第5話
それから松田は、毎日のように通っては、一杯500円の自家焙煎モカ・マタリを飲んでは嬉々として帰って行った。
それはそれとして、固定客がついたということで良いことに違いなかったが、記事を書くということについては頭が痛かった。
「クィーン・レーベルでの話を書いていただければ有り難いのですが・・・・・・」
松田は千明のデビュー曲、そしてファースト・アルバムの製作秘話を書くように勧めた。
しかし近衛は気が進まなかった。
奏も大きくなって、ようやく千明が亡くなった痛手も癒えつつあったところである。それをまた蒸し返すことになるばかりか、奏が記事を読んだり、記事を読んだ知り合いや友人から母親のことを根掘り葉掘り訊かれないとも限らない。できればそっとしておいて欲しい、と心では願っていた。
そこで近衛は松田に提案した。
「レコーディング・エンジニアは私ということがわからないよう、ペンネームでということでいかがでしょう?」
これには松田も同意した。
「確かに、奏ちゃんのことや三条家、近衛家のことを考えると、エンジニアがあなただとわからない方が良いかと思います。ペンネームについては後日、入稿の時までに考えれば良いでしょう」
近衛は少し安堵した。そして、松田の言葉尻が、少し上から目線の先日までとは打って変わって、丁寧な口調になっていることに気づいた。そればかりか、腰も低くなって、頭を下げる回数も多くなったようだった。
「それはそうと、このお店のメニューですが、やはり小腹が空いた時に食べられるもの、いくつか用意しておくべきだと思ったのです。ただ、カレーライスのような、臭いが強くてコーヒーの風味を損なうものや、アルコールは置きたくありません。そこで、カルボナーラなどのパスタや、ハンバーグならコーヒーとの相性も良いし、いかがかな、と思いまして・・・・・・」
近衛がカウンターの奥に目で合図した。
松田が目を丸くしたのは奏が運んできたカルボナーラのせいではない。視線の先は奏の服であった。
濃いめのカフェブラウンのロングスカートに上着はパステルピンク、襟元には真紅のリボン。ブラウスは露出を避けた長袖タイプ。カチューシャを付けたメイド服ではないが、店内を明るくするに足るコスチュームである。
ちょっとはにかみながら、奏が湯気の立つカルボナーラを松田の手元に置いたが、松田の視線は奏に釘付けになったままであった。
「ごゆっくりどうぞ」
目の前にカルボナーラが置かれたものの、松田は奏の後ろ姿を追い続けていた。
「冷めないうちに、どうぞ」
近衛が催促する。
「あ、ああ・・・・・・」
松田はカウンターの奥に消えた奏の後ろ姿を追って、気もそぞろであった。
「できれば頬肉のグアンチャーレを使用したかったのですが、なかなか入手困難で、仕方なくパンチェッタを使用しています。卵が固まらないよう、生クリームを使用するかどうか考えたのですが、パンチェッタの脂とパスタのゆで汁で固まらないようにはできますが、日本では生クリーム入りが定番となってしまっています。生クリーム無しのカルボナーラはいかがですか?」
松田は心そこにあらず、という表情で答えた。
「お、美味しいです」
近衛は小さくため息をついて、カウンター奥に声をかけた。
「次、持ってきて」
「はぁ~い」
奏の声が聞こえたとたん、松田の表情がパッと明るくなった。
(なんと現金な!)
近衛は一瞬、蔑んだ視線を向け、慌てて表情を取り繕った。
「他にもパスタは和風、ミートソース、トマトとツナを出せるようにしています」
奏の姿が現れたとたん、松田の相好が崩れた。
ハンバーグがテーブルに置かれたものの、松田の視線は奏のコスチュームに注がれたままであった。
「それはそうと、その服、見事です。どこで選ばれたのです?」
近衛は頭を抱えた。
「たまたまテレビを付けたら、アニメで喫茶店の話をやっていて、その衣装が可愛らしかったので、作ってみました。スカートとブラウスは市販品ですけど」
奏は天真爛漫の笑顔を松田に向けて説明した。近衛は後ろを向いてさらに深く垂れた頭をかかえていた。
「お嬢さんは今すぐ、服飾デザイナーもやれるじゃないですか!」
松田は立ち上がって、身を乗り出した。
「テレビの真似をしただけです。それに裏地はまだ縫い付けていませんから、完成品ではありません」
椅子に再び腰を下ろし、松田は呟いた。
「なんという
腰を降ろした松田の視線の先にハンバーグが目に入り、濃厚な香りが鼻をくすぐった。
フォークだけで切り分けて、口に運ぶ。
「う、旨い!」
「良かった。それ、まだ試作段階ですけど、私が作ったんです」
松田は唖然とした表情を奏に向けた。
後ろを向いていた近衛が向き直り、ゆっくりと口を開く。
「千明が亡くなってからというもの、奏が家事全般、ほとんどやってくれてましてね。お陰で私は喫茶店の仕事に専念できたのです」
顎に手をやっていた松田がポツリと言った。
「だとしたら、これは問題がある。お嬢さんがいなければ、この料理は作れないというわけですな」
奏はチラッと近衛を見て口を開いた。
「いえ、最初にレシピを考えたのは父さまです。調味料の配合とかはまだ実験段階ですが、もちろん父さまにも作れますし、調理方法とかいろいろ工夫してみるつもりです」
「そうそう、アルコールは提供できませんが、ノンアルコール飲料は置くようにするつもりです」と、近衛が付け加えた。
「あと、特製パフェも!」と、さらに奏が嬉しそうに付け加えた。
「これでメニュー、音、衣装が揃った、というわけですな。じゃ、あとは私の出番ですな」
松田が腰を上げた。
「あ、そうそう、できれば次の号に広告、入れていただけませんかな」
そう言えば、松田の口調が最初の頃に戻っている、と近衛は感じていた。
「いくらです?」
「20万・・・・・・」
近衛の鋭い視線が松田を貫いた。
「あ、いえ、最初ですからサービス価格の5万ということで・・・・・・」
急に平身低頭、口調も丁寧になった。
「リニューアル・オープンてことで、それを前面に出した広告をお願いします」
「わ、わかりました」
ほとんど揉み手状態の松田を見て、本当に大丈夫なのだろうか、と不安な気持ちを隠せない近衛だった。
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