第15話
智哉と神楽耶に現れた二人は若い姉妹だった。一人は背が低く、もう一人は高い。背が低い一人は頭に被ったパーカーの隙間から、燃えるような紅い髪をチラつかせていた。背の高いもう一人はフードをしておらず、艶のある黒髪を晒している。俊之に怪我を負わせた不良共をあっと言う間に片づけたあの二人だ。
「よう、久しぶりだな。髪が短くなってるもんで最初は気づかなかったぜ。こっちでは神楽耶といったか」
赤髪の娘が声を掛ける。
「え~、えと、神楽耶お姉さま、お久しぶりです」
長身の黒髪が小首を傾けてにっこりと微笑んだ。
「ミローナ、エトリン、貴方達、何故ここに」
神楽耶は驚きを隠さなかった。ミローナと呼ばれた小柄な娘は、少し顎を上げ、見下したような視線を智哉に向ける。
「お前が『
ミローナの口元に笑みが浮かぶ。智哉は一瞬、赤髪の娘に何処かで会ったことがあるような気がしたのだが思い出せない。この娘達も『宙の王』を探しているようだ。智哉の頭には『宙の王』とは一体何者なんだという疑問が回遊していた。しかし今はそんな時ではない。智哉はその思考を力づくで抑え込んだ。
「彼は関係ないわ」
神楽耶が否定する。
「ふん。コネクトすれば分かることだ」
ミローナは鼻を鳴らすと、首からぶら下げた紫のペンダントを握った。彼女の瞳が藍からグリーンに変わる。
「桐生君、逃げるわよ」
神楽耶が智哉の手を引いて駆け出した。
「エトリン。お前は見てろ。力加減を間違えると殺してしまうからな」
逃げ出す神楽耶達を遠目にミローナは妹に釘を刺した。
「はい。ミローナ姉さま」
エトリンは、うふふと嬉しそうな表情を浮かべた。
ミローナは神楽耶と智哉が通りを左に折れ小道に入ったのを見届けると、目を閉じる。その瞬間、彼女は智哉達が曲がった角に一瞬で移動した。
智哉は神楽耶に手を引かれるまま懸命に走った。しかし神楽耶の足は驚く程速い。流石、バスケットボールでダンクシュートを決めて見せる脚力は伊達ではなかった。智哉はついていくのに精一杯だったが、神楽耶をみると息一つ切らさず平然としている。それどころかちらちらと智哉の状態を確認していた。どうやら智哉に合わせて走る速度を調節しているようだ。
息を切らしながら、智哉は尋ねた。
「な、なんなんだい、あの
「敵よ」
神楽耶は当たり前のようにさらりと答えた。智哉は誰かに狙われる覚えもないし、誰かを敵視したこともない。あの二人の娘が神楽耶の敵だったとしても、神楽耶とどういう関係なのか智哉には想像もつかなかった。
神楽耶が智哉を左の小道へと導く。石塀に挟まれた真っ直ぐな路の中途に左右に枝分かれした道が続き、その奥も更に枝分かれしている。石畳の固い感触を爪先に感じながら智哉はこの迷路を使って、追っ手を振り切ろうとしているのだと思った。
神楽耶と智哉が最初の枝分かれまであと少しのところにまで来たとき、目の前の空間に陽炎のような靄が立ったかと思うと、先程の赤髪の娘がそこに現れた。
「……!」
智哉は息を飲んだ。逃げていた筈なのに先回りされた。いや、何もない空間から突然出現した。ミローナは
「くっ」
神楽耶は急減速した。同じ速度で走っていた智哉は勢い余って転びそうになるが、何とか踏みとどまった。智哉が後ろを振り返ると、先程曲がった角に背の高い妹の姿が見えた。
(挟まれた……)
智哉はぞくりと背筋に悪寒が走るのを覚えた。石畳と石塀に囲まれた小道が急に石棺にでもなったかのような冷たい無機質なものに思えた。入り組んだ小径を使って撒く作戦は裏目に出てしまったようだ。
「桐生君、隠れて!」
神楽耶はそういったものの、巷路には隠れられそうなところなど何処にもない。智哉は仕方なく壁を背にしてもたれ掛かった。神楽耶は智哉を護るようにその前に立つ。
ミローナはゆっくりと二人に近づき、数歩の距離まで近づくと神楽耶に警告した。
「神楽耶、ちょっと
「嫌よ!」
神楽耶がきっぱりと拒絶する。だが、その言葉と裏腹に神楽耶の顔には焦りの色が浮かんでいた。ぎゅっと唇を結ぶ。神楽耶は右足を半歩引いて、拳を握り、僅かに前傾姿勢を取った。
