行事。去年は、それを狙って三年生が白熱した。



だからこそ、優勝して賞品を取れば、クラスを馬鹿にした連中を見返すにはちょうどいい舞台……だったのだが。


「新歓のルールが鬼畜生だったことをすっかり忘れてた……」



そう。この新歓、全校の8組には少々風当たりが強い行事。



簡単にルールを説明すると、基本は鬼ごっこで、鬼は全校の8組以外(はい、鬼畜ー!)。

ただの鬼ごっこではつまらないし、順位がつきづらいため逃走役はちまきを巻く。一本に付き点数は、20点。つまり、1クラス=大体40人。40×20=800点。



逃走役はこれを持ち点とする。また、逃走役の中にリーダーを決め、リーダーは赤はちまきをつける。リーダーを捕まえれば、その組全体が捕まったことになる――鬼は点をどれだけ取れるか。逃走役は点をどれだけ死守し、リーダーを守ることが出来るか。



「8組不利過ぎるだろ……」



不利な理由を上げていくと、全校生徒は960人。それから1年~3年までの8組が120人。それを除くと、840人。120人が840人に勝てるか? しかも、リーダーが捕まれば即ゲームオーバー……。



「うちのクラスは誰一人とも捕まらずに、しかも鬼の方に1~3年までのリーダーを渡さない……のが優勝への条件ってわけ……」

「リーダーが捕まって他のクラスの一人でも捕まってたり捕まったら、もうそこはほぼ優勝確定だからね」



スズがだめ押しにそう言い、ますますどうすんだよ、と頭を抱える。



もうリーダーとかいらねえよ! なんだよその運動に弱いクラスの救済ルール的なの!?



平等を考慮したルールなら、8組を区別するなよ!!



「いやー……去年は惨敗だったねぇ」

「お前が言うかそれを!」



去年、初めて参加し――誰が赤ハチマキって俺だ……。スズの野郎が無理矢理俺の頭につけた。



赤ハチマキの恐怖……全校生徒から頭のハチマキを狙われる恐怖……。俺はなんとか逃げ切ったが結果は、スズの言う通り惨敗。体力のないものは、全員つかまった。



三年生の必死さ。一年の俺らは狩られるのを待つしかないようなアウェイの場。



去年は手も足も出ず、恐ろしい、としか言えなかった。



「今年も同じルールで戦えってか? もう無理だろ……」

「リーダーが弱音吐かないのぉ」

「誰がいつリーダーになった!?」

「小虎がリーダーじゃなきゃクラスはまとまらないし」



ねー、ショウ? とスズが黒板に変な落書きをしているショウに同意を求める。ショウはこちらを振り返り、「そうそう」と笑顔で言う。



「小虎ー みんなやる気なんだから、小虎が引っ張っていかなきゃダメだろ」

「なんで俺ショウに説教されてんの!?」

「大体、勝算のないものにスズが乗るわけねーじゃん!」



ばっかだなあ、小虎!



「うるせえよ……ばーか」



馬鹿にばかって言われると、効く。



でも、ショウの言うことは最もだった。



「スズ……勝算あるのか?」



俺がおずおずとそう聞くと、ぎゃははは!! と憂鬱を吹き飛ばすような笑いをした。



「小虎ぁ、あるに決まってるでしょ?


つまりは、クラスの一人も犠牲を出さず、他の逃走役クラスのリーダーも捕まらせない。

簡単だよ、こんなの」



スズは自信満々にそう言いきり、「小虎はリーダーとして堂々としてれば良いんだよ」とさっきとは裏腹に、くすっと上品に笑った。






- 新歓当日 -



広い体育館は人、人、人!



学園指定の運動着を着た三桜学園の生徒で溢れかえっていた。



「人酔いしそう……」

「全校生徒960人……教員も合わせれば軽く1000人は超えるからねぇ」

「やべぇ……テンション上がる!」




俺は口をおさえてえずき、スズはのんびりとここにいる人数をざっと言い、ショウは無駄にテンションを上げる。




人数が人数なもんだから、集合して並ぶのに時間がかかる。現に俺たちもどこでクラスが並んでいるかさっぱりだった。



野郎三人でウロウロ。だんだんスズが飽きてきたのか、俺の腕に自分の腕を絡ませ話しかける。



「ねぇねぇ小虎ぁ~ 今日はツインテじゃなくてサイドポニーにしたんだよぉ 似合う?」

「それ今言う!? ていうかくっつくな……」

「なぁなぁ小虎ー あとでジュースおごれよー」

「お前はスズの真似して俺にたかるな! あと、腕に体重かけて遊ぶなよ!!」



ショウは俺の腕に自分の腕を輪にして、びみょーんとぶら下がる。



「ショウお前180あんだから重い! お前は猿か!!」

「僕は軽い?」

「スズ真似すんなあああああ!!」



同じくスズも悪乗りして俺の腕にびみょーんとぶら下がる。



「お前ら小学生かっ! そんで俺は保護者かよ!!」

「小虎ー ぐるぐるしてぐるぐる~」

「誰がやるかアホ!!」

「ぎゃははははははっ!!」



スズの笑い声とは相反して、くすくす笑う声が聞こえる。高校生にもなって恥ずかしい!!



「早く探すぞ、クラスの列!」



スズとショウを振り落として、そう言ったとき――運動着の裾を遠慮がちに引っ張られた。



「おはよう、山月くん」

「おう、高坂」



誰かと思って振り向くと、高坂でぺこっと礼儀正しく会釈付きで挨拶された。



「お楽しみに中に、しつれい」

「それを言うなら、お取り込み中じゃないのか……?」

「そうとも言うらしいわ」

「そうとしか言わねえよ」



朝から良いボケをかましてくれる。



「山月くん、あわないうちにツッコミのキレが上がったような気がするわ」

「一昨日飯食ったばっかだろうが」

「三日あわないだけで、ツッコミのキレを上げる山月くんはさすがだと思うの」

「ツッコミのキレがなんだか知らないが、俺に何か用があったんじゃねーの?」

「ツッコミとキレというのはね、」

「俺の質問は無視かっ!」



高坂は、相変わらずマイペースを貫き通す。これもツッコミとボケの練習というやつなのか……? 用があるなら、用を済ませてから会話しようか。



「あ……わたしとしたことが」

「完全に今思い出したよな?」

「なにいってるの山月くん。人をうたがうなんてよくないわ」

「なんで真面目に諭されてるの俺!?」

「それで、山月くんに用事があったの」

「……ああなんだよ……」



会話があっちこっち……。本当にマイペースだな、コイツ。



「ここに来たとき、友達とはぐれてしまって……大体クラスが並ぶ場所が分からなくなってしまったの。山月くん、大体8組はどこに並ぶかわかる?」



なるほど、高坂も並べなくてウロウロしていたのか。真面目だし、大方早く来てあまりの人数に自分のクラスがどこに並ぶか分からなくなったのだろう。



「いや、全然。俺らもさ迷ってるんだよ。高坂は2組だよな?」

「ええ。8組を基準に探そうとしたのだけど」



徐々に先生たちが誘導を始めているが、まだ時間がかかりそうだ。



「2組ってあっちじゃない?」

「え?」

「ほら、2組の担任、見えない?」



スズが何食わぬ顔で口を挟み、奥の方を指をさす。



「ええ、そう。先生だわ」

「おお。良かったな」

「ええ、……どうもありがとう」

「どういたしましてぇ。困ったときはお互い様でしょー?」



スズがにっこりと人当たりの良い笑顔を浮かべる。――猫かぶりやがって……わざと高坂に話しかけて何を考えているやら……。



そこで、クラスの連中が俺達を呼ぶ声がした。



「おーい! 今日も可愛いスズー! ショウ、こっちだー! スズとイチャついてた小虎は来るなー!」

「ああ!? 誰と誰がイチャついてただって!?」



お前だお前!! と俺に批難が集中する。そろそろ人がはけきたせいで、その声が目立つ。



「……アイツらあとでしめる……」



拳を握りしめて突っ立っていると、高坂が「もう並ばなければけないわ」と言う。



「あ、悪いな……足止めさして」

「いいえ。山月くんのお友達のおかげで助かったわ。今日、がんばりましょうね」

「ああ。うちのクラスは優勝狙ってるから」

「負けないわ」



そう言って高坂は自分のクラスの方へ行った。表情の変わらない高坂だけど、今日は少し気分が高揚しているように見える。彼女も行事は楽しみなんだな、と俺は思った。






長い新入生歓迎会開会式を終え、1~3年の8組は体育館の外に出ていた。ある程度体育館から離れた渡り廊下で俺たちは足を止め、それぞれハチマキをポケットから出し頭にしめたり、気合いを入れたりしている。準備を出来たものから、俺の肩を叩き散り散りになっていく。



