幕間2 日下部 晴香の暴走


 ーー暗闇


 ギラギラと光る2つのまなこが、そろりと横目ですやすやと寝息たてる少女を見据える。


(寝てるよね……)


 もの音を立てないように慎重に身体を起こすと、恐る恐る彼女の顔を覗きこむ。

 良い夢でも見ているのであろう、芙蓉のかんばせは少し弛緩し、寝具に広げられた黄金色の髪は小麦畑を思わせる。それは、同性である晴香すらも思わず見惚れてしまう程の美しさであった。

 晴香は、グヌヌと唸りそうになるのを頭を振ることによってとどめるが、嫉妬心の次は憎悪が彼女の心を蝕んだ。

 晴香は、ピシャリと魅惑的な寝顔を睨み付ける。


 思い出されるのは、祭りの帰り道の出来事である。

 晴香は、その祭りで想い人と、共に笑い色々な話をした、手を繋いだ、優しく抱きしめられた。今までの人生のなかで最大の幸福を感じた、死んでもいいとさえ想った。そして同時に、同じ幸福を彼と共有する未来を夢想し是が非でも死ぬものかと固く心に決めた。

 その帰り道、晴香の目の前で寝息をたてる少女が言った「夜道が怖い」と、彼女はそれを便宜に、必要に彼に身体を押し付け、誘惑したのである。晴香が、彼の腕にしがみついていたのは視力の悪さが原因であり、やましい気持ちなど一切なかった、あくまであれはあれは不可抗力。まぁ、それによって彼がやましい気持ちを抱いてしまったのであれば晴香は広い心と小さな矮躯で受け止めていたが……。

 しかし、晴香にとって涙が出そうなほどの喜ばしい誤算をもたらしてくれたのもまた彼女である。色々な事情によって、彼と一つ屋根の下で眠ることになったのである。

 晴香達は、少女の家にお邪魔すると、彼は「綺麗じゃないか」と、部屋を見ながら心底驚いていた。当然である、何故なら今朝、晴香が手伝ったのだから。掃除をする前の部屋はお世辞にも綺麗と言えるものではなかった。そのことを主張したいという思いはあったが、自慢気に胸を張る家主の少女に対する微笑ましいものを見るような彼の様子と、晴香へ目配せしたときの彼の瞳がそのことを察してくれていると伝えてくれた。

 夜も遅いため3人は早々に就寝の準備を始める、何処で寝るのかは凄まじい舌戦の末、"晴香の元の世界での話をしたいので彼と一緒に寝たい"という主張は却下され、男女別にされてしまった。止む無くそのことを晴香が受け入れると、さぁ寝ようと家主が明かりを消そうとする。


 そのとき彼が言った。


「アレ、暗いの怖いんじゃないのか?」


 その言葉に、少女は何とは無しに答える。


「自宅でなにを恐れることがある?」


 晴香は、思った。


 ーーその理論はおかしい


 彼は「そ……そうか」と、出て行ってしまったが、やはり疑問を感じている風であった。

 確かに、常識の通じるような相手ではないのだが、祭りの帰り道での彼女は、所謂妖怪や幽霊を怖がっているように見えた、そんな彼女が自宅だがらといって恐怖を感じないなどということがあるだろうか? いくら厳重な戸締りをしていても幽霊には通じないというのが世間一般の考えだろう。

 晴香の頭に一つの可能性が浮かび上がった、もし彼女が別段夜道に恐怖など感じていないにも関わらず怖いと言っていたとしたら? そう主張することで彼を誘惑しようと考えていたら?

 コイツァ天然キャラという皮を被ったゲスに違いない、となると晴香が彼を守らなくてわ。その為には、なにが最善の策であるのか……答えは単純だ、薄汚れた女狐に奪われる前に晴香が彼を自分のものにしてしまえばいいだけの話だ。


 長々しい話にはなってしまったが、つまりはこれから晴香がすることを正当化する為の理由こじ付けに過ぎないのだが、今の晴香はそれこそが真の正義であると疑いもしない、それほどに恋の病に侵されているのだ。


