●新入りの私がヘルマートで真実を知るまで(転換期)

 今日からコンビニチェーンのヘルマートで働く。

 初めてのアルバイトだから緊張する。

 思えば今年の春に上京して来てから今日まであっという間だった。


 大学一年目も無事に前期を終えられて、ここでの生活にもやっと慣れてきた。

 両親の負担を軽くするために、本当はもっと早くアルバイトをしたかったんだけど、両親は「まずは大学生活に慣れなさい」と、アルバイトをすぐに始めることは許してくれなかった。

 両親……とくにパパは心配性で、こっちに上京したばかりの頃は毎日のように近況を尋ねる電話をかけてきた。


「大丈夫か? いじめられてないか? 騙されてないか? 寂しくないか? 炊事洗濯できているか?」

「もうっ! そんなに子供じゃないんだから!」と叫び出したい気持ちを抑えて、毎回同じ質問に「大丈夫だよ」と私は答える。

 私を見送る朝、電車の窓から号泣しながら手を振るパパの顔を思い出すと苦笑いする。


「お父さんは、一人娘のあなたが可愛くして仕方がないのよ」というママの言葉を噛み締める。あたしは両親に大事に育てられたんだと実感している。だからこそ、いつまでも両親に心配をかけるような子ではいたくない。しっかり自立して、ちゃんとやれるんだと安心させたい。

 夏休みに入ってすぐにアルバイトを探した。


 私の住むアパートは大学と同じ沿線上にある。地域の求人誌を見て探したり、お店の前に貼られている求人ポスターをチェックした。勉強に支障が出るようなアルバイトはできないから、あまりに忙しかったり、遅い時間まで働くアルバイトはできない。

 飲食店はそれで断念して、他に自信のある技能が思いつかなかった私は、無難にスーパーのレジやコンビニのアルバイトに絞って捜すことにした。

 だから、アパートの近くにあるコンビニのヘルマートに夕方勤務の求人のポスターが貼られていたのを見つけた時は、チャンスだと思ってすぐに電話をかけた。


「おう、じゃあすぐに面接に来てくれ」


 電話をかけたらすぐに来るように言われた。履歴書をまだ書いていなかったから書いてから行きますと答えたんだけど、


「俺はこの後デー……いや、用事があってお店を出るから急いで。履歴書なんていらねえよ。個人情報を俺が持ってるだけでめんどくせえからな」

「わ、分かりました!」


 電話を切ると、その場で書けるように白紙の履歴書と証明写真を持って、お店に自転車で向かった。

 家からお店まで自転車で十分かからない。駐輪場に自転車を止めてお店に入る。レジカウンター内にいた可愛らしい女の子が、「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。


 その女の子の元へ行き、会釈してから「アルバイトの面接で来ました」と伝える。すぐに、バックヤードから事務所に行くように言われた。


 ドアを開けて店内から中に入り、ジュースやアルコールなどのドリンクが陳列または保存されているウォークイン冷蔵庫のドア、お菓子やカップ麺に文房具や日用品などの商品が敷き詰められたいくつもの棚、保存用の冷凍庫を通り過ぎれば、事務所のスペースだった。


 バックヤードが大きい正方形だとしたら、事務所は正方形にくっつけられた小さい長方形。

 事務所は入り口以外は前後を壁に挟まれていて、まず右奥にはトイレがあった。そしてすぐ左手には後ろの壁に面した小さいテーブルとイスが二つ。さらに、一番左奥のレジカウンターに出るドアまでの間には手前から順に、リュックなどが置かれた荷物置き場、金庫、デスクが、それぞれ正面の壁に面してある。


 男性がデスクでイスにもたれかかって、携帯電話で話をしていた。男性は私に気がつくと、電話の相手に一言断りを入れてから電話を切った。


「おう、来たか。俺が若き店長だ」


 リーゼントがトレードマークの若い男性がこの店の若き店長だった。若き店長は、目の下にクマがあり、顔色も青白くて体調が悪そうに見えた。自己紹介をすると、テーブルのイスに座るように顎を向けられた。私がイスに座ると、若き店長は無言のままじっと見てくる。頭からつま先までなめ回すようにゆっくりと視線を移動させて、最後に顔に視線を戻す。それからやっと口を開いた。


「大学一年生だっけ? いつから働ける?」

「え? あ、はい。今は夏休み中なのですぐでも大丈夫です。学校が始まると、夕方勤務に出られない日もあるんですけど」

「何曜日が無理なんだ? 土日祝日は出られるか?」

「月曜日と水曜日です。 土日祝日は大丈夫です」

「彼氏いる?」


 唐突な質問にえ? と固まってしまう。だけど、若き店長の瞳は微動だにしないで私を見つめてくる。


「い、いません」


 顔が熱を帯びていくのを感じつつ、私は答えた。


「それなら休みの日も出られそうだな。じゃあ、採用でいいよ。来週からシフト組んどくから」

「あ、ありがとうございます」


 欲しかった言葉に嬉しくて恥ずかしさが吹っ飛んだ。

 でも、そんなに簡単に決めてもらっていいのかな?