「じゃあね、小虎」「小虎~ 頑張れよ」「スズの礎となるんだな……お前っ」「トラ様、ご武運をお祈りしますわ」「山月くん サポートは任せて」



渡り廊下には、俺一人。



俺の頭には、赤ハチマキ。



――今年も俺がリーダーだ。



「――あと3分」



始まる時間を確認し、深呼吸をした。そこで作戦を頭で反復しようとしたが、無茶苦茶な作戦に苦笑してしまう。



「スズも無理を言う……」



自信満々のスズの作戦はこうだ。簡単に言うと俺が囮となって陽動し、みんなには近づけさせない。みんなは今ごろスズの指示に従って、持ち場に着いたか向かっているところだろう。みんなは俺を助け、鬼を妨害・足止めしてくれる役……そんなことをして良いのか、とスズに聞いたところ、



『配られたルールの紙に鬼を妨害してはいけません、なんて書いてあった? ないでしょ。なら良いじゃん』



――危険な妨害はしないと思うが……互いに連絡を取るために小型のトランシーバーまで用意したスズは張り切りに張り切っていると思う。ちなみにこれも上の理由で可……らしい。普通、行事でここまでするか? と疑問をぶつけたところ、



『僕のおばさんの方がすごいって。暇だからって全校巻き込んでサバゲしたんだよ?』




……お前のおばさんすごいのレベルじゃねえよ! つーか、暇ってだけでなんか起こすのはスズとそっくりだな!!



……話が逸れに逸れた。




残り一分。




チャイムと共に体育館から、人が溢れ出る。



この作戦は、1・3年の陽動にもなる。鬼のクラスにも色々作戦があると思うが、優勝、一発逆転を狙うならリーダー捕まえた方が早い。



そのリーダーが隠れず、校舎を走り回る――格好の獲物――捕まえようと躍起になりない生徒はいない。



ハッキリ言って、3-8と2-8の仲は中学の時から因縁が有りすぎて、話も出来ない状態だ。

3年のリーダーとは個人的に仲が良いけど、他はそれこそ、肩がぶつかっただけで喧嘩を吹っ掛けられるような。それで連携なんて出来るわけがない。そこを心配していたが、スズはなんともないように言っていた。



『3年はプライドがあるから、捕まるわけにはいかないんだよ。あの人はたぶん、参加しないし。だから、隠れてるかすぐ逃げる。強面の3-8のリーダーを捕まえられる生徒がいるなら、教えて欲しいね』



なるほど……と納得してしまった。3年のリーダーは喧嘩にしか興味がないが、3年のほとんどはプライドが人一倍強くて、こんな行事でも負けるわけにはいかないのだろう。



1年には出来るだけ逃げ切るよう連絡を取ったという――根回しが良い。今年の1年も大体中学と面子が変わってないらしい。1年のリーダー……たぶんアイツか。ちっちゃいから逃げ足も速いだろう。



キーンコーンカーンコーン……



そこで、一時間目のチャイムが校舎に鳴り響いた。



ここから、四時間目までノンストップ。



走りきれるか。



「赤ハチマキがいたぞおおお!!」




先頭集団が来た。



ふーっと息を吐いて、回れ右。




「走りきってみせる、さ!」




俺は、全力で走り出した。





「待てえええ赤ハチマキいいいい!!」



怖い怖い怖い!!



後ろから必死の形相で追いかけてくる集団――たぶん、三年生――が怖い!



俺も体力には自信があるが、このまま走り続けたら捕まってしまうのでは……と危惧してしまう。



そこで、運動着のハーフパンツのポケットに無機物があることを思い出した。それを使って指示を扇げ、と言われたことも。さっと取りだし、スイッチをつけた。



「こちらトラ!トラ! 指示頼む!」

『こちら電波。感度良好、感度良好。山月くんが走ってるのは、西棟だよね?』

「……っああ」



誰かが落ち着いて指示を出してくれるのは、助かった。なんで電波たちに俺が西棟を走っているのが分かるのかは、突っ込まないでおく。大方、防犯カメラをジャックしてるか、俺が持ってるトランシーバーに細工してるか、だろう。



とりあえず、ここからどうすれば良いか聞く。



「俺はここからどうすれば良い!」

『とりあえず東棟の方へ』

「特別棟だな!?」



分かった! と返事をして走る速度を上げた。





東棟――通称特別棟に出た。この学園は広いから、使う教室の位置で「棟」分けがされている。特別棟は、化学室や生物室など特別な教室があり、午前中の今は少し薄暗い。



鬼は俺が速度を上げようがなんのその。元気に追いかけてくる。さらに人数は倍に膨れ上がり、後ろはもう……振り返りたくない。



「こちらトラ! 特別棟を疾走中!」

『そのまま北棟の方へ』



特別棟の廊下の端には階段がある。そこを駆け上がると、北棟通称教室棟がある。俺たちが、普段使っている教室がある棟。



「!」



階段の踊り場には、不良達と大きい袋が四つほど。うっすらと中身が透けていて、橙と白のピンポン玉が入っているのが見えた。



……そのピンポン玉なにに使うんだ!?



「お、お前らっ!?」

「小虎止まんなっ 早くいけ!」




思わず階段の前で足を止めてしまった俺は、はっとし、後ろに迫る鬼達を思いだし踊り場まで駆け上がろうとした。



「待って!」

「……っば」

「馬鹿……!」



二段進んだとき、あの集団から抜け出た鬼の一人に運動着を掴まれ、逃げられなくなる。



「赤ハチマキ寄越せ!」

「離せ……っ」



必死に鬼の手を振り払おうとするが、鬼も鬼で必死。決して離さそうとしない。



バタバタと人がこっちに来る音が聞こえて、焦る。手が汗ばみ、思考が急いて、上手く鬼の手を払えない。



ぐっと服を下に引っ張られ、鬼のもう片方の手が赤ハチマキに伸びる。



「やめ、」



どうする、どうする、どうしよう!



俺が捕まったら元も子も――!



「避けろよ、小虎!」



パニックに陥った俺を現実に引き戻してくれたのは、不良達だった。




「うぉっ」




顔面に白い何かが迫ってきている。反射でそれをふっと避け、白い何かは――




「ぐはっ」

「えぇ!?」




パーン!




白い何かは、野球ボールだった。俺が避けたせいで、それが鬼の額に直撃し鬼はバタッと倒れた。



「ピンポン玉だけじゃなくて野球ボールも持ってきてよかったぜ!」

「いや、『よかったぜ!』じゃねえよ!? ちょ、この人大丈夫なのか!?」



額に直撃したぞ!?



「大丈夫だって。硬式球だし!」

「アウトォォオオオオ!!」



良い笑顔で言うなよ! 軟式のゴムボールと違って、硬式球は名の通り硬くて身体に直撃した場合、骨折なんかの怪我をすることもあるんだぞ!?



「あれ、軟式だっけ……?」

「打ち所悪かったら、どうするんだよおおおお!?」

「それより早く踊り場に上がれよ。来るぞ、鬼が」



冷静な一人にそう言われ、慌てて踊り場まで駆け上がる。ちらっと下を見ると、俺の服を引っ張った鬼は、白目剥いて気を失っていた。



……だ、大丈夫じゃねぇぇ……!



「ちょ、保健医! 保健医予防!!」

「小虎、焦りすぎて変換が」

「保健医呼ばねえと!」

「あれ、保健医出張じゃないっけ?」

「なんで行事のときにいねえんだよ使えねえええ!!」



行事のときは怪我人が出るから常駐しとけよアホォォオオオオ!! 出張とか学校も頭おかしいんじゃねえのぉぉおお!?



「小虎、落ち着け! 腹式呼吸だ。ひっひっふー」「「ひっひっふー」」

「ひっひっ……ってこれは赤ちゃんが産まれるときにする呼吸法(ラマーズ法)じゃねえか! みんなも真似にすんじゃねえ!! あと腹式呼吸じゃなくて深呼吸だボケェ!」



はあはあ……な、なんか……走ってるときより疲れる……。



「居たぞ赤ハチマキだ!!」

「小虎と漫才やってるうちに鬼来ちゃったじゃんか」

「俺はした覚えねえよ!」



なぜか、鬼が追い付いたのを俺のせいにされた。お前らも同罪だろ!?