 晴香は、ゆっくりと立ち上がると、慎重に慎重に床を踏みしめる。

 彼は出てすぐ隣の部屋で寝ているはずだ、呼吸すらもなるべくしないようにゆっくり焦らず進んでいく。

 おおよそ3ヶ月もの間彼に会えなかった後遺症から、完全暴走状態の彼女ではあるが、その聡明さを欠いているワケでは決してない、暫くは添い寝で良い、先ずは彼に自分のことを女性として強く意識させる、愛とはゆっくり育んていくものだ。

 まぁ、そのなかでそういった雰囲気になってしまったのであれば、やはり晴香も吝かではないのだが……。


 そんなことを考えていると扉に差し掛かった、大丈夫この扉を音もなく開け閉めすることは予習済みだ。晴香は難なく廊下に出て扉を閉めるとすぐ横には彼の眠る部屋があった。

 晴香は、コクリと口内に溜まった唾液を溜飲するとゆっくりと取っ手に手を掛ける。


 ガチャ


 戸が空いた、晴香が入らんとしている方とは異なる、晴香が今しがた出てきた方の戸が……。

 ジット~とした眼が此方を見ている。

 見目麗しい少女、ここの家主である少女、つまりベルと視線が重なり合った。

 声なき闘争の末、勝ち目が薄いと感じた晴香は強行突破に出た。音も気にかけず扉を開けた晴香は、慌てて部屋の中に入ると急いで扉を閉めようとするがもう少しといったところで腕を差し込まれてしまう。舌戦ならまだしも力勝負になると晴香には勝ち目などあるはずもなく、瞬く間に彼女も部屋の中に入ってきたが、もうそんなことは晴香にとってどうだっていいことであった。何故なら、彼が普通に起きて此方を見ていたからだ。

 晴香が猛然と頭を働かせて、言い訳を考える。

 しかし、彼の発した予想外の言葉に思考は打ち切られた。


「教えて欲しいんだけど、どうやって眠るんだっけ?」



   ※    ※     ※



 やはり、恐れていたことが起こってしまった。

 俺は頭を抱えながら、物心ついた頃には本に囲まれる環境で寝食していたがために本が大量にある場所でなければ眠ることができないという疾患を持っているということを簡単に2人の少女に説明した。

 それを聞き終えたベルと晴香さんは、ううむと唸る。


 晴香さんが言った。


「確かに、雁矢くんのおうちにも沢山本があるよね」


「うん、持ってこれるだけ実家から持ってきてたんだよ」


 ベルは、眉根を寄せて真剣な顔をしている。


「エミリアの所では、どうしといたんだ?」


「あそこには、書庫があるんだよ。だから、困らなかった」


「慣れない環境だからかな?」


 そうだろうと頷く。


「異世界にも順応できたのにか?」


 多分、俺にとっての世界はアノ雑然とした書庫であったのだろう。故に、たとえそこが異世界だろうが、大量に本さえあれば自分だけの世界を作り、浸ることができるということではないだろうか?


「まぁ、原因は色々とあるだろうが、取り敢えず本だ、俺に本をくれ」


 精神的に自分は大丈夫なのだろうか? という不安と、溜まった披露、そしてやり場のない眠気が、俺を苛立たせる。


「ムリだぞ~、そんな突然言われても」


 こんな困り顔で言われたら引き下がるしかあるまい。

 そもそも、事前に言っておけば対処できたのではなかろうか……。


「顔の上に持ってきた本を乗せて寝たら?」


 確かに、魔王城から数冊の本を持ってきている。しかし


「やったけど、ハーモニーが足りない」


「やったんだ……ハーモニー?」


 ソロとクインテットの違いみたいな? 自分でもよく解らない。


 そこでベルが「アレしかないか……」と呟いた。


「な、、なにか思いついたのか?」


 神様、仏様、勇者様、この愚民めをお救い下さいとベルに縋り付きたいほどだ。


「私ほどの権力者になると、図書館の私物化など造作もない」


 自慢気に言うベル、その発言は勇者的にどうなのよとも思うが、そんなことより……。


「お前と知り合えて良かったよ」


「あ、、ああ……」


 ベルは、頬がほんのりと珠に染まる。


 ーー権力バンザーイ!!!!


 ヤバイ、テンション上がる。

 なにを隠そう、図書館で暮らすのが俺の兼ねてよりの夢であったからだ。


「しかし、今日はもう無理だぞ。

 こんな遅くでは、話しのつけようがない」


 ーー安心しろ、覚醒めざめた。

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