 若き店長は、私の胸に視線を落とす。


「で、スリーサイズは?」


 私は再び固まる。

 若き店長は眉間に皺を寄せた。


「ほら、制服のサイズ分かんないだろ?」


 あ、そっか。そ、そうだよね。


「えっと……上から83・60・85です」


私は恥ずかしさのあまり俯きながら答えた。


「分かった。じゃあ、用意しておくから。最後に連絡先教えてもらっていい?」


若き店長はそう言って携帯電話を取り出した。私は電話番号とメールアドレスを教えて、「また連絡するからよ」と言う若き店長に頭を下げて事務所を出た。

アルバイトがすぐに決まった喜びはなく、後味の悪さを感じて私は家に帰った。

夜にパパに電話をかけた。


「私アルバイトすることになったからね」

「もう決まったのか? どこなんだ?」

「家の近くのコンビニ。ヘルマートって言うの」


 パパはヘルマートなら大きい会社だから安心だなと、電話の向こうで喜んでくれた。


「でも大丈夫なのか? 大きい会社だから礼儀とか細かいと思うけど、失礼がないようにだぞ。そこのところ、店長も厳しかったんじゃないか?」

「う、う〜ん」


 印象は最悪だったとは言えず。せっかく決まったアルバイトにケチをつけられたくなかった私は、パパの長くなりそうな教訓話を早めに打ち切って寝ることにした。

 何はともあれ、せっかくアルバイトが決まったんだから頑張らなくちゃと決意する。

 大学が夏休みに入って一週目でアルバイトが決まった私は、こうして二週目の今日からシフトに入ることになったんだ。

 コンビニは交替勤務制、通称シフトが決まっている。私は希望通り、募集されていた夕方勤務で働くことになった。


 コンビニの自動ドアをくぐって、店内に入る。

 すぐにコピー機、ATMとレジカウンターが目の前に見えた。

コンビニは長方形のワンフロアに収まっていることから、お店の大きさを箱が大きい・小さいと言い表す。


 四角い箱の中に、商品がエリアごとに種類を分けて棚に陳列されている。

うちのお店では、壁面と呼ばれるエリアには冷蔵庫や冷凍庫が集中していて、アイスなどの冷凍食品、ドリンクやお酒、おにぎりやサンドイッチやお弁当などの冷蔵食品、生鮮食品が置かれている。


 中ゴンドラと呼ばれる店内の中央に設置された棚は八つ。奥から、パン、お菓子、インスタント食品、栄養食品、文房具、日用品、化粧品が置かれ、窓際は雑誌や書籍のコーナーになっている。


 さらに、奥のエンドの後ろに栄養ドリンクの棚が独立して設置されていた。

 レジカウンターにあるフライドフードの保温ショーケースには、チキンやポテトなど揚げ物が並べられていた。コンビニの品揃えは豊富で、浅く広く、どんな種類の商品でも取り揃えている。

 壁面にあるドアをくぐればバックヤードで、その奥のスペースが事務所だ。


「おはようございます」


 ドアをノックしてから、コンビニ業界で使われる挨拶をして入室する。商品がストックされている棚を通り過ぎて事務所に向かう。事務所では若き店長がデスクのイスにもたれかかりながら、携帯電話で話をしていた。


「ああ、もうちょっとしたら行くからよ。また録画したJリーグの試合を解説してくれよな」


 若き店長は私に気づくと、「じゃ、仕事とっとと切り上げるわ」と言って電話を切った。


「今日からよろしくお願いします」


 若き店長がこっちを向くのと同時に私は頭を下げた。


「おう、来たか。そこのテーブルの上に置いてあるのが制服だから。夏服と冬服の二種類だからよ。あと、ネームプレートな」


 若き店長に指差されて制服とネームプレートに目を向ける。


「あ、ありがとうございます」


 制服を手に取った私を見て若き店長は眉をしかめた。


「おい、ジーンズで来たのかよ?」


 指摘されたのは、作業しやすい格好と心がけてはいて来たジーンズだった。


「うちのお店は、若い子はスカートって決まってんだよ。今日はいいけど、次回からスカートで来いよな」

「え?」


 今までヘルマートを利用していて、そんなスカートをはいているスタッフを見たことがないんだけど?