「みんな袋ぶちまけろ!」

「「あいよっ!」」

「「!?」」



階段に足をかけた一人が見えたとき、不良の一人が合図し持っていた袋の中身をぶちまけた。



ザザザーと橙と白の鮮やかなピンポン玉が階段を転がりおちていく。



「う、うわぁ!!」

「玉の雪崩だぁ!」

「こんなの有り!?」



しかも、量が半端ない。



玉の雪崩が起き、鬼達の顔に当たる。たぶん、地味に痛い。あと、一番前に立ってたやつはもろくらって息が出来ないんじゃないだろうか。



「ラスト!」

「って野球ボールは落とすなあああ!!」




最後の一袋が残っていたのが気になっていたが、それは野球ボールで不良達は鬼達にトドメを刺した。……これも後々地味に効く。なぜなら、野球ボールはピンポン玉よりも大きく硬い。ピンポン玉が大量に落とされ、混乱している中なら野球ボールを踏む者もいるだろう。



怪我人が出なきゃ良い……。



「小虎、いまのうちに逃げろ」



不良の一人にそう言われ、鬼ごっこはまだまだ始まったばかりだった、と気を取り直す。



「悪いな……そうする。さっきみたいに捕まりたくねぇし。お前らもさっさっととんずらしろよ!」



そう注意を促すと「わーかってるって」と肩を竦められ、それと楽しそうに笑われた。




「小虎、これから祭りだ」

「祭り……?」

「スズの独壇場の……祭りの始まりさ」




「……」



そう言われ……嫌な予感しかしなかった。





『体育館から』『おっはよーさん!』

『放送部の実況放送だよー!』



不良たちの持ち場から走って俺は図書館で休憩を取っていた。さすがに逃げ疲れた。



大分、鬼を巻いたし心底安心している。



息を整えていると、愉快な放送が聞こえてきた。



放送部による一時間毎の実況放送。



校内には安全のため、という名の防犯カメラがいたるところに配置してある。それを使って今の状況や現在どのクラスが優勢か分かる。



ちょうど状況が知りたかったし、有り難い。



『担当は、2-4 瀬井来(せいら)と』

『2-5 七織(ななおり)でお送りしまーす!』

『三年生は行事を楽しみにログウト!』

『2年の俺たちで精一杯一時間毎に実況するよー』

『じゃ、さくさく実況しよっか』

『新歓が始まってから一時間余りー』

『今のところ、なぁんとっ!』

『トップは2-8だー!』



よしっ! と中間的な発表にガッツポーズをする。トップということは誰も捕まっていないということだ。



『すごいねっ まさか誰も捕まってないなんて!』

『どうやら2-8のリーダー山月小虎くんが走り回ってるようだよー トランシーバーを持って指示を扇いでいたり、もしかしたら陽動かもねー? それに加えて、リーダーを守るためにクラスの子たちが鬼を妨害しているみたいー』

『え? それってありなの?』

『ルールにダメって記載はないからねー』

『そっか! 追い上げるのは、もちろん3年生! 気合いが入り過ぎて、1年生はどんびき(笑)』

『気迫がやばいもんー 3年生は2年がダメだと気づいたのか、えげつなく1年生を狩っていきますー』



自陣の作戦をバラされたのは痛いが、どうやら3年生は俺たちを諦めてくれたらしい。1年たちが必死に逃げる姿がありありと浮かぶ……。



『3年生の中では2組が優勢!』

『剣道部主将、久崎颯馬(くざき そうま)先輩がいるからねー おおっとーまた颯爽と白はちまきをGETー』

『一人でどんどん点数を上げていきますっ』



有益な情報だ。3年生にそんな強敵が――気をつけなきゃな、と思う。



『他に注目はー?』

『んー 鬼側で言うと、陸上部・長距離の皆さんとか、運動部の強化選手かなぁ……追いかけるにしても、逃げるにしてもやっぱり体力・持久力は大切だね』

『なるほど……逃走役はー?』

『断然2-8の団結力は注視! この一時間で一人も捕まらないって言うのはすごいことだから。馬鹿ばっかりやってるわけじゃないんだねww』

『(笑)』



放送にそう言われ思わず、「うるせぇよっ!」と突っ込んでいた。クラスを誉められて嬉しかったが、最後の一言は余計だ。



今年は馬鹿やってられねえんだよっ!



『最後に、点数はまだ集計途中だから教えられないよ!』

『ただこのまま2-8が誰も捕まらず、他の組のリーダーも捕まらなければ、2-8は優勝まっしぐらー!』

『でも、行事は何があるかは分からないから――』



実況の二人が放送をまとめようとしたとき、それは起こった。



『ん? あれ、なんで?』

『七織、どうしたの?』

『これ見て瀬井来!』

『はあ!?』



実況の二人が慌て出し、放送の乱れか? と思いながら聞いていると、二人の緩い口調から一転。真剣な声でとんでもないことが聞こえてきた。



『あ、す、すいませんっ 今、防犯カメラを見ていたのですが、な、なにやら動きがありました』

『校内に仕掛けられていたのか、廊下で爆竹が破裂したり、階段近くではボールの雪崩、そしてなにやら立ち入り禁止と掛かれたテープで一階の教室棟を封鎖しています!』



「はあ!?」



『か、化学室からっ け、煙が!』

『え!?』

『あ、化学室の防犯カメラに金髪サイドポニーの美少女が写り……こちらに向けてにこっと笑いました! 因みにもろタイプ!』

『七織うっさい! 化学室の防犯カメラには【ケムリワムガイダヨ☆(ゝω・)v】と書かれた紙が張られました!』

『あの金髪美少女だれ……タイプ……』

『七織どつくよ!? 実況しろぉ!』




廊下で爆竹が破裂!? 階段近くではボールの雪崩!? それで、教室封鎖だとぉ!?



金髪美少女……もとい、ソイツは榛色の髪をしたスズだ。光の加減で金髪に見えたんだろう。



なにやってんだよアイツ!?



ていうか、実況の男の一人たぶらかしてんじゃねーよ! 美少女って言われて喜んで笑顔サービスしただろ、お前!!



すべては妨害工作なんだろうが――教室封鎖と化学室の煙はやりすぎだ。教室棟一階は、1年の教室が入ってる。ここを通り抜けられないと、体育館への道が一本無くなる。化学室はさっき通った西棟。無害な煙(本当だろうな?)が出たのでほぼ通り抜けられない。ということは、二階への教室棟にはしばらくいけない。



祭りが始まる……。俺が今居るのは、二階の図書館。ここは少し、教室棟とも離れている。上手く誘導したものだ。時間とタイミングすら、計算していたに違いない。




さすがスズ。




今、校内は混乱している。そして、一時間捕まらない俺たちに3年生は戦法を変えた。



このまま行けば、俺たちは優勝間違いなし。



スズは始業式から何も出来なくて、退屈していたのだろう。ここに来て爆発したか。



2-8の参謀でありアイツは真のリーダーだ。……こういうことに関しては、だれもアイツに勝てやしない。



みんなは安全圏内に居て、スズのすごさに舌を巻いたり、「さすが」と口笛でも吹いているだろうか。



だが俺は――ただ一つ、文句が言いたい。




「爆竹とか廊下に雪崩れたボールの片付け、誰がやるんだあのアホおおおおおおおおおお!!」



スズは頭は良いけど、後先考えない馬鹿だった。



……絶対後片付けのこと考えてねぇぞ、あのアホ。



「スズ、お前はアホなんだな……」



図書館から人目を気にして移動した2-8教室。俺は、繋がった無線で開口一番、呆れ混じりにそう言った。



『アホォ!? ちょっと小虎、今どこ? 素敵な顔面に一発食らわせてあげるから面かしな……っ』

「はぁ……あのな、妨害は成功したしスズの狙いも見事だった。スゲェよお前は」

『ふ、ふふん。僕の作戦に穴なんてないもん。当たり前だし、べらぼうに当然だよ!』

「でもな、後片付けは?」

『え?』

「あの始末の後片付けは?」

『え、えーっと……』

「考えてないんだな……確かに役に立った。けどクラスのためとは言え、やりすぎだ。お前がやったことだし、俺は尻拭いなんてしないからな。どうするんだ?」

『ちょ、まっ……』

「ど う す る ん だ よ 鈴 之 助 ?」

『あ゛ーうるさいなあ!! 名前で呼ぶんじゃねえよアホ小虎ぁ! 僕がするっすれば良いんだろ畜生ぉ! 優勝しても打ち上げに誘ってあげないからぼっちで寂しく泣いてれば良いよバイバイ!小虎なんてどっかの変態に食われてしまえバーカ!!』

