異世界旅記1 〜祭典〜
ビッシリと煉瓦の敷き詰められた石畳、こんな所でこけたらタダでは済まないだろう。
「イタッ!」
それはつまり、お笑い芸人にとっての見せ場。天然キャラにとっての絶好の舞台と言ってもいい。
こんな機会を、ベルが逃そうはずもない。案の定、彼女は石畳の段差につまづき民衆の前で見事なスライディングを披露したのであった。
俺は嘆息すると、彼女に手を差し伸べてやる。
「ほら、ベル。
早く立てよ、恥ずかしい。みんなに見られてるぞ?」
ここは、街のちょうど中心にある広場『大きな噴水のある場所』だと言われてここに来たのだ。
確かにあった、街並みに合った西洋的な噴水である、でも……ココどう見ても恋人同士の逢瀬の場所だ。確かに、解りやすくはあるのだが如何なものかと思う。
「ぐぬぬ……言わんでもいい!」
涙目のベルが、真っ赤な顔をしてプンスカと怒ってきたが、結局は俺の手を握り返してきた。
カップルたちの視線がこちらにまで突き刺さる。
「雁矢くん、私も手伝うよ」
そう言う晴香さんは、ベルの手を握る俺の腕にモジモジと自分の手を添える。
それになんの意味があるのかは謎だが、気持ちだけは受け取っておこう。
「イテテテテ……」
膝から血を流したベルが、噴水の手前に設えてあるベンチに腰掛けながら、ツンツンと傷口をつついては、小さな奇声を上げて、目尻に涙を浮かべる。
「お前も、血を流すんだな」
彼女が血を流しているところなんて始めて見た、それもたかだかこけた程度で。毎日、毎日、トラップを仕掛けているこちらとしては複雑な気分だ。
「私を、血も涙もない女みたいに言うんじゃない」
「ワリとよく、泣いてはいるだろ?」
アイルスに弄られてるときとか、結構涙目になっていると思う。それに数時間前にも晴香さんに弄られて泣いていた。
もとより、感情の起伏は激しい奴なのだ。勇者とて涙腺は鍛えられないということか。
「はい!」
そんな情けないベルの眼前に、溌剌とした声と共に、白く小さな手が差し向けられた、その手に握られているのは絆創膏。
その手の主、晴香さんは満面の笑顔で言う。
「こんなこともあろうかと、持って来ました」
「おぉ、気が利く!」
思わず感嘆してしまった、俺なんか1週間泊まる用意をしてきたにも関わらず、持ってきていないものを、こうも平然と用意できるとは。
「そんなことないよ」
晴香さんは、頬を少し紅潮なせながら照れ笑いをする。
対してベルは、そんな彼女から悔しそうな顔で、絆創膏をひったくるようにして受け取る。そして、乱暴に傷口へと貼るのだった。
「ひ~……!」
しかし、激しく傷口を刺激してしまったため、痛みに全身を震わせ始めた。
どんだけ痛がりなんだよ。ガチで勇者向いてなさ過ぎだろ。
「そう言えば晴香さん、なんでツナギなんだ?」
本当に今更なのだが、晴香さんは、今現在も異様に大きなツナギを精一杯袖を捲って着ている……というか、着られているのだ。その姿は、あまりにも不恰好で愉快。
実際、彼女も俺の言葉に、少し不満そうな顔を見せた。
「う~ん、だってこれしかなかったんだもん」
「そんなことはないだろ……」
ザッと周囲を見回しても、様々な色が目に飛び込んでくる。それは麻でできたような質素なものから、もとの世界となんら変わらない様なワンピースだったり、シャツだったり、中には鎧まで、本当に多種多様な服装に身を包んでいる。
まぁ、皆カップルであらせられるようなので、身分によって違いはあれど相当に気合の入った服を着ていることは明白である。
どうでもいいが、もしこの場にいるカップルが漏れなく爆発したら街ごと消滅しそうだ。
話はずれたが、つまりツナギ以外にも着るものは無限にあるということだ。
「ベルさんが、これしか持ってなかったんだよ……」
恐る恐る、ベルの方を見れば、彼女は気まずそうに吹けもしない口笛を『フシュ~フシュ~』と奏でていた。
「女子力なさ過ぎだろ!!」
「仕方ないだろ! 着ないのだ! 外出するときはいつもこの鎧姿なんだぞ! 戦闘着と寝間着とツナギしか持っとらん!!」
ベルがプンスカと怒り始めたが、そんなこと知らんがな。
「なら、まず服を買いに行こうか」
取り敢えず、このカップル地獄から抜け出したいです。
※ ※ ※
「いらっしゃいませ~」
スーツのような、紺色のピッシリとした服装をした数名の女性店員が、洗礼された笑顔で、恭しく挨拶をしてくる。その姿はどこか"あなたのスタイリスト"然としており、思はずこちらまで畏まって頭を下げてしまった。取り扱われている衣服は皆、もとの世界のものと遜色なく美しいもの、可愛らしいもの、機能性に長けたもの様々だ。
古臭くも、アバンギャルドでもないことに、晴香は安堵の息を吐いた。
晴香は、並々ならぬ思いでこの場にいる。好きな人にダサイ女などと思われにわけにはいかないのだ、それでなくともツナギなどというお洒落さの欠片もない醜態を晒してしまった晴香にとって、これは挽回のチャンスなのである。
「は~、『し◯むら』みたいだな……って高!」
某格安洋服量販店と比較してしまったために、驚きを隠せない様子の彼を見て晴香は思うのだ。
(これって、デートじゃないの!?)