「お前が面接に来た日にうちのアイドルが働いてただろ? スカートじゃなかったのか?」


 言われてみれば……緊張していたからそこまで目がいかなかったのかもしれない。いや、レジカウンター内にいたから下半身まで見てなかったんだ。


「で、でも……このマニュアルにはスカートなんて書かれてないんですけど」


 私は事務所の壁に貼られている、ヘルマートスタッフの身だしなみチェックのポスターを見た。


「ここは特別ルールなんだよ。社員を喜ばせろ。男性客だって鼻の下のばしてくれる。クレームになんかなるわけないんだからよ」

「は、はい」


 有無を言わせない若き店長の言葉の圧力に、私は頷くしかできなかった。

 若き店長は事務所の隣りの、レジカンター内へ通じているドアを横に引いて開けると、レジのスタッフを呼んだ。


「おいっ天下取り!」


 呼ばれて、上半身がふっくらとした男のスタッフが、どすんどすんと足音を響かせながらこちらへやって来た。


「はいっ! どうしました?」

「この子が今日から夕方勤務で入ることになったから。色々教えてやってくれ」


 天下取りはこっちを見る。私はすぐに自己紹介をした。


「んじゃ、とりあえず着替えてレジに入ってくれる?」

「は、はい!」


 私は頷いてカバンを荷物置き場に置いて、支給された制服をシャツの上から着た。


「よ、よろしくお願いします」


 レジカウンター内に出ると、レジにお客さんが並んでいた。

 二つあるレジの内、片方に五人もお客さんが並んでいた。


「何ボーッと突っ立ってんの? 早くレジに入って!」


 天下取りの怒声が響き渡る。

 私はすぐには言っていることを理解できなかった。

 コンビニは基本的に二人体制でもう一人スタッフがいるはずだから、レジを離れているその人を呼んでいるんだと思った。

 そうしたら、天下取りは私を指差した。


「新入り! キビキビ動いて!」


 私に言っていたんだと気づいて、反射的に2レジへ駆け出した。


「お次お待ちのお客様、どうぞお隣りのレジへ」


 天下取りに誘導されて、学生だと思われる女性のお客さんがこっちへやってきて商品を置いた。

 お、落ち着こう。コンビニで買い物をしたことがないわけじゃないんだから。まずはバーコードを読み取るんだ!

 ピイィィィィィィィィ

 バーコードスキャナーで商品のバーコードを読み取った瞬間、レジがエラー表示を示した。

 え? え? なんで? 音は鳴り止まない。私はどうしていいか分からない。


「何やってんだよ!」


 天下取りがすぐに隣りへやって来て、レジのどこかのボタンを押すと音は止まった。それから、私のネームプレートを指差した。


「まずスタッフコード読み込まないと、レジがセキュリティロック解除しないだろ! しっかりしろよ!」

「す、すみません!」

「お客さんからお金を受け取ったら、金額を入力して、ここの購買年齢層の一列から見た目で年齢を判断してボタン押して、表示された差額を渡す! いいな?」


 そんなの頷くしかないじゃん。私は頷いて、恐る恐るレジを操作する。

 商品のバーコードをスキャンして、金額をお客さんに告げてお金を頂く。そして、ここの年齢層のボタンを押すんだっけ? えっと二十代ぐらいかな?


 ボタンを押すと、レジの画面におつりの数字が表示された。よし、これでおつりを渡すだけ……その時、キャッシュトレイに置かれたカードに気づいた。赤一色のカードにはアルファベットで黒字のHELLと書かれている。


「え?」


 お客さんにレシートとおつりを渡す手が固まる。

 お客さんは差し出したおつりを受け取らずに、じっと目で何かを訴えている。


「ヘルポイントつけてよ!」


 ヘルポイント?

 上京して来てまず驚いたのが、スーパーでもどこのお店でもポイントカードがあるということだった。昨今の大都市圏では、ポイントカードが当たり前らしい。一人のお客さんが利用するお店の数だけ、ポイントカードを持つのが一種のステイタスみたいで……


「え? もうポイントつけられないの?」


 お客さんの声には棘があった。

 ついさっきまで、トレイの上にはポイントカードなんてなかったのに。私がおつりを渡そうとトレイから目を離した一瞬の間に、ヘルポイントカードは出現した。


「何やってんだよ!」


 天下取りの三度目の怒声が飛んだ。私はもう泣きそうだった。

 レジのお客さんラッシュが終わってから、天下取りの説教が始まった。


「ポイントカードお持ちですか? って聞くの常識だから! しっかりやってくれないと困るんだよ。あ〜レジもできねえってどういうことだ?」

「す、すみませんでした」


 こんなことだったら、レジの操作の仕方予習して来るんだった。私何やってんだろ?