「おいス」



ブチッ



スズにキレにキレられて電話を切られた。あの馬鹿、安い挑発に乗って……。



完全にむくれたやがった。あーあ機嫌取るのめんどくせぇ……と罰が悪く頭をぐしゃぐしゃにする。



俺の怒りはそう長くはない。ふっ、と冷めた。



本当は少し、叱るだけだったのに。



スズは本当の名前で呼ばれるのが嫌いだ。初対面の人にも、「成原スズ」で通す。容姿に反して、男らしい名前で何度も何度もからかわれていじめられたからだと言う。



走り回って疲れてつい、問い詰めて怒ってしまった。スズはよくやってくれたのに……あれじゃ嫌味だ。



ぶるぶる……



無線が震えた。だれかと思い……すぐ思い立った。……あいつら一緒に居たに違いない。気まずいが、後に引くほど厄介になる。深呼吸して数秒後、携帯に出た。



「……ショウ?」

『小虎ぁ! めっ』

「……高校生にもなってそれはどうかと思うけど似合ってるショウ」

『長々とツッコミやってる暇があるならスズに謝れっ』

「……ごもっとも……」



ふんがぁ! と怒っているショウが浮かぶ。スズの隣で会話を聞いていたのだろう。それでいて、公平に俺が悪いと判断した。



『小虎の言うことも分かるけど、スズはここ数日頑張ってたんだからなー! パソコンで何度も何度もしゅみれーしょん……? して馬鹿な俺に繰り返し繰り返しどう動けば良いか教えてくれたんだから! 今日は2:8で小虎が悪い!』

「……うん、お前の言う通りだ」



誰よりも8組を想って行動して、新歓で優勝しようとみんなを引っ張って、頑張ってくれようとしたのはスズだ。



偉そうにしてるけど、誰よりも頑張る。

飄々としてるけど、誰よりも努力する。



なんで俺はそれを忘れていたのだろう。



「…………スズは?」

『ちょー頬膨らまして怒ってる』

「かわれるか?」

『やだって~』

「今、どこだ? 直で行く」



少し危険だが、なんとか行けるだろう。……スズにちゃんと謝りたい。



『……………………情報準備室』



教室と真逆じゃねえか!



これはかなり大変だ。パソコンなんかがある情報準備室は、特別棟の三階。今、俺が居るのは教室棟三階。二つは繋がっているが、スズが色々手の込んだことをしたので……階段を降りて体育館の方から大きく遠回りして、行かなければいけない。



……まあ、でも、電話に出て場所を言ったってことは、少しは反省したのだろう。



『…………………それと、飲み物。西衛門。間違えたら許さない』『あ、俺はアクエスウェットー!』



やっぱり、反省してねえだろ……。



それでも、財布の金を確認して「わかった」と返事をしてしまった俺は、誰よりもスズに甘いのかもしれない。



※-10



「山月くんはちまき、ちょうだい」

「……」




思わぬところで強敵に会ってしまった。スズとショウにお願い(いやパシり?)された西衛門とアクエスウェットを買って体育館から回っていこうとした時、渡り廊下で高坂に出会った。



人気のない道。空気は、無言が支配する。



高坂は無言で俺の前に立ちはだかり、スッと手を出して……先ほどの台詞を繰り返している。



「はちまき、ちょうだい」

「や、やれねえよっ?」

「ちょうだい」

「あげれません」

「ちょうだい」

「あげれません」

「ちょうだい」

「あ゛ー不毛だろこのやり取り!」

「そうは思わないわ。ちょうだい」



……無表情・有無を言わせない強い言葉……今の高坂は、なんか迫力がある。



だからと言って、ハチマキをやるわけにはいかない。ここで高坂に根負けしたら、クラスに面目が立たない。……それともれなく、スズとショウからリンチがついてくる。とてつもなく、嫌だ。



「高坂、無理だ」

「……欲しいの」

「そんな目で言われてもやれん」

「山月くんの赤はちまきを奪って優勝、そして友達と打ち上げにいきたいわ」

「ハチマキは死守。それは俺もそうだよ」

「山月くんの赤はちまきを奪って、ヒーロー気分を味わいたいの」

「う、ぅん?」

「山月くんの赤はちまきを奪って、私をいじめたやつを見返したいわ」

「復讐!?」

「大きな野望と呼んで欲しいわ」



ゴゴゴ……高坂の背後になにか見える!



なんか怖い! 大きな野望を達成しようとしている気迫が怖い!



だけど、それよりも気になったのは――。



「高坂……いじめられてるのか……?」

「正しくは『いじめられていた』。表情が変わらないから、きもちわるいんですって」



高坂の口調が自嘲を含むものになる。俺はそれに怒りを覚える。



「きちわるいって――」

「いいの。"これ"はそう簡単になおるものじゃないから。それに、いじめられたのは中学の初めの頃で――ある人に、救われたから」

「すくわれ、た?」



高坂の言葉が嬉しそうなものに変わる。



「"表情を変えることが苦手なら、自分の気持ちを言葉にして伝えてみれば?"――そう言われたの。――まさに目からぼた餅」

「目から鱗な!」



目からぼた餅って大変な騒ぎだ。これで間違えるの二回目だぞ、高坂!



「ふふ……そこから少し、変わったわ。ちゃんと自分の意思を口にするようになったの。嫌なことは嫌って。無表情ってなに考えてるかわからないから、武器になるっていうのも気づいたわ」

「現に、フル活用だな!」

「今の友達――転校生だったのだけど、そんなわたしを気に入ってくれて……大親友げっと」

「トントン拍子にことが進んでるよ、高坂!! 俺は少し恐ろしいよお前がっ!」

「あの人さまさま……そして、同情作戦……山月くんはこれでわたしにはちまきをくれるはず……」

「捨て身だったけど、言っちゃ意味ないからな」



言葉、漏れてる漏れてる。



「あっ」

「……」

「……」

「……」

「いまのなし」

「聞いちゃったよ」

「……山月くんをあなどっていたわ……わたしの正直さを利用するなんて……山月くんのあくとくしょうにん」

「いや、勝手に作戦喋ったのはお前だからな、高坂。誰が悪徳商人だ、俺はお天道様の下で真っ当に生きる学生だ」

「山月屋、おぬしもわるよのぉ……」

「いえいえ、お代官様ほどでは…ってなにやらせんだ高坂っ!」

「さすが、山月くん。ノリツッコミも出来るのね。わたしもボケがいがあるわ」

「お前すべてわざとか!? これも策略なのか!?」

「高坂千百合――今年は知的な女性を目指します」

「ボケ倒してる時点で知的って見えねえけどな!」

「めがねかけたらどうかしら?」

「知らねえよ! たぶん似合うだろうけど!」

「ふふ……山月くんにほめられた。うれしい」

「可愛いな高坂!」



あー……高坂と会話、少し楽しいかもしれない。繰り返しボケツッコミで終わりが見えないけど、今度もっと普通に話したいものだ。たぶん、俺たちは相性は良い。



しかし、いつまでも漫才(悲しいことに漫才にしか思えない)やってる暇ではない。飲み物は冷たくなくなっていくし、このままここに誰も来ないとは限らない。挟み撃ちにはあいたくない。



「高坂、もう一度言うけどこれは渡せねえ」

「え? あぁ……山月くんとの会話が楽しすぎて本来の目的を忘れていたわ」



……いまのいままで話題がそれてたのはそのせいか。天然ってタチわるい……。



「山月くんどうせなら屋上でサボらない? もっとお話、しましょう」

「で、あわよくば?」

「赤はちまきげっ……っ!!」

「高坂、正直なことはいいことだな」

「は、はかったわね……!」



勝手に喋ったのは高坂だ。何もはかってない。




こっちいくのか――ザワザワ――でハチマキどのくらい――ザワザワ――




「「!」」



ヤバイ。他のやつがこっちに来てしまう。



これは、さっさっととんずらするしかないな。



「高坂!」

「!」



もう一本持ってた西衛門を高坂に投げる。自分用に買ったやつだが、口はつけてないし、赤ハチマキの代わりに。



「じゃあ!」

「あ……」



そう言って、渡り廊下と外の仕切りを軽く越えて、地面に着地。うちばきだけど、あとで洗えば良い。今は逃げることが先決だ。



たっと駆け、後ろを振り向かなかった俺は高坂の呟きに気づかない。



「ずるい……カッコいい」



歯痒そうに、西衛門を握りしめたことも。




※-11



高坂が追ってくるかと思えば、追ってこない。さっき力ずくでハチマキを取らなかったのを見ると、争うのは嫌いみたいだ。女子だし……高坂が俺より強かったら、世の中どうなってるか本当に疑いたくなる……スズは俺よりずっと喧嘩が強くて腕っぷしもあるけど、アイツは規格外。



スズたちのジュースを買ってる途中、二度目の実況放送があったから、もう一度放送があったら行事は終わりだ。あと30分有るかないか。さっきの放送で誰も捕まってないと放送されていたし、終わりまでこのハチマキを死守出来れば……!



