第3話
まるでアイドルの撮影会だった。
「その、窓際に立って……」
「
いい齢した男二人が、少女にほとんど同時に声をかける。
カウンター奥に姿を消した近衛は、カメラを一台手にして足早に戻って来た。
一方、松田もバッグに手を突っ込むと、レザーケースにプロテクトされた、ライカのカメラを取り出した。
「M!」
近衛は声を上げた。だが、それだけでは終わらなかった。
「ノクティルックス!」
ボディは80万円を超えるが、レンズはその上をゆく。なんとレンズだけで130万円近くもするのだ。人の目より明るく被写体を捉えることができる名玉である。
つまり、松田は鞄の中に200万円超の札束を入れていたに等しい。
だが、松田はゆっくり首を左右に振った。
「私の場合はライカの最高機種に、室内でフラッシュをたかずに写せる最も明るいレンズを単に選んだだけ。ニコンDfと、抜群の解像度とみずみずしさを誇るカールツァイスのレンズ、Otusを選ぶ近衛さんのセンス、どちらがお嬢さんを撮影する上で良い組み合わせかは明らか。さらに窓際の外光の強さを考えて軽くフラッシュをたき、顔の陰を消しながら、一方で胸元の立体感を演出するなど、まったくもって素人の域を超えていますな。恐れ入りました」
深々と頭を下げた。
実際、撮影した画像を見てみると、松田の写真はピントの山が狭くて奏よりわずかに後方の窓枠にピントが合ってしまっていた。
一方、近衛の写真では、見事なキャッチライトの瞳と、みずみずしい唇に加えて漆黒の艶やかな髪の毛先が立体的に浮き上がって柔らかく捉えられていて、軍配は近衛に上がったと言ってよい。
もっともそれはレンズの性能を熟知した上で、日頃、幾度となく娘を被写体として撮影してきた父親ならではのアドバンテージもあってのことである。
これは成長過程にある少女らしく胸元の膨らみをきちんと魅せる、バストライン直下からわずか斜め上方向へのアングルにも現れていた。
松田が唸りながら続けた。
「Viva・Audio誌創刊時にはカメラマンを雇う金がなくて、自ら商品撮影をやってましてね。一昨年には二科展に入賞したこともあって、写真に関してはそこら辺のプロには負けないくらいの自信があったのだが……。上には上がいるもんですな。そこでまたまた相談なのだが、ウチで仕事するつもりはないですかな?」
間髪を入れずに近衛は答えた。
「そのつもりはまったくありません。だいたい松田さんは、この喫茶店をなんとかしようと、いらっしゃったのではないですか?」
「おお」
松田は膝を打った。
「そうだった、そうだった」
「まずはこの喫茶店を繁盛させてから、です」
う~む、と松田は考え込んだ。
「繁盛しなかったら時間を持て余して、すぐにでもウチに来てもらえるのでは?」
「何度も申しますが、そのつもりはありません」
松田の顔に一瞬、泣きが入った。
「嫌われたものだな」
「嫌うもなにも、松田さんが信頼できる人かどうかを判断する意味でも、まずは、この喫茶店をどのように立て直すか、です。そのお手並みを拝見させていただいてから、です。もちろん、私にできることは可能な限り、自分の喫茶店ですから、自ら進んでやります」
顎に手をやっていた松田が、上目遣いに視線をゆっくり動かした。
「それじゃ、三つほど提案が」
軽くせき払いして続けた。
「まず、音楽がそれなりに鳴るシステムの構築を。できればスピーカーはJBLのエベレストDD66000で。次にお嬢さん、
「マタリなら、常時手に入りますよ」
松田は言葉に詰まった。
「パナマのゲイシャも取れますよ」
松田の目が大きく見開かれた。
「なんでしたら、ブルボン・ポワントゥも少量ですが、入りますよ」
松田は息を飲み、しばらく沈黙が続いた。 そして近衛を凝視して言った。
「近衛さん、あなた、何者です?」
参ったな、という表情を隠さず、近衛は答えた。
「しがない喫茶店の主人、ですよ」
「そんなわけ、ないでしょ。ゲイシャやブルボン・ポワントゥを扱える喫茶店なんて、日本広しといえども……」
声を荒げて机を叩いた松田だったが、我に返って頭を下げた。
「大声を出して申し訳ない」
近衛はため息をついた。
「まぁ、ご存じのように近衛家は世界中にネットワークを持っています。私はそのおこぼれを頂戴して、コーヒー豆の入手ルートを開拓しただけのこと。こういう時は近衛の名前の有り難さが身にしみます」
近衛は少しだが表情を和らげた。
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