「じゃあ、フライドフードを補充しないといけないから、サクサクっと見て覚えて」

「は、はい。よろしくお願いします」


 天下取りはレジカウンターを出て行く。私はその後を追う。

 天下取りが突然立ち止まった。危うく背中に当たりそうになって、急ブレーキする。

 こっちを振り向いた天下取りの顔は、なぜか腑に落ちないといった感じだった。


「何やってるんだ?」

「え? こ、これから冷凍されたフライドフードを、フライヤーで揚げるやり方を教えてもらえるんじゃ?」

「フライヤーはあっちだろ!」


 天下取りはレジカウンターの奥を指差す。

 そこには冷凍されたフライドフードを揚げるためのフライヤー機があった。機械の下の小型冷凍庫にはすぐに揚げられるように、冷凍されたフライドフードが小分けして保存されている。


「機械の隣りにマニュアルあるんだから、読んでその通りやって!」

「は、はい!」


 そういう意味だったの?

 天下取りは大きくため息を吐いた。


「二人しかいないんだから、テキパキやらないと仕事終わらないだろ? 勘弁してくれよ! 俺は店内掃除を始めるからな」

「すみません!」


 そうだよね。仕事が多いのに二人しかいないから大変だ。しかも今日は新入りの私に教えなきゃいけないんだから、いつもよりよけいに仕事が多い。私が迷惑をかけるわけにはいかない。急いでレジカウンターに踵を返した。


 あれ?

 二人しかいないって?

 店内を見回す。

 さっきから天下取りしか見ていない。バックヤードに誰かいないのかが気になった。


 夕方勤務は二人だけだ。

 その二人だけって、もしかして私を入れて二人ってこと?

 バックヤードが開いて、若き店長が出てくる。

 若き店長は制服を脱いで、自分の鞄を手に持っていた。若き店長の後ろからダスターモップを持って天下取りが出てくる。


「じゃ、後よろしく」


 若き店長が通路を颯爽と通り過ぎていく。

 私をちらっと見ると、すぐに視線を前に戻した。


「お疲れ様でした!」


 天下取りがその背中に深々と一礼する。


「お、お疲れ様です」


 私も天下取りに習うしかなかった。

 若き店長がお店を出て行くと、私は気になっていたバックヤードに入った。ドリンクやお酒が保存されている、ウォークイン冷蔵庫のドアを開けて中に誰かいないか探す。


 バックヤードと事務所を見回ってレジカウンターに出て来た時には、お店には私と天下取りしかいないことを知った。理解したことで逆に落ち着けた。私はフライドフードが並べられたショーケース内を見て、とりあえず同じ商品を揚げようと冷凍庫を開けた。置いてあったフライドフードの調理マニュアルを開いて、操作方法と揚げ時間を確認する。


「終わったのか?」


 天下取りがモップをかけながらこちらまでやってきた。


「あの……」


 努めて冷静に。


「ん? どうした?」


 天下取りは胸を突き出すくらいに張った。

 私は尋ねた。


「夕方勤務って、今日も二人なんですか?」

「当たり前だろ! 何言ってんだ?」


 私が初日だから、こーいう時は研修中ってことで、夕方勤務二人に私がついて教わるのかと思っていた。


「今日ぐらいは三人でやるものだと思っていました」

「人件費かかるだろ!」


 天下取りの淀みない答えに私はコンビニの体制を知る。

 やっぱり仕事は厳しい。

 地方から上京して来た自分がいかに世間知らずだったかを思い知る。


「あの〜」


 お客さんの声がした方へ振り向く。

 中年の男性客は、ATMの前に立っていた。


「ATMって故障中なんですか?」


 天下取りが舌打ちするのが聞こえた。


「貼り紙に書いてありますよね?」


 ATMの機械には故障中と書かれた大きな紙が貼ってあった。


「来週までには新しい機械が届けられるので」


 納得していなさそうなお客さんが口を開く前に、天下取りは畳み掛けて発言を封じた。

 お客さんが不満顔でお店を出て行くと、私も尋ねた。


「壊れてたんですね……」


 自分も気づいていなかった。


「ああ。一週間前にな」


 天下取りが冷たく言い放った。

 自動ドアが開く。


「いらっしゃいませ〜」


 入って来た若い男性を見て思わず驚いてしまう。

 まだ学生だと思うその人は頭を包帯でグルグル巻いていた。

 目に光はなく、顔も土気色で生気を感じられない。

 男性は自動ドアの前で立ち尽くしたまま動かなかった。その異様さに何事だろ? と身構える。天下取りも気づいていたみたいで、男性を見ていた。

 天下取りがボソリとつぶやいた。


「退院したんですね……善人面」


 善人面が天下取りを向いた。


「若き店長はいる?」


 天下取りは鼻で笑う。


「もう帰りましたよ」


 これがコンビニ。

 初めてのアルバイト。

 私のヘルマートでの初日だった。

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