第10話

 部長は、僕が店長に借りた道具を使って顔を洗い、朝食の席についた。口紅の色は、きれいな赤だった。


 僕は、田中君のことを思い出して、部長に訊いてみた。


「赤は憧れの色だと聞きましたが、部長は、誰かに憧れているんですか?」

「だしぬけにまた…」


 そういって部長は黙る。

 だが、嫌な顔をしたわけではなく、むしろ、楽しんでいる余裕の表情だった。


「あなたね、斎藤君。やっぱりあなたって変なのよ。赤は憧れですって? ―いいえ。情熱の色、羨望の色。人のことがうらやましい、ねたましい、っていう色なのよ。それ、わかる?斎藤君」


 僕は考えてみて、それから首を横に振った。


「いいのよ、別に。わかってほしくて言ったんじゃない。ただ、こんな赤い色の口紅なんてね、流行らない、っていうことなの。でもね、こんな色を塗って歩きたい女は、いっぱいいる、っていうこと」


「…そうですか。僕はそんなに赤い色を、いままで見たことがありませんから、よっぽど、流行らないんでしょうね」


 部長はアイスティーを飲んで、レモンの皮をかじる。


「斎藤君、あなたは赤い色が好き?」


 僕は、その問いに答える代りに、彼女の手を引いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る