幕間5 日下部 晴香の場合
彼がいなくなってから、2ヶ月が経過した。
彼のことは、ニュースになった。学校では警察による聞き込みも行われたが、これといった情報もないようで、最近ではあまり警察の姿を見ることもなく、何事もなかったかのような平穏な日々が続いている。
実際、今現在においても、淡々と数学の授業が行われているのだ。
それは、晴香も例外ではないようで、最近では、彼女も例の喫茶店に行くこともなく大人しく自宅に帰っている。
これで、真紀も犯罪紛いのことに付き合わされることもない。喜ばしいことだ、喜ばしいことだと思っていた……。
しかし真紀は、不思議とそのことを素直に喜べていなかった。
彼のことを少しだけ知ってしまったから、というのも少なからずあるとは思うが、なによりその日から、晴香が少しよそよそしくなったのが大きい。
特に、真紀にとってショックなのが、学校帰りにどこかに寄ろうと誘っても、晴香が首を縦に振らなくなったことだ。
きっと晴香は晴香なりに、彼が行方不明になった事実を、受け入れようと必死なのだと真紀は信じている。
「?」
丁度、数学の教師が黒板に式を書き込もうと、こちらに背中を向けたとき、後ろの席から頭の上を飛び越えて丸まった紙が真紀の机に降ってきた。
後ろの席は晴香だ、こういったやりとりも最近ではなくなっていたので思わず頬が緩む。
『やっと、日高見くんの実家の住所が分かったよ!!』
(オイ……)
『最近、よそよそしいと思った理由はそれか!!』、『私の気持ちを返せ!!』と叫びたくなったが、真紀は嘆息すると、あまりにも親友らしくて笑いが込み上げてきた。
取り敢えず、授業が終わったらとことん文句を言ってやる! と心に決めるのだった。
※ ※ ※
土曜の昼下がり。
「おっきい……」
ドラマとかで見る、お金持ちの家を連想させる相貌だ。表札には、綺麗な文字で『日高見』と書いてある。
いまから、真紀と晴香はこの家にお邪魔しなくてはならない。
まず、見上げるほど大きな門を潜ってから、大きな庭を通って、大きな家に入るのだ。
全てが、いちいち大きい。
そして、目の前の門は固く閉ざされていた。
ここで、警備の人の許可を取って始めて庭に辿り着ける。
それだけでは終わらず、家に入るためにまた、許可が必要となるのだ。
真紀は、まるで鉄壁の要塞を見ているような気分になった。
2人で攻略するよりも、『ルパン 3世』を読んできたほうが手っ取り早いのではないのか、とすら思えてくる。
「ねぇ、真紀ちゃん。変じゃないかな?」
「挙動が変だよ」
「酷いよ~、真剣に聞いてるのに」
晴香は妙にめかし込んでいる。
晴香が、『日高見くんの妹に、
彼女にとって、彼ともう会えないかもしれない、という考えはないのだ。
「ねぇ、どうやって入るの?」
さきほどから、警備の人が訝し気な顔でこちらを見ているので、取り敢えず移動したい。
「う~ん、日高見くんの私物を持って来たって言ったら通してくれるかな?」
「確実じゃあないね」
警備の人に預けて終わる可能性がある。
「そうだよね~、どうしよっか~、困ったな~」
「そこは、ノープランなんだね……」
門の前で、グルグル回って考えごとをする晴香。
見ると、警備の人が
(ヤバイよー!!)
いったん、引こうと真紀が晴香の右腕を掴んだそのとき。
「どちらさまですか?」
背後から、声が聞こえた。
ヤバイと思い、咄嗟に振り向くと、そこには20代前半くらいの女性がいた。
ツンと尖った鼻、大きな黒い瞳、シャープな顎、美しい顔立ちだ。
真紀は、一目見ただけて『負けた』と思い、性格がドギツイことを説に願った。
しかし、彼女の花のような笑顔がその期待を情け容赦なくぶち壊す。
晴香が言った。
「あの、日高見
「愛莉矢様の、お知り合いですか?」
「いえ……会ったことはないです。
お兄さん……日高見 雁矢さんの私物を渡したくって」
晴香が言うと、彼女は目を見開いた固まった。
「まさか……日記ですか!?」
「あぁ……はい、これです」
晴香が、ワケが解らずに困惑しながらもバックから日記を取り出して見せると、彼女は震える手でそのノートを受け取り、それを抱きかかえ、そして地面に屈み込んだまま泣いてしまった。
真紀と晴香は、なにがなんだかさっぱりだったが、彼女が泣き止むまで傍にい続けた。
※ ※ ※
運が良かった。
まさか、こんなにもあっさり入れてしまうとは……。
これも晴香の彼に対する愛の力かもしれないと思うと、真紀は総毛立つ。
「先程は、お見苦しいところを……」
いまは、3人で果てしなく続く長い廊下を歩いている。
2人の前で、長く美しい黒髪を揺らしながら歩いていた女性は、恥ずかしそうにはにかみながら、少しだけこちらに振り返った。
「「いえ、いえ」」
半袖の白いトップスに、淡い青色のロングスカート、清楚で清潔感のある服装だ。
顔も良く、スタイルも良く、性格も良く、ファッションセンスもいい、なんとしてでも悪いところを見つけてみせると真紀は躍起になっている。
「あの~、家政婦さんなんですか?」
対象的に、晴香は別段気にすることもなく、女性と話している。
好きな人の近くに、こんな美の超人みたいなのがいて、不安にならないのだろうか? と真紀は思う。
「あぁ、そうでした。
ご挨拶をしていませんね、私は工藤 静と言います、家政婦ではなく愛莉矢様の家庭教師です」
改めて、工藤さんが恭しく礼をする。
「日高見くん……日高見 雁矢くんとは、どういった関係なんですか?」
真紀もそれは思った。
彼の妹の家庭教師が、彼の日記を見てあんな反応をするだろうか? するとは思えない。
工藤さんは、その質問に少し考えるような素振りをしながら答える。
「そうですね……強いて言うなら、協力関係と言ったところでしょうか?」
怪しい……真紀ならそう思ってしまうが、晴香は気にする風もない。
「日記の存在を知っているのは、工藤さんだけですか?」
「はい、愛莉矢様も、それに旦那様や奥様も知りません」
「内容も知っているんですか?」
「詳細は、私にも解りません。
しかし、どんなことが書いてあるのかは容易に想像ができます」
頭の良さそうな会話だ。
でもなんとなく、真紀にも話の主旨は解った。つまり、工藤さんもこの家にとって都合の悪い情報を知っているということだ。
「だから、日記を探していたんですね?」
「はい……雁矢様が、誰にも教えてはいけないと仰ったので、警察が雁矢様のアパートを捜査すると知ってからは、心ここにあらずでしたが、日記がどこにもないと知ってどうしようかと……」
工藤さんは、胸を撫で下ろした。
「私たちが、なにをしに来たのかも解ってますよね?」
見透かしているような声だ。
「そうですね……雁矢様には、口止めされていましたが、この際、打ち明けてもいいのかもしれません」
「もし良かったら、日高見くんの部屋にも案内してくれませんか?」
呼吸を上気させながら、懇願する晴香。
(出たよ……)
真紀は、思わず嘆息する。
「ダメです」
工藤さんは、険のある声でキッパリと答えた。
真紀には、晴香と工藤さんの間にバチバチと火花が散っているのが、確かに見えた。
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