視線に気付いてか、彼が晴香の方に振り返ると、少し恥ずかしそうにはにかむんだ。そんな彼の表情を見て晴香の心が、えも言われぬほどに高鳴る。
2人で洋服を買いに行くだなんて、なんだかとってもデートっぽいではないか。
「カリヤ、こんなのはどうだ!?」
「正気か? 全身ペイズリーは……正気か?」
並外れた、ファッションセンスを披露するベル。
邪魔な女である、着る機会がないと言っていたにも関わらず、いけしゃあしゃあと自分の服を選び、あまつさえ彼を独占しているのだ、羨まけしからんこと限りなし。と、晴香はベルを睨み付けて歯噛みした。
晴香は、ムキになってふと目に入った一着の服を手に取った。
ただの白いワンピースかと思いきや裾には精緻な花柄があしらってある。
少し地味な気もするが、西洋的な景観にはよく映えるだろう。
偶々、手に取っただけのものではあるが、晴香の心はときめいた。
しかしだ、晴香の身長からして、できればXS、最低でもSサイズでなければ格好の悪いことになってしまう、そしてこのような大人な女性が好みそうな服は、大抵Mサイズ以上……晴香にとっては世知辛い世の中なのである。
「エックスエス……!!」
全身に電流が走った、運命の出会いに違いないと、晴香は迷いなく試着室へと走り出のだった。
『お客様、いかがですか?』
カーテン越しに聞こえる女性店員の声に晴香はビクリと震えた。晴香は洋服店で妙に話しかけてくる店員が苦手である、故になるだけ目立たないように行動していたつもりだったのだが、少し舞い上がり過ぎたようだ。
晴香は、再度サイズ表示を確認すると、カーテンの間から半顔を覗かせ、知るはずもない言葉を流暢に話す。
「XSって……こんな大きかったんでしたっけ?」
それはあまりにも大きかった、具体的には胸元が艶めかしくはだけてしまうほどに。
(おかしい……私の知ってるXSと違う……)
そこで晴香は、ふと思い出したのだ。街を歩いていて自分より身長の低い人間がいただろうか……年端もいかぬ数人の子供しか浮かんでこない。
そう、この世界の人間、特に女性においてはどんな遺伝子の悪戯か、みな一様に高身長なのである。
晴香が、ションボリしながら言う。
「あの~、XSより小さいサイズってありますか?」
「そちらのサイズよりも小さいものになりますと、あちらになります」
女性店員が
※ ※ ※
「勇者様が、またあの男と歩いていらっしゃるわ」 「あの野郎、勇者様のなんなんだ?」 「男だ……勇者様の男だ」 「あら? 女の子が増えているわ」 「だれだあの子?」 「娘だ……」
「勇者様が、結婚なされているなんて聞いたことがないぞ?」 「あれを見ろよ、完全に一家団欒の1コマじゃないか」 「「確かに……」」ーーーー
晴香は、額に浮かび上がりそうになった青筋を必死に堪え、頭に乗せた麦わら帽子を目深に被りながら、聞き耳を立てている。
ーーどれもこれも、服装が悪い。
右を見れば、ピンクのチュニックに、ショートパンツという出で立ちのベルが、耳まで真赤に染めて恥ずかしそうに俯いている。普段は、隠されている健康的な四肢が眩しい。
左を見れば、半袖のTシャツに、グラデーションの効いた紺色の上着を羽織り、下はジーパンという出で立ちの雁矢が、気まずそうによそを向いている。ちなみに、彼は服を買わなかったので朝と同じ服装である。
そして下を見ればどうだろうか、アラ不思議。可愛らしい、あまりにも可愛らしい猫ちゃん柄が幾重にも目に飛び込んでくるではないか。しかしそれも当然のこと、何故ならその可愛らしい柄のワンピースを着ているのは他でもなく、晴香自身であるのだから。
確かに晴香の容姿は年相応とは言い難く幼い、服も子供用のものだ。が……流石に親子と間違われるほどではない。これも、ベルが民衆に見せるちょっと変わった言動の数々、その賜物だと言えるだろう。