跳ね上がった優勝の可能性に嬉しさを噛み締めていると、体育館の裏に誰か居るのが見えた。



まずい、と思い慌てて壁側に寄る。そっと壁からそちらを伺うと……柄の悪い生徒――おそらくあれは3年――数人が一人の生徒から何か言われていた。



「だから、そのハチマキを素直に渡して欲しい、と言っている」

「誰が渡すかよ。舐めてンのか、テメェ」

「何を舐めると言うのだ? 貴様ら昼間から卑猥な……」

「ヒトおちょくってんのかテメェ!」

「おちょくる? まさか。私はちょっと変わった性癖を持っているが至って真面目な男子生徒だ。貴様らこそ、会話に『舐める』などセクハラとも取れる言葉を使う方が、おちょくっているのではないか?」

「んなわけあるかボケェ! なんなんだよお前……」



……非常に関わり合いになりたくない。



うちばきの色を見ると、全員「青」。これは全員3年ということになる。因みに、2年は「赤」、1年は「黄」。そしてよくよく見ると、声を荒げている大柄の男は赤ハチマキを持っている。



あれ……? 3年のリーダーじゃない。あ、あの人は行事サボるか。3年のリーダーは8頭身で染めた銀髪、赤のカラコン……という痛い人。痛いけど、似合っていて残念なイケメン。残念っていうのは、血、喧嘩が好きでネジ一本ぶっとんでる。



なんでも不良の中の不良、どっかの町の生きる伝説「ブラット・オブ・レストリーバー」に憧れてるとか。ブラット・オブ・レストリーバー……訳すと「血に餓える死神」……果てしなく中2だなあ……。



大柄の男は、下っ端か、ちょっと腕が立つやつか。……そういえばあの人、喧嘩以外興味なかったな……。喧嘩の強さでクラスをまとめてるんだから、スゴい。カリスマ性はあるんだろうけど。



俺はその人と個人的に交流を持っていて、少し仲が良い。兄貴的な人。……なんていうか、天然入ってる猫みたいな人だ。



3年のリーダーについて考えていると、まだ体育館裏では押し問答が続いていた。……早く行ってくれねえかなぁ……そこ通んないと二人のとこ行けねえんだよなあ……。



「私はただそのハチマキが欲しいだけだ。だからこうして貴様らに頼んでいるではないか」

「うるせぇよ! その上から目線がムカつくんだよお前っ」

「上から? ああ、口調か。それはいたしかあるまい。昔からこんなんでな。直らない。まあ、嫌に感じたら悪かった」

「え、えぇ……?」



3年の不良たちは、いきなり謝れて困惑していた。謝った方を見ると、なかなかカッコいい。……この学園って無駄に美形とか多いよな……黒髪で同色の切れ長の目。あっさり謝って容姿と総合すると、爽やかで眉目秀麗(びもくしゅうれい)って感じだ。



その爽やかな人……まあ爽やか先輩は、「お願いだからそのハチマキを渡して欲しい」とまだ言う。高坂よりもしつこいかもしれない。厳つい不良集団に良く言えるな……なんて関心しながら、動けない状況に気づく。



もし、物音でも立てれば血気盛んな3年に気づかれ「なんだテメェゴラァ?」と目を付けられる……ていうか、俺、3年に顔知られてる。喧嘩売られるに決まってんじゃん! あーなんで外出たんだ俺。



「しつけぇんだよ!」



体育館裏で動きがあった。ドンッと壁に爽やか先輩が大柄の男に肩を強く壁の方へ押された。



「ッ何をする! 痛いではないか! それとばっちい! 貴様のようなトイレで手を洗わないようなやつが私に触れるな!!」

「な、ぁ……ッ」

「私に触れて良いのは、顔面偏差値が並み……ひいては細マッチョの美青年だけだッ!!」



爽やか先輩はドヤァ! とそう言い切った。はた目から見るとおかしなことを言っているとしか思えない。……ドヤ顔でなに言ってんだ爽やか先輩……この人空気が読めない少し変わった人らしい。




それと、




「このッ、……野郎ッッ!!」

「うぐぁ……な、にを……」



完全に大柄の男の怒りを買った。ソイツは爽やか先輩の胸ぐらを掴み、ギリッギリッと締め上げる。爽やか先輩の顔が苦しそうに歪んでいく。きっと息は苦しいだろう。周りも周りでそれを煽るように口笛を吹いたり、面白そうにニタニタと笑って見ている。



あー……なんで俺。



俺は空を仰ぎ見て、スズとショウとクラスのやつらに謝った。



散々、問題起こすなって言ったけど――



パッと少しもったいなかったが、ジュース二本を捨て、言葉と共に体育館裏に出た。



「おい、止めろ」

「あ゛ぁ?」



――俺、問題起こす……かも。




ああ……全力で土下座。




クラスも変わっているが、俺という人間も変っていると思う。俺をあらわす言葉は3つ。

「お節介」「器用貧乏」「苦労性」――この3つ。

その通りだ。性分なのか人が困っているのを見逃せない、それを良いように利用されることだってあるし、そのせいで苦労してる。

スズは「そこが小虎の良い所だよ」と笑って言ってくれたけど、あまりこの性格を前向きに考えたことがない。自分がしたことに後悔はありまくりだ。「もしも」「たられば」がたくさんある。でも、放っておけない。



困っている人がいたら、力になってやりたいと思うのは当たり前のことじゃないのか。あとで後悔すると分かっていても、しないで後悔するのとして後悔するのはどっちが良いか、と聞かれたら「して後悔する」方を選ぶ。だって、



どっちも後悔するなら、行動した結果後悔した方が良い。




「お前は……山月小虎……」

「どうも……」




それが、助ける相手はなんだか変な先輩で、こんな不良に囲まれるシチュエーションであって、でもだ。



まさか第三者が、介入してくるとは思わなかったのか、大柄の男は驚いて爽やか先輩の胸ぐらから手を外した。どさっと先輩は地面に尻もちをつき、新鮮な空気が急に肺に入ってきたからか激しく咳き込む。俺は慌てて先輩に近寄った。



「……げっほ……ッ」

「大丈夫ですか?どこか痛みますか?」



介抱とはいえないが呼吸が落ち着くまで、背中をさすってやる。大分落ち着いたところで、先輩が「君は……」と俺を不思議そうに見る。



「お節介の、通りすがりです」



先輩が驚いたように俺を見たが小さな声で「……逃げてください」と言う。



「いや、しかし……」

「囲まれる前に早く」

「でもな……君のような美青年に会えるのは奇跡しか……こんなところでしかも不良に囲まれている場所でああ……なんて運命的なんだ! 惚れた!!」

「あの、日本語わかります?」

「すっ、すまない……首を傾げた姿……可愛い……ではなくてな、君はどうするんだ?」

「まー、知り合いって言えば知り合いなんで……なんとかしますよ」



なんとかします、なんて安っぽい台詞。毎回毎回俺は余計なことに首を突っ込んで……漫画のようなヒーローじゃないんだ。颯爽と誰かを助けるヒーロー……あんなふうに世の中甘くできてない。



甘く出来てたら、俺は……なんて。



「……分かった。なるべく急いで先生を呼んでくる。私は君を見捨てない」



そうカッコよく台詞をキメて爽やか先輩は立ち上がり、逃がさないと立ちはだかった不良を「おいお……ぐほッ」「邪魔だ!」と言い、ぶっ飛ばした。一発で伸される不良。……俺、もしかしていらなかった?



他の不良がサッと追いかけようと一歩踏み出そうとしたが、爽やか先輩はもう遠くに消えていた。マジで逃げ足早っ!



「ちっ……まあいい。後輩くんが相手してくれるからなぁ!」



目の前には、ニタニタと笑う3年の不良達。自分達の行き場のないフラストレーションをぶつけられる相手を見つけられたのが余程嬉しかったらしい。



「……喧嘩はしませんよ」

「は?」

「手を出したら問題になるんです。俺は逃げられないこの状況……先輩たちの拳を避け続けます」



首を突っ込んでからそれは決めていた。俺はこの状況――爽やか先輩ほど颯爽と逃げられないし、退学問題になる喧嘩は出来ない。 なら、爽やか先輩が助けを呼んでくるまでこの人たちの攻撃を避け続けるしかない。



「そうか……やれるもんなら、やってみな!」



大柄の男の声を皮切りに第二の鬼ごっこが始まった。




「ちょこまか逃げんじゃ、ねぇっ!」

「……はっ」



大柄の男の追撃を避け、後ろから来る蹴りをいなす。



あれから何分経った?