「邪魔立てするならお前でも容赦しないぜ。なぁ、紅月……」
その言葉が終わらないうちに、神楽耶はミローナに飛び込み右ストレートを放った。目にも止まらぬ稲妻のような疾さであったが、ミローナは体を捻ってパンチを躱す。神楽耶のパンチはミローナの額を掠め、その風圧はミローナの頭を覆っていたパーカーのフードを外した。燃えるような紅い髪と黄色い角が露わになるが、半身になったミローナはそのまま時計回りに回転しカウンターで裏拳を見舞った。神楽耶はバックステップしてなんとか回避する。しかし、ミローナの拳は神楽耶の眼鏡を掠め、吹き飛ばした。
――ガラン、カン。
神楽耶の眼鏡が智哉の足元に転がり、石畳に弾む音が響いた。眼鏡にしては異常に重く金属的な音だった。しかし、神楽耶の眼鏡を拾った智哉が、異常に気付いたのはその重さではなかった。
智哉は、体勢を立て直してミローナを睨んだ神楽耶の素顔を見て息を飲んだ。彼女の右目の下に、横数センチに渡って傷が走っていたのだ。
「まさか……」
普段は、薄く化粧でもしていたのだろう。学校で接しているときには、そんな傷があったことなんて少しも気づかなかった。だが、汗で流れたのか、化粧が落ちたのか、智哉には神楽耶の傷がはっきりと見えた。
智哉は、モスバーガーで、神楽耶が伊達眼鏡と言われて慌てた理由が分かったような気がした。
神楽耶は伊達眼鏡ではないのかと言われたとき、神楽耶は後ろを向いて眼鏡のフレーム位置を直していた。きっと、右目の下の傷を見られたくなかったのだ。神楽耶の眼鏡がレンズの下にフレームがくる分厚いアンダーリムタイプであったのは、ファッションでそうしている訳ではない。傷を隠せるからだ。
智哉は神楽耶に伊達眼鏡と言ったことを悔やんだ。
一方、神楽耶は智哉に顔の傷を見られたことは気づいていないようだった。恐らく、そんな余裕もないのだろう。やはり智哉を庇いながらミローナと闘うのは無理筋であったのだ。それは神楽耶の額に滲む汗が物語っていた。
神楽耶が次の攻撃に移る前に今度はミローナが仕掛けてきた。神楽耶の目の前にテレポートするや、低い前傾姿勢で右足に体重を乗せ、手首を返して右拳を握りこむ。神楽耶はボディへの攻撃を警戒し素早く両腕を臍の辺りでクロスさせガードの姿勢を取った。
――ビシュ。
ミローナの掌底が天を突き上げた。ボディアッパーを放つと見せかけて低い体勢から一気に伸びあがる。掌底で神楽耶の下顎を狙ったのだ。それは「清涼公園」で不良の安藤をノックアウトした技に似ていた。
ミローナのフェイントに引っ掛かった神楽耶は、信じられない反応速度でスウェーバックして、ミローナの攻撃を間一髪で躱した。鼻先を掠めるミローナの掌が空気を押し除けるのに合わせて神楽耶の前髪が踊る。神楽耶は重心を後ろに残したまま、右ボディフックを放つが、腰の入ってないパンチはミローナの左手で簡単に軌道を逸らされた。
神楽耶はパンチを逸らされた勢いを利用してそのまま右足を軸に回転し、上半身を倒しながら左後ろ回し蹴りでミローナの顔面を狙う。ミローナはしゃがみ込んで蹴りを躱すと、綺麗にバック転して距離を取った。
(……凄い)
二人の目にも止まらぬ攻防戦に智哉は息を飲んだ。二人の動きは人のものとは思えなかった。
(達人同士の闘いだ……)
いつの間にか、智哉は拳を固く握り絞めていた。
「相変わらず見事な動きね。やはり格闘戦でテレポートを使わせたら、貴方の右に出る人はいないわ」
神楽耶は素直に認めた。彼女達のいた世界では、格闘戦中にテレポートは殆ど使われない。テレポート中は無防備になるからだ。
しかし、ミローナは例外だった。ミローナのテレポート速度は彼女達の世界の中でも群を抜いていた。ミローナの速度をもってすれば、テレポート中に攻撃される心配は無用だった。この御蔭でミローナは格闘戦でもテレポートを使う。
「でもね……。一発逆転っていうのもあるのよ」