諌めようと、晴香がキッ! と民衆を睨みつけるも、微笑ましいものを見るような優しい笑顔さえ向けられる始末である。
「アララララ?」
そのとき、突如、背後から聞こえた溌剌とした声に、晴香は振り返りそして驚嘆した。
そこにいたのは、1人の少女であった。
「おぉ、テリーゼか」
「うゎ……」
ベルと、雁矢の反応は両極端であった。ベルは嬉しそうに小走りに修道女に近づいていき、雁矢は引きつった笑顔で数歩引き下がる。しかし、当の修道女は少しベルと挨拶を交わすと真っ直ぐに雁矢の方に向かってきた。
「お久しぶりぶりです、日高見様」
その聖母のような優しい声からは、どこか怒気のようなものが感じられて。
「えぇ、お久しぶりです。テリーゼさん」
雁矢ですらも、必死に平静を取り繕っている。
「あれ? 五体満足なんですね」
「……寧ろ、なんで不満足だとおもったんですか?」
「アラ?」
そこで、晴香に気付いたのであろうテリーゼが、雁矢を無視して彼女の前で少し屈むと優しく頬笑む。と
「ヒシッ!」
力強く晴香のことを抱きしめてきた。
わけが解らない。唯々、晴香の顔面に自分のそれとは比較にならない程の立派なものが押し付けられる。
ーーグググ……。
猛烈な嫉妬心に心が掻き乱れるが、考え方を変えよう。
「重力には勝てないのだから……」
そう、思慮深く、賢い彼ならば、大きさなぞには騙されない。形だ、形、晴香は形には自信があるのだ、それに将来性も
「この世界、重力ないらしいよ?」
「ッ!」
彼の何気ないそんな一言が、晴香の希望を叩き潰したのであった。
脱け殻と化した晴香を一通り抱きしめ終えたテリーゼは、潤いに満ちた表情で微笑んでいる。
「なんだったの……?」
「可愛いもの好きらしいよ」
「ッ!?」
それは、晴香のことを少なからず可愛らしいと思って言っているのか。それとも服装のことを言っているのか、晴香には解らなかったが、どちらにせよ彼女の心をときめかせるには十分すぎる言葉であった。
「それで、テリーゼ。
今日は、どうしたんだ?」
「なにって、決まってるでしょう?
お祭りよ、お祭りの準備」
そう言うと、テリーぜは修道服の何処からともなく装飾品やら食材やらを取り出し始める。
「えっ……今日、お祭りあるんですか?」
ものっスゴイ、顰めっつら。
(雁矢くんは、お祭りが苦手と……)メモメモ
晴香は、そう頭のなかに刻む。
「そうか……私、今日。
祭られるんだった……」
「……お前の祭りかよ! 祀られるほど、立派な人間じゃねぇだろ!!?」
ベルの呟きに、思わずツッコム雁矢であったが、その表情がニマリと悪い笑顔に変わる。晴香も全く同じ気持ちである。
「なんだか楽しみだね~」
「あぁ、ホントに」
知人が崇めたて祀られているのを傍観する、楽しくないわけがないではないか。
※ ※ ※
"勇者祭"それが今夜、華々しく催される祭りの呼び名である。今年で第3回目を迎えるようでその歴史は浅い。アゾフ海並みに浅い。
まぁ、そもそもの話し、ダンジョンが出来て、まだそう長い年月は経っていないので当然と言えば当然……いや、勇者に関してはダンジョンが建設される以前から存在していたようなので、他の地方ではもっと長い歴史があるのかもしれないが、そこら辺はよく解らない。
「「アッハッハッハッハッハ!!」」
往来する人々が楽し気に騒ぐなか、一際大きな笑い声が響いている。
俺と晴香さんですね。悪目立ちするのは好きじゃないし、現に周りからの訝し気な視線がなんとも落ち着かない。しかし、これを笑わずにいられようか。
右を見ても、左を見ても、そして前も後ろも、なんなら見上げみても、ベルを
それだけでも十分に面白いのだが、誰が造ったものかは不明だが、それらの飾りに描かれているベルがやたらと美化されているのだ。ある像は、剣を天高く掲げ雄々しく哮っている。ある像は、伝説の宝剣とばかりに深々と地面に突き立った神々しい雰囲気の剣を抜かんとしている。どちらも、剣を根菜にでも入れ替えればシックリくるのではないだろうか。そうお偉いさんに提案してみたい気持ちはあるが、罰せられるのもイヤなので心のなかに留めておくことにしよう。