とにかく分からないまま、俺は先輩たちの攻撃を避け続けた。辛い。体力は消耗し、息が上がる。四方に気を張り巡らせているせいで神経が衰弱していく。



どうして助けが来ないんだ――と思ったところで、今は閉会式中だと思い立った。放送なんてこの張りつめた空気の中、耳に入るわけなかったが、高坂から逃げてから有に30分は越している。今、体育館は行事が終わった熱気と興奮で盛り上がっているだろう。あの放送をしていた放送部は人を煽るのが上手い。なら、先生たちは生徒が羽目を外さないよう見てて……学園はマンモス校だから、体育館にほぼ全員居る。



体育館は鍵を掛けられているわけではないが……もしかしたら、入れないのかもしれない。なら、爽やか先輩は遠い職員室の方へ……。



これはヤバい。体力の消耗を考えると、このまま避け続けられるのは……あと何分も……。



せめて、体育館にいない俺を誰か怪しんで……俺、スズと喧嘩してた!! お願いされてた飲み物も届けてねぇぇぇ……。拗ねてる。絶対怒ってる……だったらアイツ俺がいなくても知らんぷりだろぉぉぉ。ああ……なんて絶望的……。



「……ッ」



拳が頬をかする。危ない危ない。こっちに集中しないと……。



避け続けなければいけないのに、考え事をしていたのが仇となった。大柄の男が大きな一発を繰り出したとき、大きく避けて……まさか大柄の男をかいくぐって不良の人が攻撃してくるとは思わなかった。



「か、はぁ……っ」



腹に一発蹴り。意外な攻撃にガードもクソもない。まともに攻撃を食らい、唾を吐き出す。倒れはしなかったが、その場に踏ん張るのに精一杯。体勢は崩れ、顔への二撃目も避けられなかった。



「ぐ、ぅ……ぁ」



今度こそ無様に地面に倒れ込む。唇を切り、血が滲んだ。腹が痛い。頬が痛い。じんじんと後天的な痛みが俺を苦しめる。息が苦しい。肺が酸素を取り込もうと喘ぐ。



「おい、立たせろ」



大柄の男が命令し、二人が動いた。無理矢理拘束されそうになり、暴れて難を逃れた。後ろに数歩下がる。



「ちっ……まだそんな体力があったのかよ」



もうそんなに体力はない。逃げることも叶わない。あーあ、かっこわりぃ……。



追撃してくる拳を悪あがきに避けるが、ふらつく足ではすぐ捕えられて殴られた。二撃、三撃……。



「ぐふっ……ぐぁ……っ」



不良たちは地面に倒れた俺を囲み、そうなったらリンチだ。



腹、背中、足……蹴られたらマズイ頭は腕でガードしているが、容赦なくそこも狙われる。



血が混じった唾を吐き出した時、大柄な男が無理矢理俺の顎をつかみ、憎々しいほど顔を歪めて言葉を吐き出す。



「……てめぇらマジムカつくんだよなぁ……」

「ぐっ……ぁ?」

「俺らと同じくせによぉ!! 8組で馬鹿にされてるくせに、なんで団結なんてして行事で優勝目指してんだ? 落ちるとこまで落ちてんのに……アホじゃねぇのぉ?」



ぴくっ



馬鹿にするような言い方とゲラゲラ笑う声。



馬鹿にされてるくせに? アホじゃねぇの?



「……じゃ、ねぇ……」

「あ?」

「俺たち2-8を馬鹿にしてんじゃねぇ!」



叫んで、パシッと顎にあった手を払った。驚いて息を呑む音。



「どこが、同じだ……8組は問題がある生徒の集まりだけどなぁ!? アンタらクズと俺たちを同じにすんな!!」

「なっ……」

「俺たちは、外れた者の集まりだけど、アンタらみてぇに人を傷つけたり弱いものにたかったりしねぇよ! 一度や二度外した道歩いたよ。でも、アンタらよりは真っ当な生き方してる! ずっとずっと、落ちたところでふて腐れてもっと落ちたりなんてしてねぇ!! 俺たちの8組は外れた者の"居場所"なんだよ! 落ちたところにいたくなきゃ這い上がれよ!? 這い上がる努力もしねぇやつが俺たちを馬鹿にすんな!!」



そう言って、大柄の男をぶん殴った。



――俺も存外短気。でも、クラスを馬鹿にされて、一緒と言われ、ムカつかないわけがない。俺らはアンタらとは違う。この行事で精一杯努力して馬鹿にした連中を見返してやろうとした。団結して笑いながら、優勝を目指した。



努力もクソもなく、今の状況をぶつくさ言っているコイツらとは違う。



俺たちの8組はみんなの"居場所"で、"居場所"を守ろうと戦っている。馬鹿やっての自業自得だが、みんな必死なんだ。



殴ったとき退学が頭をよぎったが、みんなを退学なんてさせはしない。なんとか学年主任を言いくるめて、俺だけ退学にさせてもらう。



みんなの――居場所は守る。



「こ、の……ッッ!!」



俺からクズと罵られ殴られ、不良たちと大柄の男の怒りのボルテージは最高潮。



ソイツは、フラフラの俺を力一杯ぶん殴った。



「ぐっはっ……!」



威勢の良いことを言って、結局無様な俺。でも、俺は立ち上がる。フラフラボロボロでも。



最高のクラスを馬鹿にされて引き下がるわけにはいかない。



「な、なんなんだよぉ!」

「はっ……」



何度殴られても、立ち上がる俺。不良たちはどうやらそんな俺がきもちわるくて恐れおののいているらしい。



ただ、もう俺も……意識を保ってるだけでキツい。



ああ……俺はなんなんだよホント。



一人じゃ、なにもできねぇ……クソガキじゃねぇか……誰も助けられないお節介な馬鹿……。



俺はもう……拳が握れねぇよ……スズ、ショウ、みんな、誰か、助けてくれ……。



「やめて」

「な、」



え?



精神が折れかかり、心の中で助けを求めたとき、後ろから凛とした声が響いた。



「やめて。山月くんに暴力を奮わないで」

「そのこ、え……こう、さか……?」



淡白な口調と意志の強い声。なんで高坂が……今は閉会式中じゃ……色んな考えが頭を巡るが、どれも言葉にならない。



3年の不良達もまた、第3者の介入に驚いている。



そして、高坂はそのとまどいをぶっ飛ばすようなことを叫んだ。



「きゃぁぁあああ!! 山月くんが3年生男子に襲われてるぅぅぅぅうう!! 誰かぁぁぁたーすーけーてー!」




きゃぁぁー!! 乱暴されてるぅぅぅ!!




「「な、な、なぁ!?」」

「え、え、えぇぇぇ……!?」



い、いや、日本語としては間違ってないけど……ある意味それは……。




ドドドド…………!




「トラ様がuke! なリアルBLはどこですの!?」

「ほも! ほもかっぷるぅぅぅ!」

「はあはあほもはあはあ!」



「なんでお前ら来てんだ女子ぃぃぃ……!」



……高坂があんなことを叫んだせいで、腐った女子が来ちゃったよ!!


日本語って難しい!!



さらに第4(の集団?)者が来て不良たちは「おい、なんなんだ」と困惑する。高坂も梨園たちが来てまばたたきを繰り返した。



「あっ ト、ラ……さま……」



俺を見つけた高坂は笑顔で話しかけようとしたが、その笑顔が固まり、目が据わる。



「り、梨園っ?」

「……誰ですの? 我が2年8組のリーダーを殴ったのは?」



ひゅぅぅぅ……梨園は笑いながら、後ろにブリザードを吹かせる。見れば、他の女子も同様に笑顔だが……目は据わり……恐ろしいことになっている。



「……誰だと聞いているのです!!」

「ひっ……」



梨園の気迫に大柄の男がおののいた。うん、女子が怒ると怖い。俺も若干、引いてる。



サッと梨園たちは俺の前に立ち、高坂は俺を支えた。俺……女子に守られてる……情けねぇ……。



そして……ダメ押しのように、魔王、いや、覇王が降臨する。




「うわァ……楽しィことしてんなァ、お前ら」




「「……っ!」」




ぞわっ!