神楽耶はそういって、ミローナに向かってダッシュした。神楽耶は左足を前に出して踏み止まると、左肩と腰を後ろに開いて溜めを作る。左フックの予備動作だ。それを見たミローナは僅かに重心を左足に傾ける。その刹那、神楽耶は左足に重心を移しながら右足で地面を蹴り、ノーモーションの右ストレートを放った。この闘いで神楽耶が初めて見せたフェイントだった。
ミローナは左足に重心を移していたため、回避できなかった。しかし、一瞬の判断で、素早く躰を倒してパンチを肩に掠らせて軌道を変える。神楽耶のパンチは唸りを上げてミローナの頭上を通り過ぎ、石塀に突き刺さった。
「一発逆転なんてなぁ、当たってからいうもんだ」
ミローナはそういって嗤うと、もう一段スピードのギアを上げた。
◇◇◇
神楽耶とミローナの闘いを見ながら、智哉は、自分の情けなさに歯噛みした。俊之を見捨てた一件が頭の中に甦る。だが、あの時の不良三人組とは比較にならない。神楽耶とミローナの闘いは次元が違う。返り討ちどころか命の危険さえあると智哉は思った。
(僕は見ている事しか出来ないのか……)
何も出来ない自分が苛々しい。これまで他人の為に何かしようとは殆ど考えたことのなかった智哉が初めて抱く感情だ。
智哉が尻込みしている間に、神楽耶とミローナの激しい闘いは第二ラウンドに突入していた。
右と思えば左、下に来ると見せかけて上と、フェイントを織り交ぜた超高速の攻撃を繰り出すミローナに対して、神楽耶は重いパンチとキックで迎え打った。フェイントと手数ではローナが神楽耶を上回っていたが、一発の威力では神楽耶が勝っていた。
しばらくは、神楽耶とミローナの互角の攻防が続いた。だが、智哉を庇いながら闘う神楽耶は、智哉から遠く離れることが出来ない。闘いが長引けば長引くほどそれは不利に働いた。
二人は、互いに攻撃を繰り出したが、どちらも決定打は与えられない。しかし、ミローナが手刀による攻撃を混ぜてくると、神楽耶に確実にヒットし始めた。神楽耶は懸命にブロックしているが、段々と圧されていく。ミローナの手刀に神楽耶の制服は所々切り裂かれていった。
智哉は唇を噛み、神楽耶を凝視していた。握った拳が震えている。
――助けなきゃ。
――怖い、怖い、怖い。
――だけど……。
立っているだけなのに膝が笑う。まるで壊れたブリキ玩具のように、諤々と揺れる。
――助けなきゃ。
――怖い、こわい。
――うごけ、うごけ。
懸命に一歩踏み出そうとするが、靴の底が糊で貼り付いたように動かない。
――助けなきゃ。
――こわい、……こわくない、怖くない。
心の中の恐怖を押し潰す。
――まえに、まえに、――――前に!
智哉の目に微かに覚悟の光が宿った。
――メリッ。
顔面への手刀をフェイントにしたミローナの左フックが神楽耶のボディにめり込む。神楽耶はよろよろと後退して、智哉の傍の石塀に背を付けた。
「これで終わりだ」
神楽耶の目の前にミローナが迫る。止めの手刀が神楽耶にふり降ろされる。
「危ない!」
智哉が神楽耶の前に飛び出した。ミローナの手刀が智哉の顔面を抉った。
「……っ!」
智哉は頬に熱を感じ、そのまま倒れこんだ。それを見たミローナに一瞬の隙が生まれた。
神楽耶は不利な体勢ながら、ミローナに左フックを叩きこむ。ミローナは咄嗟にブロックしたが、神楽耶の一撃はブロックごとミローナを弾き飛ばした。
ミローナは数メートル飛ばされたものの難なく着地する。だが、パンチをブロックした右腕を押さえ、苦し気な表情を見せた。多少なりともダメージは与えたようだ。
「……ふん。まぁいい。今日のところは
闘いを見守っていたエトリンの傍にテレポートしたミローナは、そう言って踵を返した。
「では、神楽耶お姉さま。またの機会に……」
エトリンは、ぺこりと頭を下げて挨拶した後、姉の後を追っていった。
「桐生君、大丈夫?」
神楽耶は戦闘態勢を解いて、振り返った。
――――!!
神楽耶がみたのは、顔中血だらけにして倒れている智哉の姿だった。
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