そもそも、"勇者祭"と称されているのに、何故ベルばかりが祭り上げられているのか……その答えは至極単純で、数人いる勇者のなかでベルが断トツの人気なんだとか。事実、先程ベルが排泄をするのかしないのかで口論になっているバカがいた。昔のアイドルかっての。
ちなみに、排泄しない派のバカは、俺の右隣を鼻歌混じりに歩くどこぞの修道女だ。ベルは、祭りの準備があるとかでどこかへ行ってしまったのだが、その後も当然とばかりについて来ているのである。てかあんた、仲良しなんだからアイツが御手洗いに立つこととかあっただろ……。
「いや~、何度見ても壮観ですね~」
目に焼き付けるように目蓋をこれでもかと持ち上げて
「最早、別人ですけどね」
俺の言葉に、彼女はクイと大きな胸をそらすと、見下すような流し目をしてフンと鼻で笑った。
「解ってませんね。
私だけがあの
「「あ~」」
なんだか少し解る気がした。
確かに思ったのだ、民衆が自分こそが彼女の一番のファンなのだと言わんばかりに"勇者様!""ベルティーユ様!"と歓声を上げるなか、
(この人達、アイツのことなんも知らないんだろうな~)
と、そしてそのとき俺が感じたのは優越感や自尊心に類するものであったのは間違いないだろう。
「そんなことより、早くパレードに向かいますよ」
「そうですね、アイツの勇姿を最前列で見てやらないと」
そして、思いきり笑ってやるのだ。
「お、おぉ~~~~~~」
しかし人混みから必死に伸ばされる、細い腕を見ると目的地まではまだまだ遠そうだな、と思うのである。
※ ※ ※
「クッ……クハハハハハハハハハ!!」
「~~~~~~!!!!」
ズラーーーリと群れる人間の先頭で、俺はらしくもなく爆笑。しかし、周りもザワザワと騒がしいので、笑い声はその衆人環視の声に相殺されるているだろう。多分。
人々の視線の先には数人の男女の姿があり、その中には見知った人物もちらほら。その中心にあるのが御馴染みベルである。当然服装は、先程まで着ていた可愛らしい服ではなく、煌びやかな鎧姿だ。
彼女は、鋭い瞳でこちらを睨み付けてくる、笑われていることに腹を立てているのだろう。しかし、この衆人環視のなかではなにもできまい。だから思いっきり笑ってやるのだ。
ちなみに、晴香さんはあまりにも頻繁に姿が見えなくなるので、逸れないように手を繋いでいる。顔を真赤にしながら押し黙っているのは、人酔いのためと思われる。
「日高見様って、アホですよね」
横を見れば、梅雨並みにジメッとした目をしたテリーゼさん。
「何ですか? 藪から棒に、確かに常識人とは言い難いかもしれませんが……」
自分の社交性のなさは、自負しているつもりだ。
半年ほど前までは、ビジネススマイルとビジネストークで社会にとって都合のいい自分を演じていたが、現在は猛スランプ中。もとの世界では、自分がどのように他人と接していたのかすら解らなくなり、視線すら恐ろしくなり、一時は対人恐怖症のような状態になってしまっていたほどだ。
「いえ、そういう意味じゃなくてですね、今、自分が修羅場にあると認識していますか?」
なんだ、無駄に陰鬱な気分になってしまったではないか。
「修羅場って、阿修羅と帝釈天が争ったっていう?」
まさかとは思うが、異世界だ、なにが起こってもおかしくはない。
咄嗟に、俺は晴香さんの手を引き、
確かに、テリーゼさんが荒ぶる神と比喩したのも納得である。
「あなたの言動が、私にはサッパリ解りませんよ」
そう言うと、テリーゼさんは『は~……』と深い溜息をつくのであった。
やっぱり、人間関係って難しい……。
※ ※ ※
パレードが終われば、先程の喧騒は嘘のように静まり、行き交う人も