その声を聞いたとき、いや、気配を感じ取ったとき、全身の毛というが逆立った。最後の体力・気力を振り絞り、半ば無意識に高坂と梨園たちを無理矢理俺の後ろに避難させた。



「山月く……」

「黙れ!」




語気が荒くなる。



あの人が、あの人が……。



「俺も混ぜてくれよォ なァ」

「あ、あっ、ぁ……」



目はギラギラと輝き、獲物を見つめて、恍惚とした笑みを浮かべている。獲物に指定された大柄の男は、無様に腰を抜かし、その人を見上げている。目には恐れ。恐れしかない。



「市来、せんぱ……殺気しまってくださいっ!!」

「おォ……怖かったなァ、小虎ァ」



その人――銀髪赤目という痛い格好から黒髪赤メッシュというイメチェンをしていたが、俺が知っている限りで「最狂」の市来優哉先輩は、俺を見ると柔和に表情を緩めて笑った。



因みに、顔はこっちに向けたまま、手や足は周りの不良を刈っている。バックミュージックは、不良の悲鳴。――なんて人だ。



「なんであなたが……」

「変態が何喚きやがるかと思えば、ホントだったとはなァ」

「へ、変態っ?」

「こっちの話ィ……助けに来たってことに変わりはねェよ」

「あ、ありがとうございます……」



……この人こそが、3年のリーダー。ブラット・オブ・レストリーバーに憧れ、強さを求めて不良となり、ついた痛いアダ名は「覇王」。その強さによって、周りを従えている、という由来……本人はまったくその気がない、喧嘩以外のときはゆるい天然が入った後輩限定の兄貴である。



「小虎っ!」「なっ、ぼろぼろじゃん!」

「スズ、ショウ? それにみんなっ」



ぞろぞろと体育館裏に人が集まる。みんな俺の怪我に驚き、そちら様で行われている制裁に恐怖した。



「イチ先輩なんでいんのっ?」

「おぉ……怖い!!」

「は、覇王が!」「覇王が降臨なさったぁ!」

「あァ……お前らァ、邪魔すんなよォ? スズちゃんはいいけどォ」

「なんで僕だけOKなんだよ!! つーかなんでいんのっ!」

「あ、久しぶり、スズちゃんー。あとで飴あげるゥ」

「僕の話聞けよ! 飴なんていらねぇんだよ!」

「チョコもあるよォ?」

「いらねぇよ!」

「あ、どっちも欲しいのォ? スズちゃんは欲張りだなァ。大丈夫、どっちもあげるよォ」

「だからいらねぇってば! イチ先輩僕の話を聞けぇぇぇ!!」



ぶっ!



市来先輩にかかれば、スズは幼子同然。スズは顔を真っ赤にして怒り、それにみんな笑った。……制裁は相変わらず続いているけど。当たり前の日常の光景(制裁はつづいry)に戻り、心底安心した。そうしたら、力が抜け、高坂に寄りかかってしまう。



「山月くん!」

「だいじょーぶ、だ……こーさ、か……」




"ありがとう"




呂律が回らない口で上手く言えただろうか。



俺は、疲労困憊で強制的に意識を手放した。




「……っ」



――あたたかい。手からあたたかなぬくもりが伝わってくる。でも、俺の手を握っている人は泣いてる。声を殺して、静かに涙をこぼす。涙が手に落ちる。俺はその涙を拭ってやりたいけど、動けない。身体が動かない。なんで泣いてるんだ。俺が何かしたのか? 誰かから何かされたのか? なぁ――



「――こ……う、さか?」

「や、まづ……きく……っ」



ぼんやりとした意識はすぐ回復した。あれは夢かと思えば……本当に泣いている高坂が隣にいた。正確に言えば、保健室のベット――自分が倒れて誰かが運んでくれたのだろう。それくらい容易に想像ついた――で寝ている俺の近くで椅子に座り、俺の手を握って泣いている高坂だ。



慌てて高坂は手で涙を拭う。でも、一端崩壊した涙腺はなかなか直ってくれない。何度手で拭ったって溢れ流れていく。



「……いっ……」

「まっ、まだからだおこしたら、」



殴られたダメージで身体が軋んで身体を起こすのが辛かったが、怪我はそこまで酷くない。どこもかしかも打撲で痣(あざ)だらけだろうが、骨も折れていない。このくらいの怪我、どうってことない。



それよりも、



そっと、高坂が涙をぬぐう手を取る。



「高坂、あんまり手で目ぇこすると赤くなるぞ?」

「ひっ……くっ……だっ、て……」



高坂の涙を止めるのが先だ。



「ごめんな。俺が早く解決しなかったから、怖い思いさせたよな?」

「ちがっ……ちがう、の……」



さっきの喧嘩を思い出して泣いていると思えば、違うらしい。高坂は大きく首を振り、嗚咽をこぼしながら、なぜか謝り始めた。



「ごめっ……ごめんな、さい……ぅっ……わ、たし……」

「高坂、泣き止んでからでいい」

「わ、たし……っ ずっと、みてた……っうっぇ……っ やま、づき……くんが、なぐら、れるの……ずっと、ごめ、ごめんな、さい……っ」

「え……?」



高坂はぼろぼろと大粒の涙を流して、謝る。殴られるのを見てた……? 高坂の話を聞きながら、落ち着くよう背中をさする。ついでに、ポケットにあったハンカチ・ティッシュ(どちらも未使用)を取り出す。



「高坂、鼻水」

「ずびっ」



ティッシュですすっていた鼻をかませ、ハンカチを貸した。



「ハンカチ、未使用だからな?」

「山月くん、のなら……トイレで手をふい、たもので、もへーき……」

「それは平気じゃないからな」



俺だって嫌だぞ、そんなの。因みに毎日ハンカチは変えてます。きれいです。



「落ち着いたか?」

「うん……今から話すこと、聞いてもらってもいい……? 少し、長いけど」

「ああ……でも、高坂、俺は高坂が俺を殴られてる場面をずっと見ていて助けに入らなかったことに怒りはしないからな。怖かったんだろ? むしろ、最後は助けてくれたじゃないか」



高坂が来なければ、ああ叫んでくれなかったら……打撲だけの怪我では済まなかっただろう。終わり良ければすべて良し。最悪な結果にならなくて、本当に良かった。



でも、高坂は首を振る。



「じぶんが、ゆるせない……っ」

「高坂……」

「わたしが、もっとはやく……山月くんを助けに入れば……」



そこでまた高坂は涙を流す。




「高坂、俺は死んでないし、これくらい平気だぞ?」

「わたしがっ へいきじゃない!」




驚いた。高坂が激情をあらわにし、怒っている。表情は変わらないけど……目は悲しみに溢れていて、悔しそうに唇を噛み、色が白くなるほど拳を握りしめている。



「……うん。分かった。心配させたよな。そうだよな、心配かけておいて高坂は平気じゃないよな……ちゃんと話を聞く」



心配させておいて虚勢のような「平気」なんて言うべきではなかった。色が白くなるほど握りしめている手に自分の手を置いた。



高坂は目を伏せて、息を吐き出し、俺に話し出した。



「わたし、暴力がきらいなの……大抵の人はきらいだと思うけど……わたしの場合"トラウマ"が起因して……表情が変わらないのも、このせい」

「トラウマ……」



高坂の表情が変わらない原因。



"人形"の由縁。



高坂は訥々(とつとつ)と話す。



「わたしの家がここ一帯一番の暴力団――高坂組というのは、知っている?」

「ああ。噂で聞いた。高坂組だよな?」



高坂組は、この地方一の暴力団。暴力団規制や法などで厄介者扱いされているならず者。そのご時世、小さな暴力団だった高坂組は、今の代が組を大きくした。急に組が大きくなったのは、発展途上中のこの三桜町で学生を食い物にする輩(やから)を一斉に排除したから、だとか。それで雪白財閥からも懇意にされているらしい――スズが暇潰しにそう教えてくれた。今では手広く大人向け事業を展開している。……パチンコやいかがわしいホテルなど……清廉された高坂とは一切結び付かない。



「ええ……わたしは成り上がりのお嬢様。母は強い父に惹かれて結婚した旧家の娘だけど……話がそれたわ。それでわたしには、一人兄がいるの」

「お兄さん?」

「そう。……父は一人娘のわたしにとても甘いのだけど……反して跡取りである兄には厳しくて、しつけと言って手をあげていた」

「それは……」



跡取り。いつか組を継ぐから、いまのうち厳しくしつけていたのだろうか。でも、親が子供に手を上げるなんて……限度を超えれば、"虐待"だ。



「兄が傷を作っても、沢山の武道をしていたから、それなんだろう、って思った。兄もいつも笑って『お兄ちゃん、また怪我しちゃったよ』って……わたしはホント、箱入り娘よ。みんなわたしを愛していた。わたしは愛されていた。汚い部分なんて見せないよう、大事に大事に育てられてきた」

「高坂……」



話の展開が見えてもういい、と言おうとした。でも、高坂は淀みなく話し続ける。



「でも、10歳にもなれば……人がわたしを避ける理由、家業について理解するでしょう? わたしは、徐々に理解していって……でも、ちゃんと汚い部分を受け入れた。それでご飯を食べていけて、何不自由なく生活をしていけるんだって」



家が暴力団であれば、人に遠巻きにされただろう。子供は親の職業を選んで生まれてくるものではないのに……。そして、俺は少しだけ、高坂の気持ちがわかった。人に遠巻きにされる辛さが――、



(あの子、お母さんが家から出ていっちゃったんですって)

(えー? 確か、しっかりしたお母さんだったわよねぇ)

(家事に疲れた……とか。わたしたちのとって当たり前のことなのにねぇ……?)

