第4話

「アー、アン、アン」


 僕のそばで、ひどく大きな声をあげて泣く人がいた。それは三十歳くらいの女性だったが、顔を見たとき、その人が営業部の中島部長だと気付いた。

「アー、社長!」


 その人だけが泣いているのではなかった。他の人も泣いていた。だが僕は、中島部長の背中が気になっていた。

 

 それは黒い羽だった。真っ白な鉤爪のついた、黒い蝙蝠の羽だった。

 近くに寄って見てみると、図鑑で見た蝶の羽の表面のように、玉虫色の鱗のようなものがみっしりと集まって、一枚の皮を作っていた。


 彼女の嗚咽に従って、ゴムのように細かく伸び縮みしている。そのくせ、とても薄く出来ていて、強い風が吹くとビロビロとはためいては、「グアーン」、「グアーン」と、骨と一緒に揺れていた。


 鉤爪は、犬の犬歯よりも太く、鋭いようにみえた。先端は、少し黒く汚れていたが、それは、長い間手入れされていない、爪の先と同じようだと思った。


 僕はそれとなく、中島部長の後を歩いていたが、部長がトイレに行こうとしていたところまで付いて行きそうになり、気付かれた。


「あなた、何?」

 部長は泣きはらした厚ぼったい目で、僕を睨んでいた。


「あの、すみません」

「すみませんって謝るくらいじゃすまないのよ、女性トイレについてくるなんて」

「すみません、ただ」

「ただ、何?」

「あなたの羽が気になったんです。黒いんですね。初めて見ました」


 その途端、中島部長の様子が変わった。

 部長はあんぐりと口を開けて、信じられない、というように後ずさりした後、行きたかったトイレにも行かず、今来た方へ走り去った。


 僕は、部長の驚いた理由がよくわからなかったので、また今度、中島部長に訊いてみようと思った。

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