祭りの終了とともに、人の群れが蜘蛛の子を散らすがごとく家のなかに引っ込んでいった時は、こいつ等、イヤイヤ参加してたのか?"とも思われたが、街の様子を見ればそれも納得である。
ーー暗い、物凄く暗い。
街灯がないとここまで暗くなるものなのか。雲で月光が遮られていることも大きな要因だろう。窓から灯りの零れている家もちらほら見られる、しかしそれは木漏れ日のように淡く優しい光ではあるが、この場においてはあまりにも頼りない。
こういったとき、自分の視力の良さをありがたく感じる、ドライアイでさえなければよりありがたいのだが。
グッと目を凝らすと、ほんの数メートル先に薄らぼんやりと人影が浮かび出たため咄嗟に左に避けようとしたが身体が全く動かなかった。そのため、向かいから来た男性はビクリと身体を硬直させると、お互い気まずげ会釈をしてから、やっとこさ歩き出す。
「は~……」と、深い溜息が出た。
「今誰かいたのかな? 全然、見えなかったよ」
キョロキョロと周りを注意深く見渡す、小柄な人の影。晴香さんだ、彼女は俺の右腕に縋り付いてグリグリと身体を押し付けてくる。
密着しすぎな気もするが、こちらはまぁ良いのだ、目があまり良くないようなので仕方がない。問題は、反対側の腕だ。
「ひ……人が……人のようなものがサーって、サーって……ドヒャーー!!」
「だからさ~人なんだって、"のようなもの"じゃなくて、純然たる人なの。
あと、そのよく解らん怖がり方? ご近所迷惑だからやめような」
ズザザ ズザザ ズザザ ズザザーー
鉄製の胸当てと、尋常じゃない握力が俺の左腕に巻き付いてくる。
ーーこの勇者、暗いところが怖いときた。
ズザザ ズザザ ズザザ ズザザーー
ベルは、腰が抜けたように一歩たりとも動かないので、全力で引き摺り動かしている状況だ。
「ドヒャーー!!
1カロン(km)先に、人のようなものがいるぞ!!」
流石勇者だ、人並外れて視力がいい上に、夜目も効くとは。最早、コイツは何を恐れているのやら、サッパリ解らん。
「そう言えば、日高見様」
背後から掛けれれた声に「なんですか?」と振り返った。
「モヒャーーーーーーー!!!!!!」
ベルの馬鹿デカイ叫び声に耳がキーンと波打ったが、彼女が驚くのも少し解る、何故ならそこには白い首……厳密に言えば顔だけが中空に浮いているからだ、それもよく見知った顔である。
ベルからは言わずもがな、晴香さんからも右腕を通して不安が伝わってきた。
「テリーゼさん……結構、怖いことになってますよ」
俺は、嫋やかに微笑む顔に向かってそう口にした。
顔以外をスッポリと覆うような黒い修道服に身を包んだテリーゼさんは「何がですか?」とキョトンとした顔をしてクルリンとその場で一回転した。
一瞬、本当に消えた風に見えたが、単に後ろを向いただけだろう。
俺は、まぁいいかと「何でしょうか?」と、当初の話題へと戻す。
絶対わざとなので、突っ込んだら負けだ。
「忠告ですが、背後に気を付けた方がいいかもしれませんよ」
ーーいま、背後にいるのは貴方ですよ?
「何ですか……犯行予告ですか?」
たじろぐこちらに対して、テリーゼの柔和な笑みが悪い笑顔へと塗り替えられる。
「嫌ですね、違いますよ」
その表情は、またコロリと変わり、いつもの静かな笑顔になった。
本当に、この人の性格の悪さは、心臓に悪い。
「日高見様は、今晩。この街に宿泊されるんですよね?」
何が言いたいのかよく解らないが、実際そうなので頷いておいた。
「この街に限ったことではないのですがね、金銭を目的に観光客を狙う輩がいるので襲われないように注意してください」
外国の観光地でも観光客を狙った置き引き・盗難はよくあることだ。どうやら、異世界の観光地でも同様のことがあるようだ。
よし、もし襲われたら迷わず有り金全部出そう。大丈夫、なんせ俺の財布は魔王なんだぜ!!