(ふぅん……置いてかれたあの子は可哀想ね……)



……でも、俺は高坂よりはマシだろう。ショウというずっと隣に居てくれた幼馴染の友達が居たのだから……変なことを言われても、誰か一人味方がいるだけでずっと強くなれた。



「また、話がそれたわね」



記憶に引っ張られそうになり、高坂の声ではっとする。



「……トラウマになった出来事に兄が関係しているの。ある日、わたしは兄と遊ぼうと兄を家で探していたわ。中々見つからなくて……中庭に出て父の部屋に兄が居るのが見えて……笑顔で手を振ったわ。兄がやっといた。遊んでくれるって思って……兄もわたしに応えて笑顔で小さく手を振った」



そしたらね、父が、兄を殴ったの。



「……っ」

「『ヘラヘラ笑うんじゃない!』って。わたしは見たこともない怖い顔をした父に、兄を殴った父に、驚いて、泣いた。兄が大丈夫だと何度繰り返したって、泣き止まなかった。豹変した父が怖い。暴力が怖い。トラウマになって、」



それから――。



高坂は自分で『笑ってはいけない』と思い込むようになったそうだ。笑ったら、父親に殴られる。怖い。人間の防衛反応とは、素直なものだ。高坂は笑ったら殴られると思い込んで、父親の前で笑うのを止めて、笑い方を忘れて、だんだん他の表情が無くなって――いっさいの表情が消えた。……これでもマシになった方だと言う。中学の時はずっと酷かった、と語る高坂は痛々しかった。



「だから、暴力が怖いんだな……」

「……ええ。でも、何年も前のはなし――わたしは山月くんが逃げたとき、追うか迷ったけど、数分も経たないうちに放送が終わりを告げたから一緒に体育館にいこうと思って……山月くんを探しに行ったら揉めてて……や、まづきくん、なら……大丈夫って……喧嘩強いから、大丈夫……って思った、けど……」

「……うん。もういい。もういいよ、高坂……」



高坂を黙らせるように彼女の白くなった手を握った。



「もういい。辛いなら、話さなくて良いんだ。誰だって怖いことはある。トラウマだって持ってる。……俺はハロウィンが怖い」

「え?」



意外な怖いものをあげられて、高坂はポカンとする。俺はそれに笑ってハロウィンが怖い理由を話す。



「ハロウィン、お化けが来る祭り、分かるだろ? あれでさ、父親がジャック・オ・ランタンの真似しようとしたんだよ。俺が5歳の時に。わざわざ、かぼちゃを顔の形に彫って、前日に念入りに準備して俺を驚かそうとしたんだ。でも、夜中におっさんがそれかぶって……何の悪乗りしたか、血のりまで使って……幼子をおどろかそう……って明らかにやりすぎ。父親っぽい人がかぼちゃのかぶりものしてしかも、血を流している。もう怖い怖い。ゾンビかと思ったのかな。大きな声で叫んで泣きながら助けを呼んだ。父親がネタばらししてもうおんうおん泣いてたって話。それから……ハロウィンが嫌いになって、幽霊とかゾンビとかもあんまり得意じゃなくなった」



……というか、父親は母親がいなくなって元気がなくなった俺を励まそうと思ってこんなことをしたのだが、逆にトラウマを作ったという……。ハロウィンってお菓子が貰える楽しい祭りだって分かったのは、中学に入ってから。俺の認識では、「ハロウィン=怖いお化けが来る日」だった……。実は今もちょっとハロウィンが怖かったり……ハロウィンのお化けとかだけど。ネタばらしされてても、子供の頃に刻まれた思い出(トラウマ)は消えない。



「山月くん、かわいい……」

「うーあー……怖いもんは怖い! 違うか!」



キレ気味にそう言った。高坂の沈む顔を見たくなくて、小さい頃のトラウマを話したが、やっぱり恥ずかしい。



「そうね。ねえ、山月くん」

「なんだ」

「わたしを、きもちわるいって思わないの?」

「思わねえよ」



即答した。高坂の表情が変わらない理由を聞いても、俺はそう答えた。



「どうして?」

「お前は表情が変わらなくたって十分、表現豊かじゃねえか」



俺に想いを真っ直ぐ向けるのも、いまみたいにおっかなびっくり真意を聞いて来るのも、ボケたり、驚いたり、泣いたり……十分、他の人と同じく「喜怒哀楽」を表現出来ている。



言葉だったり、本当に小さな変化で他人と同じく自分を表現している。



それは、表情を捨てた高坂がもう一度表情を取り戻したくて努力した結果なのだろう。



「本当?」

「嘘ついてどうする」

「そう……家も、気にしない?」

「気にしねえ。むしろ、高坂は俺の見た目とか不良っていう評判を気にしろよ」

「見た目……ちょーカッコいい。評判、不良じゃなくて、わたしにはヒーロー」

「はあ!?」



見た目の評価にも驚いたが、評判って……えぇぇぇ……?



「山月くんはヒーロー。とっても良い人で人の気持ちが分かる、ヒーロー」

「ヒーローってなんか違わないか? ……俺は高坂を助けたことなんてないぞ?」

「……そ。いいの。わたしの中では山月くんはヒーロー。英雄だから。


好きになって良かった人だから」

「……っ」



ヒーロー云々の話は分かりかねる(俺はただのお節介だ)が、最後の言葉は効いた。高坂は「人形」じゃないけど「人形」と呼ばれる(良い意味でだ)ほど綺麗な女子。そんな高坂は……こんな俺に惚れてて、そんな言葉を言う。策士か高坂! ……きっと天然なんだろうな……。



「う、あっ!」



視線を彷徨わせた先、そこは熱い手で、俺は高坂の手を握っていることに気付いて真っ赤になる。慌てて離そうとするが、がしっと高坂に掴まれた。



「あら、どうしたの?」

「こ、高坂、わ、わざとか!」

「なんのこと? ああ……記憶喪失になってしまったみたい。……けして山月くんと手を繋いでいたいわけではないのよ」

「本音と下心は隠せ高坂ぁ!」

「あっ……実は繋いでいたいの……」

「もう本音喋っちゃったよ! どんだけ素直なんだよ!? 可愛いけど!」

「山月くんにかわいいって……かわいいって言われた……っ 作戦通り……」

「うんっ! ホントお前は正直で素直で可愛いよ!! 俺に知られてる時点で、自分で素直に喜んでる時点で、作戦は破たんしてるけどなっ!」



……彼女に「付き合って」と言われて「よく知らないから」と断って……大分高坂を知ったが、あの「したごころありあり」宣言は実行されている。あまりに押せ押せで、俺はタジタジである。



「山月くん、ありがとう」

「何が」

「きらいにならないでくれて」



それは色んな意味が含まれいるのだろうけど、何も聞かないことにした。



「……どういたしまして。こちらこそ助けてくれてありがと……う、」

「や、山月くんっ!?」



そして、俺は高坂に感謝を述べ……まだ寝ていなければいけなかったのに、無理矢理身体を起こした反動がそこに来て、ふらっと……もう数時間ベットに縛り付けられることになったのだった。





蛇足というか、長くなってしまった話の補足。



新入生歓迎会、新歓の結果を言うと――「実質的な優勝だが、ルール違反のため、失格」という……なんとも残念な結果に終わった。実は……本当はちゃんと優勝したのだが、俺が3年とぶつかったせいで……それを咎めない代わり、新観の優勝は3年にした、という。優勝は3‐2。どうやらあの爽やか先輩のクラスらしい。今回の賞品も「文化祭費用増加」だったため、みんなはもうどうでも良いって感じだった。実質優勝出来て、馬鹿にした連中の悔しそうな顔を見れたから、と笑っていた。



それより、俺は怪我を心配され、ちょっと泣いた。



不良たちが笑い、女子たちが騒ぎ、電波たちはなぐさめてくれた。



スズは俺が怒ったことを許し、GWに三人で遊ぶよう言って来た。もちろん、了承した。……一日、ショッピングに付き合わされるのは勘弁、とショウと拝むようにお願いした。



GWで遊ぶ、で高坂と普通に遊んだことないな、と思って「GW初日、遊べないか?」とGW前の学校登校日、昼を一緒に食べている最中に聞いた。



「遊べる、わ」

「おお、そうか。どっか行きたいとことか、あるか?」

「……三桜町広場でやる、お笑いライブ。GW初日から最終日までやるの」

「へえ……好きなのか、お笑い」

「好き」



彼女はそう言ってこくん、と頷いた。なんだか嬉しそうで、こっちまで嬉しくなった。



「じゃあ、詳しい事はメールする」

「待ってるわ」



屋上から見える桜は散っていて……若葉が芽生え始めている。



「GW……楽しみだなあ」

「ええ……楽しみ」



この季節のように俺達の関係は少しづつお互いを知るにつれて変っていくのかもしれない。








END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る