「あと昨年の"勇者祭"において、観光客が夜中に突然宿に押し入ってきた行商人にボコボコにされる事件が数多く発生したので注意してくださいね」
「どうしようもないじゃないか……」
どうしてそんなことを……。
玄関先に、有り金全部供えておけば見逃してくれるだろうか?
「観光客が増えれば宿が埋まります、絶好の稼ぎ時に宿が奪われた行商人は不満を募らせ、翌年の観光客を減らそうと観光客を片っ端から襲うんですね~」
「でもその稼ぎを生み出すのは観光客ですよ? 将来の利益より目先の宿を選ぶとは、
「はい、なのでそんな愚かなことをする者は、極々一部ですが……」
「その一部が、問題であると……」
テリーゼさんは、コクリと頷く。
どうしようもない馬鹿が、真っ当に生きる人々にとっての脅威となり、死錘となる。どんな社会でもその欠陥は変わらないのかもしれない。
「僕は、どうしたらいいのでしょうか……?」
「大丈夫ですよ、死者は出ていませんから!」
そう言うとテリーゼさんは、パッと花火のように笑い、サムズアップ。そして、「それでは、私はこの辺で!」と言ってペコリとお辞儀をすると暗闇のなかに消えてしまった。
一人で大丈夫だろうか? と思ったが、彼女の走って行った方をよく見れば教会は目と鼻の先だったようだ。
「何やら、よく解らん話しをしておったな」
身体はガクガクと震えているが、声色だけは普段と変わりない威厳を保てるようになったらしいベルが、それこそよく解らんことを
「寝込みを襲われる可能性が高いって話だよ!!」
俺の中ではすでに、襲われるまで起きといて襲われてから寝るか。それとも、睡眠中に襲われるか。どちらがイイのかを天秤にかけている状況だ。
「誰が?」
「俺がだよ……」
ーー暫くの沈黙。
「えっ」
「へ?」
「ん?」
猛烈に噛み合っていない感覚に、ベル、晴香さん、俺の順で首を傾げた。
「
「ないよ……」
ーー停滞。
いや、普通に考えてないだろ。
年頃の男女が一つ屋根の下で寝食を共にするだなんて、万に一つもおかしなことはないとだろうが……コイツは本当に女か?
「今朝、頑張って部屋の掃除したのに?」
「部屋が華麗になってよかったな」
潤んだ瞳で上目遣い。をしているのであろうが、暗くて見えないのでなんの脅威にもならない。
「可愛い寝間着も買ったのに?」
「その前に、私服を買え」
ベルがグヌヌ……と唸る。
「イヤだ!」
グイと腕が引っ張られた。
こうなると彼女は頑固だ。そして今のところこうなった彼女を説得できたことはない。
「そう言われてもな……」
「なにがダメなんだ!」
「マズイだろ、立場的に。お前みたいな人気者が家に男を連れこれだと知れてみろ、あることないこと噂されるぞ?」
「イイもん!!」
暗くて判然としないが、感情が高ぶり過ぎて瞳から熱いものが零れてしまったのだろうか、ベルが俺の胸に顔を押し付けてきた。
ズキリと胸が痛む。
少しやり過ぎたか。最終的にはいつも彼女の我儘を聞いてしまう自分が少し癇だったのだ、しかし今回のことで解った。
ーーオレとコイツはコレでいいのだ。
そもそもの話し、先程のテリーゼさんの言葉からすると、確実に今日はもう宿が空いていないはずなので、ベルが泊めてくれないと困るのはこちらなのだ。
「ふひひひひーー」
そのことを解っているのであろう晴香さんが奇妙に笑っている。
俺は、"しょうがないな"と言いたげなフリをする。
「解ったよ。
少なくとも今晩は、お世話になるよ」
その言葉に、ベルはチーンと鼻をかむと「うん!!」と元気な声を発する。
可愛らしい満開の花のような笑顔が見れないことが残念てならない。しかし、今はそんなことよりーー
(コイツ、俺の服で鼻かみやがったのか!?)
少し頭にきたので、彼女のオデコがあるであろう場所に、思いっきしデコピンをお見舞いしてやった。
「ふにゃ! ふひひーー」
オデコを摩りながら、奇妙に笑うベルの姿が容易に想像できる。なんだか、頭を撫でてやりたいという衝動に駆られたが、理性で止めることにした。
ふと思うことがある、"俺は、ベルのこんな笑顔が見たくてからかっていたのではないか?"と、小学生じゃあるまいしそんなことはないかーー
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